はじめに
私は、愛媛県松山市に在住しています。
これまでに『三島由紀夫と刺青』『三島由紀夫と橋家』『三島文学に先駆けた橋健行』『三島由紀夫のトポフィリア』『三島由紀夫と神風連』などの研究論文を、鼎書房が刊行する「三島由紀夫研究」に発表するとともに、エッセイや小説などを手がけてきました。
また、この六月に拙論を二つ発表しました。
一つは、「三島由紀夫と神風連――『奔馬』の背景を探る」で、「三島由紀夫・鏡子の家 三島由紀夫研究⑭」(鼎書房)に掲載されました。「三島由紀夫と神風連――『奔馬』の背景を探る」では、三島が『奔馬』を執筆したときの参考文献を踏まえて、三島と神風連関係者との深い繋がりや影響などを探りました。徹底的に熊本人脈を調査して、「アッ」と驚くような結論に導くことができたのではなかろうか、と考えています。
もう一つは、「小説に描かれた『三島由紀夫』覚書」で、「現代文学史研究 第二〇集」(現代文学史研究所)に発表しました。「小説に描かれた『三島由紀夫』覚書」では、三島をモデルにした小説や、三島文学に触発されて書かれた小説など、百編余の三島由紀夫関連小説を、①三島作品の書換え・パロディ・批判的継承、②実録小説・三島を回想した小説、③仮構の三島(平岡)が活躍する小説、④三島事件を意識した小説、⑤三島に言及した小説、⑥三島文学へのオマージュ、⑦その他、以上の七つに分類して紹介しました。
私は、大学に籍をおく研究者ではありません。
そのため「地方」ということに加えて、「在野」という二つのハンディを抱えています。この小文では、在野かつ地方の研究者の立場で、過去に体験したことや日頃感じていることを書き綴ります。
1 地方在住者の「三苦」
地方在住者が最も苦労することは、資料の蒐集と閲覧です。
拙論の巻末には、参考文献を並べて記載しています。他人の論文を出典の記載なしに引用することが許されないのは、理系の「STAP論文」も文系の「三島由紀夫論」も同じことです。
参考文献は、拙論に引用・参照したものに限られ、その数は二十から三十冊程度です。しかしながら執筆前に読み込む文献や資料の数は、二百冊を超えます。これらの文献や資料を、いかに迅速かつ的確に蒐集するか、それが論文の出来栄えにも影響してきます。
地方在住者には、「三苦」というものがあります。
一つは、国立国会図書館から遠く離れていること。
二つは、大宅壮一文庫から遠く離れていること。
三つは、神保町の古書街から遠く離れていること。
この三つを合わせて、私は勝手に地方在住者の「三苦」と名付けています。
2 国立国会図書館
地方在住者であっても、国立国会図書館のサービスを受けることができます。
論文は、インターネットで申し込むと、コピーを郵送してもらえるものの、日数がかかります。蔵書の貸出しになると、地元の松山市中央図書館に申し込んでから、本が到着するまでに一週間程度を要します。なおかつ閲覧場所は、松山市中央図書館の閲覧室に限られて、文献を自宅に持ち帰ることができません。
さらに国立国会図書館の蔵書には、「貸出不可」のものが少なくありません。
「三島由紀夫と神風連――『奔馬』の背景を探る」を執筆する際には、九州は熊本の名門校・濟々黌が作成した『濟々黌百年史』を参照する必要がありました。松山市中央図書館を通じて、同書の貸出しを申し込んだところ、国立国会図書館から「個人情報が記載されているので、貸出しできない」旨の回答がありました。
私家本であればともかく、わが国有数の名門校の歩みを辿り、学校創設者や教職員の功績を記録した学園史の取り扱いが、「個人情報が記載されているので、貸出しできない」ということには、納得できません。
しかし、田舎からいくら文句をいってみても仕方がないので、インターネット書店を通じて『濟々黌百年史』を購入しました。拙論に活用したのは、一千頁を超える浩瀚な書籍のうち、わずか二頁ほどでした。
3 インターネット書店
地方在住者にとっては、上京することがベストです。
上京して、国立国会図書館や大宅壮一文庫や神保町に足を運べばよいわけです。
ところが、月曜日から金曜日まで勤め人として仕事をしている私の場合、有給休暇の手続きをとらずに上京できるのは、土日に限られています。日曜日は、国立国会図書館も大宅壮一文庫も休館しています。神保町の古書店にも、日曜休業の店舗は少なくありません。
さらに経済的な負担の問題があります。
松山・羽田間の航空運賃は、格安チケットを使用しても二万五千円かかります。加えて、ホテル代、都内の交通費、食費、その他の経費がかかりますので、頻繁に上京することはできません。
いきおい利用するのは、インターネット書店になります。
私の場合は、「Amazon」「日本の古本屋」「スーパー源氏」「楽天」などを使っています。電子情報の遣り取りだけで、田舎住まいでも速やかに書籍を入手することが可能になりました。
それでも本というものは、現物から判断することが大切だと思います。装幀や帯を見て、手にとって、頁をめくって、じっくり本を選択したい、そう考えることは贅沢でしょうか。
4 在野の研究者
私は、在野の一研究者にすぎません。
文部科学省の助成はもとより望むべくもなく、大学から研究費が出ることもなく、大学の図書館を利用することも容易ではありません。
本は、すべて自費購入ということになります。
評論家の故・草森紳一氏は、収入の七割を書籍代につぎ込んで、四万冊近くの蔵書があったといわれています。私の場合は、草森氏の足元にも及びませんが、多くはない収入のうち二割程度を書籍代にあてています。
ところで、在野の研究者が一番苦労するのは、「信用」の問題です。
大学の研究者であれば、苦労はありません。
「□□大学の□□です」
「□□大学で近代文学を専門にしています」
「□□大学で三島を研究しています」
自己紹介と名刺によって、社会の扉は容易に開かれます。
私の場合、そうはいきません。
取材の際に「三島由紀夫を研究している岡山典弘と申します」と名乗ったとしても、
「知らんなぁ……」
「聞いたことないね!」
「あんた誰?」
そうした答えが返ってくるだけで、とかく在野の研究者は胡散臭く見られます。
しかし、好きでやっている三島由紀夫研究ですから、これも仕方ないことかもしれません。
5 おわりに
最後に、地方かつ在野の研究者にとって「福音」の話をします。
私は、昨年暮れにfacebookのユーザー登録をしました。
知人に勧められて始めたのですが、やってみると、これが素晴らしいソーシャル・ネットワーキング・サービスであることに気付きました。
地方在住者が居ながらにして、中央で活躍する作家や評論家や大学の研究者と交流することができるのです。これまで著作を読んで畏敬していた文学者と、「友達」になることが可能な画期的なサービスなのです。
事実、憧れていた方に「メッセージ」と「友達リクエスト」を思い切って送ると、総じて「承認」通知と丁寧な返信が返ってきます。接してみると、マスコミで売れている文学者は、学識はもとより人柄も優れている方が多いように感じます。
こうしてFacebookで繋がりのできた文学研究者から、現代文学史研究所への参加を勧誘されました。文学の将来に危機感を抱いた大久保典夫氏が創設した現代文学史研究所は、中江藤樹や吉田松陰の塾を範型とする「志」の高い組織です。何より大久保氏は、三島由紀夫とともに「批評」同人だった方です。私は、直ちに入会手続きを済ませると、永く温めていた「小説に描かれた『三島由紀夫』覚書」を機関誌に発表することにしました。入会から入稿まで、すべてインターネットを介した遣り取りでした。
このようにFacebookは、地方かつ在野の研究者にとって、情報発信・情報交換の「最強のツール」となる可能性を秘めています。田舎住まいの私は、作家、評論家、研究者、編集者、映画監督、演出家、俳優など、クリエイティブな人たちと積極的に「友達」になるように努めて、交流の「環」を広げています。
なお、「三島由紀夫・鏡子の家 三島由紀夫研究⑭」(鼎書房)は書店やインターネット書店で購入することができ、「現代文学史研究 第二〇集」(現代文学史研究所)は研究所の事務局で頒布しています。
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