一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」

2019年4月25日
posted by 飛鳥勝幸

2009年の学会誌に発表した論文を、堀之内出版の小林えみさんが掘り起こしてくださいました。日本近代文学会の了解を得て、10年後の状況をあらためて比較する上でも、数字等を含めそのまま転載いたします。なお、すでに閉鎖したサイトを紹介した注は削除しております。

購入固定層のあった研究書市場が環境の変化とともに、大きく変わろうとしています。単に研究者の減少ということではなく、学会そのものに興味を持たない若手研究者も増えてきているような気がします。数字以外は10年前と変わっていないことも多く、編集者アーカイブ小論の一つとしてご覧ください。

原注は[]とし、追加情報については、《補注》【*編集部注】の形で補っております。なお、専門書をめぐる最近の「売れる」「売る」観点で、本サイトでの「所感:2010年代の日本の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」もあわせてご覧ください(筆者)。

※転載にあたり、初出時から記事タイトルを変更しました(編集部)。


はじめに

出版業界は、出版社数約4000社【*1】で、年間売上高、約2兆円程度の小さな業界である。出版社→販売会社(取次)→書店→読者といった流通システム、再販制、著作権といった問題や、印刷・製本・製紙業界、新聞・テレビ・雑誌・インターネット事業との関係、メディアミックスでの新しい動き、そして大きくは出版の国際比較等、様々な分析がされてきた。

編集委員会から与えられた課題は「雑誌『國文學』休刊という事態に象徴的にあらわれている文学研究の状況をふまえ、出版サイドから見た近代文学研究の方向性や問題点」であるが、私にとっては非常に大きい課題である。本稿では、研究者と編集者(出版社)との共同作業である出版物を、基本的に「売りたい」「買ってもらいたい」と願っている一編集者が眺めた、私見であることをご理解いただきたい。学会の内部、研究者の立場、研究内容の細部等に入り込むものではない。

【*1】2018年版『出版年鑑』によると、2017年時点での日本の出版社数は3382社まで減っている。

出版業界と新聞広告

2008年の出版物(書籍・雑誌)合計の推定販売金額は、2兆177億円(対前年比▲676億円)と4年連続で前年を下回り、雑誌は11年連続のマイナスとなった。1999年と比較して、書籍・雑誌合計で、4431億円が消えたことになる(「出版月報」2009年1月号)。もちろん、日本近代文学会に所属する研究者の論文集等を多く刊行する専門出版社の売り上げもこの中に含まれる。売り上げでは、先が見えない、読めない時代が続いている【*2】

次に出版物とは切り離せない、古典的な宣伝媒体でもある新聞広告の現状を見てみよう。2008年「日本の広告費」(電通)によると、全体の構成比はプロモーションメディア広告費(39.3%)[1]、テレビ(28.5%)、新聞(12.4%)、インターネット広告費(10.4%)と続く。インターネット広告費は、対前年116.3%の伸び(6983億円)で、すでに雑誌、ラジオを抜いた。新聞広告費(8276億円)の中の「出版業」を見てみると、全体の構成比では9.6%(799億円)でそれ程高くはない。が、媒体別構成比から見た新聞広告費は70.0%をしめ、かなり新聞広告に依存 (信頼?)した特徴がある。1999年の構成比は10.4%であり、ここ10年間は売り上げが下降していても、出版業の新聞広告費は一定程度の予算で推移していることになる。逆に、売り上げが落ちても、対外的な問題 (著者、読者、そして広告代理店との関係) もあるかと思うが、一定比率の新聞広告費は確保している状況がある。1999年から2008年までに、出版業における新聞広告費は、約397億円落ちた【*3】

数千万をかけて全国紙へ全面広告を出せる出版社は限られる。多くの出版社は、サンヤツ (三段八分の一)広告等を効果的に使うことが多い。しかし、出版社の思惑(期待)とは違い、「広告」をしたから売れた、「書評」に載ったから売れたといった数値化は難しい。実売に結びつける状況はますます厳しくなってきている。新聞広告を切りとって書店に来た人がいたとか、図書館選書担当者が、気になる広告を机上に貼り付けていた、ということもあまり聞かなくなった。広告と実売の関係は「永遠の課題」である。経営者は(もちろん編集者も)、単なるイメージ戦略としての広告ではなく、できれば広告費を何とか実売でカバー(相殺)したいと考えるが、実際は難しい。

[1] ここでは、屋外・交通・折込・DM・フリーペーパー (フリーマガジン)・POP・電話帳・展示・映像等の広告費を総称してプロモーションメディア広告費と言う。
【*2】出版科学研究所の「出版月報」2019年1月号によると、2018年の紙媒体による出版物(書籍・雑誌)の推定販売金額は1兆2921億円、電子媒体による出版物の推定販売金額は2479億円。
【*3】電通の「日本の広告費」によると、2017年の総広告費(6兆5300億円)における新聞広告費(4784億円)の構成比は7.3%であり、すでに一割を切っている。

国文学系出版社

各種法人、大学出版部等の一部を除き、原則、出版社は利益追求型の企業構造である。そしてその利益を、次の企画開発(人材等)に結びつける宿命を持つ。逆に、設備投資をする程の資産がないということも言える。ここが、いわゆる製造業でも他業種と違うところであり、時に「文化」と「利益」といった全く異なる位相を結びつける点で、ある面、脆弱な企業体質を抱え込むことになった。そして、その矛盾を一番抱えているのが編集者でもある。

戦後の精神的飢餓感は、新しい運動や文学研究を求め、発表の場を保証する学会の設立へと動いて行ったと思う。同時期に、連動して、新しい出版社も続々と生まれた。学会誌「日本近代文学」の「書評コーナー」で常連でもある、国語国文学系出版社を眺めてみると、例えば、落合直文が関係し、啄木もアルバイトしたという国漢の老舗、明治書院(1896.1)からは、木俣修が命名したと言われる新典社(1965.6)が独立。梶井基次郎の『檸檬』を刊行した武蔵野書院(1919.4)からは、笠間書院(1966.11)が、また、そこから和泉書院(1978.4)が独立。南雲堂から分離した会社に桜楓社〈現、おうふう〉(1956.9)があり、また、そこから独立した、ひつじ書房(1990.6)、翰林書房(1992.8)等、数多くある。なお、「国文学 解釈と鑑賞」を編集している至文堂(1914.4)、そして風間書房(1933.9)は、共に戦前の創業である[2]

[2] 本稿での各出版社の創業年月は、『出版年鑑 2008』(出版ニュース社)によった。
《補注:2018年には笠間書院から文学通信、花鳥社が独立。桜楓社から1970年に独立した双文社出版は2015年に廃業。「国文学 解釈と鑑賞」は発行元をぎょうせいに移した後、2011年10月号で休刊。風間書房からは2007年に青簡舎が独立。国語国文学系出版社に限定しても、このほか様々な動きがあった。》

その中に伝統ある學燈社がある。創業者は保坂弘司氏。元旺文社の国漢部長で、1948年4月に独立創業した。社章も「学びの燈」である。個人的な話になるが、私は保坂氏が非常勤で来ていた大学で「文芸作品鑑賞」という講義を受講したことがある。川端康成の『雪国』をテキストにした講義であったが、時にご自身の書く小説を熱く語っていたので、講義終了後に購入したい旨を申し出た。翌週、そっと渡してくれたのが『ある純愛の記録』という本である。恥ずかしそうにサインをしてくれた。四六判・並製、やや地味な装丁で、内容は、友人の許嫁に対する愛情と苦悩、作家を志して早稲田へ入学、そこで接した青年群像だったかと思う。

強烈に覚えているのは、初めてサイン本というものを持ったこと、「純愛」という表現をタイトルに使っていたこと、そして何よりも出版社の社長が小説を書き、しかも自社から出版しているという驚きがあったからだと思う。ここで個人的な出会いを述べたのは、私が創業者の「個性」に興味があり、その「志」は、以前勤務していた出版社で培われたものが多く、そこから独立・移籍する人もまた、不思議なことに、その志を連綿と引き継ぐことが多いのでは、と感じているからである。

雑誌「國文學」(學燈社)が、2009年6月発売の7月号で休刊となった。創刊は1956年4月である。「ピーク時の発行部数3万部が、5千部に低迷していた」(「朝日新聞」2009年5月27日)という。日本近代文学会会員も増えている状況で [3]、はたして2万5千人(件)はどこに消えたのだろう。私は当事者でもなく、また安易な分析を、ここでするものではない。 ただ一つ言えることは、50年にもわたる、商業雑誌としての 「國文學」の休刊は、最近の「月刊現代」(講談社)、「読売ウイークリー」(読売新聞社)、そして「主婦の友」(主婦の友社)等、伝統ある有名商業雑誌と同様、単に読者が離れてしまったという現実だけである。違うところは、「景気低迷における広告収入の減収が原因」と考えにくいことである。特集号も入れると、関係した研究者は数万人にも及ぶだろう。膨大な国文学研究のデータがここにあった。

日本近代文学会の前身である近代日本文学会は、1951年1月に設立された。事務局は河出書房内に置かれ、52年から58年までは東京堂内、59年から各大学内に事務局が移った。 機関誌「日本近代文学」は64年から刊行することになる(三省堂の発行は21集、74年まで続く)[4]。研究成果の流通を担うものとして出版社が関わってくるが、それは、単に学会に対しての応援ということだけではなく、新しい執筆者の獲得、企画の開発に結びつくとの考えもあったかと思う。日本文学協会(1946.6)、全国大学国語国文学会(1956.1)、昭和文学会(1979.6)、日本社会文学会(1985.5)等が設立、学会誌・大学の紀要等も多く刊行され、若手研究者の発表の場も拡がり、出版も活況を呈してきた。

いわゆる「のれん分け」「独立」「移籍」の歴史が、出版社の世代交代を進め、そこに、編集者と共に同世代の研究者も集うことになったというのは言いすぎであろうか。利益にはなかなか繋がらないが意義のある研究書の刊行と、年度ごとの売り上げが見込める大学テキストの開発といった「両輪」は、社業を発展させた。また、多くの研究者の協力を得て、全集・講座・叢書・シリーズ等の大型企画、派生企画へと拡大させていく出版社もあった。もちろん時代の後押しもあったかと思うが、そこには、学会販売は言うに及ばず、最新の研究論文を斜め読みし、頻繁に全国の大学研究室に顔を出し、研究の最新動向や情報を引き出そうとした編集者が多くいたと思う。総合出版社にはない専門出版編集者の気概がここにある。

[3]「日本近代文学会五十年史」(2001.5)によると、1971年に578人であった会員が、80年には1065人、90年には1463人、そして2000年には1882人と増えている。《補注:2018年6月現在での会員数は1582人である》
[4]出典は[3]と同じ。

学会(研究者)と出版社

昨今、学会シーズンでも本が売れなくなってきた。国語国文系の学会が歴史系の学会より、売り上げに関しては元気がない。確かに大きなバッグに本を詰め込んでいる光景も見なくなり、「今すぐに読みたい」と言って購入する人も減ったような気がする。もともと近・現代文学企画は、比較的低価格に設定しているため、売り上げが少ないという実態があった。が、そのこと以上に、学会の書籍販売コーナーに人が集まらない(特に若い世代)、「お祭り」にならないのである。不況というキーワードや、インターネット社会だからといった要因で、単純にくくれない状況がある。

学会での関連図書の展示風景(「日本語学会」)。

古典文学とは違い、近・現代文学では5千円を超えるような高価格本はあまり作らない。作家・作品点数も多く、少しでも価格を下げて一般愛好者にも貢献したいという気持ちが、著者・出版社側にあったのではないかと思う。が、現実は違ってきているようだ。価格をかなり低く設定しても、なかなか売れないのである。もちろん、類書の多さもあると思うが、作家・作品研究に対するニーズは減ってきているように感じる。古典文学では、和歌・說話・物語等から、様々なテーマが派生し影響し合い、時代を超え縦軸で関連していくところがある。学会では、全く違ったジャンル本、近・現代文学の研究書まで売れることがあった。近・現代文学では、逆に、ある特定の人物から横軸に拡がっていくような気がする。古典文学研究書や、他の作家研究に興味があっても、なかなか購入には結び付かないようだ。もちろん、点数の多さ、対象の広さ、雑誌中心の購入が多いことも要因としてあると思う。

夏目漱石、芥川龍之介、太宰治といった教科書上でも知名度ある近代作家の卒論の多さは変わらない。これら有名作家の作品や研究書は、出版社側からすると、ニーズのある(売れる)作家として、やや安定した位置付けとなる。一般的に公立図書館ではその性格上、価格も重要な要素だが、一般読者の貸出数を意識した選書となり、有名作家の研究書は対象となりやすい。選書で洩れるような専門性の強い作家・作品研究の中には、今までにない研究の方向性を示し、新発見の資料を掲載していることもある。こういった研究書を検討することに、公立図書館とは違う、大学図書館の存在意義(著者・出版社にとっては期待)があると思う。専門出版社にとっては、これら図書館での初年度購入数が大きな担保となり、例え、予算上次年度回しになったとしても、それが分かっていれば販売計画が立てやすい。

長年の研究論文を集め、書きおろしも加えた論文集は、著者の研究成果を読者に提示することになる。研究の変遷を読み取ることのできる論文集の刊行は、いわば本人にとっても一生の大きなイベントであろう。もちろん、一緒に作業をさせていただいた編集者にとっても嬉しいことである。著者の意向をくみ取りつつ、より分かりやすく伝えるために「編集」し、一人でも多くの人に「購入」してもらうのは、編集者(出版社)側の力量にかかっている。

研究書は出版社にとってもロングテール[5]の原則が見えやすい。高価格本が多いとそれだけ売り上げになる。初年度70%以上の実売が達成されれば、翌年20%、翌々年残りの10%を販売し、3年で初版部数を売り切ることが可能となる。これは、3年で売り切る部数予想により成り立つが、例えば3千部以上の比較的部数の多い企画では、この実売%の設定も難しくなる。一般単行本に近い研究書は、初年度勝負であり、年度内に火がつかないと、残念ながら2年目以降は厳しい。こういった点数が増えると、後日倉庫を圧迫する可能性も出てくる。

《補注:10年が経過し、70:20:10の3年目完売比率が、85:10:5にした方がよい状況も生まれてきている》

2年目以降、1千円の本を百冊売ることよりも、1万円の研究書を10冊売る方が、自然減に繋がりやすい。テキスト採用や大きなイベントでもないかぎり、2年目以降に数百部単位で販売できる研究書は稀であり、大量の在庫を売るためには、どうしても無理な売り方になってしまうだろう。配本する研究書なら、初年度の委託返品も考えると、2年目以降は驚く程小さな実売部数となる。研究書は、学習辞書等とは違い、長期的な販売計画が立てづらい。建前上、初版完売予想での原価計算式でなりたっているが、それが初年度で達成するか、3年か、また数十年かかるものなのかの読みがある。「デッドストック」「不良在庫」「休眠在庫」として編集者自ら烙印を押すことはないが、市場実態から見た最終判断(断裁)が必要となってくる。

限定した製作部数で、確実に「必要なところへ届けられるシステム」を考え、遅くとも3年で完売する流れを作ることで、2年目、3年目での在庫売り上げを想定できる。研究書は限定されたニーズの分析が可能であり、実はこれが研究者・編集者にとっても、お互いの信頼関係が深まり、また次の企画に結びつけられる大きな要因ともなる。残念ながら在庫が残っていると、なかなか次の企画に結びつけられない。図書館への販売について言えば、例えば「必要ではあるが、今は予算がない」、「確実な潜在ニーズ(後日、研究者からの推薦)がある」といった情報の集約が重要である。

研究者は出版物という紙媒体を使わなくても、研究成果を広く発信できると思う。しかし、専門出版社にとっては研究者がいなければ企画の立案も、推進することもできない。書協の図書館部会だったと思うが、ある大学の選書担当者が、「もう紙の書籍購入は現実的に不可能となってきた」と発言した。予算削減ももちろんのことだが、スペースの問題が大きいと言う。確かに、背幅のある大事典類を、CD-ROM1枚なら数ミリのスペースに置き換えることができる。学内の端末からアクセスし、資料を確認、ダウンロードをしたいという学生のニーズにも対応したデジタル媒体の購入という傾向は、今後ますます加速化するであろう。専門書であっても、企画の段階で、汎用性のあるデータ作成を意識すべきである。

[5]インターネットショップ上では、売り上げの少ない商品でも、種類を揃えることにより、大きな利益に繋がるという理論。 詳細は『ロングテール――「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』(クリス・アンダーソン著・篠森ゆりこ訳 早川書房 2006.9)等を参照。

おわりに

出版サイドから見た、近・現代文学研究の方向性は、やはり見えない。逆に、そこに入り込むのは危険であると考える。企業としての出版は単純であり、「売れるか」「残るか」しかない。もちろん「売れて、後世に残る本」がありがたいが、現実は厳しい。「売れる本」「売れない本」はあっても、編集者が「売りたくない本」と思う本は1冊もないだろう。「実態のないお互いの(売れるだろうという)期待感」は、残念ながら在庫の山を見たとき、みごとに消えてしまう。

専門出版社としては、まず「市場」を見据えた適正な製作部数と定価設定を考えることであり、買い手市場の減っている現在、近・現代文学研究書であっても高額本へ移行することは仕方がないと思う。図書館対策、そして、次世代の研究者ための応援体制をもう少し考えることが重要である。就職までのフォローは出版社の責務ではないが、なるべく専門性を生かしたアルバイトの紹介や、院生・学部生とのコミュニケーションの場を積極的に設けられるような努力をし、それが、将来の専門出版社の存在、そして利益にも通じるのではと思う。今日の実態にあった、大学生、特に院生へのフォローは必要である。

出版社が協力できることは限られる。現在、学会HP上で「日本近代文学」の書誌情報が閲覧できるようになったが、例えば、会員ばかりでなく、一般文学愛好家も欲するような情報の収集と企画提案、共同プロジェクトによる基礎データの整備、また 他学会ウエブサイト等とのリンクや、問題のない範囲內で広告プロモーションを考えてよいのかもしれない。学会大会のシンポジウム企画だけでも、もっと広く一般愛好者に開放し、参加者を集めてはと考える。もちろん、学会の総力をあげたデジタル媒体の企画等は、もっと活性化すべきと思う。

以前、日本語系の学会が地方都市で開催された時、商工観光課とのタイアップなのであろうか、特製絵葉書や、ご当地物産の展示販売があり、その横には宅配業者が窓口を開設していたことがあった。郷土作家関連の資料展示、また文学散歩等も学会企画としてあるが、こういった試みは珍しく賑やかであった。検討する余地はあるかと思う。また、発表テーマ(関係作家)に応じた古書即売会も、学会として問題もあるかと思うが、文学愛好者・院生等にはニーズがあるのではないだろうか。裾野を広げる活動も必要だと思う。

学会が活況を呈し、多くの研究書・論文集が刊行された昭和40年代にはもう戻れない。先に見てきたように、出版社の「のれん分け」「独立」「移籍」等も、状況が許せばますます増えるであろう。制度疲労した大きな出版社ではできない、力強い、個性ある「職人芸の世界」がここにある。縮小されたパイを単純に分配するのではなく、今、編集者(出版社)にできることはどういうことか。異業種のノウハウを吸収しつつも、研究者と共同で検討する時期になっている。
(初出:『「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」――一編集者から見た学会と出版社――』、「日本近代文学」第81集 2009年11月)

執筆者紹介

飛鳥勝幸
三省堂出版局勤務。主な編集担当本に『現代短歌大事典』『現代俳句大事典』『現代詩大事典』、『現代ジャーナリズム事典』、『書評大全』『朝日書評大成』、『明解言語学辞典』など。検定国語教科書から単行本企画まで幅広く関わる。主な論文に「教科書における啄木短歌」(『国文学 解釈と鑑賞』)、「編集者から見た索引編集」(『本の手帳』)などがある。