西新宿にある台湾料理店・山珍居は、壁じゅうに名だたるSF作家のサイン色紙がずらりとならぶ「SFの聖地」である。電子雑誌「別冊群雛」の企画で、ここにSF大賞作家・藤井太洋、電子書籍のご意見番・林智彦、アルファーブロガー・いしたにまさきの三名が集い、インディーズ出版やSFについて語り合った。
ネットの紹介記事からすべてが動き出した
いしたにまさき 最初に『Gene Mapper』を紹介した記事は林さんが書かれたんですよね。
林智彦 はい、『日本人初? 「コボ」「キンドル」でデビューした新人作家が1位を獲得するまで』というブック・アサヒ・コムの記事(2012年8月28日付)ですね。
藤井太洋 本当に、もうまさにここからでしたよね。インディーズ作家がどうすればいいのかという話にも繋がるんですけど、やっぱり第三者が認めてくれたのは大きかったんです。
いしたに 「誰かが見つけないといけない」ということ?
藤井 そう、「誰かが見つけて火をつける」ことがすごく重要なんです。林さんのあの記事がなければ、ここまでは売れなかったと思っています。
林 あのときはこちらもありがたかったんですよ。当時の私の部署は、ふだんは新聞に掲載された書評を転載するのがメインの仕事だったんです。そんな中で、いきなり飛び込んできたのが『Gene Mapper』でした。
藤井 ありがとうございます、ほんとに。
林 私のような者は、そもそも藤井さんが想定していた『Gene Mapper』の対象読者だったんでしょうか?
藤井 『Gene Mapper』は、たぶん「EPUBで本を読む人たちを対象にした初めての小説」になるだろう、と考えて書きました。EPUBに手を伸ばすぐらいだから、このぐらいわかるはずだと思って、IT用語などもあまり砕いて説明せずに書いています。
林 逆にそれが読者に刺さったんですよね、「これはわかってるヤツが書いてるぞ」って。しかも電子書籍による「自己出版」。私の記事でもし『Gene Mapper』をたんなる小説作品として紹介しただけだったら、あそこまで読者には響かなかったと思います。
いしたに 急にこれほど完成度の高い作品が来たわけだからね。
林 その頃はまだ「自己出版」という用語すらなかったということが、すごく思い出に残っています。アメリカでは「Self Publishing」と言うけれど、日本語だとちょうどいい言葉がない。実は、どう訳すかでちょっと悩んだんですよ。「自費出版じゃないの?」と上司には言われたんですが、お金をかけているわけじゃないから「自費」では変だということになって。他にも「自主出版」とかいろいろと訳語を考えたんですが、最終的に「自己出版」に落ち着いたんです。あと、「自主出版」だと発声しにくいんですよね。
藤井 「ジシュシュッパン」は、たしかに言いにくい(笑)。
林 藤井さんと初めて会ったときは、まだ謎の人物だったので、「テクノロジー関係の知識のなさを突かれたらどうしよう」と、緊張して向かったんです。
藤井 取材に来られたのは、たしか2012年の8月に入ってすぐでしたよね。メールで連絡をいただいて、神楽坂の裏手のホテルのカフェで待ち合わせました。
林 夏休み前でバタバタしていて、チャンスだったんですよ。当時は自己出版がまったく知られていない段階だったので、検討もされずに却下されるといやだなと思って。それで夏休み間近に、いわばゲリラ的に原稿を出したんです。
藤井 そんなことがウラで起こっていたんですね(笑)。
林 あの取材は、本当に「革命の現場に居合わせた」という感覚でした。
藤井 その頃はまだKindleの日本展開前で、Koboが出たちょっと後だったと思います。
林 にもかかわらず、最初に会ったときには、すでに『Gene Mapper』はランディングページまでしっかりできていましたね。
いしたに まさにスタートダッシュに成功したわけですね。いま「ユーチューバー」と呼ばれる人たちの中に、商品動画のパターンを作ったジェットダイスケという人がいるんです。彼が最初にそういう動画を作って公開したときは、実はまだYouTubeはなかった。YouTube がやってきたとき、彼にはすでに商品動画のノウハウがあったんですよ。それぞれのジャンルでメジャーになる人には、実はそういうパターンが多かったりする。藤井さんも、KDPが入ってきたときには準備万端だったわけですよね。他の人とはスタート地点が全然違った。
林 デビュー作の段階から専用のウェブサイトがきちんと作られていて、広告も出しちゃうなんて人は、いまでもそんなにいませんよ。藤井さんがなさったようなことをサービスとしてサポートしてくれる会社があるといいんですが、それもまだないですよね。
いしたに サポートとなると、同時に何人も作家を抱えないとならないから、なおさら難しいかもしれない。人材がそんなにいませんから。
Kindleでの読みやすさを考慮
いしたに 藤井さんは以前、「〈もどり〉が少なくなるように意識して書いている」と言ってましたよね。
藤井 そうですね。いちいち後戻りしなくても読めるようにすることは意識していました。
いしたに Kindleが日本で発売になったときに、「なぜ貴志祐介の『新世界より』はKindleに合うのか」という議論になったんです。結論としては、「ミステリーの人が書いているから」。この作品はSFですけど、貴志さんはもともとミステリー作家ですよね。ミステリーは「読者が正気に戻ったら終わり」なんですよ。お化け屋敷に入っているようなもので、何かをきっかけに素に戻ったら「ああ、なんだよ」って冷めちゃう。『新世界より』は伏線を回収するあたりで、ちゃんとアラートが出る。SF作品だけどミステリーのそういうテクニックを使って書いてあるから〈もどり〉が少なくて、サクサク読めるんです。
林 そういえば、たしかに「(前回までの話の)復習のコーナー」みたいなのがありますね。
いしたに そうそう(笑)。文庫で3分冊とけっこうな文章量なのに不思議と読めてしまうのも、たぶん〈もどり〉が少ないからだと思うんです。
林 Kindleといえば、初期にスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズ(『ドラゴン・タトゥーの女』『火と戯れる女』『眠れる女と狂卓の騎士』)が電子書籍でも売れましたよね。あの小説でもショッキングなシーンがどんどん続くけれど、いちいち前を読み返さなくてよいようになっていました。
いしたに いまでもそうですが、Kindleは前ページに戻るのがハードウェア的にちょっと面倒でしょ?
林 そうそう。〈もどり〉があると、その箇所を探すのが大変です。藤井さんもよくそこに気づきましたよね。最初に『Gene Mapper』 を書いたときは、すでにKindle端末を持っていたんですか?
藤井 いえ、まだ持ってなかったですよ。
林 ええー! よくそれでKindleの特性がわかったなぁ、と思います。
藤井 初めて書いたときに使ったのはiBooks Authorで、次に使ったのがKindleのアプリ用のエディタでした。どちらも横書きにしか対応していませんでしたが、実際にプレビューできたおかげで、出来上がった電子書籍がどんな読まれ方をするかは、ある程度までは想像できていました。
林 今日来る前に久しぶりにKindleを開けてみたら、公式サイトから購入したKindle用の『Gene Mapper』 が出てきて、まさに横書きでした。
藤井 Amazonで初めに売ったものは横書きだけでしたから、おそらくそれでしょう。
震災が「作家」の誕生をうながした
いしたに じつは『Gene Mapper』が世に出る前から、藤井さん本人から小説を書いていることを聞いていたんですよね。あれは2011年のいつ頃でしたっけ。
藤井 その年の秋口にあったブロガーズミーティングですよ。横書きにしか対応していないはずのiBooksで、縦書きで読める『Gene Mapper』のサンプルを見せたのが最初だったはずです。
林 それは自分でサイドロードしたものを見せたってことですよね?
藤井 そうです。発売前ですので。
林 藤井さんといしたにさんはそのときに初めて知り合ったんですか?
いしたに いえ、もっと前からです。藤井さんが多芸だということはかねがね聞いていたんですが、ソフトウェアのプロダクトをやっている人だと認識していました。それが震災を経て、急に「小説を書いている」と言い出したんですよ。それを聞いた第一印象としては、「大丈夫なのかな?」と(笑)。
藤井 まあねえ(笑)。
いしたに 僕自身、仕事であの震災に関わっていて、3月11日から半年間、毎日ずっとリアルタイムで飛び込んでくる「現実」にぶち当たっていたんです。一度は体調を崩したこともありました。そんなときにその話を聞いたので、震災を一度自分の中で受け止めて、小説を書いて作品として昇華できる時間と才能があった藤井さんが、正直「うらやましいな」と思ったんですよ。あのときは、震災をきっかけにしてみんながいろんなことを考えたはずなんです。そのひとつは「自分の職能を何かに生かせるだろうか」ということで、もうひとつは「これから自分はどう生きていこうか」ということだった。そのときに、藤井さんは「物語を書くこと」を選んだんですね。僕は仕事で毎日現実にぶち当たるのと同時に「ひらくPCバッグ」を作っていたけど、そのテーマも震災後の日々の生活の改善にあったりします。
林 なるほど。
いしたに そんな中で『Gene Mapper』を手にしたとき、最初は正直、あまりピンとこなかった。でも、何年も経ってからホーチミンに出張に行ったときに読んだら、「あ、この空気ね」みたいな感じで、ストンと納得したんですよ。あの街にはベトナム風コーヒーを飲みながら食事している人たちが山のようにいて、河と熱と人とがごちゃーっとしている。裏道を一本入ると、さらに喧噪がある。ああ、藤井さんが震災後を生きるうえでの「よすが」にしようと思ったのはこれだったのか、って。実は最初に「小説書いてます」と聴いたときから、ずっと腑に落ちてなかったのね(笑)。もちろん直接知ってる人だからということで、作品として面白いかどうかではないんですが。でも「プロの作家」になるという道を選んだ以上、そこには当然、彼自身の人生がついてまわる。ホーチミンで『Gene Mapper』に描かれた空気を体験することで、ようやく僕の中でそれが理解できたというわけです。
藤井 思えば、あの頃はいろんなこと始める人がいましたよね。
いしたに でも、続いていないんだよね……(笑)。
林 普通はそうですよね。そうそう続くもんじゃない。
藤井 急に楽器を買ってみたりとかね(笑)。
林 意識が変わって急に結婚する人とか、子供を産む人とかもいましたよね。
いしたに さすがにそれは続いているんじゃないですか?
林 たしかに結婚や子育ては簡単にはやめられない(笑)。
「自然なもの」が必ずしも「よいもの」ではない
藤井 この作品では「科学技術と人間の関係」についてしっかり書きたい、という思いがいちばん大きかったんです。一種の「サイエンス・コミュニケーション」といえるかもしれません。そのために、「トゥルーネット(*1)」と「インターネット」とか、「AR」と「リアルの触れ合い」とか、「蒸留作物(*2)」と「自然作物」といったかたちで、「新しく入ってきたもの」と「自然なものや馴染んだもの」との対比の構図をいくつも入れてある。でもそこで主人公は、必ずしも「いいもの」ばかりを選択するわけじゃないんですよ。「リアルの触れ合い」よりも「AR」を選ぶこともあるし、「自然作物」よりも結果的には「蒸留作物」を選ぶとかね。そもそも主人公は、天然の作物に対して共感を寄せていない。「天然のもの、古いもの、伝統的なもの、リアルなもの」がよいという価値観が一般的な中で、この小説の主人公が選ぶものは「リアルでない側」にあるものが多い、という構造を意識して入れました。たぶんこれの読者には、それが刺さる人が多いだろうと思って(笑)。
林 なるほど、そういうことなんですね。そもそも、いまやまったく人工化されていない「本物の自然作物」なんて、山菜でも採りにいかない限り、ほとんどない(笑)。
藤井 『Gene Mapper』を書いているとき、遺伝子を自然交配によってターゲティングする作物を作る会社が出てくるだろうと思っていたんですよ。遺伝子組み換えの研究の中で、特定のDNAや塩基を持たせればトマトの色艶がよくなってしかも腐りにくいということがわかったとしたら、それを遺伝子組み換えではなく自然交配で作る企業が出てくるだろうと。そうしたら、アメリカのモンサント社が実際にそれをやっていた(笑)。
林 いまプログラミング言語のRubyなどで流行っている、「メタプログラミング(プログラムにプログラムさせる)」みたいなことですか?
藤井 いや、そういう効率を考えたやりかたではなくて、総当たりに近いことを力技でやっていますね。遺伝子工学的に「答え」だけを先に求めておくんです。狙うべきターゲットがわかっているので、あとはその通りになりそうな組み合わせを、管理された農場でひたすら交配を繰り返して試す。そのうち「アタリ」が出たらそれを育種するというわけです。
林 そこには人の操作は加わっている?
藤井 もちろん人為的に交配はさせますよ。自然な環境なら何億年かけても出てこないような組み合わせを探して交配させるんです。
いしたに 医薬品では昔から行われている手法ですよね。大昔は試験管を手で1本ずつ振って「ああハズレだった」みたいにやっていたけれど、いまは一度に2000本くらいをロボットで振って、アタリハズレをどんどん確認していく。そういうのはかなり前からやられていると聞いたことがあります。
藤井 モンサント社は、「完全な自然交配によるクリーンでオーガニックでレガシーな作物ですよ」ということを言いたいがために、管理農場を作って徹底してやっている。いま私たちが食べている小麦粉などの中には、「放射線育種」といってアイソトープ(放射性同位体)を使って人為的に突然変異を起こす手法で作られた品種がかなり多い。突然変異率を上げるために実験用放射炉の周辺に籾をザーッと撒いて、変異したものから状態のいい物を選んで育種していく。手当たり次第に変えているわけですから、遺伝子工学よりこっちのほうがよほど怪しいわけですよ(笑)。
林 自然か人為かという区別が、いわゆるロハス的な感覚とは違ったレベルで存在するのですね。
藤井 ええ、そうなんです。
いしたに そこまで行くともうサイエンスではなく、マーケティングの問題ですよね。「遺伝子交配した素晴らしい商品です」といって売るわけにいかないので、「オーガニックです」と言いたいがために回りくどいことをしているわけですから。
「物語」が「現実」を侵食する
林 私の中で『Gene Mapper』でいちばん響いたのは、ARで現実を更新したり上書きしていくところでした。そういう感覚が、震災後はすごくリアルに感じられたんです。あの頃の嫌な空気感を上書きしてくれるものが、アイディアひとつでできるのではないかという期待を持ってしまったんです。
藤井 実はあの〈ARステージ*3〉は、私の理想のコンピュータなんです(笑)。
いしたに 2015年にマイクロソフトが「ホロレンズ」をお披露目したとき、びっくりしましたけどね。うーん、どこかで見たことある光景だなあ、と(笑)。
林 「© Taiyo Fujii」(笑)。
いしたに そう、「藤井太洋すげえ!」って。
藤井 誰が考えてもだいたいあんな感じになりますよ。
林 本当に真似されたんじゃないかと思うぐらいに、現実があの小説の後を追いかけているなと思いました。もちろんアイディアを具体的にシステムに落とし込んだり、実装していくときには違ってくるんでしょうけど。
藤井 そういうものが実際にでてくると素直に嬉しいですよ。『オービタル・クラウド』でも「スペーステザー」というものを書いたら、JAXAから取材の申し込みが来ました。JAXAのテザーチームの人から「あれはどうなっているんですか。初めて読んだのですがどこの論文で見たのか教えてください」って(笑)。
林 現実と虚構とが逆転してますね。『オービタル・クラウド』はものすごい情報量で、それでまた感服してしまいました。
いしたに フィクションには昔からそういうところがある。僕が聞いたなかで面白かったのは、黒澤明の『七人の侍』を見た米軍が「オマエはどこで我が軍の作戦のドキュメントを読んだんだ!」って怒鳴り込んできたという話。昔からある軍事教本にあの映画にそっくりそのままのミッションがあるんですって(笑)。
藤井 物語が現実を浸蝕していくのは面白いことですよね。
(to be continued)
※1 トゥルーネット:『Gene Mapper』作中に登場する、インターネットとは別の大規模ネットワーク
※2 蒸留作物:『Gene Mapper』作中に登場する、遺伝子組み換え作物の総称。
※3 ARステージ:『Gene Mapper』作中に登場する、AR技術を利用したユーザーインターフェース。
※この座談会の続きは『別冊群雛』(『月刊群雛』創刊2周年記念特別増刊号)でご覧ください。2月末日までは特別価格200円にて、各電子書籍ストアにて発売中です。
■ 座談会メンバー・プロフィール
藤井太洋(ふじい・たいよう)
作家、1971年生まれ。2012年にセルフパブリッシングした『Gene Mapper』が「ベストオブKindle本」で文芸一位に。翌2013年に増補改訂した『Gene Mapper -full build-』で商業デビュー、2014年2月に刊行された『オービタル・クラウド』はベストSF 2014と第35回日本SF大賞、第47回星雲賞日本長編部門を受賞。日本SF作家クラブ第18代会長。新潮社の「yomyom」にて『ワン・モア・ヌーク』を連載中。
林智彦(はやし・ともひこ)
1968年生まれ。1993年、朝日新聞社入社。「週刊朝日」「論座」「朝日新書」編集部、書籍編集部などで記者・編集者として活動。この間、日本の出版社では初のウェブサイトの立ち上げやCD-ROMの製作などを経験する。2009年からデジタル部門へ。2010年7月~2012年6月、電子書籍配信事業会社・ブックリスタ取締役。現在は、ストリーミング型電子書籍「WEB新書」と、マイクロコンテンツ「朝日新聞デジタルSELECT」の編成・企画に携わる一方、日本電子出版協会(JEPA)、電子出版制作・流通協議会 (AEBS)などで講演活動を行う。
いしたにまさき(@masakiishitani)
Webサービス・ネット・ガジェットを紹介する考古学的レビューブログ「みたいもん!」管理人。2002年メディア芸術祭特別賞、第5回WebクリエーションアウォードWeb人ユニット賞受賞。著書『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(技術評論社)など多数。2011年9月、内閣広報室・IT広報アドバイザーに就任。「ひらくPCバッグ」などネット発のカバンプロデュース業も好調。http://mitaimon.cocolog-nifty.com/
執筆者紹介
- 「出版を革新しよう!」をスローガンとする2015年に結成された非営利団体。著者や読者など、すべての出版に関わる人々を対象に、だれでもどこでも、デジタル・ネットワーク技術を活用した、革新的で自由な出版活動を行える、豊かな社会づくりに貢献することを目的とし、出版創作イベント「ノベルジャム」やセミナーの開催などの活動をしている。URLは http://www.aiajp.org/
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