第2回《長野》アルプスの図書館に「黒船」がやってきた

2016年11月7日
posted by 野原海明

これがあの県立長野図書館?

長野駅に降り立ち、にぎわう善光寺口ではなく、反対側の東口へと向かう。開発途上の通りをぶらぶらと歩くこと約10分。タクシーに乗るなら「図書館へ」と言うより「ホクト文化ホールへ」と言ったほうがわかってもらいやすい。若里公園の緑の中、ホクト文化ホールと並んで、県立長野図書館はある。現在の場所に移転したのは1979(昭和54)年。かつての県立図書館は建て替えられ、その場所には現在、長野市立図書館がある。

県立長野図書館(撮影:野原海明)

ホクト文化ホールとおそろいの赤煉瓦風の外壁は重厚さを感じさせるが、なにしろ移転してから40年という歳月が経とうとしている。2階にあるメインの閲覧室は、県立図書館にしてはあまりにも狭い。その割に3階の自習室に贅沢なスペースを割いていて、受験生には人気のようだ。夏休みともなれば開館を待つ長い行列ができる。

手狭な閲覧室に比例しているのか、資料購入に掛ける予算も控えめだ。同じくらいの人口を抱えるお隣りの岐阜県と比べてもその差は明らかである。県立図書館に力を入れている岡山県や鳥取県と比べてしまうと、こう言っちゃ失礼だが目も当てられない感じだ。

県 名 人口(千人) 都道府県立図書館資料費

(2013年度予算額)

資料費

(万円)

人口当資料費(万円)
長 野 2,146 2847 13.3
岐 阜 2,069 5000 24.2
岡 山 1,932 17535 90.8
鳥 取 589 10206 173.4

(日本図書館協会『日本の図書館 統計と名簿 2013』より)

そんな県立長野図書館が、このところ変わり始めている。いたるところに貼られていた「静粛に」や「飲食禁止」の貼り紙は見られなくなった。閲覧室に入ると、まず出迎えるのは「メディア・スクランブル~情報の今を歩く~」というコーナーだ。インターネットやデータベースが使えるPC端末に加え、8台のタブレットがずらりと並ぶ。

メディア・スクランブルと名付けられた一角。(撮影:野原海明)

そしてその奥、かつて新聞や雑誌が並んでいた場所には、新しく「ナレッジ・ラボ~これからの知の実験室~」というスペースが設けられた。通常の図書館なら、講演会やワークショップは閲覧室とは別の「多目的室」などで開催して、他の閲覧スペースには音が漏れないように配慮するだろう。しかしリニューアルした県立長野図書館の場合、なんと閲覧席と同じ室内であるこの場所で、当たり前のようにマイクを使った催し物が開かれるのだ。スクリーンを前に話す講師には、向こうの席で普段と変わらない様子で、新聞をめくる利用者の姿が見えるだろう。

「うるさいとか、苦情はこないんですか?」と職員に訊いてみると、「私たちもどうなるかと思ってドキドキしていたんですけど……」と言う。とくにクレームはきていないらしい。なお、通常の閲覧スペースは「ジェントル・ノイズ~蓄積された知のささやき~」と名づけられている。完全な静寂ではなく、音が発生することを了解してもらう場所だ。

完全な静寂ではなく、適度なノイズを許容する作業スペース。(撮影:野原海明)

さらに静けさを求める利用者のためには、「サイレント・コクーン~みんなの書斎~」という、申し込みせずとも使える個室が用意されている。様変わりしたフロアに、図書館協議会の委員からも「あの県立図書館でもこんなに変われるのか」と驚きの声が上がった。

伊那谷は「屋根のない博物館」、図書館はそこにある「屋根のある広場」

県立長野図書館の改革は、思い切った人事によりスタートしたと言えるだろう。2015年春、県の教育委員会は、それまで伊那市立図書館の館長であった平賀研也氏を、特定任期付き職員(部長級)として県立図書館館長に迎えた。

長野県立図書館館長の平賀研也氏。(撮影:野原海明)

平賀氏は、もともと図書館畑の人間ではない。バブル真っ盛りの頃は、自動車輸入販売の会社で、法務や経営企画のマネージャーとして毎日深夜まで働いていた。その後、息子の小学校入学と同時に長野県の伊那市に移り住む。東京と伊那を行き来しながら公共政策シンクタンクの研究広報誌編集主幹などの仕事をしていたが、移住した伊那に自分の力を還元できないかと考え続けていた。

そんな中、2007年に伊那市立図書館の館長が公募される。これこそが自分のやりたかった仕事だと手を挙げた。情報と情報、情報と人、人と人とを繋いで、地域を変える。それができるパブリック空間こそ、図書館だろうと思った。しかし、飛び込んでみた図書館の世界は、平賀氏が思っていたものと違っていた。児童サービスや貸出サービスに重きが置かれ、1980年代の様子と変わらない。情報の世界はどんどん先に進んでいるのに、図書館の中だけ時が止まっているかのように。

それでも、何かやってみなければ始まらない。館長となった平賀氏は、伊那市からさらに同じ生活圏を持つ「伊那谷」まで視点を広げ、その地域一帯を「屋根のない博物館」と呼んだ。3000m級のアルプスに囲まれたこの場所には、そこで暮らしてきた人たちの知識や情報がつまっている。そして図書館はそんな屋根のない博物館において、人と情報、人と人とを結びつける「屋根のある広場」であるのだ。

「伊那谷の屋根のない博物館の屋根のある広場へ」。伊那市立図書館は新しい方向へ向かって進み始めた。主役は図書館という「ハコ」じゃない。図書館は、地域をつなぐハブに過ぎない。ハコを飛び出して地域を歩くプロジェクトが始まった。

タブレット端末にダウンロードした古地図アプリ「高遠ぶらり」を使って、地域を歩くワークショップ。過去の歴史と現在の情報がクロスし、古地図と現在地がクロスする。伊那市立図書館は、ハコの中で情報がやってくるのを待つのではなく、地域へ出掛けていく図書館となったのだ。この取り組みが高く評価され、Library of the Year 2013 の大賞を受賞することになる。選考の過程については、氏原茂将氏の「Library of the Year 2013が投げかけるヒント」に詳しい。

おれが平賀館長に会ったのは、Library of the Year大賞受賞の翌年、2014年の春だった。休館日に突然、伊那市立図書館に押し掛けたアカデミック・リソース・ガイド株式会社の一同を見て、館長は「アヤシイやつらが来たぞ」と思ったに違いない。「いろんな集まりとか主催してて、なんか胡散臭い会社だなあって思ってたんだよねえ」と、最近になって漏らしていた。

ともあれ、そんな誤解も解けてすっかり仲良くなった頃、県立図書館館長へ就任するというニュースが流れてきたのだ。図書館界の異端児による改革が始まったのである。

長野県から図書館を変える「信州発・これからの図書館フォーラム」

平賀館長の最初の改革は、館内に無数に貼ってある注意書きをはがすことだった。「まずはさ、全部はがしてみよう? それから、本当に必要な掲示を考えようよ」。続いて、関係機関と協働で情報発信する場として、公式のFacebookページ「山の見える図書館―信州のまち・ひと・としょかん」が立ち上がった。

突如始まった改革に、それまで勤務をしていた職員は目を白黒とさせただろう。「みんなに“館長”じゃなくて、“ひーさん”って呼んでいいんだよって言ってるんだけど、誰も呼んでくれないんだよねえ」とこぼしていた。そりゃそうだ。就任したばかりの2015年夏、貼り紙が無くなりすっきりした館内を案内してくれた“ひーさん”は、ちょっと寂しそうに見えた。

2015年のお盆はわりかし暇で、おれは社長の岡本真とともに岐阜と長野の図書館を見学してまわっていた。ともにゴールド・ペーパードライバーである二人に同情した平賀館長は、「それなら僕が運転するよ」と車を出してくれた。贅沢にも、県立図書館長の車で巡る信州の図書館の旅である。

初めて訪れた地方の図書館で「館内の様子を写真に撮りたいのですが」と言うと不審に思われることがよくある。もちろんプライバシーに配慮して、利用者は決して写しませんと断っても、許可が降りないことも少なくない。でも、県立館長がいるなら最強だ。「県立図書館長ですけど、写真撮っていいよね?」でばっちりだ。突然現れる平賀館長に市町村図書館の皆さんはびっくりしただろうけれど、直接相談する貴重な機会になっているようだった。

「ひーさん、この駐車場、関係者専用って書いてあるけど大丈夫かな」
「ええい、俺は県立図書館長であるぞよ!」

なんていうジョークを飛ばしながら、北信の図書館を訪ねまわった。おれが安心しきって後部座席でうつらうつらしていると、平賀館長と岡本の会話が聞こえてきた。都道府県立の図書館が一堂に会する「都道府県立サミット」とか、やりたいよね。やるなら絶対、長野だよね。

一年後、それが本当に実現するとは。「県立長野図書館事業費 事業改善シート(28年度実施事業分)」を見ると、新規に要求された予算に「図書館改革事業費」という項目が見られる。冒頭で紹介したタブレット端末の導入費の他、一連のフォーラム開催に充てる予算がついたのだ。この予算をもとに、県立長野図書館と塩尻市立図書館が共催し、実行委員会方式で「都道府県立図書館サミット2016」が塩尻で開催された(この記録は『ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)』第17号(2016年11月14日発売)をぜひともご参照いただきたい)。

「信州発・これからの図書館フォーラム」県立長野図書館というFacebookページも立ち上がった。一年を通して開催される様々なフォーラムやワークショップの情報はこちらで更新されている。そのうちのひとつ、「可能性を形に。これからの『図書館』想像(創造)会議」という3回連続のワークショップに参加してみた。開催場所は、閲覧室に新しく設けられた、あの「ナレッジ・ラボ」である。

ファシリテーターを務めるのは、信州大学工学部建築学科の学生たち。「まちの教室」のメンバーが彼らをサポートした。現在の県立長野図書館をどんなふうにリノベーションしたらよいのか、参加者とともにプランを考える。

「可能性を形に。これからの『図書館』想像(創造)会議」の風景。アイデアをどんどんポストイットで貼り出していく。(撮影:野原海明)

平面図から立体模型を制作してさらに検討。(撮影:野原海明)

テーマは「子どもが世界に『夢中になって』触れていくには?」「多様性が『共存する』空間とは何か?」「利用者にとってのバリアとの『上手な付き合い方』とは?」の三つ。参加者は、現役の建築家に図書館司書、書店員やデザイナー、学生など。初回の議論が第2回には図面になり、第3回には模型になった。ワークショップの中でつくられた案はあくまで「想像」だけれど、そこには現実の図書館を「創造」していくパワーが確かに生まれていた。

書庫に眠る本をいかに魅力的に見せるか

様変わりしたのは催し物だけではない。平賀館長が以前、「書庫にはすごいもんが眠ってんのよ」と話していたが、それらをうまい具合に見せた企画展示が展開されている。2015年夏には、戦後70年特別企画として「発禁 1925-1944;戦時体制下の図書館と知る自由」が開催された。これは、書庫に眠っていた『出版物差押通知接受簿』や、差し押さえの対象となった資料を展示するという企画である。これらの展示資料は、今もなおデジタルアーカイブ「信州デジくら」で公開されている。

県内の5つの図書館、博物館、美術館などの資料を集めたデジタルアーカイブ「信州デジくら」で、企画展示の内容の一部が閲覧できる。

2016年11月現在の展示は、「Re’80(リ・エイティーズ)-バブルでトレンディだった新人類たちへ-」という、おそらく日本で初めての展示物をお持ち帰りできる企画展だ。「貸出」できるのではなく、自分の本として持ち帰れるのである。展示されているのは、1980年代に出版された約500冊の本で、それらが当時の世相や流行とともに並べられている。そしてこの80年代の本たちは、実は「除籍本」なのだ。

除籍本をリサイクルとして利用者に提供するという取り組みは多くの図書館が実践していることだが、それを企画展にしてしまおうという発想は他には見られなかったものではないだろうか。日々、展示物は「お持ち帰り」されていくので、次々に新しく除籍本が追加されていく。

全国の図書館初の快挙(?)とも言われる、「お持ち帰り」のできる企画展も開催。

「とくべえ」の巨大コロッケに匙をいれる

さて、「とある雑誌の原稿がまだ書けていない」と暗い顔をした平賀館長を飲み屋に連れ出す。今も伊那市に家族と住んでいて、勤務日だけ長野市内の部屋で寝泊まりしているという平賀館長は、長野駅周辺の飲み屋にはあまり詳しくないと言う。そこで、以前から街を歩いていて気になっていた飲み屋にお供していただくこととする。

「とくべえ」外観。赤ちょうちんが灯らない時間帯は廃屋にみえる。(撮影:野原海明)

最近新しくできたホテル、ドーミーイン長野の建つ裏通りに「とくべえ」という飲み屋がある。昼間に見ると、ほとんど廃墟のようだ。日が暮れて赤提灯が灯ると、やっと廃屋でないことがわかる。暖簾をくぐると「未成年?」と女将にしかめっ面で言われた。いえいえ、童顔ですが30代です。旅行者には少し立ち寄りづらい雰囲気かもしれない。観光客向けの飲み屋のように、蜂の子やざざ虫のような珍味は置いていない。

ここの名物は、呆れるほど巨大なコロッケ(650円)だ。半分に割ると、とろとろの中身が流れ出るので匙が欠かせない。チーズ入り(700円)もこれまた絶品である。平賀館長と、育休から戻ったばかりという職員と、3人で舌鼓を打つ。

とくべえの名物、巨大コロッケ(撮影:野原海明)

平賀館長が席を立った隙に、彼が県立図書館にやってきた日のことを訊いてみた。

「カンチョーが来たとき? そりゃあもう、黒船襲来!って感じでしたよ」

ああ、やっぱり……。あるイベントで、信州のゆるキャラ・アルクマくんの着ぐるみを「着てみたい」という館長に、皆うろたえたというエピソードも聞かせてもらった。県立図書館館長就任から1年半。去年は寂しそうに見えた“ひーさん”だが、今年は迫る〆切に苦悩しながらも、どこか楽しそうである。残り半分の任期で、県立長野図書館はどんなふうに変わるのだろうか。アルプスに襲来した黒船が、日本中の図書館を開国させることをつい期待してしまう。

「〆切があるから早めに帰る……」と言っていた館長は、店を出る頃には「もう1軒行くぞ! 次はカラオケだ!」と大変元気になっておられた。ひーさん、次回はぜひとも、お膝元の伊那谷の飲み屋を教えてくださいませ。

(つづく)


【お知らせ】
第18回図書館総合展 ARGオープンオフィス「未来の図書館をつくる場所」では、11月9日(水)13:00~14:30のLRG最新刊連動企画 「都道府県立図書館サミット」をふりかえる+「信州発・これからの図書館フォーラム」県立長野図書館からの報告に、平賀館長がやってきます。
https://www.facebook.com/events/861054220662945/

また、『ライブラリー・リソース・ガイド』第13号の「司書名鑑」に、平賀館長のインタビュー記事が掲載されています。
http://www.fujisan.co.jp/product/1281695255/b/1313540/

執筆者紹介

野原海明
小説家、ライター、図書館コンサルタント、ときどき歌手。大学・公共図書館の司書を経て独立後、アカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG)へ参画。文化施設のアドバイザーとして日本各地を飛び回る。雑誌や書籍のライターとしても活動しており、インタビューを担当した『ファンタジーへの誘い』(徳間書店)が2016年6月に刊行された。ブログ「醒メテ猶ヲ彷徨フ海」を2005年から継続更新中。夜ごと立ち呑み屋に出没する呑んだくれ。