スウェーデン作家協会のオンデマンド出版サービス

2010年11月15日
posted by アカネ・エンストロム

村上龍氏が電子書籍の制作会社G2010をITベンチャーと共同で設立したというニュースを、いつものようにTwitterのTL上で最初に目にした。一年前、スウェーデン作家協会が会員作家のために、廃刊や絶版になった本のオンデマンド出版サービスDejavubok.seを始めたことをそれで思い出した。どちらも作家自身が直接出版に関わり始めたという点で共通している。その後、作家協会のそのサービスはどうなっているのだろうか?興味を惹かれたので早速、作家協会の会長に直接電話を入れてみた。

作家協会の会長からこのサービスの担当者としてAnna Forslundを紹介された。連絡先住所が作家協会の事務所とは別のところになっているので調べてみたら、電子書籍の制作会社Publit.seのオフィスだった。

AnnaForslund

スウェーデン作家協会 Swedish Writer´s Unionのオンデマンド出版サービス Dejavubok.seの担当者Anna Forslund氏。

Pubit.seのサイトはスウェーデン語だが、Googleツールバーの翻訳機能で英語にすると問題なく読める。

Pubit.seのサイトはスウェーデン語だが、Googleツールバーで英語に翻訳すれば読める。

Publit.seが設立されるきっかけとなったのは、2008年に亡くなったスウェーデン人作家Stig Claessonの作品を、Publitの創設者たちがブックサークルで読むことになった時、80以上の作品が残されているにもかかわらず出版されたのはわずか5作品だったことから、需要の少ない本のシリーズ出版を手掛ける会社を作ろうという話になったことだという。それがやがて、出版社や会社がオンデマンドで出版できるサービスを提供するPublit.seの設立につながった。

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Googleに頼らず日本語書籍の全文検索を

2010年11月8日
posted by 沢辺 均

10月29日に「全文テキスト化実証実験参加協力会社との定例会(第1回)」が開かれた。これは、私流の言い方をすれば、2009年6月ごろから、境真良さん(経済産業省)や版元ドットコムのメンバーたちと話していて、ひょっこり生まれた「ジャパニーズ・ブックダム」が、長い相談や準備をへてやっと最初の一歩を踏み出したものだ。

もちろん、国立国会図書館には国立国会図書館の計画があって、たまたまそれがリンクして始まったものという位置づけだろうし、今回参加した出版社もそれぞれの計画のなかの一つとして参加しているわけだ。

「マガジン航」からの求めがあったので、以下に、ここまでの経緯をまとめてみた。

「ジャパニーズ・ブックダム」構想のはじまり

ジャパニーズ・ブックダム計画がなんとなくイメージできた当時は、まだGoogle問題が出版界を中心に話題になっていたころだ。

ポット出版は「Googleの書籍デジタル化への集団訴訟和解案について」という考えを公表した。「ポット出版は、ポット出版が発行した書籍の全文を対象にした検索が実現することを歓迎します」という趣旨。

ジャパニーズ・ブックダムは、この考えから一歩進めて、Googleに頼らず、日本国内でも日本語の書籍のための全文検索→一部表示を実現したい、という計画だ。そして、すでに国立国会図書館がすすめていた「資料のデジタル化」がこれを成立させる条件になるのではないか、と考えたのだ。

リーマン・ショックを受けた補正予算で127億円の補正予算がついて、1968年までの書籍や一部雑誌のスキャニングができることも、注目をあつめたポイントだった。

この国立国会図書館の「資料デジタル化」は、壊れたり、破れたりしそうな資料をスキャニング(むかしはマイクロフィルム化)して、館内での閲覧に現物のかわりに提供してよい、という著作権法改正をうけて行われた。壊れたり、破れたりするはるか以前から、あらかじめスキャニングしてよい、というもの。ただ、出版業界の代表との具体化の相談の過程で、OCRはかけない、という合意もしていた。

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村上龍氏が電子書籍の出版社G2010を設立

2010年11月5日
posted by 仲俣暁生

1976年に『限りなく透明に近いブルー』で颯爽と登場し、日本の文学シーンを鮮やかに書き換えた作家の村上龍氏が、自作の電子書籍の制作・販売をマネジメントする新会社G2010をITベンチャー企業のグリオと共同で設立し、その記者会見が11月4日、東京で行われました。

記者会見に先立ち村上氏は、1999年から主宰しているメールマガジン「JMM(Japan Mail Media)」の誌面で新会社設立にあたっての趣意書「G2010設立の理由と経緯」を公開。新会社にかける村上氏の決意がつまびらかにされています。

JMMで公開された新会社の設立趣意書

JMMで公開された新会社の設立趣意書

村上氏はこの「JMM」以外にも、長篇小説『共生虫』をオンデマンド出版で先行発売するなど、新しいメディアによる「出版」に積極的に取り組んできた作家です。

会見に先立って村上氏は、「作家はみな誰かに届けたい、という思いで書いている。11年前に電子メールをやったときにもそう思ったが、電子書籍によって、読者に届ける手段がまた一つ増えた」と語り、出版業界のなかで語られているこれまでの内向きな「電子書籍」の議論に違和感を表明するとともに、「外」すなわち「読者」にもっと目を向けるべきであることを強調していました。

新会社設立の最大の理由は「機動力・スピード」

村上氏と共同でG2010を設立するグリオは、さきのJMMの運営を行っているほか、村上氏の新刊小説『歌うクジラ』の電子書籍版も開発しています。この電子書籍版を作った経験が、村上氏に新会社設立への決断をさせることになったようで、その経緯をさきの趣意書で次のように述べています。

わたしは、電子書籍の制作を進めるに当たって、出版社と組むのは合理的ではないと思うようになりました。理由は大きく2つあります。1つは、多くの出版社は自社で電子化する知識と技術を持っていないということです。「出版社による電子化」のほとんどは、電子化専門会社への「外注」です。わたしのアイデアを具体化するためには、まず担当編集者と話し、仲介されて、外注先のエンジニアに伝えられるわけですが、コストが大きくなり、時間がかかります。『歌うクジラ』制作チームの機動力・スピードに比べると、はるかに非効率です。2つ目の理由は、ある出版社と組んで電子化を行うと、他社の既刊本は扱えないということでした。いちいちそれぞれの既刊本の版元出版社と協力体制を作らなければならず、時間とコストが増えるばかりです。今後、継続して電子書籍を制作していく上で、グリオと組んで会社を新しく作るしかないと判断しました。今年の9月中旬のことです。

紙より速く電子書籍版が刊行された村上龍氏の長篇小説『歌うクジラ』

紙版に先駆けて電子書籍が刊行された村上龍氏の長篇小説『歌うクジラ』

村上氏によれば、電子書籍化のメリットは大きく分けて三つあります。一つは「リッチ化」、すなわち坂本龍一による音楽や、アニメーションが効果的に使われていた『歌うクジラ』のような、リッチコンテンツがつくれること。『歌うクジラ』は現在、紙の書籍でも上下巻として発売されていますが、紙の本に先駆けて発売された電子書籍版は、すでに1万以上のダウンロードを達成しています(ちなみに紙版の初版刷り部数は、上巻が8万5000、下巻が8万だそうです)。

二つめは、一つのタイイトルに収録できるボリュームに制限がないこと。G2010からの具体的な出版プランとして、村上氏の人気シリーズ・エッセイ『すべての男は消耗品である』の第1巻から、まもなく刊行される11巻までの、400字詰め原稿用紙にして3000~3500枚にものぼるコンテンツを、一つの電子書籍として刊行することが予定されているそうです。そして三つ目が、廃刊や絶版となった書籍の復刻です。

電子書籍版『限りなく透明に近いブルー』には、当時の手書き原稿も収録。

電子書籍版の『限りなく透明に近いブルー』には、当時の手書き原稿も完全収録。

村上氏は、「いまの出版社は、紙の本をつくるプロはいても、電子書籍をつくるプロは少ない」と発言。出版社との関係は良好であると語りながらも、自作の電子書籍化は、今後もG2010のみで行うと明言しています。具体的には『歌うクジラ』に続く第二弾として、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』を、35年前の手書き原稿を全ページ分収録して電子書籍化することが決定しており、坂本龍一との共著『モニカ』や『イン・ザ・ミソ・スープ』についてもリリースの予定があるそうです。また『歌うクジラ』は韓国語版の準備も進んでおり、多国語展開も視野に入れていることが明かされました。

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読み物コーナーに新記事を追加

2010年11月1日
posted by 仲俣暁生

津野海太郎さんの「書物史の第三の革命」の連載第4回目(4 若者が本を読まなくなった)を読み物コーナーで公開しました。若い世代の「読書離れ」「活字離れ」は、昔からいくども言われてきたことです。それは日本では、いつ頃から始まったのでしょうか。

1960年代に俳人の中村草田男によって批判された「読書をしない大学生」とは自分の世代のことだと、津野さんはいいます。津野さんはさらにこの文章で、

そして、つぎの変化の時がその十数年後、一九八〇年代です。いまとおなじく、あの当時も、出版界周辺では「活字文化があぶない!」という危機意識が急につよくなっていた。ただし統計で見ると、このころ本の売れ行きがとくに急激に落ちたわけではない。その逆です。年間発行点数も総発行部数も実売金額も、むしろ安定して増えつづけていた。それなのに、あの時期、なぜあんなに声高に「活字の危機」が叫ばれていたのか……。

と書いています。思わずドキリとしましたが、1980年代の大学生といえば、まさにこの私の世代にあたります。しかし統計的に見れば、1980年代はむしろ出版産業の黄金時代だったわけです。

津野さんはこうした一連の「活字離れ」「活字文化の危機」といった言説の起源を遡り、20世紀という「本の黄金時代」を通じて起こった読書の大衆化と「活字離れ」の関係について考察しています。21世紀、これから「読書」はどうなるのでしょうか。

「読書の秋」ということで、先月の終わりに毎日新聞社の読書世論調査が今年も発表になりました。第64回を迎えたこの読書世論調査では、7割以上の人が読書にあてる時間が減ったことや、今年の春からメディアで話題となった電子書籍の読める電子端末に対しては、「読んだことがある」と「読んだことはないが読みたい」を合わせても28%と、意外と冷静な反応が見て取れます。

電子書籍の登場と普及は、21世紀の読書をどのように変えていくのか。それはまだ、誰にもよくわからないことです。今年の暮れから来年にかけて、日本でもさまざまな電子書籍サービスが新たに始まると言われています。電子端末やプラットフォームの話題ばかりが先行していますが、「読書」という行為の側からも、これから登場するサービスについて「マガジン航」でも考察していきたいと考えています。

なお、津野海太郎さんの「書物史の第三の革命」の連載は第5回目となる次回で終わりです。続きは今月に国書刊行会から刊行予定の『電子本をバカにするなかれ』でお読みください。

4 若者が本を読まなくなった

2010年10月30日
posted by 津野海太郎

それでも、いざそう考えてふり返って見ると、森、アドルノ、藤田といった人たちの批判もふくめて、急激な成長がみずからの終りを準備し、この黄金時代はいずれ崩れるしかないんじゃないかという予感が、一九五〇年前後から、けっこう多くの人のうちに生じはじめていたらしいことがわかってくる。

たとえば「いまの大学生は本を読まない」と、よく大人たちが嘆いていますよね。いちおう、もっともな嘆きといっていい。私も二〇〇一年に、ある小さな大学でおしえはじめて、あまりにも学生たちが本を読んでいないことを知って愕然としました。

それで最初の年、授業で五十人ほどの学生にアンケートをとってみた。さすがに一年に一冊も読まないという者はいなかったが、ひと月に五冊読むという学生もきわめてすくなかつた。たいていは月に一冊か二冊ていど。しかもライトノベルとか、そういうのが多い。他大学の教師たちの話をきいても、東大や早大のような有名校もふくめて、ていどの差はあれ、学生の多くがまともに本を読んでいないというのは事実なんじゃないかな。

ただ、事実なんだけれども、学生が本を読まなくなったと嘆く大人たちは、教師とか親とか勤め先の上司とか、おもに四十代後半、五十代から上の人たちですよね。そしてどうやらかれらには、私はちがう、われわれの世代はもっと沢山の本を真剣に読んでいたぞ、というかつての読書体験への自負心みたいなものがあり、それを基準にいまの大学生を批判しているらしい。でも、これ本当なのかな。本を読まない学生もですが、むしろ私はそちらのほうにちょっとひっかかるものを感じるんです。

じぶんのことを考えても、たしかにいまの大学生にくらべれば、かつての若者や学生はよく本を読んでいたと思う。でもね、そう自分で思い込んでいる大人連中にしたところで、じつは若いころ、「いまの若者は本を読まない」と、上の世代からさんざんバカにされたり嫌みをいわれたりしていたにちがいないんです。みなさん、そのことをすっかり忘れているんじゃないか。

私は忘れていません。たとえば、かつて中村草田男という高名な俳人がいた。一九〇一年、明治四十四年生まれ。松山の人。松山高等学校から東京帝大ドイツ文学科。だから、モロ旧制高校時代の人ですね。大正教養主義の流れにまっすぐ立っていた人――。

この中村草田男が一九六五年に「学生と読書」という随筆を書いている。私が大学をでた二年後です。ところどころ飛ばして読んでみます。

現代の生徒および学生──小学生から大学生にいたる各年齢層──が、戦前の時代に比較すれば、共通してほとんどといっていいくらいに、当面の課題範囲以外の読書に自発的につとめることが無くなりつつある。(略)電車内に席を占めている小学生は、ただその間の時間つぶしのためだけにはなはだニヒリスティックな無表情さで漫画本の頁を繰っている。(略)大学生は、これも同様に電車内での空白時間の大部分をチュウインガムを噛むことによってまぎらわせている。その時間内の彼らの頭脳中には意識の流れというような思惟の流れは存在していないのである。完全に空白な時間なのである。

ちょっとおどろくでしょう。いまとおなじなんです。この「学生と読書」を書いたとき、草田男は成蹊大学の先生だった。で、いまの大学教師が「最近の学生は本を読まなくなった」というのとおなじことを、半世紀まえに、おなじ口調でいっていた。

なぜ、かれらは本を読まなくなったのか、原因は三つある、と草田男先生はおっしゃいます。この三つの原因もいまとおなじ――。

(原因1)占領下の国字国語改革――それによって大学生の「日本語に対する関心と知識」が低下し、いまや「彼らの読書力そのものの貧弱は形容を絶したものがある」

(原因2)進学地獄――幼稚園入園のための予備校まで出現し、「日本の若いジェネレーションは少年青年時代を通じて」「徒に幅広くなった進学のための解説的知識を機械的に受けとることだけに追い立てられつづけて」「それ以外の範囲の一般読書のための余暇と余裕を持つことを許されていない」

(原因3)視聴覚文化の氾濫――「テレビ・映画の前に身を置いてさえいれば、割り切れた明瞭きわまる『形象』がつぎつぎに後を追って登場してきて、画面的説明を最後まで遂行してくれる」のに慣れて、「割り切れていない無形の、しかし生きたる有機体的なミクロコスモスの中へ突入すべく、われわれの方から全力をあげて一種の格闘をいどんでいかなければならない」「読書という営み」に、ついていけなくなってしまった。

とうてい五十年以上もまえの発言とは思えない。

一番目の日本語能力と読書力の低下。いまはさらに惨憺たる状態になっています。でも基本的にはおなじ。おかげで日本語ブームがくりかえし起こり、漢字検定などというわけのわからんものがはやる。

二番目の進学地獄、受験戦争についても同様。おなじ現象がもっと息苦しく脅迫的なものになっただけ。

三番目の視聴覚文化の氾濫。テレビや映画が持つ力はいちじるしく低下したが、かわりにインターネットや携帯電話に代表される生活環境そのもののデジタル化、オーディオ・ヴィジュアル化が一気にすすんだ。じぶんのまわりに途切れ目なく押し寄せてくる強烈な「形象」によって、こちらから「全力をあげて一種の格闘をいどんで」いく気力や能力がいまにも失われそうになっている。おなじだと思います。

ちがうのは、草田男先生の時代は高度経済成長が開始されてまもない時期だったということですね。若者をターゲットとする商品化社会はまだ完成にはほど遠く、サービス産業も素朴で幼稚な段階にあった。そのぶん、いまよりものんびりした面があった。とはいえ、当時の大人が新しく登場した若い世代、とくに「本を読まない大学生」に対していだく不安は、かなりのものだったろうと思います。とつぜん、空っぽ頭の、わけのわからん連中がでてきたぞ、という印象があったにちがいない。

では、一九六五年という時期に中村草田男は一体だれを批判していたのか。ズバリといってしまえば、この私なんです。

この文章を当時、私は読んでいません。でも、もし読んだとすれば、ここで批判されている「現代の生徒や学生」とはオレのことだときっと思ったでしょうね。なるほど若い私はかなりの量の本を読んでいた。それは事実ですが、私の読書にはもう、年長の人びとの読書をささえてきた精神の集中力、モラル・バックボーン、草田男先生のいうような「格闘」の要素はめだって乏しくなっていた。その自覚はありました。それに、そのころ私は吉祥寺の成蹊大学のすぐそばに下宿していましたからね。中央線か井の頭線の車中で実際に草田男先生とすれちがっていた可能性だってなきにしもあらずなんです。

中村草田男の批判からわかるのは、「最近の学生は本を読まない」という大人たちの嘆きが、いまとおなじ内容、おなじ強度で、すでに六〇年代の日本にも存在していたということです。しかも六〇年代だけ、草田男先生だけのことではない。おなじ嘆きが、戦後、読書のスタイルや環境が変わるたびに繰りかえし表明されていた。

ここで草田男を嘆かせている「はなはだニヒリスティックな無表情さで漫画本の頁を繰っている」小学生たちは数年後に大学生になります。電車のなかでマンガ週刊誌に読みふける大学生、つまり団塊世代の登場です。かれらより十歳ほど年長にすぎない私ですら、最初にその現場を目撃したときは度肝をぬかれた。しかも電車だけじゃないんです。喫茶店でデートしている男女が、向かいあって、ただ黙々とマンガを読んでいる。おまえら、なんのためにデートしてるんだよ、と見ていてイライラしました。

そして、つぎの変化の時がその十数年後、一九八〇年代です。いまとおなじく、あの当時も、出版界周辺では「活字文化があぶない!」という危機意識が急につよくなっていた。ただし統計で見ると、このころ本の売れ行きがとくに急激に落ちたわけではない。その逆です。年間発行点数も総発行部数も実売金額も、むしろ安定して増えつづけていた。それなのに、あの時期、なぜあんなに声高に「活字の危機」が叫ばれていたのか……。

よくわからないんですが、たとえば、それまではまあまあよく売れていた堅めの本がしだいに売りにくくなった。どうやら、この手の本の主要な購買層だった大学生や若い人たちの関心が、べつの方向へシフトしはじめているらしい。私が身をおいていた広い意味での人文書の世界に、そういう実感がじわじわと生じていたのは事実です。若い連中がかたい本を敬遠し、集中力ぬきで読める、肩のこらない、やわらかい本にしか関心を示さなくなった。当時はやりの四文字語でいえば、「重厚長大」から「軽薄短小」への変化です。

そういえば「雑高書低」ということばもあったな。七〇年代の終りから八〇年代はじめにかけて、年間の売上げ高で戦後はじめて雑誌が書籍を抜き去る。出版産業の中心が書籍から雑誌へと足早に移ってゆく。そのはじまり――。

しかもこのころになると、雑誌自体がすでに総合雑誌や文芸雑誌のような伝統的な活字中心の「読む雑誌」ではなく、七〇年代のマガジンハウスの突進にひっぱられて、いまあるような「見る雑誌」、大量の広告がはいったカラーの大型ビジュアル誌に変貌していましたからね。こうしたビジュアル誌のターゲットは、いうまでもなく若者、学生、若い女性たちです。読むかわりに見る。団塊世代のマンガへの熱中にはじまる若者の「活字ばなれ」(これも当時の流行語)が、この先もますます進んでいくのではないか。「活字文化があぶない!」という出版人の悲鳴には、ひとつにはそういう予感がふくまれていたんだと思います。

それやこれや、ようするに若者が大人によって「本を読まない」と批判されるのは、なにもいまにかぎったことじゃないんです。学生についていえば、いつの時代でも、その時々の大学生や高校生は、それ以前の世代にくらべると覿面に本を読まなくなったと感じられていた。

しかも戦後だけの傾向でもない。最近たまたま知った例でいえば、すでに昭和十年、一九三五年に、英文学者の平田禿木が「趣味としての読書」というエッセイで「今日の若い人達の間に如何にして趣味としての読書が閑却されてゐるか」について縷々語っています。中村草田男のいう「戦前の時代」の学生たち、むさくるしい寮の一室で内外の古典や新しい海外思想に懸命に食いついていたはずの教養主義全盛期の旧制高校生たちでさえ、じつは大人からはそう見られていたんです。この文章はいまは「青空文庫」で読めます。青空文庫、すなわち日本で最初のオンライン電子公共図書館。私は iPhone から接続して読んだ。なんだか皮肉な気がしないでもない。

こう見てくると、二十世紀という「本の黄金時代」が、同時に、豊富化ゆえの読書習慣の衰退へのおそれが絶えない時代でもあったということがわかるんじゃないですか。勢いにのって階段を上ってゆくと、上るはしから足もとで階段が崩れてゆく。そういうイメージ――。

いまの若い連中が本を読まないのは事実です。でもかれらは、なにもかれらだけで本を読まないんじゃない。かれらを批判する大人といっしょに本を読まなくなっているんです。大人たちが「本を読まない」と嘆く若者もまもなく大人になり、あとにつづく若者たちの活字ばなれを嘆きはじめる。こうして「まえの時代にくらべて本を読まない人たち」の層が順々にかさなってゆき、ふと気がつくと、若者だけでなく社会を構成する人間が全体として本を読まなくなっていた。だから「狼が来た」なんですよ。「狼が来たぞ!」という空しい叫びを何度も繰りかえすうちに、とうとう白い牙をむきだした本物の狼が出現してしまった。

その牙が私たちの目に最初にはっきり見えたのが、日本でいえば一九九七年に、こんどこそ本物の出版危機がはじまったときです。とつぜん本の売れ行きが落ち、二十一世紀になったいまも、その低落のいきおいが止めどなくつづいている。本の力が黄金時代の水準をとりもどすことは、世界的に見ても、もう不可能と考えるしかないだろう。そして奇しくも、といっていいと思いますが、その本と読書のどんづまり状況に電子化がピタリと重なってきた。そういうことじゃないかと思うんです。

※本稿は国書刊行会から今月刊行される、津野海太郎氏の新著『電子本をバカにするなかれ』のために書き下ろされた文章「書物史の第三の革命~電子本が勝って紙の本が負けるのか?」の抜粋です。