出版デジタル機構がNetGalleyを始めた理由

2017年8月9日
posted by 永江 朗

出版デジタル機構がNetGalleyというサービスを始めた。NetGalleyを直訳するなら「ネットのゲラ」。これだけでは意味がわからない。

いま出版社は、書籍の発売前にプルーフ版(仮刷り版)をつくり、新聞や雑誌の書評欄担当者や書評家などに送ることが多い。これを紙ではなくデジタル(PDFまたはePUB)に置き換えたものがNetGalleyだ。ただし、紙のプルーフ版は出版社が一方的に送るが、NetGalleyはサービスに登録した会員のなかから出版社が選んだ人物に送る。

出版デジタル機構の新名にいな新社長からこのサービスの話を聞いたとき、これはいいなと思った。わたしにもときどき出版社からプルーフ版が送られてくる。以前から「これがデジタルだと楽なんだけどな」と思っていた。ふだん本を買うときは、まずデジタルで探すのが習慣になっているから。以前、iBookで献本してくれた出版社があって、これは快適だった。

もっとも、出版社のほうにはデジタル献本に抵抗があるようだ。ある本のプレビューを依頼されたとき、「ゲラのPDFを送ってほしい」というと、先方が躊躇するのがなんとなく伝わってきた。それで、「第三者に渡すようなことは絶対にないので」というと、安心したようにPDFを送ってくれたことがある。

書評用に送られてくる刊行前の本のプルーフ版が電子書籍化されれば、出版社も書評家も助かる。NetGalleyはそのための仕組みである。

本をプロモーションするための新手法

日本の出版社は欧米に比べてプロモーションにじゅうぶん力を入れていないと感じる。その一因は〈出版社→取次→書店〉という、いわゆる通常ルートのシェアが高いからだろう。欧米の出版社が刊行前のプロモーションに熱心なのは、潜在的読者にその本の存在を知らせるとともに、書店から注文を取るためだ。ところが日本の「通常ルート」では、プロモーションに力を入れなくても、できあがった本を取次に入れさえすれば、取次が書店に配本してくれる(出版社の人間はしばしば「(本を)撒く」という言い方をする。象徴的だ)。どの書店に何冊配本するかも、取次が決めてくれる。書店の側からすると、本は何もしなくても(注文しなくても)入ってくる。

もちろんこうした「見計らい配本」「パターン配本」ではなく、出版社がどの書店に何冊配本するか指定する指定配本や、書店からの注文に応じて配本する注文出荷などもあるが、流通量の全体からすると圧倒的に少数だ。

新刊発行点数が少ない時代は、これでなんとかなっていた。本の現物が店頭に並ぶことこそが最高のプロモーションだった。読者は書店の店頭で本を手に取り、買うか買わないかを決めていた。もちろん新聞や雑誌などの広告で刊行を知ることもあっただろう。

しかし、この半世紀、新刊の発行点数は爆発的に増えた。70年代なかばに約2万点だった年間発行点数は21世紀に入って7万点を超え、ここ最近は8万点近い。3〜4倍になったのだ。一方で返品率は金額ベースで約4割と高止まりしたまま。1点の本が書店の店頭に並んでいる時間は短くなった。

知られるべき読者にその存在が知られることなく消えていく本が少なからずある。新刊の大洪水に押し流されるようにして。

ネット上のインフルエンサーなど「外の人」への期待

新名社長によると、日本の出版社もプロモーションの重要性を自覚しているという。ただ、アメリカの出版界のように刊行スケジュールをかなり先まで決めて、計画的にプロモーションする出版社はまれだ。ほとんどが行き当たりばったり。著者から原稿を受けとると、すぐ整理して印刷・製本に回し、本ができあがると1分でも早く取次に入れようとする。「発売前にプロモーションをする暇があったら、急いで書店店頭に並べたい」というのが実態だ。

なぜそうなってしまうのかは、「委託配本」(という名ではあるが、実際は返品条件つき仕入)という取引慣行と、それによる本の偽金化(新刊書は出版業界内の地域通貨である)のカラクリがあるのだけれども、その話は別の機会に。とりあえず、時間的にも精神的にもギリギリの状態だから、プロモーションでやれることは限られる。そのひとつがプルーフ版を書評欄担当者や書評家に送ることだ。

プルーフ版は作成にも送付にも費用がかかる。それでいて、費用に見合う効果があるのかどうかは不明。そこに悩んでいる出版社は多い、と新名社長はいう。

それはわたし自身の場合を考えてもわかる。わたしは週刊誌や月刊誌、季刊誌などで書評を連載し、ラジオ番組でも本の紹介をしている。そのほかにも新聞や雑誌に寄稿することがあり、重複するものもあるが、だいたい月に20冊ぐらい、書評を書いたりラジオで話したりしている計算になる。

そのなかでプルーフ版を送られたものは1割に満たないのではないだろうか。完成本を献本してもらったものを含めてもせいぜい3割ぐらいか。ほとんどは自腹で購入した本だ(連載ではなく、単発で書評の依頼がある場合、たいていは編集部がその本を用意してくれる)。出版社から見ると、プロモーションの費用対効果が悪い書評者ということになるかもしれない(このへんは書評者として葛藤がある。プルーフ版や完成本を送ってくれた編集者や宣伝担当者、著者の顔も目に浮かぶし、逆に「一読者としてニュートラルな気持ちで本を選ばねば」という気持ちもある)。

NetGalleyの画期的なところは、まず、プルーフ版に比べるとコストがはるかに少なくて済むことにある。ゲラのデータをPDFかePUBにして送信するだけなのだから、紙代・印刷代も配送料もかからない。効果の計量化——たとえばゲラを読んだ書評家が書評を書いたかどうかなどを数字として把握する——はプルーフ版でもできることだが(現状、出版社はどの程度、検証しているのだろう)、デジタルのほうがやりやすいように感じる。また、ゲラの送付先も、メディアの書評担当者や書評家だけでなく、メディア業界の外にいる人にも広げられる。人気ブロガーやユーチューバー、インフルエンサーと呼ばれる人たちにも。登録した人たちは「読みたい」と希望しているのだから、一方的に送りつけられたプルーフ版よりも積極的に読むはずだ。もしかするとベテラン書評家よりも、そうした「外」の人たちのほうが、市場への影響力は大きいかもしれない。

紙の出版を応援する仕組み

このように、NetGalleyの概要を聞くといいことずくめのように思える。しかし、「そもそも、なんで出版デジタル機構がこのビジネスをやるんだろう?」という疑問もわいてくる。なぜなら、出版デジタル機構は電子書籍の取次であって、NetGalleyは紙の本のプロモーション手段なのだから。紙と電子が「水と油」だとはいわないが、本来、出版デジタル機構にはあまり関係のない話ではないか。

新名社長は「電子書籍の市場は成長を続けていて、これからも拡大していくだろう。ところが肝心の出版界全体の元気がない。紙の出版を応援する仕組みが必要だと感じた」と話す。当初は米Firebrand Technorogies社の書誌データ・システムが有益だと考えて検討したが、日本の業界に最適化するにはハードルが高い。そこで、同社が提供するNetGalleyならば、と採用を決めたのだという。

しかし、さらに「そもそも」を重ねると、「そもそも、電子書籍に取次は必要だろうか」と、出版デジタル機構の存在意義そのものにも疑問がわいてくる。電子書店の数はリアル書店に比べるとはるかに少ない。出版社は取次を介さずに電子書店に卸したり、あるいは読者に直接販売することは、そう難しいことではない。紙の本では取次が物流・決済・情報の3機能を握っていて、それが取次の存在意義となっているが、電子書籍ではいずれも出版社ができることだ。それを大手出版社が共同で出版デジタル機構を立ち上げ、さらには官民ファンドから資金を引っぱってきたのは、電子書籍の世界でも紙の本の世界と同じように大手出版社が業界の支配権を握りたいという思惑があるからなのではないか。

ここで出版デジタル機構について軽くおさらいしておくと、講談社や小学館、新潮社、文藝春秋など、大手・中堅の出版社が中心になって準備会を立ち上げたのが2011年9月。翌年、4月に設立。その後、官民ファンドの産業革新機構や大日本印刷、凸版印刷などが株主に加わった。2013年には電子書籍取次大手のビットウェイを買収。そして、今年の3月には産業革新機構が持っていた株を電子書籍取次大手のメディアドゥが取得して、出版デジタル機構はメディアドゥの子会社になった。

電子書籍に取次はいらないのではないか。これは新名新社長も2014年の就任時に思っていたことだという。新名社長はKADOKAWAの出身である。だが、実際に出版デジタル機構で仕事をはじめてみると、取次にもそれなりの存在意義があるのがわかったという。各電子書店と細かい交渉をする人的または能力的な余裕のない出版社は多いし、電子書店のほうも「細かなところはひとまとめにしてほしい」という気持ちがあるようだ。出版社の電子出版に関するノウハウの蓄積もまだ不十分。だから、当面は電子書籍の世界でも取次が必要とされているということ。

まあ、このへんは、「細かい流通のことはめんどうだから取次にまかせちゃえ」という、紙の本について出版社や書店がやってきたことと本質的に同じだ。何でも他人まかせにしたり、もたれ合ったりというのは、日本の出版業界のさがというべきか。

しかし、やがて出版社が自前で電子書店に卸したり読者に直接販売するノウハウを身につけていけば、取次の役割は小さくなっていく。出版デジタル機構がNetGalleyやPicassol(電子と紙の同時制作を支援するサービス)といった紙の本のビジネスに関するサービスをはじめたり、慶應義塾大学などとともにAdvanced Publishingラボに参加して電子書籍の規格づくりをするのも、取次業の業務縮小を見越してのことといえる。5年後、10年後の出版デジタル機構の姿は、現在と大幅に変わっている可能性がある。

いよいよグランドオープン。出版社の反応は?

NetGalleyは5月に会員の募集をはじめ、サービスを試験的に開始した。参加出版社の第一弾は講談社や小学館、KADOKAWAなど7社。グランドオープンは8月だ(グランドオープン後のサイトはこちら)。

グランドオープンしたNetGalleyのトップ画面。

正直な感想を言うと、本稿を執筆している7月末の段階でNetGalleyに上がっている作品の中には、「ぜひゲラを読んでみたい」と思うものはない。でもそれより、出版社が冷静というか、冷淡なのが気になる。3月8日に日本文藝家協会の会議室で新名社長の講演を聴き、4月10日に出版デジタル機構で新名社長にインタビューしたときは、「これは出版界でかなりの話題になるぞ」「プロモーションを大きく変えるかもしれない」「日本の出版ビジネスを変える可能性もある」といささか興奮したものだった。

ところがどうだ、わたしの周辺の編集者からは、世間話のついでにNetGalleyの名前が出ることもない。むしろ鹿島茂氏がはじめた書評アーカイブ「オール・レビューズ」のほうが話題になっているくらいだ。出版デジタル機構の宣伝不足なのか、まだこれからということなのか、それとも「プロモーション? そんなものは本屋にまかせておけばいい。ウチはつくって撒くだけ」という、出版社の意識が50年前から変わらないからなのか。判断するには時期尚早かと思うが、なんか、ちょっとがっかりなのである。

執筆者紹介

永江 朗
1958年生まれ。北海道旭川市出身。法政大学文学部哲学科卒。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90〜93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業に。主な著書に『菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語』(アルメディア)、『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『批評の事情』(ちくま文庫)、『筑摩書房 それからの四十年』(筑摩書房)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『51歳からの読書術』(六耀社)、『東大vs京大 入試文芸頂上決戦』(原書房)ほか。監修に『日本の歴史をつくった本』(WAVE出版)。「ナルミッツ!!! 永江朗ニューブックワールド」(HBCラジオ、月曜朝)と「ラジオ深夜便 やっぱり本が好き」(NHK第一、第3日曜日深夜)に出演中。