その後の「本で床は抜けるのか」

2018年3月19日
posted by 西牟田靖

最初の床抜け騒ぎから6年、「マガジン航」での連載をまとめた単行本が出てから3年がたった。そしてこのたび、中央公論新社から文庫版が出ることになった。各章ごとに新しい情報を加えて更新したり、その後の動きについて記した「文庫版に寄せて」を加えたり。さらには作家・探検家である角幡唯介さんによる解説が加わったり。アップデートされた文庫版『本で床は抜けるのか』の発売は3月23日です。お楽しみに![編集部より:単行本バージョンの電子版は好評発売中です]

さて、この稿では単行本刊行後の、僕の身の回りの変化について記してみたい。それは執筆という仕事に使う道具の変遷、蔵書の変遷、そして仕事をする媒体の変化についてだ。

蔵書の扱い

一人暮らしを始めたのが2014年の3月末。JR中央線の高円寺駅から徒歩圏にあった家賃4万2000円の風呂なしマンション。ここから再出発をはかろうとした。ところが、ある事情(※文庫版の「文庫版に寄せて」やこちらの記事に記しました)から、そこでの生活はわずか1年3ヶ月で終わってしまった。

いまは隣駅の阿佐ヶ谷駅近くにある家賃5万6000円の木造コーポの一階に住んでいる。一階なので大丈夫だろう、いや大丈夫に違いないと自分に言い聞かせながら、いまのところ無事に日常をすごせている。床は抜けていない。

この間に、本や雑誌の読み方がかなり変わった。

紙の新聞はとっていない。雑誌を買って読む回数はかなり減った。そのかわり、ストレートニュースはニュースサイトで読んでいるし、雑誌はdマガジンによる読み放題を利用している。

あまり買わなかった電子本(電子書籍)を積極的に買うようになった。紙の本しか出ていないものは紙版を買うが、電子版が出ている本でそれほど思い入れがないものについては、たいてい電子版を買う。紙と電子の割合は現在、半々ぐらいだろうか。

『本で床は抜けるのか』に記したように2015年までに、僕は千数百冊以上の紙の本を自炊(電子化)した(その中で業者に電子化を依頼したのは1200冊超)。それら、自炊した本はたいてい読んでいない。21.5インチのAndroidタブレットを買ってはみたが、それを使って読むことはほとんどない。というか21.5インチのAndroidタブレット自体手放してしまった。

そもそも買った本を読み直すことは、紙の場合でも、そうたくさんあるわけではない。だから気にしなくていいのかもしれない。だが、自炊して、やむをえなかったという気持ちと、やらなきゃよかったという気持ちがいまだに同居している。

紙の本を買うスピードは落ちたが、部屋の空きスペースを本が確実に侵食しつつある。おそらく数年後にはまた本でいっぱいになるだろう。だからといって、また自炊に頼ることはなるべく避けたい。どうしたらいいのだろうか。

読み手、書き手としてのデジタル化

この3年間、書くという行為においても変化があった。

いちばんの変化は音声入力で原稿を書く機会が増えてきたことだ。

『「超」整理法』で有名な野口悠紀雄氏がiPhoneでまるまる一冊書いたという本を2016年に出版している(『話すだけで書ける究極の文章法 人工知能が助けてくれる』)。また同年、山下澄人は『しんせかい』の芥川賞受賞会見でスマホによる音声入力で執筆したと話していた。

彼らの試みに便乗したわけではないが、同じ年に、音声入力での執筆を試み始めた。

思いついたアイデアをマイクに向かって喋り、AmiVoiceという音声変換ソフトやグーグル音声入力(日本語)を使ってテキストデータに変換する。そのデータを加筆修正すれば、くだけた感じはするが、文章ができてしまう。またインタビューを録音したmp3データを聞いて、それを自分でオウム返しでマイクに向かって発声し、文字起こしをするようになった。

AmiVoiceで音声入力したものを電子インク・ディスプレイ上で推敲していく。

音声入力を試してみてわかったのは、次のようなことだ。

・最初からキーボードで打つのに比べると、文章が冗長になるし、表現の繊細さには欠ける。
・話し言葉をニュアンスそのままで文字化できる。
・アイデアを表現するまでのハードルが非常に低くなる。「書く」という行為は毎日やっていても、そのモードまでに持って行く時間が少しかかるのだ。

ただし推敲作業に手間がかかるので、作業に取り組み始めてから完成するまでの時間は、あまり変わらないかもしれない。しかし取り組むまでの時間という点においては、体感的にだが、確実に時間を短縮できている。

ちなみにこの原稿も、 AmiVoice で音声入力したテキストを手直ししたものだ。

電子インク・ディスプレイのこと

もう一つ特筆すべき変化は、作業用画面に電子インクのディスプレイを取り入れたことだ。13.3インチの中国製ディスプレイPaperlike Proである。

文字入力に対する反応速度は液晶に比べるとはるかに劣る。しかもモノクロ。写真や動画を映し出すのには向いていない。だが文章を書く分にはこれで十分だ。それに何より、目が疲れないのが良い。

液晶ディスプレイでも明るさや鮮やかさを抑えることで、目の疲れを軽減はできる。それでも画面をずっと凝視して丸一日仕事をした後は、目を開けていられないぐらいに疲れてしまう。この電子インク・ディスプレイは低性能ではあるが、長時間、凝視していても目はさほど疲れない。文章を書くのには向いている。

僕も40代後半となって老眼が進んできている。こうしたディスプレイを使って、目の疲れを残さないようにしていきたいと思っている。

媒体の変化

もう一つ、ここ3年の間に変わったのは、発表の場の大部分がネット媒体になったことだ。

紙媒体に比べると原稿料は3分の1程度なので、労力のかかる取材だと正直なところ割にあわない。そのかわりに紙媒体のような文字制限や厳格な締切日というものがなく、企画が非常に通りやすい。これまでだとボツとなっていたネタが、次から次へと発表できるという点で助かるし、お陰で新規に連載をいくつか持つことができた。

[別れた夫にわが子を会わせる?] https://goo.gl/1TRknP
[極限メシ] https://goo.gl/gMo6eU

思いついたらすぐに書きすぐに発表できてしまう、こうした媒体が増えてきたのは悪くはない。原稿料が安いので、マシンガンのように打ち続けなければならないけれども。

このように、読んだり書いたり発表したり――日々発展するデジタル技術にあわせて、仕事の仕方をカスタマイズしながら、活動をしている。今後もよりよい執筆方法を自分なりに模索していくつもりだ。


※3月21日に『本で床は抜けるのか』文庫版の発売記念イベントを東京・下北沢の本屋B&Bで行います。みなさまふるってご参加下さい。

「物書きにとっての蔵書と家族」〜『本で床は抜けるのか』文庫版刊行記念

日時 :2018年3月21日(水) 19:00~21:00
会場:本屋B&B(東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F)
出演:西牟田靖(ノンフィクション作家)
東海晴美(編集者・「晴美制作室」代表)
仲俣暁生(編集者・「マガジン航」編集発行人)

※イベントの詳細、参加申し込みはこちらをご覧ください

執筆者紹介

西牟田靖
ノンフィクション作家。日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』(カドカワ)、『誰も国境を知らない』(朝日文庫)、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。