「電子書籍を体験しよう!」モニターレポート

2010年12月17日
posted by 松永英明

東京都立中央図書館では、2010年11月22日から12月22日までの1か月間、企画展「電子書籍を体験しよう!」~新しい図書館のカタチ~を開催している。この企画展では、「会場備え付けのパソコンから電子書籍(約1,000タイトル)を閲覧できます」「iPadやKindleなどの電子書籍端末が体験できます」とうたっており、都立図書館が真剣に電子書籍の時代を考え始めていることが伺われる。

この企画展に合わせて、出品された1000タイトルの電子書籍を自宅のPCから閲覧できるモニターが事前募集されていた。私はその情報を知ってすかさず申し込みをしたのだが、IDとパスワードがメールで送られてきた。

11月中旬に専用サイトをOPEN、22日からモニター開始ということで期待した。ただ、モニター開始時に改めて連絡はなく、少し遅れて思い出した次第である。今回は、実際にこの「電子書籍を図書館が貸し出す」システムのモニターを行なってのレポートをお届けしたい。

ジャンル構成と「書棚」

まず東京都立図書館の特設ページ(d0001 WEB Library)にアクセスする。ここまでの道のりがややわかりづらかったのはさておくとして、都立図書館の開架書棚の写真が掲載されているのが目を引く。あくまでもこれはリアルの「図書館」をデジタルで再現しようという試みなのである。

左の枠の「ジャンル」は、総記、哲学、歴史、社会科学、自然科学、技術、産業、芸術、言語、文学という「日本十進分類法」に基づいた最上位10区分に加えて「オリジナルコンテンツ」の計11ジャンル。ただし、下位区分はおおざっぱなものとなっている。もし冊数が増えた場合には、日本十進分類法の詳細区分や、都立中央図書館が独自で設けているコーナー(ビジネス情報コーナー、法律情報コーナー、健康・医療情報コーナー、都市・東京情報コーナー、地方史コーナーなど)も独自のジャンルとして存在しているとわかりやすいだろう。

この点、リアルの図書館の「棚」にはすでに工夫があるわけだから、それを電子版でも反映してほしいと思う。リアルの図書館のおもしろさは、求めている本があることに加えて、書棚を見たら近くで見つけた関連書籍が参考になったりするところにある。

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日本語表現と求められる標準化

2010年12月17日
posted by 植村八潮

標準化の背景

日本語書籍における組版規則は、日本語表現と出版文化形成に大きな役割を果たしている。欧米の書籍と比較すればわかるように、縦組み、ルビなどの日本語特有の組版規則、多数の文字、さらに多様なフォントなど、いくつもの特徴を有している。その結果、日本語の電子書籍の制作においては、手間とコストがかかる傾向にある。

一方で、「電子書籍元年」と呼ばれる熱狂的な電子書籍ブームの到来である。先頃開催された東京国際ブックフェア(東京ビックサイト、7月7~10日)では、過去最高の来場者となり、中でも電子出版関連のコーナーに多くの見学者が押し寄せることとなった。

日本での電子書籍市場は、574億円(インプレスR&D「電子書籍ビジネス調査報告書2010」)となり、出版市場(1兆9356億円)に対して3%程度と十分な市場を形成するに至った。2010年後半には、日本語対応電子書籍端末の販売が予想されており、さらに成長が期待されている。

このような状況で、出版界や印刷業界は、電子書籍コンテンツの制作と流通対応が急務となっている。そのためには電子書籍コンテンツの生産性を向上し、さらに制作した電子書籍を多種多様なプラットフォーム・端末において利用し、提供できる環境作りを行う必要がある。日本語電子書籍ファイルフォーマットの標準化が、従来から求められてきた理由である。

以上のような背景を受けて、総務省、文部科学省、経済産業省による「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」(以下、三省デジ懇)が設立され、喫緊の課題やいくつかの論点整理を行っている。このほど、報告書を公表し、いくつかの提言を行った(2010年6月28日報告書公表)。この中でも、とくに電子書籍の中間(交換)フォーマットの統一規格を検討する「電子出版日本語フォーマット統一規格会議」の設置が注目されることとなった。筆者は、三省デジ懇の傘下に設けられた「技術に関するワーキングチーム」の構成員として報告書案の作成に参加し、ファイルフォーマット標準化の重要性を主張した。

報告書の中では、

日本語表現に実績のあるファイルフォーマットである「XMDF」(シャープ)と「ドットブック」(ボイジャー)との協調により、出版物のつくり手からの要望にも対応するべく、我が国における中間(交換)フォーマットの統一規格策定に向けた大きな一歩が踏み出された。

としている。

結果的に電子書籍の中間(交換)フォーマットの統一規格が報告書に盛り込めたのは、これまでIEC(国際電気標準化会議)や国内メーカー団体のJEITA(電子情報技術産業協会)において、ファイルフォーマットの国際標準化が進んでいたからである。

もともと民間活動の中で取り組まれてきたことが、改めて政府の懇談会で取り上げられたことになったのである。とはいえ日本が主導して国際標準化が進んでいることについて、政府内や電子書籍関係者に知られていなかったのも事実である。再評価されたことで、実証実験の予算化検討も含め、標準化に対する政府の支援が期待されている。

IEC TC100 / TA10 での国際標準化活動

電子書籍に関する国際標準は、IEC TC100 /TA10が担当しており、現在まで、以下に示す4つの国際標準が発行されている。IEC 62571を除いて、すべて日本提案である。カッコ内は発行年月。

  • 1)IEC/TS 62229 Ed. 1.0(2006年7月)
    マルチメディア電子出版及び電子書籍の概念モデルを示した。
  • 2)IEC 62448(2007年4月第1版、2009年2月第2版)
    中間(交換)フォーマットである。annexAとしてソニーのBBeBをベースに標準化し、改訂版でannexBとしてシャープのXMDFをベースに標準化した。
  • 3)IEC 62524(2009年2月)
    配信・閲覧に用いられるリーダーズフォーマット。
  • 4) IEC 62571(2010年1月)
    米国提案によるデジタルオーディオフォーマット。

また、検討中のプロジェクトは次の通りである。

  • 1)PT 62605
    電子辞書フォーマットで、国内電子辞書のデファクト標準に近いディジタルアシスト社のLeXMLとIEC 62448 Annex B(XMDFベース)のタグを追加し、拡張・改良したものである。2010年中に国際標準の発行が見込まれている。
  • 2)PT 62665(Texture map for auditory presentation of printed text contents)
    日本でデファクト化しつつある、印刷物用の音声プレゼンテーションのための表示方法を定義したもので、ユーザビリティ、アクセシビリティの点から期待されている。

電子書籍ファイルフォーマットの概念

電子書籍を製作するには、大きく分けて2つの工程がある。1つはDTPデータをもとに電子書籍フォーマットに加工する方法であり、もう1つは印刷物をスキャニングして画像データやPDF形式とする方法である。前者は、文字中心のコンテンツに多く、後者はDTP導入以前の書籍や、図表の多い学術専門書、さらに現在でも版下によって入稿されているマンガに多い。

書籍は、冊子体という物理的な構造がほぼ共通であっても、開いて見ればわかるようにレイアウトは多様である。章、節、項という体系的な見出しや、本文、図表の関連など、コンテンツの構造をレイアウト表現に転化しているからである。紙面を構成する要素が多ければ多いだけ、構造は複雑になり、統一したフォーマットで表現することは困難になる。その結果、画像データなどでの電子書籍化が図られることになる。

一方、文芸などの文字中心のコンテンツであれば、組版ルールという壁は残されるものの、ある程度、統一したフォーマットにまとめることができる。市場規模の大きい文芸コンテンツの流通促進を考慮すれば、電子書籍の専用フォーマットであることが求められる。

電子書籍コンテンツが、出版社、コンテンツプロバイダを経由して、エンドユーザ(一般消費者)によって閲覧されるまでには、いくつかの段階がある。そこで、IEC/TS 62229では、この概念モデルとして図1に示すようなContents creation/distribution modelを定義している。

図1 Contents creation/distribution model(コンテンツ生成と流通モデル)

図1 Contents creation/distribution model(コンテンツ生成と流通モデル)

電子書籍フォーマット関連の標準化においては、これを参照して、どの部分のフォーマットに対応するのか、明らかにすることが行われている。中間(交換)フォーマットは、 図1のData preparer とPublisher の間で用いられるフォーマットで、ここではGeneric formatと呼んでいる。図1では、Authorが著作者、Data preparerは出版者、Publisherはコンテンツプロバイダー、Readerは読者およびデバイス(端末)と考えていただきたい。

具体的な例で説明しよう。製作過程では、著者、出版社、製作会社(印刷会社)の間でのデータ交換や、異なるシステム間での変換を保証する必要がある。また本文の文字情報などに加え、ルビや段組、縦中横、脚注といった頁組版情報や画像・音声といったデジタルならではの表現形式の取り扱いを規定していく必要がある。これらの条件に応えるのは、XMLのような構造化文書となる。

テキストデータ形式であることからデータ量は大きいが、印刷会社内での利用や、出版社と印刷会社における閉じたネットワーク間でのやりとりであり、市場流通するものではないので問題とはならない。

一方、電子書籍の読書にはケータイからパソコンまで多様な読書端末装置が使われている。画面サイズ、カラー表示、音声や画像処理、入力のインタフェースなどや、処理能力にもかなりの違いがある。そこで流通し、読まれるテキストコンテンツはブログや掲示板などで入手できるテキスト情報やケータイメールなど、必ずしも対価を必要としていないものが多い。これに対し電子書籍のコンテンツは、原則的に情報収集に対価を必要としている。このため電子書籍はコンテンツの管理や著作権管理が必要であり、コンテンツ同士も販売競争が常に行われている。また流通上の制約として、データ量が小さい方が好ましい。さらに流通適性を考慮すると暗号化やDRM(著作権管理システム)情報を含む必要があり、表示ファイルはバイナリーデータ形式となる。

このように制作過程など中間段階でのファイル形式(Generic format)と、読者へ配信して表示するファイル形式(Reader’s format)では、本質的に異なることになる。つまり現実的な標準化として、両者を一つに統一する必要はない。

中間フォーマットの統一の目的

現在、ブームとなっている電子書籍は、文芸などの文字中心コンテンツであり、日本語表現に実績のあるファイルフォーマットとして、前述報告書のように「XMDF」(シャープ)と「ドットブック」(ボイジャー)がある。そこで、IEC 62448の第3版として、ドットブックとも交換可能な中間(交換)フォーマットの策定を目指すこととした。

このような「日本語フォーマット」は日本企業による「ガラパゴス」標準を決めるだけで「世界から孤立するだけだ」という俗耳に入りやすい見方がある。このような誤解が生じている理由の1つとして、制作段階に応じて、いくつかの異なるファイル形式が存在していることが理解されていない点がある。

表1 電子書籍ファイルフォーマットの区分

表1 電子書籍ファイルフォーマットの区分

具体的には、表1に示したように、HTMLのように記述形式(タグ付きテキスト)で書かれた「中間(交換)フォーマット」がある。これを専用端末や携帯電話で閲覧するために実行形式(バイナリーデータ)としてデータ量を小さくした「閲覧フォーマット」。不正な複製を防ぐ目的もあってDRMがかけられた「配信フォーマット」。さらに、電子書籍ファイルを閲覧する「ビューワーソフト」や、「オーサリングツール」と呼ばれる制作するための開発システムも存在する。たとえば「XMDF」と呼ばれるのは、これらのファイル形式や開発システムを総称して呼んでいるものである。

今後とも配信フォーマットは各社、各サービスの競争にゆだねられている。もちろん、見やすい「ビューワーソフト」や使いやすい「オーサリングシステム」も同様である。

各社の競争により多様なファイルフォーマットが存在するのはやむを得ない点でもある。米国などは、コンテンツホルダーではなく、IT企業の主導によって事実上の標準化(デファクトスタンダード)となる傾向にある。一方で、多様なファイルフォーマットに対応することで電子出版制作の非効率性が生じることや、ファイルフォーマットの違いを通じた電子出版端末・プラットフォームでのコンテンツの囲い込みなどは、避けるべきである。

そこで三省デジ懇の報告書では、「様々なプラットフォーム、端末が採用する多様な閲覧ファイルフォーマットに変換対応が容易に可能となる、中間(交換)フォーマットの確立」が求められているとした。このように交換フォーマットを標準化することで配信フォーマットへの変換にも対応しやすくなるだろう。これにより「ワンコンテンツ・マルチファイル」(1つの作品に対していくつものファイルを作らなくてはならない状況)から「ワンコンテンツ・ワンファイル・マルチプラットフォーム」の実現を目指すものである。

※本稿は「印刷雑誌」2010年9月号(Vol.93)の特集「電子書籍規格の必要性」に掲載された記事を、著者の了解を得て転載したものです。

みんなの電子出版であるために

2010年12月17日
posted by 萩野正昭

幾多の人たちが電子的な出版の普及に取り組んできた。しかし、その普及は決して容易なものではなかった。ある意味で積み上げては一切をもともなく崩しさる徒労の繰り返しだった。

なぜそうだったのか。考えてみると、電子的な出版が何かに依存する体質をもっていたことがわかってくる。電子的な出版とは、本を閲覧するために常にコンテンツを表示するデバイス(端末)を必要とする。つまりeBook(電子書籍)とは、本の中味(本文)と本のガワ(外枠)とが分離しているものであり、外枠である電子書籍端末を中心とした導入が繰り返されてきた。成り立たせるべき電子的な出版のフォーマットは常に競争の道具となり、これを共有化し統一化する動きへと発展することはなかった。

これまでの電子出版の敗因と理由

電子的な出版には、カバーしなければならない4つの領域がある。

1. コンテンツ領域
2. ハードウェア領域
3. デリバリー領域
4. フォーマット(Reader)領域

コンテンツ領域は現在、出版社、新聞社、テレビ局、映画会社など既存メディアが占めている。ハードウェア領域はデバイスを製造する電機メーカーやコンピュータメーカーの独壇場だ。デリバリー領域は日本では携帯電話のキャリアと呼ばれる人たち、本の配送・配信でもっとも力を持つアマゾン、そして最近になってアップルやグーグルが運営しようとしているネット上の仮想店舗であるiBookStoreやAndroid Marketなどがこれにあたる。プレーヤーは既存勢力、新興勢力などまちまちだが、いずれも巨大企業がほとんどだ。

残ったフォーマット領域はこれとは様相が違い、比較的小さなベンチャー企業が集中した。小さなベンチャーは大きな会社と提携したり別れたりの離合集散をくりかえし、激しい角逐合戦が展開されたのだ。

そこには、各領域の私利私欲むき出しの覇権意識が充満していた。自分が送り手として市場支配することが第一であり、受け手は購買する以外の何者でもなかった。メディアに参加するどころではなく、ただ口を開けて送り手の供給を飲むことだけが求められた。

当然にもフォーマットは乱立した。それどころか彗星のごとくあらわれて短命に潰えるものも少なくなかった。これに依拠してeBookを買えば、購入した本はフォーマットと一緒に読めなくなる運命とならざるをえない。これが一体「本」と呼べるものなのだろうか。電子的な出版フォーマットに関わったすべての関係者は、この事実の反省なしに再び同じ口を開くべきではない。

日本におけるさまざまな電子書籍端末の導入と失敗について明らかにする作業は真剣に行われたとは思えない。事業者は儲からなければ即断即決、新たな進路を取るのがビジネスというものだとまことしやかに開き直る。電子的な出版に心血を注ぐならば一度や二度の失敗から立ち直るために本質を見極める努力があっていいはずだった。

国境を越えた流通と言語の壁

電子的な出版は北米を中心に激しい展開が起こってきた。そして何度目かの注目がまた、われわれにやってきた。

グーグル訴訟の和解問題でも明らかになったように、世界の本はすべからくデジタル化される方向に動いている。いわゆる「全書籍電子化計画」だ。また電子化された本を閲覧するためにフォーマットの統一へと世界は動いてきた。ePUBはeBookの世界標準フォーマットとして、マルチ言語対応をカバーしようとしている。こうした世界の動きと私たち日本での活動をどう結びつけていけばいいのだろうか。

インターネットの着実な普及によって、もっとも縁遠かった流通の基盤を私たちは手元に引きつけることができるようになった。デジタル化された出版コンテンツは、流通という次元ではもはや国境の壁を越え、世界を翔けることが可能となっている。アマゾンのKindleを買った人は、そのデバイスを購入したというだけで、次の瞬間に本を購入できた。携帯電話会社との面倒な契約もいらず、複雑な手順もいらず、欲しい作品(2010年夏現在、アマゾン・ジャパンでの販売は行われていない)を本棚から選んで注文すれば、数十秒でその本はあなたのKindleへ届けられる。国際電話のデータ通信を使い、米国のサーバから本は飛んできたのだ。つまり流通は世界をカバーする段階に突き進んでいる。

問題は言語だろう。言語の壁はいつか越えられるものだろうが、現状はまだ強固にそそり立っている。言語とは習慣や文化そのものだ。たとえば日本語の本を考えてみよう。文芸書はおもに縦書きだ。そこには日本独特の本の表現としての長い伝統があり、組版の原則ルールを形成してきたのだ。長い印刷の歴史がこれを支えてきたといえる。

世界の標準に日本語の独特な表現方法を組み込ませていくことは、簡単なことではない。それなりの時間を要する。しかし、その間にも世界は動きを止めることはない。動きながら考えていくことを余儀なくされる。

動き出す日本語書籍の電子化

日本国内での書籍の電子化の動きも活発になっている。2010年1月より施行された「改正著作権法」によって国会図書館は、著作権保護期間の有無にかかわらず所蔵するすべての資料をデジタル化する権利を認められた。予算措置を背景にこの作業は進められていくことになるだろう。

いくつかの制限を前提に、図書館のeBookの閲覧、貸出は進められていくと思う。そうなるときに、日本語の電子的な出版フォーマットはどのようになっていくのか。そしてまた、そのとき世界の標準との関係はどうなっていくのか。これらの問題をつないでいく活動を誰がいつどのようにやっていくのか。

文部科学省、経済産業省、総務省の三省は「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」を開催し、この分野に関わる日本の産業界、学識経験者を招き討論をしてきた。この場では実にさまざまな課題が話し合われたわけだが、特筆すべきこととして、日本語におけるデジタル化に際しての「交換ファイルの標準化」という方針が打ち出されている。

これには、政府が後押しして業界が日本独自の閉ざされたフォーマットを仕立てようとしているかのように思った方たちがいたようだ。とかく大掛かりな“統一論議” には、裏の事情が云々される面が多々あるものだ。しかし、ここでの「交換ファイルの標準化」とは、そんな狭い考え方ではない。とにかく限られた市場の中で自分の果実を確保するほかなかった時代を経て、私たちは確実に次なるもっと遠く、そしてもっと広い電子的な出版の世界を創り上げるときに遭遇しているのだ。

それぞれが勝手にあみだしてきた方法や決めごとを洗い出し、今までの経験を未来へ生かしていく日本語デジタル化基準のガイドラインをオープンに示す必要がある。それを世界の動向と合わせつつ、動きながら、走りの方向性を見極めて、世界標準との擦り合わせをしていかなければならない。

持てるものから我が利を確保することを乗り越えて、持てるものを差し出して人々の利とするための活動の場にようやく私たちは立つことができた。おそらく初めてといっていいことだろう。

ファイルフォーマットのオープン化は“橋”なのだと思う。もちろんそれは象徴だ。人は自分の足で、自由に橋を渡り行き来する。行きたいときに何度でも。私たちの世界は決して陸続きばかりではない。断崖や多くの壁に遮られた障害が存在しているのだ。海や山という地理的な隔絶、言語というコミュニケーションの差異、そして国境という人為的、政治的、経済的な区分。それらをつなぐ橋を架けていこう。

空気や水のごとく、生きていく上で人が対価を要求されずに使用できる電子的な出版の基盤を確立させていくために。出版における多くのものの連携できる世界を確立していくために。

※本稿は「印刷雑誌」2010年9月号(Vol.93)の特集「電子書籍規格の必要性」に掲載された記事を、著者の了解を得て転載したものです。

統一中間フォーマットの要件

2010年12月17日
posted by 齋鹿尚史

統一フォーマットの技術的意義

統一中間(交換)フォーマット(以下、統一フォーマット)を策定することになった経緯については、別稿に詳しく述べられているのでここでは繰り返さないが、その技術的な意義について述べる。

国内のテキスト系コンテンツフォーマットとして、現状ではボイジャーのドットブック(.book)、シャープのXMDFが双璧となっている。ドットブックはHTMLを拡張した仕様となっており、一方XMDF(記述フォーマット)はXML形式で定義されている。それぞれのタグ記述例を図1 に示す。いずれも、「横書き、本文のフォントはOsaka、MSゴシックの順に優先して使用」「“はじめに” という文字列を中央揃えで表示」という記述を行う例である。

タグの例。左がXMDF,右がドットブック

タグの例。左がXMDF,右がドットブック

いずれのフォーマットもタグ形式で定義されている点では同じであるが、両者のタグや属性は、機能が一致しているものでも、図1でわかるように、名称は必ずしも一致していない。したがって、2つのフォーマットでコンテンツを作成するには、何らかの方法で、それぞれの仕様に基づいて個別にタグ付けを行う必要がある ※1。統一フォーマットの最大の意義は、このような、フォーマットが分かれているために生じている電子出版制作上の、非効率性を除去することである。

ドットブック、XMDFは、それぞれの開発の経緯や各社の意図によって、機能についても一致しない部分がある。このような機能面での相違の扱いについては後に述べる。

なお、統一フォーマットの仕様は公開が前提となっており、誰もが使用することができるものであることを改めて強調しておきたい。また、統一フォーマットから、閲覧フォーマットや流通フォーマットに変換することは、各社のビジネス領域であり、今回の標準化(統一フォーマット)で規定する範囲には含まれない(図2)。

図2 流通フォーマットへの変換

図2 流通フォーマットへの変換

中間フォーマットを変換する出力先は、特定の流通フォーマットに限られるものではない。コンテンツの権利者の許諾が得られ、変換ツールが整備されているのであれば、中間フォーマットから、いかなるフォーマットに変換して配信することも可能である。このような点については、中間フォーマットの標準化では取り扱わず、各社がビジネスとして取り組むことになる。図2で、「各社のビジネス領域」と書かれているのはこのような意味である。

※1:一方から他方に機械的に変換するソフトウエアも存在するが、完全なものではない。

統一フォーマットの技術的内容

統一フォーマットの仕様については現在未定の部分が多く、方針も含めて、現時点ではあくまで案の段階であることをお断りしておく。

XMLフォーマット
統一フォーマットは、別稿で説明されているような、XMLフォーマットとして策定する予定である。XMLを扱うツールの充実などから考えて、統一フォーマットをXMLで定義するのは技術的に自然なことと考えられる。また、今回の統一フォーマットは国際標準化を視野に入れており、この面からもXML形式で定義することには異論は少ない。

既存フォーマットとの関係
統一フォーマットは、その策定の目的から、ドットブックおよびXMDFの機能を包含したものとする必要がある※2 (図3)。なお、図中の「ミニマムセット」については後に述べる。

図3 フォーマット間の関係

図3 フォーマット間の関係

※2:特殊な端末や用途に特化した仕様についてはかならずしもこの限りではない。またそれ以外の機能については今後検討の必要がある。

機能の包含の仕方については、

  • 1) 共通または類似した機能は、同一のタグや属性にまとめる。
  • 2) 双方のタグをできるだけそのまま使えるようにする。

という、異なる方針が考えられる。後者の方針は、各フォーマットとの互換性は高いという利点がある反面、統一フォーマット自体の仕様は煩雑になりがちであり、前者の特質はその裏返しとなる。このあたりも今後の検討によって決定することになる。

スタイル記述の分離
統一フォーマットは、個々の端末に縛られるようなものであってはならず、そこから作成されたコンテンツが長期の利用に耐えるものでなくてはならない。すなわち、今後の端末の発展に、交換フォーマットとして利用し続けることができるものである必要がある。

これを保証するためには、

  • ◇端末の仕様(解像度など)に依存した、「見え方」に関する部分(スタイル)
  • ◇端末によって変わらない部分(内容)を分離するのが良いと考えられる。これにより今後、現在予想されていないような画面を持った端末に遭遇したとしても、最悪でもスタイル記述のみ変更するだけでコンテンツを利用し続けることができる。すなわち、現在の端末仕様に縛られず、長期にコンテンツを利用できることになる(図4)。
図4 スタイル記述の分離

図4 スタイル記述の分離

スタイル記述と内容を分離する考え方は、たとえばWebでも導入されてきている。Webでは、よく知られているように、HTMLでコンテンツが記述されるが、スタイル記述は、スタイルシートと呼ばれる、別のファイルに記述することが可能になっている。

HTMLの各タグに対して、どのように表示すべきかを指定するのが、Webにおけるスタイルシートの基本的な考え方である。図5に内容とスタイル記述が混在しているHTMLの例と、スタイル記述をスタイルシートに分離した例を示す。

図5 スタイルシートの概念

図5 スタイルシートの概念

図5 左側の例では、ボールド体であることを示す<b>タグ、センタリング(中央寄せ)を行うことを示す<center>タグは、内容(「スタイルシートとは」という文字列)がレベル1の見出しであることを示す<h1>タグと同様に同一のファイルの中に記述されている。すなわち、スタイルの記述は内容と分離されてはいない。

これに対して、図5右側の例では、ボールド体であること、センタリングを行うスタイル記述はfont-weight、text-alignとして記述され、<h1>タグで挟まれた内容とは別のファイルに収められている。

図6 図5のスタイルシートの表示例

図6 図5のスタイルシートの表示例

ここで例に用いたスタイル記述の仕様はCSS(Cascading Style Sheet) と呼ばれており、HTMLのスタイル記述としては主流となっている。図6は図5で示した記述に対応する表示の例であり、「スタイルシートとは」という文字列がボールド体で、行の中央に表示されている。

統一フォーマットはHTMLではないが、ここで述べたスタイル記述の考え方を適用することで、各社のフォーマットの仕様も踏まえつつ、スタイル記述と内容との分離を図る。

ミニマムセット
統一フォーマットの制定にあたっては、日本語を表すのに最低限必要なタグの集まりであるミニマムセットを同時に定義することが考えられている。

統一フォーマットは、すでに日本語コンテンツで実績を持つ2つのフォーマットを機能的に包含しているため、このような日本語を表すのに最低限必要な機能は当然含まれることになる。したがってミニマムセットの機能は、図3に示した通り、統一フォーマットの機能のサブセットである。そのタグ名や属性名などの仕様については、既存フォーマットや、IEC62448との関係も踏まえて、どのような形が望ましいかを検討することになっている。

仕様策定の動き
2010 年10月に仕様案第一版を策定することを目標としている。また国際標準化も同時に進めることを想定しており、IEC62448の改訂に合わせ、仕様案をCD(委員会原案)に盛り込むことになる。国際標準化提案にあたっては、必要に応じて、多国語対応のための仕様調整や拡張が行われる。

統一フォーマットに関する流れと予定。

統一フォーマットに関する流れと予定。

現状では不確定要素も多いが、2012 年中にこの統一フォーマット仕様が盛り込まれた国際標準を発行することを目標に、国際標準化活動も並行して進める予定である。(図7)

統一フォーマットの策定にあたって、ご協力、ご指導頂いている各位に深く感謝いたします。

※本稿は「印刷雑誌」2010年9月号(Vol.93)の特集「電子書籍規格の必要性」に掲載された記事を、著者の了解を得て転載したものです。

電子書籍ビジネスにおけるものづくりと生態系

2010年12月13日
posted by まつもとあつし

乖離するハードとソフト

それは奇妙な光景だった。
NHKスペシャル「メイド・イン・ジャパンの命運」(2010年1月24日放送)は、東芝が社運をかけて開発したCELL REGZAの開発から出荷までを丹念に追ったドキュメンタリーだった。そこにあったのは、ハード開発チームと、ソフト開発チームのいわば「乖離」だった。そもそも開発場所からして違う。ハードは埼玉県の工場で作り、ソフトウェア部隊は神奈川県のオフィスビルで制御系のファームウェアを開発する。

ソフト部隊が完成させたファームウェアは、ネット経由で工場に送られ、USBメモリでハードにインストールされる。繰り返される動作不具合、その都度工場から電話でソフト部隊に問い合わせる、その繰り返し。お披露目の場となるCEATEC会場でも、会期中に全く映像が映らなくなるトラブルにも見舞われる。極めつけは、出荷風景。ようやく製品となったCELLレグザの初出荷のトラックを見送ったのは、ハードウェアのチーム。完成品を送り出す栄誉はソフト部隊には与えられていない。

なぜ同じ場所で開発しないのだろう? そして、工場からソフトウェアチームにまるで発注がなされているような開発の進め方への違和感。ソフト部隊はいったいどこに達成感を求めれば良いのか、番組を見るだけでは理解することはできなかった。

ソフト開発に焦点を当てたNHKスペシャル「新・電子立国」の放送が1995年。しかし、結局、2010年に至ってもハード主導でのものづくりが未だに日本では続いている。なぜテレビの話から入ったのか、それは国産電子書籍端末とプラットフォームが立ち上がったこのタイミングで、改めて、ソフト・ハードの関係について考えさせられたからだ。

キンドルとは端末の名前ではなく、アプリによる読書も可能な、アマゾンの電子書籍プラットフォーム全体をさす。

Kindleは端末の名前ではなく、アマゾンの電子書籍プラットフォーム戦略の全体をさす。

AmazonというEコマースプラットフォームは、もちろんソフトウェアで構築されている。商品データベース、決済システム、そしてAmazonをもっとも特徴付けるリコメンデーションシステム…。1995年のAmazonスタート以来ソフトウェアは練り上げられ、改良を続けられてきた。いまや、Amazonはそのシステムやインフラの一部をサードパーティに間貸しするビジネスすら開始している。

AmazonにとってのKindleはどういう位置づけだろうか? 私たちがKindleと聞いてすぐ想像するのは、電子ペーパーを搭載したスレート端末だが、すでによく知られているようにAmazonはKindleアプリをiPhone、iPad、Android、Windowsモバイルなどあらゆるプラットフォームに提供している。つい先日はGoogle eBooksに対抗して、Webベースでも書籍の閲覧を可能にしたところだ。つまり、Amazonにとって、ハードウェアとしてのKindleは道具の1つに過ぎない。自社のEコマースプラットフォームでの購入ルートさえ確保できれば、閲覧の環境はなんでも良いわけだ。

GALAPAGOSとSony Readerの命運

そこで、12月10日に発売となった国産電子書籍端末とプラットフォームをみてみよう。

GALAPAGOSは前回の記事(ガラパゴスの夜明けはやってくるのか)でまとめたように、電子書籍配信プラットフォームとしてのXMDFを全面に押しだし、新聞雑誌など購読型のコンテンツの自動配信も可能となっている。CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)と提携し、書籍以外にも音楽や映像、ゲームなどの提供も行うとしている。端末はAndroidをベースとするが、ユーザーがAndroid端末として利用することはできない。あくまで専用端末という位置づけだ。

reader_akunin

ソニーはリーダーで日本市場に再参入。

SONY Reader(日本版)は、3GやWiFiといった米国版には備わっている通信機能が削られたことが、ユーザーの不評を買った。Amazonはソニーがリブリエから撤退した後に、米国E-INK社に残された電子ペーパーの技術をKindleに活かしている(このあたりの経緯は西田宗千佳氏の『iPad vs. Kindle』に詳しい)が、ソニーは再びこのEインクの新世代バージョンを採用した。

純粋にハードウェアとしてみたときに、両方の端末とも一定の「モノ」としてのレベルはクリアしているようにも見える。GALAPAGOSはいわゆる「中華Pad」にありがちな作りの悪さとは無縁だし、XMDFによる自動組み版(リフロー)やKindleに先駆けてリリースした自動購読システムは本来もっと評価されてもいいはずだ。SONY Readerも通信機能の割愛やWindowsのみへの対応は大不評であったが、端末としての質感や機能はKindleの上を行く。

だが、多くの読者が感じているように、このままでは早晩、リブリエやシグマブック、Words Gearのように失敗への道を歩むことになるだろう。プラットフォームとそこでの品揃えがあまりにも貧弱だからだ。GALAPAGOSストア、リーダーストアとも立ち上げ時の品揃えは約2~3万点だ。前回の記事をまとめた時点ではそこからの増加に淡い期待を寄せていたが、発表時からその点数が増えることは無かった。新宿の紀伊國屋書店は120万冊(重複含む)、そしてGoogle eBooksは、日本からアクセスできる著作権の切れた書籍だけでも300万タイトルを超える。

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