ウィキペディアタウンをMLAの立場から考える

2017年7月11日
posted by 福島幸宏

この数年、文化資源を保存・活用する機関である図書館・博物館・文書館等(以後、MLAという)の所蔵資料を「拓く」新たな試みが始まっている。

日本においてその端緒となったのは2014年3月に行われた、京都府立総合資料館による国宝東寺百合文書の公開である(福島幸宏 「京都府立総合資料館による東寺百合文書のWEB公開とその反響」カレントアウェアネス-E No.259 を参照)。

上記に限らず、日本においての現段階の試みは、資料のデジタル化のあと、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを適用してウェブに出すという方法をとっている。MLAの所蔵資料のポテンシャルを引き出すため、現段階の技術と環境を背景に、大量かつ高精細のデジタル画像を作成したのち、適切なシステムとライセンスを付与することで、市民社会と共有するという試みと言えよう。

この手法が有効であることは、MLAの将来が市民社会とともにあり、そのためにデジタル技術を活用すべき、と真剣に考えている関係者の間でほぼ共通の認識となりつつある。

この点が共通認識となっていることを示すひとつの事例が、筆者自身もワーキンググループ構成員として参加した、「内閣府知的財産戦略本部デジタルアーカイブの連携に関する関係省庁等連絡会、実務者協議会及びメタデータのオープン化等検討ワーキンググループ」が2017年4月に公開した2つのドキュメント、報告書「我が国におけるデジタルアーカイブ推進の方向性」とガイドライン「デジタルアーカイブの構築・共有・活用ガイドライン」が作成されたこと自体であろう。

この潮流を基盤として、もしくは絡まり合ってMLAに関係してきたのが、ウィキペディアタウンという活動である。ウィキペディアタウンは、街の名所や旧跡などをウィキペディアの記事にして、街をまるごとウィキペディアにしようというプロジェクトで、現在まで、日本国内に絞っても80回以上開催されている。

ウィキペディアタウン自体については、「マガジン航」に小林巌生氏による「ウィキペディアを通じてわがまちを知る」が掲載されているので、こちらをご覧いただきたい。一言だけ付け加えるなら、MLAと連携したウィキペディアタウンは、2013年10月30日に開かれた、OpenGLAM JAPAM設立記念フォーラムでも議論された、Wikipedian in Residence というプロジェクトの進化形であるとも言える。

さて、特に地域のMLAにとってウィキペディアタウンがもたらす端的な成果は、世界有数のアクセス数を誇るウェブサイトに、保持しているユニークな地域情報等が二次利用可能な形で公開される、ということに尽きる(この重要さが直観できない読者はここで読むのをやめていただいて構わない。おそらく無駄な時間を過ごすことになるから)。しかし、本稿ではもう少しだけ踏み込み、このウィキペディアタウンが、資料を拓こうとするMLAにとってどのような意味を持つのかを手短に述べ、MLAの活動の今後への論点を示すことにしたい。

ウィキペディアタウンサミットが突きつけた三つの課題

今年の3月5日に京都府立図書館で「ウィキペディアタウンサミット2017京都」が開催された。OpenGLAM JAPANが主催したもので、日本国内におけるウィキペディアタウンの取り組みを共有するとともに、今後の活動を活性化することが目的とされた。北は茨城県、南は福岡県から、図書館関係者・大学関係者・行政関係者・企業関係者・大学院生・高校生など57名が参加した。

当日、午前は各地の状況の紹介と情報交換、午後は会場である京都府立図書館周辺の「大鳥居」「平安神宮」「岡崎公園」「京都市勧業館」の記事執筆の実践と討論を通じ、参加者が自らウィキペディアタウンを主催できる力量を育てるためのファシリテーター養成講座が行われた。

Wikipediatownの会場となった京都府図書館。

スタッフが参加者にルールを説明する(左端は筆者)。

この催しは非常な盛り上がりを見せ、成功であったと考えるが、その一方、当日の議論を通じてMLAには以下の各点が突きつけられた。すなわち、

(1)著作権等の本来の目的「文化の発展に寄与」という点への深い理解を更新すること、
(2)各種の動向に関する情報を常に収集しておくこと、
(3)所蔵資料を拓く手段が別の段階に来ていること、

である。この3点について筆者の考えを詳しく述べたい。

(1) 著作権等の本来の目的「文化の発展に寄与」という点への深い理解を更新すること

著作権法第1条には、「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」とある。

わざわざ全文を引用したのは、MLA関係者が、この著作権法の目的、特に「文化の発展に寄与する」という部分を置き忘れた運用を行っている実例が多数あるからである。典型的なのは、ミュージアムにおける疑似著作権であり、ライブラリーにおける個別の著作物に対する判断を放棄したかに見える画一的な複写制限であろう。

くしくも朝日新聞 2017年5月3日と4日には、「所蔵品画像、自由に利用OK」「「イメージ管理」、貸し出し慎重」(シェアに向けて 全国美術館アンケートから:上下)と題して、この疑似著作権について重大な疑問を呈する記事が掲載された。

これらの無作為がいかに社会の発展を阻害しているかは、多数の先行研究等を引用しつつ、多くの機関が持つ古文書や絵画・写真等を、横断的かつ厳密に参照するドキュメントの書き手に一度でもなれば、心底から気が付く。ウィキペディアの記事も、良質なものは当然ながら上記のドキュメントの一種である(有名な「地方病 (日本住血吸虫症)」の記事を参照のこと)。

また、ウィキペディアタウンでは、MLA関係者は直接の書き手というよりも、資料の紹介などの補助者に廻ることが多い。通常業務でも行っていることではあるが、その資料がどのように利用されるかを目撃し、また利用のシーンにも直接介入することになる。この経験は、場合によっては自らが書き手となるよりも、他者に短時間で理解の要点を伝える、という点で、より著作権への深い理解が進むことになるかもしれない。

ウィキペディアタウンに関与することで、著作者の権利に配慮しつつも、著作権法をどのように理解・運用すれば社会の発展に寄与することが可能か、自らの問題として考える深刻なきっかけが与えられるのである。

(2) 各種の動向に関する情報を常に収集しておくこと

MLA関係者が、常に最新の動向をキャッチアップし、科学的な正しい判断で資料や資料情報の取り扱いを行っている、というのは幻想である。

学芸員や司書も単なる給与所得者、ポジションによっては、日々研鑽を積まずともその身分や収入が保障されている給与所得者に過ぎず、知識が古びてしまっている場合も多い。軽易な撮影のためのフラッシュの光程度で資料が劣化すると信じている学芸員や、図書館システムについてまったく知ろうとしない司書など、その実例は枚挙に暇がない。

その原因は何か。非常に単純なことで、アンテナを張って、情報を収集しない、もしくはそのインセンティブを感じてないからである。

例えば、筆者がいま身を置く図書館の世界では、2014年6月に、図書館がオープンデータの動向にどのように支援あるいは貢献できるかを述べたレビューが出ている。そこでは、図書館がもっている情報を適切に公開することで情報源たり得ること、さらに複数の情報源を組み合わせて新たな知識を作り出すことや、情報発信を支援することで利用者支援につながることなどが指摘されている(大向一輝「オープンデータと図書館」カレントアウェアネス1825)。

この論考は、現段階でもおおむね首肯できる、広範かつ行き届いたものとなっており、冒頭で述べた新しい潮流の理論的支柱となっているものである。だが、図書館員の多くが、この論考の存在自体を知らない。図書館界などに関する最新の情報を集めている国立国会図書館のサイトに掲載されているにも関わらず。

ウィキペディアタウンに関係することで、MLA関係者はいやでも、これまでの情報と認識の更新を迫られることになる。よきにつけあしきにつけ、ウィキペディアには独特の世界があり、MLAとは異なるルールを知らなければならない。またウェブを紐帯とするその特性上、事態の展開が早い。関わることで各種の動向に敏感になり、常に情報収集を行う姿勢がいやでも身につくことになる。

(3) 所蔵資料を拓く手段が別の段階に来ていること

日本社会でMLAが成立した近代以降の150年間で一番投資し、かつ最大の武器はなんであろう。それは資料と資料情報である。この20年近く論じられている「場としての図書館」や「教育過程への博物館体験の導入」などの議論も良質なものはこれが前提になっている。資料と資料情報を、世代を超えてストックし続け、適切に管理すること、この点が、他の公共的施設とMLAとの最大の差である。これを放擲したり軽視するようでは、MLAの本義を失っているといってもよい。

一方で、活用の手法を常に更新せず、外的な条件が整っているのに、資料と資料情報を社会に向かって拓かず、従来の方法を墨守しているとすれば、資料と資料情報への一種のネグレクトであると言わざるを得ない。

そして、この資料を拓く手段は、新しい段階に来ている。本稿の冒頭で述べた、高精細のデジタル画像を使いやすく、かつライセンスを付してウェブに出す手法は、2014年の段階では輝かしい解に見えた。しかし、ウィキペディアタウンを経験した現在、資料から情報を引き出し加工するという情報の構造化の段階まで、MLA機関は見据えなければならないことが明確になった。これは著作権の扱いのところで述べた、他者の利用のシーンへの直接介入の経験によってより深く意識されることになる。

すなわち、長尾真が早期に議論していたように(長尾真 1994『電子図書館』岩波書店)、本ならば本というひとつの情報の固まりから、書籍上の関係性を保ったまま情報を析出し、より高度な資料利用まで考慮して資料と資料情報を提供する、もしくは利用を主導する段階に立ち至っているのである。

MLA関係者はウィキペディアタウンにコミットせよ

MLAが抱えている課題をMLAの業界のみのアクションで解決できるという段階はすでに過ぎ去っている。これは、ごく当然の物言いではあるが、各業界ではそうは考えられていない。MLAが社会のなかに存在し、社会のために一定の役割を果たすことを主張するとき、その課題とその解決もまた社会とともにあらねばならない。

ウィキペディアタウンというプロジェクトへの参加が特効薬とはなりえないが、MLAがいままで視野に入れていなかったプロジェクトであることは確かである。MLAが自らを省み、位置づけなおす参照点とするために、MLA関係者は、参加、会場提供、情報収集など、どんな形でもよい、ウィキペディアタウンにコミットすべきである。そしてそこから深く学ぶことで、MLAの所蔵資料を「拓く」試みが新段階に達していることが実感できる。そこまで展開できてはじめて、MLAという機関にとって、ウィキペディアタウンは、意味を持って立ち現れるのかもしれない。

執筆者紹介

福島幸宏
京都府立図書館企画総務部企画調整課。公文書館/図書館/歴史学。これまで、近代行政文書の文化財的修理・昭和戦前期資料の公開・京都市明細図の活用・東寺百合文書の記憶遺産登録・CC BYでのウェブ公開を担当。京都府立図書館ではサービス計画の策定・システム構築・企画・調整・広報などを担当。http://researchmap.jp/fukusima-y/