『週刊ミルクティー*』の活動について

2011年3月9日
posted by しだひろし

はじめに

今村明恒「火山の話」(『週刊ミルクティー*』第3巻第29号所収)を紹介・掲載してもらうべく、「マガジン航」あてにメールを出したところ、さっそく編集人の仲俣さんから「なるべく、当事者の言葉で語っていただくことにしている」「たんなる情報の掲載は極力しない」という返事がもどってきた。「単発のコンテンツの紹介はしずらい」、「サイトを拝見するかぎり、全体像がよくわからない」ともある。

ひとつひとつ反論したい衝動にかられる。見当ちがいの依頼に見えるかもしれないが、考えがあってのことなんですよとも言い返したい。……が同時に、「全体像がよくわからない」という感想は率直な意見だろうとも思い直す。サイトを訪れた多くの人たちが同意見なのかもしれない。作っている作品や内容には自信がある。にもかかわらずページのカウンタや販売成績が伸び悩んでいる原因は、作り手のひとりよがりの可能性が高い。作ることに集中しすぎて、結果、読者をおきざりのまま単独暴走していなかったか。制作に追われて、周囲を見まわしたりかえりみる余裕のなかったことも事実。

サイトの「ページ一覧」に並んでいる、これまで編集してきたすべてのタイトルこそがメッセージであり、全体像そのものであるという言いかたもできる。あるいは、そう簡単に「わかったつもり」になられてもうれしくないという思いもある。

メール末尾には「『週刊ミルクティー』の活動について何かお書きになったものなどがあるようでしたら拝見します」ともある。しいてあげるならば、スタート時に記した「T-Timeマガジン『週刊ミルクティー*』創刊」というページがある。以来、まとまったものはとくに書いてない。今回お題をいただいたのは、これまでを振り返ってみるいいきっかけなのかもしれない。そう思い直して、苦手な自己言及をしてみることにする。

T-Timeマガジン『週刊ミルクティー*』とは

個人で発行している電子本雑誌です。2008年7月に創刊して、現在通算130号ほどになります。青空文庫にて公開(もしくは公開前)のパブリックドメイン作品を、T-Time をもちいて復刻出版しています。毎週土曜の発行で一冊200円(税込。初期の作品のみ210円)、月末最終号は無料。特色として、(1) JIS X 0213 の ttz 形式を採用していること、(2) 旧字旧かなのオリジナルと現代表記におきかえたテキストを同時収録していること、の二点があげられます。

週刊ミルクティー*31号。通常号は200円だが、これは月末号なので無料で読める。

週刊ミルクティー*31号。通常号は200円だが、これは月末号なので無料で読める。

周知のように青空文庫では、長らく校正待ちのまま未公開の作品が少なくありません。たとえば、坪井正五郎「コロボックル風俗考」のような旧字旧かな・変体がなの作品も長いあいだ校正待ちの状態でした。著者没後50年を経たパブリックドメイン作品にはよくあることで、入力・校正は、底本に現代表記版を選択するほうがはかどります。結果、メジャーな作家の登録が進むいっぽうで、作業難易度の高い古い本が敬遠され、その傾向はジャンルのかたより(作品の多くが近代文学であること)にも現われています。

一工作員としてそうした青空文庫の弱みを感じていたころ、喜田貞吉『六十年の回顧』「個人雑誌の発行」という文章をたまたま目にしました。喜田貞吉は徳島県出身の歴史学・考古学者で、大正から昭和初期に東北地方を研究フィールドとしていた時期があります。山形や新庄や庄内にも訪れており、蝦夷や城柵跡・遺物・渡来民族などに関する論考があります。東北出身ではないため、ひいき目を持たない冷めた観察が期待できる。同じく、九州や四国といった周辺地域への広い視野も持っている。そういうわけで喜田に注目しています。

南北朝正閏問題の結果として、休職となった後の自分の生活は、実に気楽なるものであった。(略)わずかばかりの時間を教壇に立つ以外は全く自由で、実地について各地の古墳墓や、その他の遺物・遺蹟を、盛んに見てまわるようになったのもこれからだ。(略)実は自分は同人諸氏とともに、明治三十二年以来雑誌『歴史地理』を経営している。それで身体が閑になった大正元年以来は、ことに盛んに同誌の誌面を塞ぎ、それでも間に合わずしてしばしば他の諸雑誌にも御厄介になったものだった。しかしそれでは同人雑誌なるはずの『歴史地理』が、喜田個人の機関雑誌ででもあるかのごとき世評もあって、熱心に編輯その他のことに尽力せらるる同人諸氏に対して、まことに申訳がない。(略)ついに個人雑誌として、『民族と歴史』を発行することにしたのである。

君〔内田銀蔵〕は余が無遠慮にも、未熟の学説を常に雑誌上に公にするのをもって、余のために取らずとなし、「喜田さん、雑誌上の発表もあながち悪いとは申しませんが、なるべく推敲を重ねて、権威ある著書としてお出しになってはいかがです」と。これに対して余は常に、君の好意を謝しながらも、なおこれに従うの意志がなかった。「私に研究的態度を継続する元気の存する間は、私の学説は日進月歩で、逐次に訂正増補を加えて行かねばならぬ。なまじ著書の形をもって発表して、ためにみずから欺き、後進を誤るのは私の忍びないところです。それにはどうしても、漸次改訂を加うるの便宜多き、雑誌上の発表がよいと思います」と。

引用はともに『喜田貞吉著作集 第一四巻』(平凡社、1982.11)より。

これを読んだのが2008年5月。これが直接のきっかけとなって、“パブリックドメインの個人雑誌発行”というアイデアが生まれることになります。喜田貞吉もまた「小さなメディアの必要」を感じて個人雑誌を発行した、インデペンデント・パブリッシャーの一人であったわけです。

今村明恒「火山の話」について

「青空文庫にはジャンルのかたよりがある」と書きました。これは、NDC 分類「分野別リスト」設置活動をとおして痛感しました(青空文庫 分野別リストを参照。aozora blog: ジャンル別は便利!)。「インターネットの電子図書館」を標榜しておきながらバラエティに厚みがない。おどろくほど児童向けの本が少ないこともわかってしまった。

そこで個人雑誌『週刊ミルクティー*』の柱の一つとして児童向け図書、とりわけ古典と科学書をあつかうことにしました。和田万吉「竹取物語」、浜田青陵『博物館』、石川千代松「生物の歴史」、折口信夫「歌の話」、池田亀鑑『堤中納言物語』、山本一清「星と空の話」……そして最新が今村明恒「火山の話」です。これらの底本は、昭和初期に出版社アルスが「日本児童文庫」というシリーズで刊行したものと、戦後に至文堂が「物語日本文学」として刊行したシリーズです。

執筆陣の顔ぶれに驚かれることと思います。みな、その分野の巨人です。読むと手をぬいていないことが伝わってきます。推するに彼らは、その分野の研究を深めようとすれば自分一人の力ではおのずと限界のあることに気がついていたはずです。入門書を用意して、興味を持つ人たちを数多く育成することの意味を強く感じていたんだろうと思います。

さて、児童図書にかぎらず、また、ジャンルに関わらず日本語のパブリックドメイン作品を復刻するにあたって突きあたる課題が、オリジナルと現代表記の壁です。外字の問題と、時代経過による表記差異の問題。青空文庫だけでなく、国会図書館の近代デジタルライブラリーでも Google や大学図書館などのスキャン・プロジェクトでもおそらく同様のはずです。

研究目的であればオリジナル底本忠実主義の一本にしぼることも可能。けれども、青空文庫やプロジェクト・グーテンベルクは、発足当初から朗読・点訳・翻訳など機械的な二次利用も念頭においてあります。そのときに外字やコーディングの選択以上に課題となるのは、おそらく旧字旧かなの処理です。外字に言及する批評家は多いし、スキャン・プロジェクトも耳目を集めやすい。それらは文字集合を広げることとOCR精度の向上で解決できる部分が大きい。

ところが、旧字旧かなの処理となると誰も口を開きません。復刻最大の悩みだからなのかもしれません。国内の電子出版がいっこうにふるわない理由の一つも、そこにあるんじゃないでしょうか。本を読みたい人のすべてが、旧字旧かなに精通するわけではありません。『週刊ミルクティー*』では、この解決策を二者択一に求めないことにしました。それがオリジナルと現代表記の同時収録です。

(1) オリジナル版(旧字旧かな)

霧島火山群は東西五里に亙り二つの活火口と多くの死火山とを有してゐる。その二つの活火口とは矛の峯(高さ千七百米)の西腹にある御鉢と、その一里ほど西にある新燃鉢とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動してゐた。但し享保元年(西暦千七百十六年)に於ける新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上に於て最も激しく、隨つて最高の損害記録を與へたものであつた。

『星と雲・火山と地震』復刻版 日本児童文庫(名著普及会、1982.6)より。

(2) 現代表記版

霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢と、その一里ほど西にある新燃鉢とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。(略)

比較のため、ルビは削除しました。

この問題に気がつかせてくれたのは、青空工作員の一人、大久保ゆうくん率いる京都大学電子テクスト研究会による現代表記版の制作活動でした。彼らは「現代表記にあらためる際の作業指針」を用意し、作品ファイルの末尾に、「彼奴→あいつ 彼方→あっち 貴方・貴女→あなた 或→ある 或は→あるいは 如何→いか 不可ない→いけない 一層→いっそう 一杯→いっぱい 否→いや 愈々→いよいよ 中→うち ……」というような置き換えのすべてを延々とメモしていったのです!(モーリス・ルブラン『奇巌城』テキスト奥付より)

一見して、絶対にマネしたくないなあと(^^;)思ったものでした。自分にはそれほどの根気はないなあと。ところがそれを見ていて、ふと“置換リストをひとつだけ用意すれば、旧字旧かなテキストのすべてを自動変換できるんじゃないか”と思いつきました。その一覧リストを置換辞書として設定し、機械的にテキストを単純置き換えするわけです。それが新字新かな辞書「シンちゃん」のプロジェクトとなりました。『週刊ミルクティー*』の現代表記版は、二代目「シン弐くん」に活躍してもらっています。

※その他は以下を参照。
*99「The Small Issue(スモール・イシュー)」
変換用辞書セット2009年版
変換用辞書セット2010年版

オリジナルに手を加えて改めるのもいい。置き換えリストを用意することもいい。だからといって、オリジナルテキストが不要とは思えない。むしろ、誰もが比較できるように積極的に公開しているほうが望ましい。オリジナルとの比較が担保されているならば、そのぶん大胆な改変も可能になるんじゃないかと。本来ならば、底本のテキストに手を加えるのは御法度のはずですが、紙の本と異なり、差分の比較が容易だからこそできることもあると思うのです。

記述内容の老朽化について

ジャンルの問題、表記の問題について先に述べました。ここで、どうしても未解決の課題が残ります。記述内容そのものの老朽化です。考古学・天文学・生物学・物理学・地学……新規の発掘サンプルの出現や観測精度の向上などによって、いままで定説だったものや理論や仮説は、つねに内容を更新され続けます。

科学だけでなく、文学やアートでも価値観の変化や差別認識への反省から、表現の再検討を要求されることもあります。また、時代によって市町村名も所属する組織名も、県境や国境も変化し続けます。出版から長い時間を経過し、当の著作者もすでに亡くなって久しいパブリックドメイン作品と現代との乖離は、どうしたら埋めることができるのか。

「私の学説は日進月歩で、逐次に訂正増補を加えて行かねばならぬ」「それにはどうしても、漸次改訂を加うるの便宜多き、雑誌上の発表がよい」……そう、先に引用した喜田貞吉のことばです。彼は、記述内容の老朽化という問題に対して、雑誌・逐次刊行物の発行という手段を選択しました。自分の発行したものの内容を、常に点検し訂正し続ける……これは、かつてチャールズ・パースやカール・ポパーが提唱したマチガイ主義(Fallibilism)と同じ考え方です。さらにいえば、Wikipedia や Project Gutenberg へと引き継がれている思想そのものです。

『週刊ミルクティー*』では、関連するWikipediaの項目を収録した付録を同時配布。

『週刊ミルクティー*』では、関連するWikipediaの項目を収録した付録を同時配布。

『週刊ミルクティー*』の運営サイト「*99(アスタリスク99)」がレンタルウィキ(@wiki)をベースにしているのも、Wikipedia 各項目を付録に転用しているのも、あたりまえといえばあたりまえというほどの帰結かもしれません。調べてわからなかった言葉や地名・人名、誤植や誤入力の疑いのある点や疑問点を「難字、求めよ」「むしとりホイホイ」として掲載しているのも、あるいは編者注や奥付に気になったことをメモしているのも、マチガイ主義の実践です。

時宜的《タイムリー》な作品の提供について

青空文庫の入力・校正の二段体制は、ややもするとおちいりがちなボランティアの質の低下を防ぐ、見事な方法です。内外に評価を得ているのも、その作業を継続しているからだと思います。その反面、入力と校正がつながらないと、長らくお蔵入りになることは先に述べました。したがって、時節にあわせた作品の公開も同様に困難、不得手です。

リクエストを積極的に受け付ける余地も、かならずしも広いとはいえません。掲示板「こもれび」にリクエストを書き込むと、「自分でやれば?」という冷たいレスを頂くことになります。活動の多くも個人個人ごとに完結している。いい意味でも悪い意味でも、浮世離れしている印象が青空文庫にはあります。

本来ならば、ウェブの強みは即効性です。しかし、それが青空文庫に望めないなら……青空非公認の裏 Wiki *99 および『週刊ミルクティー*』では、そういう取りこぼしの部分に積極的に関わりたいという方針でいます。平城遷都1300年祭には「蝦夷論」「道鏡皇胤論」、鎌倉大イチョウ倒壊には「右大臣実朝」、大河『龍馬伝』には「清河八郎」、宮崎県口蹄疫発生には「シシ踊り」、はやぶさ帰還には「星と空の話」、そして iPad 発売・電子書籍元年には『光をかかぐる人々』というぐあいです。白鳥庫吉「倭女王卑弥呼考」はリクエスト対応です。考古学の海進・海退をしばしば話題にするのも、もちろん地球温暖化に対するわたくし流のレスポンス。

表現したものと、それが生み出された時代は、一見無縁のように見えてもお互いに影響・干渉しあわずにはいません。作り手の意図におさまりきらないこともある。熱狂をあおることなく、世の中の日々のできごとを他人事として素通りすることなく……。図書館や自宅にひきこもりながらも、そんな社会との関わりあい方・記憶の刻み方を試みています。

徳永 直『光をかかぐる人々』について

『週刊ミルクティー*』創刊以来、もっともページのカウンタ数が伸びたのが徳永 直『光をかかぐる人々』(河出書房、1943.11)でした。6000をこえる数字は、現在もって不動のベストワン。これは工作員の uakira さんが、個人サイト「徳永直『光をかかぐる人々』入力中」にてテキストおよび底本画像を公開している作品です。

uakira さんとは青空のメーリングリストを通じて面識あったことと、日本活版印刷術の立ち上がりの興味あるドキュメントでしたから、さっそく校正を名乗り出て、かつ『週刊ミルクティー*』にも掲載しました。ちまたで小林多喜二『蟹工船』のリバイバルが話題になっていたころと記憶しています。

その後、uakira さんは続編(雑誌『世界文化』連載分)の入力と公開も始めます。前編はどちらかというと幕末の黒船襲来前史のようで、なかなか核心に至らない。むしろ続編のほうが、東南アジアや上海周辺が登場する近代印刷史になっています。本と出版の未来を考えるならば、もってこいのテキストだと思います。

「当事者の言葉で語る」ことについて

評論家やジャーナリスト、作家や研究者ならば当事者の言葉で語ることはもっともです。でもぼくは『週刊ミルクティー*』という雑誌をつくるにあたって、自己主張の場にしないことを心がけています。あくまでも黒子役の編集者、もしくは喫茶店のマスターやウェイターでありたいと思うからです。

著者はみな物故していますから、本人が主体的に語ることはもはや不可能。彼らの声を聞き取ろうとすれば、少なくともそのあいだは静かに自分の口を閉ざしたい。図書館や書店で、あるいは喫茶店で自己主張されるのは、ちょっと困りものですしね。

雑誌の創刊にあたって、販売の方法をポシブル堂の田辺さんに相談に乗ってもらったことがあります。その際、現在使用している販売サイトを紹介してもらいました。その田辺さんが昨年、「iPad ほしい!」と大声でつぶやいていました。電子出版の同業ですから当然です。ぼくも欲しい。だけれども……です。極端に聞こえるかもしれませんが、使えるお金も時間も、読める本も作り出す電子本も有限です。無限に手に入れ続けることはできない。ハードディスクがクラッシュしたり、突然体調をくずしたりした時ほど、いま、自分がほんとうにやりたいことがはっきり見えることがあります。

「ぼくにとって問題なのは、iPad を買う買わないじゃなく、いま、誰の、どの本を復刻するかですね」とコメントした記憶があります。iPad や ePub 形式には今後をおおいに期待します。けれど、今現在のプアなパソコン環境のぼくにとってベターな選択は T-Time です。

ところで『ず・ぼん』16号(ポット出版、2011.1)によると、2008年統計で全国の公共図書館数は 3164 館あります。学校や大学の図書室を含めればもっとあるでしょう。仮に、そのうちの一割から毎週購入してもらえると、ひと月の生活費・制作費がじゅうぶんにまかなえます。図書館がパブリックドメイン作品を購入して無償閲覧・貸し出ししてくれるならば、ネット以外の利用者も便が得られます。もちろん、DRM などというやぼったいものは使っておりません。

一人の復刻出版で年産できる量には限界があります。利用者に興味を持ってもらえるジャンルをそろえるには、同業者が100人ぐらいになってほしいなあと願っているところです。

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新年にパブリック・ドメインについて考える

電子図書館のことを、もう少し本気で考えよう

2011年3月4日
posted by 丸山高弘

OverDrive一社独占

ご存知の方もいるかもしれないが、米国ではほとんどすべての公共図書館で「電子書籍のダウンロード貸出サービス」が提供されている。単館の場合もあれば、カウンティ(郡)の公共図書館コンソシアムで提供している場合もあり、コンソシアムの場合は参加館の利用者がダウンロード貸出を利用できる。すごいのは、ほぼOverDrive社の一社独占ともいってよい状態であることだ。

利用者は、自宅にいながら図書館のウェブサイトにアクセスし、そこからデジタル資料のダウンロード貸出のページに移動する。自分の利用する図書館(または参加館)を選び、図書館カードの番号を入力し、PIN(パーソナル・アイデンティティ・ナンバー:図書館カードの暗証番号)を入力してログイン。これで自分が読みたい電子書籍を探しダウンロードできるようになる。ダウンロードした電子書籍は自分のパソコンや、対応していればiPadやiPhoneなどのデバイスで閲覧することができる(下はウィスコンシン州公共図書館コンソシアムの電子図書館)。

ウィスコンシン州公共図書館コンソシアムの電子図書館画面

実のところ、米国ではいきなり電子書籍のダウンロード貸出が始まった訳ではない。それ以前にmp3による朗読(オーディオブック)のダウンロード貸出が始まっており、そのシステムに電子書籍を載せただけ、ということもできる。

歴史的にみれば、オーディオブックの貸出が、カセットテープから音楽CD/朗読CDを経て、PLAYAWAY(一冊分の朗読データが入ったmp3プレーヤ)、iPodの登場とmp3ファイルのダウンロード貸出などにいたる流れのなかで、eBook(電子書籍)のダウンロード貸出が始まっている。今では、電子書籍の他にも音楽、オーディオブック(朗読)、映画/映像のダウンロード貸出が、ごくあたりまえのサービスとして提供されているようだ。

日本でも始まった電子書籍のダウンロード貸出

この流れは日本にもやってくるのだろうか? OverDrive社の日本進出、それとも韓国のiNEOや日本ユニシス、あるいはCHIグループによる純国産システムなど、いろいろ取りざたされてはいるが、電子書籍のダウンロードサービスを図書館に導入するにあたっては、正直なところ、まだまだ議論しなければならないこと、対策を考えなければならないことがあると、筆者は考えている。

鎌倉市図書館 電子書籍プロジェクト国内の公共図書館では、千代田Web図書館がダウンロード貸出をすでに行っている。それに続き栄市立図書館、鎌倉市立図書館、萩市立図書館などが電子書籍のダウンロード貸出を開始している。筆者も鎌倉のモニターに応募して利用してみたが、まだパソコンへの対応のみで、スマートフォンや iPad などのスレート型PCには対応していないようだ。そのあたりの電子書籍のフォーマット、アプリケーション、対応デバイスの種類などの課題とは別に、公共図書館として考慮しなければならないことが実はたくさんある。このことに気がついている人はまだ少数らしいのだが、この場をかりて警告(?)しておきたい。

蔵書はどこに保存されるのか?

電子書籍のダウンロード貸出のひとつの特徴は、実施する図書館が1冊分の電子書籍を購入した場合、一度に貸出ができるのは一人だけということだ。他の人が借りようとしても「貸出中」の表示か、「予約」のボタンが現れる。貸出期間を過ぎれば利用者のパソコンからは閲覧不可能になり、サーバ上では次の人に貸し出せる状態になる。このように、電子書籍だからといって、データのコピーを同時に複数の利用者に提供することはできない。

青空文庫や古文書などのように著作権者の権利が消失しているものはこの限りではないが、市販されている電子書籍をダウンロード貸出するような場合は、ライセンス数=所蔵数になる。しかし、ダウンロード貸出のできる電子書籍は、実際にはどこにあるものなのだろうか? 米国の事例ではすべてOverDrive社のサーバ上にあり、契約図書館に電子書籍のデータが保存されているわけではない。すなわち年間契約して利用するオンラインデータベースなどと同様に、一定の[ライセンス数供与]により電子書籍の利用ができることになる。

公共図書館は、大切な公費を投入し蔵書という備品(財産)を貯えているが、このダウンロード貸出サービスにおける電子書籍のデータは自館のサーバには存在しない。財産にもならなければ、契約終了後は……何も残らないのである。これは公共図書館における資料費(備品購入費)として支出できるものではなく、サービスを購入する役務費のような支出で対応するしかないだろう。

また公共図書館は資料の保存機能を持つ。ダウンロード貸出用の電子書籍を購入する場合、資料の保存という視点は持たなくてもよいのだろうか? 筆者はそのあたりに大きな疑問を感じるのだ。

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CES2011に見る電子書籍の動向

2011年2月23日
posted by 北島 圭

1月7日から13日にかけて米国ICT動向を取材した。ラスベガスで開催された2011インターナショナルCESをはじめ、サンフランシスコやシリコンバレーのトレンドをウォッチして回った。今年のCESで最も目を引いたのがスマートフォン、タブレット端末の隆盛だ。大手企業からベンチャー企業にいたるまで端末群を出展。昨年の目玉だった電子書籍端末(e-inkなどを用いた読書専用端末)は、かなりマイナーな存在になっていた。

そのような中にあって、後述する米国大手書店のバーンズ&ノーブルと、大手新聞社のニューヨークタイムズ(NYT)が、それぞれ自社のネットサービスをアピール。本来、家電とは無縁の両社の出展は既存メディアとICTの融合を実感させる光景だった。

米国ではスマートフォンが本格的な普及期に入っている。それはCES会場を周回するだけで把握できた。それこそ猫も杓子もスマートフォンを持ち歩いている。このような光景は昨年まで見られなかった。アップルがiPhoneを発売したのが07年1月。それから4年を経て飛翔の時期を迎えているようだ。CES会場に溢れるスマートフォンの展示は、このような流れを受けてのことだろう。

今年は「タブレット端末元年」?

とくに印象的だったのは、RIMが出展したスマートフォン「新型ブラックベリー」に黒山の人だかりができていたことだ。もともと米国では「スマートフォン=ブラックベリー」という傾向があり、ビジネスマンを中心にブラックベリーが普及しているが、デザインをiPhone風に衣替えした機種を投入するなど対抗意識を露に。さらにRIMは4G対応のタブレット端末「ブラックベリー プレイブック」も紹介。こちらも人気を博していた。

今年のCESの主役はタブレット端末。

今年のCESの主役はタブレット端末。

そのタブレット端末、今年はまさに「タブレット端末元年」と呼ぶに相応しい雰囲気だった。昨年は小紙をはじめ、各種メディアが「電子書籍元年」を喧伝したが、今年のCESを見る限り、その痕跡はほとんどない。単機能の電子書籍端末から多機能のタブレット端末に進化したという見方もできるが、イノベーションの急進ぶりには驚くばかりである。

これがデジタル技術の真骨頂なのだろう。要するにその気になれば、だれでも新アイデアをキャッチアップできてしまうのだ。アップルのiPadが市場投入されてから半年足らずで、似たような製品がこれだけ登場するのだから。もちろん良質な製品をつくるには卓越した技術力が必要になる。ただ品質を度外視すれば、デジタルの力でだれでも似たような製品をすぐに開発できるわけだ。

こういう状況になると、値は張るが品質の確かな製品と、価格は安いが品質の劣る製品という極端な二分化が進む。その一方で斬新なアイデアを創出しても、あっという間に競合他社に追いつかれてしまい、否応なしに叩き売りの世界に巻き込まれてしまう。これはある意味、恐ろしい世界だ。疲弊を助長するだけの体力勝負の競争を続けて、果たして健全な発展を望めるのだろうか。CESの会場を歩きながら、そんなことを考えた。

電子書籍ブームのその後

一方、今回の米国取材で改めて確認したかった点が1つある。それは電子新聞・電子書籍のトレンドだ。

昨年は「電子書籍元年」という言葉が大流行した。昨年のCESでも電子書籍端末が多数登場。電子書籍の興隆を強く印象付ける催しとなった。日本でも大きなうねりとして持て囃され、通信キャリアや家電メーカー、出版社、印刷会社がこぞって電子書籍市場への参入を表明した。

以上のような背景を踏まえ、電子書籍ブームの震源地である米国で、いま何が起こっているのか、可能な限り見聞きしたいと考えていた。

カラーのe-inkによる10インチのタッチパネルディスプレイを搭載したHanvon社の端末。

カラーのe-inkによる10インチのタッチパネルディスプレイを搭載したHanvon社の端末。

まず今年のCESの会場。先述したようにスマートフォンやタブレット端末に押されて、電子書籍端末は明らかに脇役に追いやられていた。出展数も激減し、おそらく昨年の10分の1くらいではないか。

片や、本来家電ショーとは無縁の大手書店バーンズ&ノーブルが同社の電子書籍端末「Nook」をアピール。同社スタッフに現状の手応えを聞くと「アマゾンのキンドルに独走を許しているが、Nookも売れてはいる」そうだ。

書店が電子書籍を扱うメリットについて聞くと「(米国では)来店して書籍を購入する客層よりも、通販を利用する客層のほうが多い。電子書籍は配送費がかからない分、メリットを出せる」と回答。また米国の読者は「書籍を消費する」という感覚が強い。例えば旅先で読んだ書籍をそのままホテルに寄付するなど“読み捨て”が当たり前で、蔵書家は日本に比べて少ないようだ。そういう文化圏では、かさばらない電子書籍のほうが重宝がられるのかもしれない。

ただバーンズ&ノーブルのスタッフによると「いまでも圧倒的に紙の書籍のほうが売れている」という。実は同社のブースではNookと一緒に紙の書籍も平積みにして売られていた。インタビューの最中にも何冊か売れていたが、そのたびに「なっ」と私に微笑み、レジ対応に走る彼の嬉しそうな横顔が妙に印象的だった。

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ボーダーズはなぜダメになったのか?

2011年2月15日
posted by 大原ケイ
59丁目とブロードウェイのタイムワーナーセンター内にあるコロンバスサークル店。

59丁目とブロードウェイのタイムワーナーセンター内にあるコロンバスサークル店。

今週にもチャプター11(日本で言うところの会社更生法)申請が発表されるともっぱらの噂のボーダーズ。数年前までは年商35億ドルもあった全米第2位の書籍チェーン店だ。

おそらく日本のマスコミが書くように、全てを「電子書籍のせいだ」のひとことで片付けてしまえる問題ではない。他にもあった原因が積もり積もってこうなってしまった、と言わざるを得ない。(業界第1位のバーンズ&ノーブルについては、しばらく前に沿革やボーダーズとの確執を含めて詳しく書いたので、そちらもどーぞ。)

実はボーダーズもルーツを辿ればバーンズ&ノーブルと同様に、ルイスとトムのボーダー兄弟が自分たちの住む大学街、ミシガン州のアナーバーで本屋さんを開いたのが沿革の端緒である。

その元々のきっかけは、兄弟が作ったソフトウェア。学生が多い自分たちの街の本屋にも、もっと面白い本がたくさんあればいいのにな、という気持ちから、新刊の中からどんな本が売れそうかをはじき出すソフトを作り、それをインディペンデント系と呼ばれる小さな本屋さんに売ろうとしたのだが、仕入れに関しては「本の目利き」を自負するインディペンデント系のオーナーたちの反応は冷たかった。そこで自分たちで古書店を出すことになったのだ。

アメリカでいちばん村上春樹を売った書店チェーン

ボーダーズがいったいどんな店なのか、少し説明してみたい。ボーダーズもバーンズ&ノーブルも、大学街の生協みたいな本屋さんから出発したのは同じだ。バーンズ&ノーブルは早々に教科書や参考書を扱う生協店と、一般書を扱う店舗を分けてきたのに対し、ボーダーズは大型店を何百も展開するまでに成長しても、どこか生協時代の「野暮ったさ」を残した店作りだ。おそらく故意に。

具体的に言えば、棚の横に収まりきれなかった本を床に積み上げているようなディスプレイや、雑然とした印象の陳列、大学生が好きそうなポップ音楽のCDや、ちょっと通の人にしかウケないようなジャズやクラシックのCDを並べた音楽コーナー。

いまとなっては野暮ったく感じられる店内の棚風景(コロンバスサークル店)。

いまとなっては野暮ったく感じられる店内の棚風景(コロンバスサークル店)。

本にしても長年のファンがいるような作家のハードカバーよりは、翻訳ものを含めたちょっとマイナーな作家のトレード・ペーパーバックを中心に(アメリカでいちばん多く村上春樹を売ったのはバーンズ&ノーブルじゃなくてボーダーズ)。そして近年は、マンガの棚がいちばん面白くて充実していたのも実はボーダーズだった。

これが若い人にとっては、お客様に媚びていない感じや、僕らの好きなものを売っている、という感覚につながった。80年代に次々と店舗を増やしていった時も、アトランタやインディアナポリスといった、大都市じゃないんだけど、そこそこ人もいるのに小さい本屋さんしかない大学街を中心に展開していった。いわゆるメガストア台頭の時代である。

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トークイベントのお知らせ

2011年2月14日
posted by 仲俣暁生

2月の下旬から3月上旬にかけて、「マガジン航」関係者が出演する出版をめぐる二つの催しが東京で相次いで開催されます。

公開シンポジウム-「紙 vs 電子」から遠く離れて

まず2月22日(火)には、シアターイワトで出版者ワークショップの主催による公開シンポジウムVol.1として、〈「紙vs電子」から遠く離れて―出版者が生きる道を考える〉が開催。これには「マガジン航」発行人でもあるボイジャー代表の萩野正昭が出演します。

このほかにBCCKという電子出版の活動も行っているデザイナーの松本弦人氏、オンラインによる新世代文芸メディア『最前線』を手がける星海社の太田克史氏、そしてそのDTPプロデューサーをつとめる凸版印刷の紺野慎一氏が登壇。デジタルとアナログメディアの双方を知るプロフェッショナルによるトークセッションが期待できそうです。イベントの詳細は下記のとおり。

■日時 : 2月22日(火)19:00-21:30/開場18:30
■会場 : 神楽坂 シアターイワト(地図はこちら

■イベントプログラム
・ワークショップメンバーによるイントロ 「出版者にとっての『紙』と『電子書籍』」
・パネルディスカッション 「紙の本だからできること/電子書籍だからできること」
・パネラー:萩野正昭(ボイジャー)/松本弦人(デザイナー)/
太田克史(星海社)/紺野慎一(凸版印刷)
※出演者の詳細なプロフィールなどは、シアターイワトのウェブサイトを参照ください。

■チケット : 1,500円 自由席
■定員 : 100名 申込先着順
■参加方法 : 参加予約をご希望の方は、件名を「22日イベント予約」として、お名前を明記の上、2月19日(土)までに以下のメールアドレスまでお申込ください。予約完了の方には返信いたします。なお、当日の入場は予約者優先とさせていただきます。
メールアドレス: syuppanmono@gmail.com
出版者ワークショップ Twitter: @syuppanmono

このシンポジウムを主催している「出版者ワークショップ」の中心メンバーであるライター・編集者の南陀楼綾繁さんからコメントをいただいたので紹介します。

「出版者ワークショップ」は、出版社と出版流通という既存のしくみに頼るのとは別のやり方で、個人がつくりたい本をつくり、読者に手渡すところまでを実現するための実験の場として、2010年6月から開始しました(現在のメンバーは15人前後)。適宜、外部からのゲストをお呼びし、お話を聞いています。これまでお呼びしたゲストは、鎌垣英人(大阪屋)、高崎俊夫(フリー編集者)、淺野卓夫(サウダージ・ブックス)、木村敦子(「てくり」)、木村衣有子(文筆家)、島田潤一郎(夏葉社)、角張渉(レコードレーベル「カクバリズム」)などです。

今回のシンポジウムは、このワークショップでやってきたことの延長線上にあります。フォーマットやプラットフォームの話ではなく、紙とデジタルとの比較でもなく、電子書籍は出版という行為をどのように変えるのか、何をもたらすのかを知りたい。そのために、パネラーをどなたにお願いするか、どういう構成にするかも含めて、ワークショップのメンバーが準備してきました。本づくりに興味のある方なら、どなたでも歓迎します。ぜひ聴きにいらしてください。

続・2010年代の出版を考える

asagaya110301つづいて翌週の3月1日(火)には、阿佐ヶ谷ロフトAで「続・2010年代の出版を考える~電子出版ブームの先へ」が開催。こちらには「マガジン航」編集人の私、仲俣が参加します。出演はほかに、橋本大也氏(ブロガー・「情報考学」)、高島利行氏(語研・出版営業/版元ドットコム)、沢辺均氏(ポット出版/版元ドットコム)。さらにゲストを予定しています。

このメンバーからもわかるとおり、これは昨年行われた「2010年代の出版を考える」の続編(Ustreamで配信された前半の映像がいまも視聴できます。ことしも配信の予定)。「電子書籍ブーム」が吹きあれたわりに成果の乏しかった昨年をふり返りつつ、電子書籍の話題に限らず、幅広い視点から今後の「出版」のありかたをを考えるイベントにしたいと考えています。詳細は下記のとおり。

■日時:2011年3月1日(火) OPEN18:30/START19:30
■会場:阿佐ヶ谷ロフトA(地図はこちら
■出演:橋本大也(ブロガー・「情報考学」)、仲俣暁生(フリー編集者・「マガジン航」
編集人)、高島利行(語研・出版営業/版元ドットコム)、沢辺均(ポット出版
/版元ドットコム)+ゲスト
■チケット:前売り、当日共に¥1,500(飲食代別)
※前売りチケットはローソンチケット【L:36739】、ウェブ予約にて2月1日より発売開始。

以下に、このイベントの告知用に書いた口上を転載します。

昨年2月に豪雪のなかで行われた長時間トークイベントの1年ぶりの続編。「電子書籍元年」といわれた2010年。メディアは猫も杓子もiPad,キンドル、そしてガラパゴスといった話題で大騒ぎを繰り広げた。でもオモテの流行語「電子書籍」に対し、2010年のウラの流行語は実はユーザーサイドの自発的なメディア活動としての「自炊」「ダダ漏れ」だった……。

電子書籍を簡単に自作したり、簡単に映像中継できる機器がある一方で、出版社からは魅力的なコンテンツが供給されない「元年」とは何だったのか?
現在の「道具はあるのにネタがない」のはなぜなのか?
それに対するユーザー主導によるDIYの流れは今後どうなるのか?
こうしたメディアの劇的変化は、どんな可能性を提示しているのか?
魅力的なコンテンツを生み出すために出版社や編集者はこれからなにをすることができるのか、しなければならないのか? 等々といったトピックをめぐり、昨年と同じメンバーにゲストを加えて、今年も本音&ぐだぐだトークで迫ります!

こちらのイベントには、開催に先立って出演者と参加者が交流できるよう、流行りのフェイスブックでイベント告知ページも作成しました。昨年同様、多くの皆さんの参加をお待ちしています。