新しい読書体験を模索する「e読書ラボ」

2011年10月31日
posted by 江口晋太朗

古書の街・神田神保町。明治時代から続く書籍の街として有名な地域ですが、本を読む人口がしだいに減っているせいか、全盛時にくらべると賑わいも衰え、とくに若い人の来る機会が減っています。そうしたなかで、神保町では新しい試みがおこなわれています。街の中心にある「本と街の案内所」の中に、未来の読書環境の提案をおこなう実験室「e読書ラボ」が併設され、9月30日に正式オープンしたということを聞きつけたので、さっそく取材してきました。

電子書籍端末が体験できる「e読書ラボ」

まず、このe読書ラボが所在する「本と街の案内所」についての説明です(公式ブログはこちら)。

神田神保町地域には古書店170店舗、新刊書店30店舗があり、各種出版社も軒を連ねる世界有数の地域として発展してきました。歴史がある古書店には医学書や文芸書などそれぞれ得意分野があり、自分がほしいと考えている関連書籍を探すにも、どの店がどんな専門をもっているのかについての情報がないと一苦労。そのため、この神保町に関する総合的な情報を提供する場として2007年にオープンしたのがこの案内所です。

靖国通りに面した神保町の中心部にある「本と街の案内所」。

書店の情報以外にも、神保町にあるおいしい飲食の情報など街全体の情報を網羅し、道行く人のまさに案内所として存在しています。また、神保町全体のイベント案内やチラシなども配布しており、神保町をより楽しむための情報を提供してくれる憩いの場です。

この案内所の中に、国立情報学研究所・連想情報学研究開発センターが企画・制作し、NPO法人・連想出版が運営している「e読書ラボ」はあります。

「e読書ラボ」にはいってまず目につくのは、国内で販売されている電子書籍端末がすべて揃っている棚です。アマゾンのKindleやシャープのGALAPAGOSをはじめ、アップルのiPod touch、iPad、そしてAndroid端末など、電子書籍専用のものから汎用端末まで、11の機種が揃っています(2011年10月時点)。

入って右手の壁面には、各種の電子書籍端末がズラリ。自由に手にとって読める。

電子書籍がすこしづつ身近になってきたなかで、量販店などに行けば実際に端末を手にとって触ることができます。しかし、液晶パネルと電子インクの違い、画面のサイズの違いや操作性、実際に本を読んでみての読み心地など、端末ごとの違いについてじっくり比較検討できる場所はまだまだ少ないのが現状です。

そうしたなかで、一般の人向けに販売されている端末を用意し、各種端末を実際に手にとって比較する体験ができるのが「e読書ラボ」の特徴です。

「神保町という本好きな人たちが集まる場所だからこそ、多くの人に実際に電子書籍に触ってもらい体験してもらうことで、さまざまな意見をいただきたいと思い展示をはじめました」

と、取材に応じてくれた国立情報学研究所の阿辺川氏は言います。この研究所では、電子書籍に関する研究や実験を独自に行なっており、「e読書ラボ」はその情報収集の場としての役割もはたしているとのことです。

さまざまなところで話題になっているとはいえ、電子書籍端末を触った経験がある人はまだまだ多くありません。僕自身、今回はじめて触る端末もあり、電源ボタンの位置や「次へ」や「戻る」の操作、画面をどのようにタッチすればいいのかがわかりづらい端末もありました。画面表示によって文章の読み心地なども端末ごとにことなり、こうやって比較してみることで端末の特色がわかるのは新しい発見です。

「電子書籍端末同士の比較だけでなく、紙と電子を比べることも研究テーマの一つなんです。実際に量販店などに行って端末が設置してあっても、そこには紙の書籍はなく、読書体験がどのように変わるのかがわかりにくい。そのため「e読書ラボ」では、紙の本と同じコンテンツを各種端末にいれることで、紙と電子での読み心地の違いもを体験してもらっています。紙の本を見て興味をもったものを手に取り、横にある電子書籍と読み比べてみることで、なにか見えてくるものがあるんじゃないでしょうか」

と阿辺川氏。興味をもってもらいやすいように、スタッフがお薦めする本と、世間で話題の本とをバランスよくおりまぜてセレクトし、定期的に中身の交換をしているとのことでした。

電子書籍の置いてある棚の下には、同じ内容の紙の本が並べられている。

神保町という場所がら、年配の方が多いかと思いきや、意外と若い人の来場が多いことに驚きました。年配の方でも電子端末に詳しかったり、多種多様な人が後を絶たず訪れているようです。じっくり紙と電子書籍を読み比べる人、普段はなかなか触れる機会がないKindleを長時間滞在して試している人もいて、すべての端末が揃っているこういった場所があることの重要性をとても感じます。

新しい書籍体験の試み

「e読書ラボ」ではこのほかにも、新しい読書環境の実験ということで、電子情報を利用して新しい電子書籍のあり方を提案しています。外部のリソースと連携した「自動脚注付与システム」の展示もそのひとつ。これは電子書籍の本文中でハイライトされている単語をクリックするとWikipediaがひらき、クリックした単語についての解説記事が表示されるシステムです。

「外部サービスにWikipediaを利用することの利点として、テキストだけでなく写真などの画像も利用でき、より豊かな情報を得るきっかけとなることが挙げられます。Wikipedia以外にも百科事典などの外部リソースを使うことで、同じ単語の意味を調べるにしても、リソースによる内容や文体の違いなどが見えてくる」

と阿辺川氏。その一方で、外部と連携することで、著者や編集者が意図しない情報とつながり、本来著者らが目指しているメッセージなどとのズレが生じるリスクもある、とのことでした。

リスクや問題点があることも理解した上で、こういうシステムを利用していくことには意味があると僕は考えます。電子というフィールドをうまく利用して外部サービスと連携し、たんにテキストを読むという以外の付加価値を見出す必要性があると思うからです。「電子書籍=安い」というイメージではなく、電子書籍をつかって、よりよい読書環境をつくりあげることを考えたいのです。

「e読書ラボ」がこれから展開していこうとしていることの1つに、「青空文庫」ダウンロードサービスがあります。著作権の切れた文学作品を電子テキスト化した「青空文庫」は、iPhoneアプリなど、電子端末で気軽に読めます。しかし、そのダウンロード方法がわからない方もいます。「e読書ラボ」ではこうした方に対して、持参してもらった端末に「青空文庫」のコンテンツをダウンロードしてあげるサービスをおこなう予定です。

そこから発展して、「青空文庫」の複数の作品をテーマや利用者が読みたいものから選書して編集し、パッケージ化し提供することも構想しているとのこと。キュレーション的な視点で、作品単体でなく連なった作品全体としての文脈を与えたり、パッケージ化をおこなうことで、利用者に新しい読書における楽しみ方を提供することを目的としています。

このようなサービスが始まれば、書店員と利用者がコミュニケーションをおこない、書店の店頭で電子書籍をダウンロードしてもらうなど、書店としての新しいビジネスモデルが可能になります。「e読書ラボ」ではそうした実験の一環として、「青空文庫」ダウンロードサービスを考えているようです。

「紙では思いがけない本との出会いがあったりする。その出会いを電子書籍でもできないか模索しています」

と阿辺川氏が言うとおり、現在の電子書籍では、「自分が知っているもの、読みたいものを読む」という、どちらかというと”情報を買う”というようなイメージになりがちです。

紙の本であれば、本棚に数百数千と並ぶことで量を実感したり、本棚全体が生み出す雰囲気を感じることができます。しかし電子書籍では、本単体としての価値以外のものを見出すことがまだまだ難しい。言い換えれば電子においては、本を「所有する」という感覚がなかなかうまれにくいのです。複数の本から醸し出す物語や文脈をつくり、電子書籍に「所有」という感覚を生み出す実験がをしているのが、「e読書ラボ」なのだと感じました。

「実業史錦絵絵引」(渋沢栄一記念財団)

「e読書ラボ」を運営する国立情報学研究所では、古書をデジタルで保存して新しい活用法を見出す実験もおこなっています。そのひとつ、「実業史錦絵絵引」では、かつて教科書として使われていた書籍をデジタル化して現代語訳もほどこし、絵と文章を一体化させて説明するサービスをおこなっています。僕はこれを見た瞬間、書籍がデジタルであることの意味や重要性を改めて実感しました。

「デジタル化した古書の活用法は、まだまだ見出しきれていません。古書のデジタル化に興味を示す古書店さんもいらっしゃるし、面白いことを積極的にやってもらいたい、という意見もでてきているので、こういった動きを大切にしていきたいですね」

と話す阿辺川氏。古書店というと、アナログで古臭いイメージがつきやすいものです。そこに「ラボ=研究所」という、技術によって新しいものや面白いものを発明していく場所が密接に結びつくことで、本の世界に化学反応が起きる予感がします。

「本を読む」という行為自体をもっと当たり前に

「e読書ラボ」でいろいろと話を伺い、これまであまり足を踏み入れなかった神保町という街や、書籍の今後、そして読書体験に対して色々と気づきをえることができました。「本と街の案内所」や「e読書ラボ」が入っている建物自体も書斎のような雰囲気をかもしだしていて、すごく居心地のよい空間でした。

僕らのような若い世代にとって、「書斎」という場所自体、経験することが少なくなっています。本を「消費財」というイメージでとらえるのではなく、「本棚」や、その本棚を構築する書斎という空間を考えることを意識させてくれた場所だったと思います。一冊の本ももちろん大事ですが、その一冊の本がたくさんつらなり、次第に大きな空間をつくりだすことで、その空間が生み出す世界観や文脈など、もっと広い視点で本を感じることの楽しさが見いだせるような気がしてきました。

アマゾンがkindleの日本でのサービスを年内に開始するという報道が出ている一方、まだまだ若い人は、電子書籍での読書体験は少なく、すでにこうした端末を持っている人の平均年齢も高いイメージがあります。

育ってきた環境のなかで携帯などデジタルツールを使って育った世代にとっても、デジタルのツールを使うことと、電子書籍端末を使っての読書行為とでは、また違った意識が生じています。実際に電子端末を手にとって街などで本を読もうという意識がどれだけあるのかということに対しても、疑問を投げかけたいと思います。

大学のキャンパスで文学作品を持ち歩くことがかっこよかった時代が、かつてはあったそうです。また、尊敬している人が読んだ本ということで、わからないながらも自分もその本を読む、という衝動や読書環境もあったのかもしれません。

しかし、いまははたして「本を読む」という行為がかっこいい、というような文脈があるのかどうか。読んでいてまったく意味がわからないけど、わからないなりに読もうという意識をもって読書する人が、いまどれだけいるのでしょうか。即席に答えを求め、すぐに理解できるものだけを手に取り、読むことだけが蔓延しているのではないか。僕はときおりそういうことを考えてしまいます。

若い人たちの読書体験に対するもう一つの意識として、「長文をどれだけ読むのか」ということもあります。パソコンや携帯などで文章を読む経験が次第に多くなっている世代にとっては、たかだか2000字や4000字程度の文章すら、長く感じてしまうのかもしれません。しかし、2000字や4000字は書籍であれば数ページ程度でしかないのです。

デジタルのツールに慣れ親しみ、短文や即席な答えがえられるようなものだけを手にとってしまう傾向がある若い世代が、ウェブ上で見る2000字や4000字程度の記事よりも、もう少し長い文章を、まずは電子書籍で読むことから始めること、デジタルでコンテンツを提供する側も、しっかり読み込める読み物をもっと作っていくことが大事なのではないかと考えます。

街の中で「本を読む」という風景が次第になくなり、電車内でも携帯の画面をのぞき込んでいる人が多くなったと感じるいまだからこそ、「本を読むことがかっこいい」という文脈も、ときに必要なのかもしれません。そうした環境が生まれることで、多くの世代で読書人口が増える可能性をつくっていくことは重要な要素だと考えます。

書籍が紙である意味、電子である意味、紙で読むか電子で読むかといった判断や、「本を読む」という行為それ自体も含めて、読書環境それ自体を僕たち利用者がもっと意識するのは、今後の書籍の未来をつくっていくうえで重要なことだと感じます。そうしたことを考えさせられる場所として「e読書ラボ」に少しでも多くの人が足を踏み入れてほしいと思います。

神田神保町一帯は交通の便もよく、立地としても気軽に足を踏み入れやすい地域です。本好きな人もそうでない人も、古書街としての歴史をもつこの地域で、新しい読書体験を模索する。そんなことを考えるきっかけになれる時間を過ごすのもいいかもしれません。

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江口晋太朗
(MediaThink)