ブリュースター・ケール氏に聞く本の未来

2011年9月12日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」では、今年5月末に来日したインターネット・アーカイブのブリュースター・ケール氏に長いインタビューを行いました。これまでにもケール氏のインタビュー映像を記事で紹介したことがありますが、今回の取材ではこれまであまり知ることのできなかった、ケール氏の素顔の部分までを聞き出すことができました。

ハッカー精神をもったライブラリアン、ケール氏の描く本の未来とはいかなるものか。かなり長いインタビュー記事ですが、たっぷりとお楽しみ下さい。

若い頃はハッカーだった

――はじめて自分用のコンピュータを手に入れたのはいつだか覚えてますか。

BK:多分14歳か15歳のときで、友達がスイッチとLEDを金属線でつなげて作ってくれたヤツだった。これはマイクロプロセッサ以前の話だよ。僕はそれで1と0を入力してプログラミングし、素数とは何かを理解したんだ。

――早熟でコンピュータ好きな子供だったんですね。少年時代はどんな風に過ごしましたか。

BK:うーん……普通の子供だったかな。ニューヨーク市の外で生まれ、市の郊外の学校に通った。そこでコンピュータの世界の新しい考え方を知ったんだ。コンピュータの世界でなら、素晴らしいことができる、って。コンピュータは素晴らしい道具だった。けれど、まだその道具で何をすべきか自分ではよく分かっていなかった。大学はMIT(マサチューセッツ工科大学)という技術系の学校に行ったんだ。ずっとコンピュータに興味があったし、コンピュータが得意だったからね。

――インターネット・アーカイブのような「図書館」を作ろうと最初に思いついたのはいつでしょう。

BK:20歳のときだから、1980年のことだ。僕はすでに大学生になっていた。問題は、コンピュータをどう扱うかということだった。1960年代的な新しい考え方が当時はまだ残っていた。そして僕がいちばん使い方を分かっていたのはコンピュータだった。当時は二つのことしか考えられなかった。一つは、人々のプライバシーを守ること、ようするに盗聴されることなく人々が電話で話し合えるようにすること。もう一つは巨大な図書館、古代アレクサンドリア図書館のバージョン2.0を作ること。でも、後者は分かりやすすぎるテーマだから、きっと他の人がやってくれるだろうと思っていたんだ。

そこでまずプライバシーのほうに取りかかることにして、コンピュータチップをプライバシーのためだけに使う方法を学んだ。でもそれは、僕が助けたいと思う人たちの助けにはならないことに気付いた。というのも、当時は安くコンピュータチップを作れなかったから、そういうチップを作っても大企業や軍やマフィアを助けるだけだった。僕はどれも助けたくはなかったからその仕事は止め、「図書館」を作ろうということになった。あれから30年になるけど、僕は今でもその「図書館」を作ろうとしているんだ。

来日時のブリュースター・ケール氏。隣にいる女性が手にしているのは、国立国会図書館に寄贈された、インターネット・アーカイブのデータが入ったハードディスク。

――スティーブン・レヴィの『ハッカーズ』という有名な本がありますが、当時のあなたも一種の「ハッカー」だったんでしょうか。

BK:うん、当時はそうだった。あるシステムがどのように機能しているか、他の人がそれをどのように体験できるか知ろうとするとき、僕はハッカーの流儀で考える。いま挑戦しているのは、社会をハックすることだ。それを望まない一部の人たちがいるとしても、情報の自由を皆が手に入れられるようにする方法だね。

――よくわかりました。あなたはエンジニアであり、ハッカーであり、そしてライブラリアンでもある、ということですね。物理的な図書館についてはどのように考えていますか。そしてあなたが図書館の重要性を認識したのはいつですか。

BK:大学にいた頃だね。でもそれはエンジニア的な観点からであって、自分自身が図書館で多くの時間を過ごしたからではないんだ。実は、あまり本を読まなかった(笑)。たいていは自分で行動し、モノを作っていたからね。図書館で過ごした経験からではなく、コンピュータ側の人間として、要求を実現したかったんだ。当時の僕は、ティーンエイジャーなら誰でも自分に問いかけることを考えていた――どうすれば何か重要なことができるだろう、ってね。

その後、36歳になる頃までに、僕は複数のコンピュータ企業を立ち上げ、「図書館」を作れるシステムを構築しようとした。最初が「シンキング・マシーンズ」(ダニエル・ヒリスらが開発した「コネクションマシン」と呼ばれる並列処理スーパーコンピュータを商用化した会社)、次が「アレクサ・インターネット」(各ウェブサイトのトラフィックを調査集計する会社。のちにアマゾンに売却)だ。この社名はアレキサンドリア図書館にちなんでいて、ここではワールド・ワイド・ウェブのカタログを作ろうとした。次に作ったのが「インターネット・アーカイブ」で、これは知識の宝庫を築くことを目的にしているんだ。

インターネット・アーカイブを始めるのは遅すぎた

1997年初め頃のインターネット・アーカイブのサイト。Wayback Machineをつかっていまも閲覧できる。1996年の米大統領選挙のアーカイブがあることにも注目。

――インターネット・アーカイブの活動は1996年に始まりました。日本で一般の人々がインターネットにアクセスするようになったのは1995年でしたから、この試みはかなり早い時期にはじまったように思えます。

BK:もうしわけないけど、僕は遅すぎたと思っているよ。ワールド・ワイド・ウェブが来る前に、こうした図書館システムを作るために協力しなければならなかった。1996年に「さあ、インターネット上にある情報を集め始めよう」と言いだしたわけだけど、始めるのが遅すぎたせいで失った情報がたくさんある。それがとても残念だ。1978年からインターネットを使っていたので、ウェブが我々のところに入ってきつつあったのは分かっていたんだから。僕がやりたかったのは、インターネットを図書館の域に達するよう方向付けることだった。だから技術系の大学に行った後、図書館の学校に通い、ライブラリアンが知るべきことを学ぶことにしたんだ。

でも、そこで読んだ図書館の利用調査によると、人々はもはや物理的な図書館を利用したいと思っておらず、デジタルな図書館を利用したがっていた。それならば、僕らがうまくやれるかもしれないと思った。1985年のことだ。僕らが作ろうとしているデジタルな「図書館」のためには高速なコンピュータが必要になる。そこでシンキング・マシーンズという会社を立ち上げた。この会社でつくった並列処理コンピュータのおかげで、すべてのデータを高速に検索させることができた。僕はあれが最初の「検索エンジン」だったと考えているよ。

その後、当時はまだ満足に機能してなかったインターネットが必要になった。そこでWAIS(Wide Area Information Servers)という、最初のインターネットをつかった「出版システム」を作った。ダウ・ジョーンズやウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズ、ロイターといったパブリッシャーをオンライン化させる必要があったからね。「図書館」を築くには、これらの企業すべてにインターネット上にいてもらう必要があった。ネット上で「出版」してくれれば、やがて「図書館」が作れると思ったんだ。1980年代後半はひたすらそれに取り組んだ。その後、1992年にはWAISができて、さらにはGopherやWWWが出てきて、たくさんのパブリッシャーがオンライン化するようになっていったんだ。

――最初にウェブブラウザを見たとき、衝撃を受けましたか。

BK:いや、僕が考えていたより、ブラウザの登場は遅かったね。もっと物事がはやく動くと思っていたんだ。1994年には、自分たちはうまく行ってると思っていた。でも、そうならなかった。いま僕らがインターネットで抱える問題は、ビジネスモデルが単純すぎることだ。広告モデル以外に優れたシステムを生み出していない。広告は雑誌やテレビならうまくいくだろうけど、僕は広告が好きではないんだ(笑)。

資金、スタッフ、組織

――インターネット・アーカイブの運営資金についておしえてください。

BK:最初のお金は自分が出した。AOLのスティーブ・ケースやアマゾンのジェフ・ベゾスが前の会社を買収してくれたおかげで、僕は大金を手にし、インターネット・アーカイブを始めることができたんだ。でもそのうち、他の図書館と連携できることに気がついた。僕らは、すべてのパブリッシャーをオンライン化させたのと同じやり方で、図書館と連携することを望んでいる。すべての図書館を前進させたいんだ。だから、図書館にもそのやりかたを教えようと考え、このアイデアを見せたんだ。図書館の人たちは「われわれはあなた方の助けを必要としている。あなた方を支援するためにお金を出そう」と言ってくれた。もちろん僕らもそれに同意したよ(笑)。

インターネット・アーカイブの資金は、世界中の国立図書館および大規模な大学や公共図書館から来ている。ワールド・ワイド・ウェブのアーカイブ化(Wayback Machine)か、本のデジタル化のいずれかのためだ。一部の資金は、ベンチャーキャピタルみたいな財団からも得ている。ベンチャーキャピタルは、こちらがお金を返すことを望んでいない。ただ「良いこと」をやってほしいということで、僕らのようなプロジェクトの立ち上げを支援しているんだ。

さらに昨年アメリカ政府が打った景気刺激策のなかに、貧しい失業中の子持ちの人を雇ったら補助金を与えるというものがあった。この施策は失業対策としてとてもインパクトがあった。「素晴らしい」って思ったね。そこでインターネット・アーカイブでも150名もの子持ちの人たちを雇い、本をデジタル化する作業に従事してもらうことにした。そうやって、いろんなところから資金を得ていくのは、普通の図書館でもやっていることだよ。

――現在、スタッフは何人でしょう。

BK:プログラマ、管理者、ライブラリアンをあわせて50人。それに6カ国、23の都市にあるスキャニング・センターで働く人が、それとは別に150人いる。自分たちでスキャニングの作業をやりたいとは思わなかったけど、他でやるよりずっと安価にできることに気付いた。それで、「ボランティアを募って自分たちでやろう」ということになったんだ。

僕たちはいま、多くの大きな図書館のデジタル化に取り組んでいる。すでに100万冊をこえる本をデジタル化してて、この他に別のプロジェクトから手に入れたさらに100万冊もの本がある。つまり、いまでは無料で入手できる本が200万冊もあるわけだ。でも、これらはすべて古い本だね。このほかに、まだ著作権の保護下にある本を、一度に一人にだけ貸し出せるようにデジタル化している。こうしたやり方が多くの図書館、多くの出版社、多くの著者、そして読者全員を迎える、いちばんうまい方法だと思っている。さもないと、自分たちが中央集権を追い求めることになる。ハッカーだった経験から言わせてもらうと、「一つの団体に支配させてはならない。どんなに善良な団体であっても、それはうまく機能しない」からね。

――インターネット・アーカイブはどのように組織されているのでしょうか。

BK:なかには専門のテーマをもつところもあるけれど、基本的にはテーマ別ではなく、メディア種別に組織されている。ワールド・ワイド・ウェブ、本、映画、音楽、それぞれの専門家を抱えているんだ。これらすべてがアーカイブの対象領域だからね。

このほかに実際にコンピュータを設計し作り上げるデジタル保存のグループもいる。独自でコンピュータを設計してるんだ。今では6ペタバイトものデータを格納できる独自のコンピュータを作って運用している。それだけのデータを合衆国内の2箇所に格納しているほか、アムステルダムとエジプトのアレキサンドリアにも部分的に複製を保存している。どこかの図書館が焼け落ちる事態になっても大丈夫なように、世界中の他のあらゆる場所に、全体の巨大な複製を持つ国際的な図書館システムを作っているんだ。

米国議会図書館でさえ、一度焼け落ちたことがある。そういう事態は、長い時間のなかでは僕らの身に必ず起こることだ。あるところで問題が起こっても、他のところが残ってさえいれば文化が元通りになるように、いくつも複製を作ろうという考えなんだ。ただし、この取り組みはまだ初期の段階といえる。いかにして過去の過ちから学び、いかにして世界を構築すべきかを、僕らは理解しつつあるところだ。いつものように「これは簡単だ」と最初は考えていたけど、これは世界そのものをハックするようなものであって簡単なことではないね。

「本」はウェブ上に載せられるべきだ

――Archive-ItやOpen Library、BookServerといったプロジェクトについても教えて下さい。まずArchive-Itから。

BK:Archive-Itでは特別なテーマをもったコレクションを、世界中のライブラリアンと学生がキュレートしている。首尾よく、確実にウェブがアーカイブされるよう、世界中の人たちと一緒に取り組んでいるんだ。

Archive-Itでは、何かしら意味のあるすべてのサイトをかき集めようとしている。日本で東日本大震災が起きたときには、その出来事についてのウェブサイトや、人々にとって震災がもつ意味を理解する鍵となるウェブサイトで重要なものを見つけようと、世界中の人々と協力を始めた(COLLECTION: 2011 Japan Earthquake)。国立国会図書館をはじめ、ハーバード大学、米国議会図書館と提携している。これまでに1200万もの文書を集めたけれど、今回の震災という出来事はまだ終わってないので、いまも活動を継続している。

――Open LibraryプロジェクトやBookServerはどうでしょう。BookServerのピーター・ブラントリーには去年、東京で会いましたよ。

BK:Open Libraryのほうはジョージ・オーツという女性が運営している。彼女はかつてFlickrで働いていたんだ。これらのプロジェクトの目的は、本をワールド・ワイド・ウェブに載せることだ。インターネット上に載せるべきものはたくさんある。まず新聞がオンライン化したけれど、財務の面で問題を抱えている。大学もオンライン化した。でも本はまだ十分にはそうなっていない。グーグル、アップル、アマゾンといった面々がすべての本の流通を支配したがっているけど、本は僕らが社会を考える上でとても重要なものであり、真に独立した出版社、独立した声が必要なんだ。

Open Libaryには日本語書籍やその電子書籍バージョンの書誌も掲載されている。

ブックサーバーの概念図。ネット経由で本をどんな端末からでも読めるようにする。

BookServerを介して読者は図書館、出版社、書店とむすばれる。

Open LibraryやBookserverの目的は、本をワールド・ワイド・ウェブのような分散システムにして、そこで買えるようにすることだ。読者はそれを使って出版社から本を直接買うことができる。支配の中心となる存在なしに、とても多くの出版社が、とても多くの人たちにサービスを提供できる仕組みをつくるのが目的なんだ。出版社はそれを自力でやるのではなく、限られた大企業と協業してやるべきだといまだに信じている。でもこれは間違いだと思う。流通を支配しようとする第三者の介在なしに、出版社から読者へ直接本を届ける――これが本を救うための唯一の道なんだ。

――ところで、「Jisui(自炊)」という日本語を聞いたことはありますか。セルフ・クッキングという意味ですが、最近では、家でスキャンするために自分の本を裁断するという意味もあるんです。

BK:東京は居住空間が狭いので、本をスキャンするのがとても人気だという記事を、このあいだ読んだばかりだよ(笑)。僕らはそれを、DIYブックスキャンと呼んでいて、積極的に取り組み始めたばかりだ。ただし、僕らは本を裁断はしない。本を愛してるからね。裁断は本を破壊する考え方だ。これがスキャニングセンターの写真で、こちらがブックスキャナー。ちょっと見えにくいけど、Vの字のようなかたちで本をつかんでいる。写真を撮るためのデジタルカメラが2台あって、レンズを上下に調整しページが平らに写るようにして、きれいな画像を撮るわけだ。明るさによって違いが出るので、二つのカメラを布で覆って、きれいに見えるよう気を配ったりもしているよ。

インターネット・アーカイブのスキャニングセンター。

本を裁断しないでスキャンできる専用の機械を開発している。

――スキャニングにはどれくらいコストがかかりますか。

BK:コンピュータ・システムのすべてと人件費を含めると、1年でおよそ10万ドルかかる。処理のすべてを行う人材とバックエンドのすべてのコンピュータを自分たちで抱えているからね。本をデジタル化したら、およそ12時間のあいだに、OCRを通して全文検索できるようにしたり、PDFやDJVUフォーマットのファイルを作ったり、もろもろのことをしている。

本をデジタル化してコンピュータにのせるだけでなく、スキャンした成果物で次のコンピュータを買えるようにしている。つねに銀行口座には残高が少ししかない状態だけど、次世代のコンピュータが必要になれば、それを買うぐらいの資金はある。1冊の本をデジタル化するコストは、ハードウェアを含め、合計でおよそ30ドルになる。ページあたりでいうと10セント。でも近い将来、これはもっと安価になるだろう。問題は本を買うほうのコストだね(笑)。

僕らがやりたいのは、ボストン公共図書館、プリンストン大学やエール大学の図書館みたいな大図書館を作ることだ。日本の国立国会図書館がどれくらいの規模なのかよく知らないけど、アメリカの大図書館では大判本を約1000万冊所有している。1冊あたりデジタル化に30ドルかかるので、大きな図書館一つをデジタル化するのにおよそ3億ドルかかる計算になる。「おお、それは大金だ」と思うかもしれない——たしかに大金だけど、米国議会図書館が毎年費している額よりは小さい。もし僕らが、アメリカの上位100の図書館が本を買う予算の5パーセントを使えれば、デジタル化の作業を3年でやり遂げることができるだろう。すべてをデジタル化するのに、そんなに費用はかからないんだ。

――以前、ボイジャーの萩野正昭氏がアメリカで行ったインタビューで、あなたはBookserverに関して、「No Apple, No Amazon, No Google」とおっしゃっていましたね。それらの企業の電子書籍プロジェクトとあなた方との違いはどこにありますか。

BK:オープンだということだね。インターネット・アーカイブは、僕がこれまで見てきた3つの大きな成功からインスピレーションを受けている。一つ目はインターネットそれ自体、二つ目はオープンソース・ソフトウェア、そして三つ目がワールド・ワイド・ウェブだ。これらはいずれも大きな商業的成功をおさめている。巨額のお金を生み出してきたし、丸ごと産業になっている。すべてが無料というわけではないし、商業システムでもあるけれど、同時にオープンだ。

僕らはその次にくるものをやれると信じている。それが「誰でもアクセスできて、しかもお金を支払う仕組みもある、オープンな図書館」だ。難しいことだけど、なんとかそれを中央集権的な管理なしに実現したい。電子図書館は、物理的な本をデジタル化してそれを貸し出す方法と、出版社から電子形式の本を買い、それを貸し出すという方法を組み合わせることができる。このシステムは現実の本の場合と同様、うまく回る可能性がある。ただし電子書籍の場合、一度に一人にだけ貸すように意識的に制限しなければならないから、現実の本より、本を貸すための仕組みが難しい場合もある。僕らはこれをDRMをかけることなく、ストリーミングに近いかたちで実現している。

電子の本だけでなく、物理的な本の保存も

――日本ではなかなか書物の電子化が進みません。

BK:日本にはとても豊かな出版と文学の伝統があるだろう? それを利用できるようにしようじゃないか。これはごく個人的な話だけど——僕の妻のことだ——彼女は印刷博物館をヒューストンとサンフランシスコにそれぞれ立ち上げていて、今ではサンフランシスコで書籍センターを運営している。彼女の興味は物理的な本にあって、美しくアーティスティックな本を作っている。芸術家がそういう風に本を作りにくるところなんだ。僕は彼女から印刷の伝統や、どのように印刷が行われるかを学ぶことで、本の歴史について学んだ。

僕らにとって貴重な、ある本の話をしようか。妻は宝石やダイヤモンドが好きじゃない。そのかわりに、結婚するときに、ある本が欲しいと言ったんだ。それは「百万塔陀羅尼」と呼ばれる仏教の経典で、称徳天皇が西暦770年に奉納した世界最初の大規模な印刷物だ。だいたいこれくらいの大きさの巻物で、小さな仏塔に納められている。

韓国にはこれより古い印刷物があるけれど、誰かの意志で百万個も作られた複製物はこれが最初だ。これは「大量複製によって物事が安全に守られる」という考え方を初めて実際に適用したものだと僕は思う。その多くが今日も大量に残ってるなんて驚くべきことだ。書籍の販売業者と話すため東京に来たときに、百万塔陀羅尼を一つ買った。これは僕らにとって貴重な「本」なんだ。

ライブラリアンの仕事は、本へのアクセスを提供することだけでなく、本を物理的に保存することだ。たとえばロングナウ・ファウンデーションはロゼッタディスクという、人類の言語を石に物理的に刻んで残すプロジェクトをしていて、このプロジェクトの議論には僕も参加している。インターネット・アーカイブでも新しいプロジェクトを立ち上げて、物理的な本のアーカイブを始めつつあるところだ。僕らはデジタル・アーカイブと物理的なアーカイブの両方を持つことになるわけだけど、こちらはとてもレトロだよ(笑)。

これをやることにしたのは、図書館が本の処分を始めようとしている――すでに行われているわけではないが、いずれ始まる――からなんだ。すべての本の複製を僕らが一部ずつ集め、何百万冊もの本をものすごく長い期間にわたって格納できるよう、室温や湿度をコントロールする、中身の濃いシステムを作ったところだ。他の図書館でも同じようなことをやっているけど、僕らは異なる手法で、これを実現しようと考えている。他の図書館とは、まったく考え方が違うんだ。

僕らは本のコレクションをベースとしたアクセスを考えている。次世代のコンピュータ・サイエンスのために、すべての本をデジタル化しておきたいんだ。新しいアイデアをもった人が僕らのアーカイブにやってきて、何百、何千、何百万冊もの本、たとえばDNAに関するこれまでのすべての本、ページ上に書かれたDNAについての過去のすべての研究を参照したいと言ったとき、それをデジタルでもアナログでも可能にする仕組みを作り上げようとしている。

――他方、現在すでに使える技術として、オンデマンド印刷(POD)がありますね。オンデマンド印刷については、どのような意見をおもちですか。

BK:オンデマンド印刷には役割があると思う。僕らは、新聞の世界でオンライン版が「原本」となったのと同じような変化を、本の世界でも目の当たりにしつつある。印刷された本を望む人もいるけど、その原本が実は電子版だという場合もある。原本が「印刷されたもの」であることが重要だと考える人たちもいるだろう。でも、印刷がそれほど重要でなくなるなら、電子版が「原本」、つまりマスターコピーになる。いまはこれが起こりつつある過渡期だと思う。僕も美しく製本された本は大好きだし、印刷された本は生き残るけれど、大部分の本は電子書籍になるだろう。

インターネット・アーカイブではパラボラアンテナと印刷機、製本機を備えた移動式オンデマンド出版Bookmobileも行っている。

電子書籍を美しく見せる方法や、ソーシャル・リーディングの方法も必要だね。とくにソーシャル・リーディングは新しい考え方だ。何かに一生懸命に取り組んでいる人の真面目な作品を、どのよう に結実させるかを考える人がいる一方で、読んだ本にコメントをつけることで読書をより豊かにしたり、本を相互に接続させる人たちもいる。 「本なんてすごく時代遅れだ」と思いながら、本を読むのが僕には面白いんだ。

――ところで、ケールさんが好きな作家は誰ですか。

BK:えーっと……(笑)。昨日、飛行機のなかで、ボルヘスの「バベルの図書館」という短編小説を再読したところだけど、好きな本は、特定の作家に限らないよ。1年も2年もかけて書かれた本が好きなんだ。ものごとをじっくり考えられるような本を書くには、もっと長い時間がかかるかもしれない。博士論文が本になったような深みのある本は、多くのページを割く価値のある考え方を伝えてくれる。そうした本にこそ、僕はデジタルの領域で生き延びてほしいし、いちばん気にかけていることでもあるんだ。というのも、デジタルの世界では作品が作りやすくなり、とても短く、その場限りのものになりつつある。

全体的に見れば、ウィキペディアなどのように、面白い著作も作られている。でも、デジタルの形式によって、本格的な本はどれくらい作られているだろう。最近読んだ、ジェイムズ・バカンの『マネーの意味論』は面白い本だった。多大な時間を費やした労作だ。彼はアダム・スミスの有名な著作のすべてを草稿で読んでいる。過去の草稿すべてをだよ! この本でバカンは、人々がお金や愛にとりつかれている、と主張する。愛についての本はたくさんあるけど、僕らはお金についてはほとんど何も分かっていない、と言うんだ。バカンはギリシャの歴史家ヘロドトスの話から始め、貨幣にどんな意味があるのかが理解された後の文化を検討し、貨幣が導入された当時の芸術家や思想家に目を向けている。貨幣が日本に導入され、いたるところに広がった時代のことを扱った節もあった。思うに貨幣は「濫用された技術」なんだ。それが何であるかを理解するためには、それがすべてになる前のことを理解することが必要だ。こういう本をデジタル時代にも支援できるような手立てを見つける必要がある。

――日本でも、書籍ビジネスは、大量消費主義に流されています。安っぽくて薄い本が増え、深みのある本を書くのは難しくなっている。どうしたら、そうした本を作れる環境が維持できるでしょう。

BK:それは僕にも分からない。でも、何かしら希望は持ってるよ。僕が図書館を好きなのは、自分たちでお金を支払いながら、何かを無料で与えているところだ。図書館は本を購入するために資金を得、それをだれでも無料で利用できるようにする。これはインターネットでも機能する面白いビジネスモデルだといえる。インターネットでは課金するよりも無料で提供するほうが簡単だからね。「課金が可能な図書館システム」があれば、人々が図書館に資金を出すことができる。図書館のほうでは、出版社や著者が深みのある高価な本を刊行し続けられるよう、十分な数の電子書籍を購入し、保存し、利用に供せられるようにできる。

アメリカでは、図書館の運営にはおよそ年間120億ドルかかる。全世界で見れば、図書館には毎年310億ドルかかっている。図書館にかかるコストのおよそ3分の1から4分の1は、出版社のプロダクトへの支払いだ。アメリカの場合それは30億〜40億ドルほどだけど、これでも出版産業全体からすればごく一部だろう。正確には分からないが、10から15パーセントぐらいじゃないかな。でも電子書籍は紙の本とは違った種類の本だから、印刷や流通の出費をすべて取り去れば、30〜40億ドルもあれば多くの優れた編集者や著者を支援できる。これだけでも相当なものだと思う。

多くの本屋、多くの出版社があった1600年代以降のヨーロッパで多様な本が生み出されたように、電子書籍もうまくやれたらいいと思う。当時は「多対多対多」のシステムを機能させる資本主義があって、支配のための中心点はいらなかった。すべてがiTunesに落ち着くようなことになれば、僕らは死ぬことになる。アマゾンだけが残っても、やはり死ぬことになる。彼らにはやすやすとできることだけど、そうなれば本のシステムは破壊されてしまうだろう。でも、僕らは生き延びられると思う。そのためにこそ、人々には「本」に対してお金を払ってもらう必要があるんだ。

僕にはいま13歳と16歳の息子がいるけど、彼らは私が育ったような形では図書館を利用しない。子供たちの世代は、インターネット上にあるものしか利用しないから、優れた作品はどんどんオンライン化していく必要がある。インターネット上になければ、それは存在しないも同然なんだ。彼らは何であれ、インターネット上で手の届く範囲に置いたものから学んでいく。でも、いまインターネット上にあるものは正直あまり質がよくない。いまの世代は、最良のものにアクセスできる環境を提供されることなく育てられている。その責任は僕らが負うことになるわけだけど、それはよくないことだろう? いまの子供たちは、20世紀に生まれたイメージや作品の多くを見ることができない。ウィキペディアの記事は読んでいるかもしれないし、一部のものにはアクセスできるけれど、図書館や出版社が自らの責務を果たしていないせいで、20世紀の本すべてが手に入るわけではないんだ。

10〜15年前、僕らが人々をインターネットに呼びこもうとしたとき、「これ(紙)を使うべきではない。こちら(ネット)を使うべきだ」と言って再教育したものだ。実際、彼らはそのとおりにしてくれた。でも、僕らはそれをフォローアップしなかったし、インターネット上に最良のものを置いてきたわけでもなかった。月日はあっという間に過ぎていくから、素早く動かなくてはならない。最良のものを学ぶことなく、子供たちはどんどん大きくなっていってしまうからね。

――日本では、パブリックドメインの本を1万点擁している青空文庫を除くと、優れたオンライン図書館があまり存在しません。

BK:そこから出発するしかないけど、状況を変えていこう。100万冊の本がインターネット上に必要だ。僕らにはOpen Libraryという技術がある。本のウィキペディアみたいなものだ。このカタログに日本のあらゆる本の情報を載せるんだ。先に本のカタログをつくり、その後で本を実際にデジタル化すればいい。そんなに大変なことじゃないんだ。僕らは日本でもプロジェクトを立ち上げて、なにか大きなことをしたいと思っているよ。

(インタビュー・構成:編集部 翻訳協力:yomoyomo、浅野紀予)

個々の声を持ち寄る「ことばのポトラック」

2011年9月7日
posted by 大竹昭子

食糧の戸棚を開けるたびにたくさんの海苔の包みが目に入る。十帖入りが十二パック。この暑さで風味が損なわれるのではないかと心配だが、毎日海苔だけを食べつづけるわけにもいかず、あと半年くらいは自分のおろかさと対峙しなければならない。

海苔を買い込んだのは大地震から少したったころだった。津波のニュースに衝撃を受けたのもつかの間、原子炉建屋が水素爆発を起こして放射性物質が流出、不安はさらに広がった。ヨウ素を分解するには海藻類を食べるのがいいとツイッターで読んでスーパーに行くと、食品の棚にはほとんど商品がなく、よく買っていたパック入りの切り昆布も消えていた。それを見たとたんに平常心がぐらついた。のんびりしている間に事態は緊迫していたのではないかと焦り、海苔の専門店に駆け込んで買い占めてしまったのである。

思い返してみると、あのころはふつうの精神状態ではなかった。テレビから流れ出る情報を一方的に聞くだけで、それを判断し咀嚼する知識も余裕もなく、恐怖と悲しみと不安が三つどもえになって襲うに任せるしかなかった。

長い原稿を抱えていたのでそれに専念しようと、春分の連休には仕事場にこもったが、テレビは消してもインターネットは接続しているのですぐに気になり見てしまう。そのときふっと思ったのだった。マスコミが告げるこうした不特定多数のための情報や、顔の見えない相手の流すネット上の言葉は、果たしていまの自分に必要なのだろうかと。被災地に家族がいて現場に急行しなければならない場合ならともかく、家族も知人も無事で、しかも東京を離れられない身でこうしたニュースを聞きつづけるのは、妄想の成長をうながすだけで少しも力にならなかった。

いま欲しいのは個人が内側から発する声、メディアを通さない直接的な声だと思った瞬間、詩の言葉がこれまでにない身近さで迫ってきた。詩はこういうときのために存在しているのだとはじめて実感した。

ここ四年ほど、<カタリココ>というトークと朗読のイベントをおこなってきたので、その番外編のようなものができないだろうかとすぐに詩を書く友人たちに声をかけた。一日もかからないうちに十数人が出演を名乗り出てくれたのは、余震がつづき交通手段も安定していなかったその時期、さまざまな予定がキャンセルされてみんな家にいたからだろう。悶々とした気持ちを払いのけようという思いが一致した。

こうして六日後の三月二十七日、渋谷のサラヴァ東京で第一回「ことばのポトラック」は開かれた。イベントにはタイトルが要ると考えていたら、ひょいと「ポトラック」という言葉が浮かんできた。この言葉に出会ったのは七十年代のアメリカで、食べものを持ち寄る集いのことをポトラック・パーティーと呼んでいるのを知った。作品を発表するという構えたものではなく、いま必要な言葉を持ち寄ろうという趣旨に「幸運」の文字が含んだタイトルはふさわしく思えた。

準備期間は五日間しかなかったが、カタリココのwebで告知し、同時にメーリングリストで案内を出したところ、これも一日で予約が埋まり、正直なところ驚いた。

社会はまだ自粛ムードに覆われており、人が集まること自体が特別なことだった。多くの人が命を落としたのに、まだ余震がつづいているのに、放射能で大気が汚染されているのに、と外出をためらう理由が山ほどあったのである。

だが、心の底ではみな人恋しい気持ちを抱いていたのではないか。不安なのは自分だけでないことを確認し、閉ざされた心に灯をともしたいと切実に願っていたのだ。

プログラムが進行するについて心の重しがとれ、深々と息ができるような雰囲気になっていった。喪に服することといまを強く生きることは決して矛盾しない、そう実感して心の萎縮がほどかれた。

大震災以降、いろんな作家がさまざまな活動をはじめたが、「ことばのポトラック」は場をもっているところに特徴がある。サラヴァ東京はせいぜい八十名ほどの空間だが、人が集い、声を発するにはちょうどいいサイズだ。

出演するのは文学関係者に限らず、七月のポトラックには「ことばの橋をわたって」というテーマで在東京の外国人が参加してくれた。この災害で苦しんだのは日本人だけではない、異る言語にまたがって暮らす彼らは私たち以上に複雑な傷を負っていた。そうした事実を知ることは人間の経験について想像力を広げてくれる。

言葉は災害復興には直接結びつかないかもしれない。でも人間復興ならできるはずだ。言葉を手がかりに自己を建て直す人がどこかにいるかもしれないし、あのときに耳にした言葉、発した言葉が十年後、二十年後に別のかたちを借りて芽を吹くかもしれない。そうしたゆっくりしたあゆみを受け入れる心をいま準備したいと思う。

(この記事は「現代詩手帖」2011年8月号に掲載された同題の文章を転載したものです。)

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グーグルはまだ電子図書館の夢を見ている

2011年8月31日
posted by 大原ケイ

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということなのだろうが、去年はあれだけ「電子書籍元年」と持ち上げて、ニュースにもならない情報に一喜一憂していた日本のマスコミで、最近とんと「グーグル・ブックス」、つまりグーグルの電子書籍に対する取り組みのことを目にすることがなくなった。どうしてこうもわかりやすいガジェットでしか、電子書籍を捉えられないのだろうか。

グーグルeブックストア専用端末も発売に

グーグルeブックストア(Google ebookstore)は、日本語コンテンツをほとんど無視する格好で始動し、iRiver Story HDという専用Eリーダーが「ターゲット(Target)」という量販店で発売開始となった。すでに何千もの出版社と契約し、「紙で見つからない本でもEブックならすぐに見つかる」という時代のニーズに沿ったサービスを提供し始めている。

日本からアクセスすると「お住まいの地域では現在ご購入いただけません」と表示される。

件のStory HDは、アマゾンのキンドルに限りなく近いEインクを使ったEリーダーで、定価は140ドル。WiFiでEブックをダウンロードする。ターゲット(店)の客層を考えればターゲット(購買層)は女性、それも家計を預かる主婦層。

タイトル数はグーグルeブックストアと契約した出版社から出ている数十万冊と、版権切れのタイトルが300万冊(私がEリーダーを語るとき、フォーマットがどうだとか、機能がああだとか言う前に、まずタイトル数を挙げているのにお気づきだろうか? 私自身、Eリーダーの一ユーザーとして、その善し悪しを語るにあたっては、ガジェットの性能や機能といったハードウェアの部分なんてどうでもいいと考えていることの現れである)。

そしてグーグルはハードウェアと同じく、購入用のプラットフォームも他人任せで、「敵はアマゾン!」と公言するインディペンデント系の書店と組んで「おたくのお店のホームページから是非Eブックへのリンクを」という方針をとっている。すでに250店のインディペンデント書店がアフィリエイトとして、グーグルeブックストアのバナーをホームページに付けるなどしている。

グーグル・ブックサーチ集団訴訟のその後

さて、日本でも黒船襲来と恐れられたグーグルの話を思い出して欲しい。グーグルのこの電子書籍への取り組みにはふたつあって、一つが版元と提携してEブックを供給するプロジェクト、そしてもう一つが、世界中の図書館と提携して蔵書をスキャンし、図書館に直接いけない利用者でもアクセスできるようにする「ブック・サーチ」プロジェクトである。そして後者が全米作家協会(Authors Guild)などの反対に遭って訴訟となり、2度目に出された和解案がニューヨーク連邦地方裁判所のデニー・チン判事によって却下されたのが2011年3月。東北の大地震で日本のマスコミにとってはそれどころではなかったのかもしれないが。

判決文を読むと、次の2点が主な焦点となっていたことがわかる。まずは、orphan worksの「オプト・アウト」の問題。これは著書の版権保有者がハッキリとわからない本(orphan worksとはこうした本のこと)の場合でも、とりあえずグーグルが本をスキャンして、利用客が閲覧できるようにし、使用料となる料金が発生した場合はグーグルがこれを一定期間預かった後、版権保有者が名乗りを挙げれば、支払いをし、なければその料金は然るべき団体に寄付される、というものだ。

この部分には、アマゾンやマイクロソフト、そして政府団体までもが反対を唱えていたが、著者には損はないということで作家協会は部分的に賛同してた。だが、チン判事は、やはり版権保有者を明らかにした上で作品をスキャンするかどうかを決める「オプト・イン」方式にすべきという意見だった。

版権保有者が確定できない作品を企業が営利目的で勝手にスキャンすることは、本来なら、その版権を侵害することになる。「フェア・ユース」をモットーとするアメリカの版権マーケットの寛大な解釈でさえ、違法とされるのだ。だが和解案が通れば、それがグーグルだけに許可されることになる――これがもう一つの大きな理由だ。orphan worksのマーケットがグーグルの一人勝ちになることが予測されるだけに、ゆゆしき事態とされたわけだ。

これを受けて、グーグルがどう対処するのかは定かでない。以前に「オプト・イン」方式も考慮すると言っていた時期もある。プロジェクトを始動させて以来、すでに1億5000万タイトルもの本をスキャンした手前、このままプロジェクトが頓挫してしまうのはグーグルとしても本意ではないだろう。

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カニバリズムは神話だった

2011年8月30日
posted by 鎌田博樹

米国出版社協会(AAP)とシンクタンクのBISGが始めた新しい包括的な出版統計サービスBookStatsの最初のレポート(有料)が8月9日発表され、主要な数字が明らかにされた。最も注目されたのは、米国の書籍出版が2008年以降、E-Bookの急速に拡大する中で、全体としてどうなったかということだったが、不況下の2年間で5.6%と低いながらも着実に成長していたことが示され、少なくともマクロではE-Bookが出版業界にとって貴重な商品であることが確認された形となった。

米国の電子書籍市場は実質2000億円規模

統計というものは市場観を反映し、調査対象と方法などにより「解釈」が必要な場合が少なくない。これまで米国の電子書籍市場の数字として使われてきた代表的なものは、米国出版社協会(AAP)が発表する「一般商業書籍の卸出荷額」の中の電子書籍分をカバーしたものだ。産業統計としては不完全で、トレンドが掴めたにすぎない。但し書はあったのだが、いつかこの数字が誤用され、さらに算定根拠の異なる日本の数字と比較され、事実認識に大きな狂いが生じていた。

米国出版社協会がBookStatsで採用した書籍市場の三次元モデル。

BookStatsは、調査対象を14社から約2000社(今回1963社)にまで拡大し、同時に市場の3次元モデル(上の図を参照)に従い、過去3年にさかのぼって可能な限り正確なデータで埋めている。2010年の卸販売額(つまり出版社の手取り額)は、3.1%伸びて279億ドル。一般商業図書の卸販売額は139.4億ドルで、うち電子書籍の売上が8億7800万ドル、構成比は2008年の0.5%から6.4%(13倍)と急伸した。予想通り、印刷書籍の落ち込みをE-Bookが補って、さらにお釣りがきたという形だ。

一般商業書籍以外を含む全カテゴリーまで広げてみると、デジタル出版は対前年比38.9%増の16億2000万ドル(1250億円)にもなる($=77円換算)。小売販売額としてみれば、2000億円に近いものと考えられる。これまでいかに勘違いされてきたかがお分かりいただけるだろう(下の付表を参照。AAPによるBookStatsのプレスリリースはこちら)。

「その他図書」まで加えるとE-Book市場は卸値でも16億ドルを超える。

データから言えることは5点。

  • 第1に、出版は持続的な成長が可能な産業であり、それは本の入手性、可用性、拡張性を飛躍的に高めたデジタル・フォーマットによってのみ実現されることが証明された。これは米国に限定されない。
  • 第2に、欧米の出版社がE-Bookに対する認識を完全に改めた背景が、精度を高めた統計によって明らかになった。E-Bookは出版社にとって、問題児どころか孝行息子であり、将来の希望を託し、積極的な投資を行う価値があるということだ。
  • 第3に、今回の発表は今年前半をカバーしていないが、成長はまったく減速することなく続いている。大手出版社の経営者は、この半年でE-Bookが今後の出版を牽引する存在となったことを明確に認識した。
  • 第4に、ニュースメディアと異なり、書籍出版はWebとの共存が最も容易で、しかもWebによって成長が可能であったこと。Webは本を21世紀の先進的メディアに変えた。
  • 第5に、いわゆるカニバリズム論の誤りが証明された。印刷書籍との共存は、デジタルと紙という単純かつ無意味な二分法ではなく、価格や発行時期、販売チャネルなどの要因を考慮した、ミクロな個別ケースで判断するほかはない。

アメリカの書籍市場は全体としても成長傾向に。

BookStatsは、AAP/BISGが1年半の準備期間をかけてスタートさせた。合計で153億ドルを売り上げる1963社からの回答データをもとに全体規模を推計するという方法を取っている。これでも完全なものとは言えないが、大きな誤差は生じない程度には厳密であると思われる。

繰り返しになるが、これまで日本で使われてきた米国の数字なるものは、米国の電子書籍出版の一部の数字を抽出したものだ。まして、600億円とも称される(しかもケータイで読まれるマンガを中心とする)日本の数字と直接比較できるものでもなかった。大きな誤解を生んできたが、この際誤用は訂正すべきだろう。米国の関係者が、新たにBookStatsをスタートさせたのは、従来の方法によっては現実が細くできないこと以上に、市場を構造的、動的に精密に把握するニーズが高まっていることによる。日本でも比較可能なデータを整備する必要がある。

※この記事はEbook2.0 Weekly Magazine 2011年8月11日号に掲載された記事「カニバリズムは神話だった:米国出版市場は持続的成長」を著者による加筆をくわえ転載したものです。

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Gamificationがもたらす読書の変化

2011年8月23日
posted by yomoyomo

旧聞に属しますが Wired.jp の「電子書籍が紙に負ける5つのポイント」という記事が話題となり、これを受けて本誌にも原哲哉氏の「電子書籍はまだ紙の本に勝てない」という記事がすでに書かれています。

とくに日本の現状を見る限り、紙の書籍と電子書籍をプラットフォームとして比較すると紙のほうが優位なのは明らかで、規格の整備やハードウェアの向上と価格低下といった改善がおのずと期待できるところはそれとして、電子書籍がそのまま紙に追いつこうとする方向性はあまり意味がないと考えます。これは大原ケイ氏の「「ガジェット」ではなく「サービス」を」にもつながる話でしょうが、むしろ紙の制約から離れた機能や体験の充実にこそ注力すべきで、ことさらに紙と電子の比較を続けるのは有益ではないでしょう。

そうした観点で「電子書籍が紙に負ける5つのポイント」を読み直した場合、「インテリア・デザインにならない」といった電子書籍が(少なくとも現状のフォーマットの)電子書籍である限りどうしようもないものは仕方ないとして、「読了へのプレッシャーがない」や「思考を助ける「余白への書き込み」ができない」といった不満は、クラウドを前提とする電子書籍ならではの手法で解決できるはずで、それに向けた方法論の一つとして Gamification が有効だと筆者は考えます。

「Gamification」とは何か

この Gamification という言葉をまだご存知ない方のために解説しておくと、直訳すれば「ゲーム化」とでもなるでしょうが、(本文執筆時点での)英語版 Wikipedia における「ゲームプレイの要素をゲーム以外のアプリケーション、とくにコンシューマ向けのウェブサイトやモバイルサイトで利用することで、利用者にそのアプリケーションを受け入れさせることを目的とする」、もっと平易な表現では「なぜ「Turntable.fm」はユーザーを夢中にさせるのか」にある「プロダクトにゲーム的な要素を加えることによって、ユーザーがもっと使いたくなるようなものにすること」という定義が分かりやすいでしょう。

この言葉、とくに今年に入って目にする機会が多くなっておりバズワード化しつつあります。それだけこの「ゲーム化」というコンセプトが分かりやすく強力だということでしょう。For the Win という Gamification をテーマとする真面目なシンポジウムが開かれる一方で、この言葉をマーケティングのデタラメと断じるゲーム研究者も出てきて議論になっていますが、こういう声が出て盛り上がってこそのバズワードです(笑)。

さて、この Gamification という手法を電子書籍に適用すれば、「読了へのプレッシャーがない」に対しては Nike + iPod 的な本を読了進度の順位を可視化して競争意識を駆り立てるアプローチ、「思考を助ける「余白への書き込み」ができない」に対しては、これはすでに Kindle などで実現していますがソーシャルリーディングによるその書籍のポイントの共有がすぐに浮かびます。上でもリンクした「なぜ「Turntable.fm」はユーザーを夢中にさせるのか」と突き合わせるなら、前者は「プレイヤーの進行状況をデザインする」、後者は「ソーシャル性のある行動を促す」に該当するでしょうか(余談ですが、最近は「ソーシャル」という言葉が濫用されますが、それほとんど「社会的つながり」に関係ないじゃないかというサービスも多く、むしろ「ゲーム化」としてとらえるほうが適切と思うこともあります)。

「読書にゲーム的要素を持ち込む」と聞いて拒否反応を起こす人も多いでしょう。読書はもっと個人的/孤独/厳粛なものだ、と。ワタシ自身そうした気持ちは理解できるのですが、逆に言うとそうした紙を読む制約から離れたユーザ体験を提供し、読書のあり方を変えるようなサービス、一歩進んで一部の読書家から顰蹙を買いながら若年層を惹きつけるサービスが出てこない限り、いつまで経っても紙媒体と電子書籍の優劣を漫然と比較する記事がいつまでも書き続けられるのかもしれません。

ニューヨーク公共図書館で行われた「探検ゲーム」

ここでワタシが連想するのは、著名なゲームデザイナー、ゲーム研究者のジェーン・マゴニガル(Jane McGonigal)らが企画した Find the Future at NYPL: The Game です。

ニューヨーク公共図書館で行われたイベント、「Find the Future」のサイト。

これは今年の5月20日の深夜にニューヨーク公共図書館(NYPL)に500人の参加者が集い、図書館内部を探索してそこにある様々なアイテムを探索しながら、それを記録する本を書いていくというコラボレーションゲーム企画です。真夜中の図書館で探検ゲームとはすごく楽しそうだな……とこの話を知って勝手にワクワクしてしまいましたが、考えてみれば真夜中に人を集めて何か事故が起こったら、あるいは図書館(しかも世界的にも屈指の規模を誇る図書館!)の本に破損など被害が出たら、など問題もいくらでも思いつくわけで、相当にチャレンジングな企画に違いありません。

しかし、サイトの説明を読むと「人々が夢をかなえ、自身の未来を発見する場所として図書館を見てほしい」という図書館側の熱意が伝わってきます。このニューヨーク公共図書館側の試みは最近の図書館を巡る議論にも深い示唆を与えていますし、YouTube の NYPL 公式チャンネルにアップロードされた当日の模様のダイジェスト映像を見ても Gamification というアプローチの有効性を感じます。

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