楽天、kobo買収の本当の意味

2011年11月9日
posted by 大原ケイ

楽天がkobo買収というニュースにはさすがに驚いた。驚いた後で、「なるほど、こりゃすごい良い買い物をしましたな」と感心するとともに、まだ電子書籍のガジェットがどうのこうのという日本での取り上げられ方に脱力。なんとか気を取り直してこのコラム書いてます。

koboは220万点の品揃えで「世界最大の電子書籍ストア」と豪語。

日本ではアマゾンが和書を売るオンライン書店としてだけでなく、日用品ならなんでも扱う外資系のオンラインリテーラーとして頑張っているから知名度も高いせいか、まだキンドルのサービスが始まってもいないうちから、黒船が、と話題になることも多いのはわかる。

しかし、本国アメリカではアマゾンがEブックもEコマースもすべてを牛耳っているわけではないので、機会あるごとにバーンズ&ノーブルのNOOK(ヌック)やソニーのReader、グーグルのeBookstoreやkoboもそれぞれの強みを活かしながらそれなりのプレーヤーになっていることを伝えてきたつもりなのだが、アマゾン以外はとんと印象に残らないらしい。

アメリカでは複数の電子書籍ストアが共存

しつこいようだが、もう一度説明するとこうなる。バーンズ&ノーブルは全米に数百あるリアル書店という強みを活かして、早くからアマゾンに対抗すべく、オンライン書店にもEブックにも取り組んできた。それを怠った業界第2位のボーダーズは倒産してしまったわけだが、バーンズ&ノーブルはしばらくは大丈夫だろうと見ている。実際、アマゾンよりも「本屋」であるがゆえの品揃え、クォリティー、サービスで上回る点も多い。

グーグルが「ブック検索」(のちのGoogle Books)を発表した時は蜂の巣をつついたような大騒ぎだったのに、その後すっかり忘れられているようだが、eBookstoreも端末の要らないEブックサービスとして力を付けている。本屋としてのリテール力はないので、インディペンデント系の書店と組むという賢い戦略を展開している。

ソニーのReaderも、単に本を読むためのガジェットという位置づけを超えて、デジタル化された書類を読むデバイスとしてアメリカでは地道にユーザーを獲得している。

そして話題のkoboなのだが、これもただのカナダの電子書籍屋と言ってしまうと、語弊がある。確かにあそこのリーダー端末は、Eインクのもタブレットもダサイ。でもそれは技術が追いついていないというよりも、最初からシンプルで最小限の機能だけつけて、値段を抑えるというビジョンがあってのものだ。100ドルを切るEインクのリーダーを最初に出したのはkoboだった。ソフトは独自のものは使わず、EPUBやアンドロイドOSを採用、いじりたい人がいじれるようになっている。

ソーシャルリーディングの機能が他より優れている、っていうのも大して重要じゃない。そんな小手先の技術はすぐに追いつけるし、ソーシャルリーディングの機能でkoboを選んでもらえるほど差別化はできないでしょ。

ボーダーズがつぶれちゃったから焦って買収してもらえるところを探していた、という話も聞かないし、ボーダーズとの提携だって、自社のリーダーがなくて焦ったボーダーズからアプローチしてきた話だったからね。

koboの強みはグローバルな版権と決済システム

だから私が今回の楽天による買収がすごい、目の付けどころがいい、と思ったのは電子書籍の端末とはあまり関係がない。koboが他と一線を画すのは、Eブックの版権をグローバルに獲得していることだ。

これがなぜすごいのか、少し説明しよう。例えば、日本でキンドルを入手した人なら経験があるだろうが、アマゾンのサイトに行って、欲しい本を見つけても、いざダウンロードしようとしたら「日本でのお取り扱いはできません」と言われてガッカリしたことはないだろうか。これはアマゾンがキンドルの版権を扱うときに、アメリカを中心にテリトリーごとにマーケットを作ってきたからだ。

その点、koboは最初から英語以外のヨーロッパ言語や、さらにアジアの言語でも表記ができるように、フォーマットが「緩い」。EPUBベースなので、日本語の縦書き表示もいずれできるようになるだろう。もちろん、グローバルスタンダード、つまり世界のどこでも使えるものは、それぞれの地域に細かく対応できないというマイナスはある。でもそのぶん、フレキシブルに対応できるという利点がある。

アマゾンも世界進出を目論んではいるのだが、マーケットを分けてその国ごとにキンドル版を用意してきた。キンドルストアごとに分断されている。だから日本で同じキンドルを使っているのに買えないタイトルが出てきたりする。

それに対してkoboは、カナダの会社だからだということもあるが、自国のマーケットで流通させるコンテンツを集めるときも世界権か全英語圏権であることを重視した。そうすることによって、koboの端末で、あるいはパソコン上で、北米、ヨーロッパ、オーストラリアのどこにいても同じ本が買えるのだ。とくにヨーロッパの人は、母国語が英語でなくても英語の本ぐらいはサクサクと読めるので、自国でアマゾンや他の電子書籍サービスが遅れていても、日本ほどフラストレーションはない。そしてすでに中国市場も狙って拠点を作っているようだ。

こういうマーケット戦略のおかげでkoboがもっている強みは、同じ本を通貨単位の違う国で売ってきた決済システムだと思う。ユーロでもカナダドルでも同じものを売って処理できるシステムとノウハウをもっているわけだ。

それを楽天が買ったということは、そのノウハウを搭載した端末で、世界中でモノが売れる道筋を作ったということではないのか? 国内でアマゾンと電子書籍で競争するためだけに236億円を投じたとは思えない。これは世界でアマゾンと闘うための投資だと考えると、これ以上適した端末はないのではないだろうか。世界のどこにいてもkoboがあれば、世界中の本が読める。世界中のモノが買えるようになるのだとしたら…。

そんなわけで、萎む一方の日本国内の書籍市場のために楽天がこんな買い物をしたのではないと思える。

アマゾンが出版社を差し置いて電子書籍の価格決定権を握ろうとしているのは許せないとか、楽天が社内で英語習得を奨励しているのを見てムダなことだと笑っていたり、Rabooがショボいとバカにしていた人たちに言いたい。電子書籍で成功するであろうプレーヤーは、すでに日本語の本を売ってどうこうという狭くて小さい世界を超えたビジョンを持って未来のリテールを見据えている。

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新しい読書体験を模索する「e読書ラボ」

2011年10月31日
posted by 江口晋太朗

古書の街・神田神保町。明治時代から続く書籍の街として有名な地域ですが、本を読む人口がしだいに減っているせいか、全盛時にくらべると賑わいも衰え、とくに若い人の来る機会が減っています。そうしたなかで、神保町では新しい試みがおこなわれています。街の中心にある「本と街の案内所」の中に、未来の読書環境の提案をおこなう実験室「e読書ラボ」が併設され、9月30日に正式オープンしたということを聞きつけたので、さっそく取材してきました。

電子書籍端末が体験できる「e読書ラボ」

まず、このe読書ラボが所在する「本と街の案内所」についての説明です(公式ブログはこちら)。

神田神保町地域には古書店170店舗、新刊書店30店舗があり、各種出版社も軒を連ねる世界有数の地域として発展してきました。歴史がある古書店には医学書や文芸書などそれぞれ得意分野があり、自分がほしいと考えている関連書籍を探すにも、どの店がどんな専門をもっているのかについての情報がないと一苦労。そのため、この神保町に関する総合的な情報を提供する場として2007年にオープンしたのがこの案内所です。

靖国通りに面した神保町の中心部にある「本と街の案内所」。

書店の情報以外にも、神保町にあるおいしい飲食の情報など街全体の情報を網羅し、道行く人のまさに案内所として存在しています。また、神保町全体のイベント案内やチラシなども配布しており、神保町をより楽しむための情報を提供してくれる憩いの場です。

この案内所の中に、国立情報学研究所・連想情報学研究開発センターが企画・制作し、NPO法人・連想出版が運営している「e読書ラボ」はあります。

「e読書ラボ」にはいってまず目につくのは、国内で販売されている電子書籍端末がすべて揃っている棚です。アマゾンのKindleやシャープのGALAPAGOSをはじめ、アップルのiPod touch、iPad、そしてAndroid端末など、電子書籍専用のものから汎用端末まで、11の機種が揃っています(2011年10月時点)。

入って右手の壁面には、各種の電子書籍端末がズラリ。自由に手にとって読める。

電子書籍がすこしづつ身近になってきたなかで、量販店などに行けば実際に端末を手にとって触ることができます。しかし、液晶パネルと電子インクの違い、画面のサイズの違いや操作性、実際に本を読んでみての読み心地など、端末ごとの違いについてじっくり比較検討できる場所はまだまだ少ないのが現状です。

そうしたなかで、一般の人向けに販売されている端末を用意し、各種端末を実際に手にとって比較する体験ができるのが「e読書ラボ」の特徴です。

「神保町という本好きな人たちが集まる場所だからこそ、多くの人に実際に電子書籍に触ってもらい体験してもらうことで、さまざまな意見をいただきたいと思い展示をはじめました」

と、取材に応じてくれた国立情報学研究所の阿辺川氏は言います。この研究所では、電子書籍に関する研究や実験を独自に行なっており、「e読書ラボ」はその情報収集の場としての役割もはたしているとのことです。

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ジョブズの本で考える、本の適正価格

2011年10月25日
posted by 大原ケイ

今月に入ってずっとマスコミを賑わせ続けた人と言えば、スティーブ・ジョブズ。もうお腹いっぱい、ではあるが、ウォルター・アイザックソンによるバイオグラフィーが世界同時発売ということで、色々と思うところがあったので、それを書いておく。

まずは紙の本での話。アメリカではサイモン&シュスターから出ているハードカバーの希望小売価格が35ドル(約2700円)、アマゾンやバーンズ&ノーブルのオンライン書店ではこれが17.88ドルとほぼ半額となっている。刊行日を前倒しにした「ラッシュ本」とはいえ、これだけ時の人となっている時期に刊行されるベストセラー間違いなしのタイトルなので、卸値価格を考えるとアマゾンもB&Nもハードカバーでの儲けは紙一重の小さいもののはずだ。Eブックの販売も手がけているからこそできる大技。他の書店ではこんなに安売りするわけにはいかない。

サイモン&シュスターではこの本の特設サイトもつくっており、一部抜粋が読める。

これが講談社から刊行された日本語版だと、上下巻で各1995円。合わせると約52ドル。この価格差は翻訳の手間と考えていいだろう。とくにオリジナル原語の発売日と合わせるとなると、相当きついスケジュールなので、特急料金だしね。(翻訳者 井口耕二さんのブログエントリー を参照)

しかも、日本でも知名度が高いスティーブ・ジョブズについて書かれた本である上に、ウォルター・アイザックソンといえば、アメリカでは質の高いバイオグラフィーで知られる著者。版権をとるのにかなりの額のアドバンス(印税の前払い)を払っているはず。この値段が格別高いとは思わない。初版部数は上巻が20万部、下巻が15万部らしい。アメリカではその10倍ぐらいかな? 電子書籍も同時発売なので紙はそのうち150〜180万部ぐらいじゃなかろうか。

で、この電子書籍版の値段で色々と考えさせられることがあるのだが、まず、日本語の電子書籍版は同日発売開始、だけど紙の本と全く同じ値段という設定。いくらなんでも同じってのはないだろう、というのと、同時発売に踏み切ったところは評価したい、という気持ちが半々。だって、こんなに話題になった本なら、取次から「電子書籍版の発売はもう少し遅らせろ」という圧力がかかっていたとしても驚かないからね。だから電子版が同じ値段というのは、取次に対するせめてもの配慮、と解釈している。

それよりこっちが驚くのは、日本じゃまだまだ全国一斉に本を一冊売り始めることができないという事実だ。Twitterのタイムラインを追っていくと、地方の本屋さんから「本がまだ届かない!」という悲鳴が聞こえてくる。アマゾン辺りの宅配の手際の良さを考えると、考えられない脆弱なインフラという印象。アメリカではこの刊行日をかなり重視したシステムになっていて、あのだだっ広い国土で、いい加減な業者もある中でさえ、新刊本は前日の夜までに各書店に届けられる仕組みになっている。この作業は「レイダウン」と呼ばれているが、初日に大量に捌けることが見込まれているタイトルには特に重要視されている。

だからこそ、書店の方でも全国で真夜中に一斉に『ハリポタ』最新刊解禁パーティー!などとという楽しいイベントが計画できるわけだ。ちなみに25日にはアメリカで村上春樹の『1Q84』が刊行されるので、真夜中にイベントを予定している本屋さんもある。それが、日本の本屋さんだと「○○入荷しました!」と後手にまわったイベントしかできなくて、可哀想だなぁ、と思ったり。そしていつも地方の小さいところが冷遇される。これも現行の取次システムの問題だろう。

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Kindleは「本らしさ」を殺すのか?

2011年10月17日
posted by yomoyomo

先日phaさんの「電子書籍とブログって何が違うの?」という文章を読み、最初そのタイトルに違和感を覚え、そりゃ全然違うだろうと内心突っ込んだのですが、よくよく考えるとそうとも言えない。思えばこのタイトルと同じ問題意識を何度も文章にしている人を自分も知ってるじゃないかと思い当たりました。それは『クラウド化する世界』などの著書で知られるニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)です。

phaさんが問題としているのは主にコンテンツの流通と課金ですが、カーはそれだけでなく本を本たらしめるものは何か、それは電子書籍によってどう変わるのかということにフォーカスしており、こちらのほうがより普遍的な問題でしょう。本文ではカーの文章を紹介しながら「本」と「インターネット」の間の一線について考えてみたいと思います。

本の「アプリ」化

まずiPad発売と同時期に書かれた「The post-book book」において、iPadが電子読書端末としてトップになるかはともかく、iPadが促進する本の読み方はやがて支配的になるだろうとカーは書きます。

iPadが促進する本の読み方とは、つまりは本のマルチメディア化による「本のアプリ化」です。紙の本がインターネットに接続する電子機器に移行すれば、本はウェブサイトと同じようになるとカーは断じます。

これだけ見るとボブ・スタインが「appの未来」に書いたことと似ているのですが、インターネットが生み出す情報の氾濫、並びに効率性と即時性を重視する風潮は、本などを熟読して深い思索を行う人間の能力を退化させるという論旨の、ピューリッツァー賞の最終候補にも選ばれた『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』の著者であるカーが、本のアプリ化、インターネット化に手放しに明るい未来を見ていないのは間違いありません。

事実この文章は、スティーブ・ジョブズがiPad発表前にAmazonのKindleについて聞かれたとき、「製品の良し悪しは問題ではない。人々はもはや読書をしないんだよ」と答えたことを踏まえながら、「スティーブ・ジョブズは嘘つきじゃない。文章の転送システムとして、iPadはもはや読書をしない読者にとって完璧にぴったりだ」と彼らしい嫌味をかまして終わります。

電子書籍の真の美意識

さて、カーは先ごろの新型Kindleの発表を受け、これに触発された文章を続けて書いています。まず「Beyond words: the Kindle Fire and the book’s future」は、未来は常に過去の衣をまとって登場するという話から始まります。

例えば、印刷機から生み出された最初の本であるグーテンベルグ聖書は、写字生の筆跡に似るよう注意深くデザインされた書体が採用されたし、初期のテレビ番組は映像つきのラジオ放送だったし、パーソナルコンピュータの設計者は、情報の組織化に「デスク」のメタファーを使ったわけですが、注意しなければならないのは、新しいメディアの初期の形態を見て、それを完成形と見なす間違いを犯してはならないということです。いずれは過去の衣が脱ぎ捨てられ、新しいテクノロジーの真の性質、美意識が明らかになるときが来ます。

それが「電子書籍」にも当てはまるとカーは説きます。2007年の終わりに最初のKindleは明らかに、紙の本のルック&フィールにできるだけ近づけるようデザインされていました。

言い換えるなら、初期の電子書籍はユーザインタフェースのデザインコンセプトとして、紙の本のメタファーを採用していたわけです。しかし、メタファーは飽くまでメタファーで、それは飽くまでマーケティング戦術であり、従来からの読書家に心地よく電子書籍を使ってもらう手段だったのです。

ジェフ・ベゾスはビジネスマンであって、伝統的な本を守るつもりなど決してないとカーは断じます。むしろ彼は従来の本を破壊したいのであって、Kindle Fireにおけるマルチメディア、マルチタッチ、マルチタスク、アプリの導入はその一環なのだと。

Kindle Fire、そしてそれに先行するiPadとNook Colorにより、我々は電子書籍の真の美意識を目の当たりにしているのだとカーは書きます。そしてそれは、印刷されたページよりもウェブにずっと近い。Kindle FireやX-Ray技術(後述)を備えたKindle Touchに比べると、79ドルに値下げされた無印Kindleは、ロッキングチェアのような埃っぽい遺物にすら見え始めたとまでカーは書きます。

つまりKindle Fireが重要なのは、それがiPadを打ち負かすかといったレベルの話ではなく、よりインターネット化した電子書籍の完成形を示したことなのです。歴史家は2011年9月28日を、本が本らしさを失った日として振り返るかもね、とカーは予言してこの文章は終わります。

「本の名残り」

続いて「The remains of the book」でカーは、紙の本が持つ本質的な特徴の一つは端、境界(edge)があることだという話から始めます。この境界は、各々の本にそれが単体で完結した作品であるという全体性を与えます。それは本が孤立して存在しているという意味ではありません。人間社会がそうであるように、本も他の本と豊かなつながりを形成していますが、同時に本は自己完結した体験を与えるものでもあります。この自己完結の感覚こそが、優れた本が読者に深い満足感を与え、書き手に最高の文学的達成を促したものだとカーは書きます。本は、その境界によって完結しなければならないのだ、と。

そして、その境界の概念は、リンクがあらゆる境界を消滅させるウェブとは対照的です。実際、ウェブの力、実用性はあらゆる形の束縛を破壊し、それをより大きなものの一部に変えることにあります。

だから「電子書籍」という言葉は語義矛盾なのだとカーは説きます。ネットワーク接続されたコンピュータの画面上に本の言葉を移すということは、技術的にも美意識的にも矛盾する二つの力の間の衝突を扱うことなのです。

続いてカーは、Kindle Touchに導入されたX-Ray技術の話に移ります。

カーは、ベゾスによるこのKindle Touchのプレゼン動画をロールシャッハテストに例えます。ウェブ側の人間はX-Rayを輝かしい進歩ととらえるが、本側の人間にとってこの技術は破滅なのだと。

「軋轢を減らせば、物事は簡単になる」とベゾスは言うが、ここでの軋轢とは紙の本の自己完結性だとカーは指摘します。X-Ray技術は、この軋轢を減らすために本のテキストを応答性の高いハイパーテキストに置き換えるものです。これは従来の辞書検索機能に加え、WikipediaやShelfariといったウェブリソースの情報に飛べるようになり、キャラクターや単語の登場頻度を一望できるようになります。

このX-Ray技術の便利さは、参考書やマニュアルといった実用書であれば明らかです。しかし、ベゾスはX-Ray技術のプレゼンに料理本などは使いませんでした。彼が使ったのは、カズオ・イシグロの『日の名残り』です(カーの文章のタイトルが、この小説の原題にかけてあるのはお分かりでしょう)。

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台湾の電子書籍プロジェクト「百年千書」

2011年10月7日
posted by 仲俣暁生

まずはこの映像をみてください(埋め込み映像が見られない方はこちらから)。これは台湾の台灣數位出版聯盟(=台湾電子出版連盟、TDPF)が9月末にサイトを公開した「百年千書」プロジェクトのコンセプトを伝えるものです。

「百年千書」は、過去150年間に台湾で出版された本のなかから、千冊を選んで電子書籍として公開するプロジェクトで、2010年から準備が進められていました。アヘン戦争が起きた1840年から1990年までの本が対象となっており、中国の著作だけでなく、欧米や日本の出版物からの翻訳書も数多く含まれています。

「百年千書」のウェブサイト。

集められた本はサイトでテーマ別・年代別などによって分類され、電子書籍として購入・閲覧できます。技術的にはHTML5とEPUB、そしてOPDS(Open Publication Distribution System)のもとで、クラウドコンピュータ上に置かれたコンテンツをウェブブラウザで閲覧する、いわゆる「Books in Browsers」の方式が採用されています。「百年千書」のサイトはまだ立ち上がったばかりで、ジャンルによっては本のタイトル数が少ないところもありますが、これから次第に充実していくことでしょう。

電子書籍で日本との交流も

台灣數位出版聯盟の理事長をつとめるのは、台湾最大手の出版メディア企業、城邦(CITE)グループのCEO何飛鵬氏。NPO法人アジアITビジネス研究会の「交流」2011年8月号に掲載された「台湾デジタルコンテンツビジネス事情〜電子書籍を中心に」(PDF)という記事で、何飛鵬氏が取材されています。この記事によると、台灣數位出版聯盟には出版社を中心に、エイサーやHTCといった電機メーカー、さらにはソフトウェア企業や通信企業など100社あまりが参加しているとのこと。また政府からの支援も得ていると何氏は発言しています。

今年11月には城邦グループと講談社が合弁会社「華雲数位股份有限公司」を設立することも発表され(上の映像は今年2月の記者発表時の映像)、電子書籍を通じて日本と台湾の出版界の交流は着実に進んでいます。

台湾といえば、電子書籍に欠かせない読書端末や電子ペーパーの世界的な生産国ですが、これからはハードのみならずソフトウェアの面でもこの分野をリードしていくことになるかもしれません。

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