2013年10月29日、伊那市立伊那図書館がLibrary of the Year 2013に選出された。
「伊那谷の屋根のない博物館の屋根のある広場」というテーマを立て、歴史や自然はもちろん、社会教育の蓄積豊かな伊那地区と本の街として名高い高遠地区に存在する地域知の創造と発信に、住民とともに取り組む活動が評価された。
審査員としてその選出にくわわった当事者として、Library of the Yearの意味と今年の評価をふり返ることにしよう。
図書館だけでなく、「図書館的」な活動が対象
Library of the Yearは、図書館的な活動をしている機関や団体、活動のなかから、今後の公共図書館のあり方を示唆する先進的な取り組みを表彰するものだ。NPO知的資源イニシアティブ(IRI)によって「良い図書館を良いと言う」をキャッチフレーズに2006年からはじめられ、毎年10月にパシフィコ横浜での図書館総合展で公開選考会のかたちで開催されてきた。
「図書館的」という対象のとり方がユニークで、最近では、小布施町立図書館まちとしょテラソや大阪市立図書館といった公立図書館にくわえ、2010年には全国の図書館を横断して蔵書検索ができるウェブサービス「カーリル」が、2012年には知的書評合戦「ビブリオバトル」がLibrary of the Yearを受賞している。
事実、カーリルは図書館に関わる活動ではあるが、図書「館」ではない。さらにビブリオバトルは図書館に適したイベントではあるものの、そもそもは情報工学の専門家である谷口忠大氏らによってはじめられ、大学を中心に草の根で普及していった読書会だ。Library of the Year受賞の影響からか、いまでこそ図書館で取り組まれてはいるが、当時、図書館の現場における注目の度合いはいかほどだったであろうか。
図書館ではなく、「図書館的」というゆるい枠組みで選考を行うからこその選出だが、ひとつには、主催するのが業界団体でもなく専門職組合でもない、図書館関係者たちからなるアソシエーションであることに起因しているだろう。
もうひとつには、Library of the Yearの特徴的な選考方法も、その一助になっているといえる。
Library of the Yearでは、まず一次選考候補をひろく公募する。自薦もあれば他薦もある。事実、ぼくがディレクターを務める川口市メディアセブンも2011年には一次選考を通過していたそうだが、当時はまったく知らず、今回審査員を引き受けるにあたってはじめて知ったぐらいだ。
そこから絞り込まれた4〜5つの候補は優秀賞となり、図書館総合展での公開選考会に臨むこととなるのだが、ここで活動をプレゼンテーションするのも、関係者ではない。各々が自らの推す候補を7分ほどで紹介し、それを審査員と会場で審査する。
まな板の鯉とはまさにこのことで、活動主体の自己評価が入り込む隙間がなく、団体票も機能しない設計となっているのは好ましい。
今後の公共図書館のあり方
さて、今年のLibrary of the Yearで最終選考にノミネートされたのは、伊那市立伊那図書館のほか、千代田区立日比谷図書文化館、長崎市立図書館、そしてまち塾@まちライブラリーだった。
まち塾@まちライブラリーは、今年唯一の「図書館的」なる候補だ。六本木アカデミーヒルズの総合事務局長だった礒井純充氏による取り組みで、開設当初は蔵書を持たず、そこに集まる人たちが本を持ち寄りながら蔵書を増やしてく仕組みのことをいう。そこで本と本をつなげ、本と人、人と人をつなげようというポトラック式図書館ともいえそうな試みで、だれでもはじめることのできるパッケージになっている。
博物館並みの展示やレクチャーを積極的に実施する日比谷図書文化館も、市内での高い発症率を受け、医療機関とも連携して癌関連情報を提供する長崎市立図書館も、いずれも突出した取り組みだった。ただ、IRIが審査基準として示す「今後の公共図書館のあり方」という観点から考えたとき、ぼくの審査においては、まち塾@まちライブラリーと伊那図書館の二択となった。
図書館は本の収集・保存・公開を担う施設であり、だれかの知りたいという思いに応える機関だ。そう考えると、日比谷図書文化館の取り組みは知るためのメディアが本以外のものに拡張されたサービスであり、長崎市立図書館は人の生死にかかわるデリケートな情報を扱っているとはいえレファレンスといえる。
それに対してまち塾@まちライブラリーと伊那図書館は、「今後の図書館のあり方」の方に一歩足を踏み出しているように思えた。それは、ひとつにはユルゲン・ハーバーマスが描き出した歴史の末に日本で生じている「公共性の構造転換」の予兆であり、もうひとつには知識の多様性に対するアプローチが感じられたからだった。
まち塾@まちライブラリーは、自治体が設置するのではなく、関心をともにするコミュニティが自らの手でつくりあげた図書館だ。公共空間の担い手は自治体にかぎられなくなりつつある現在にあって、これからの公共図書館のつくられ方を予見させる事例だといえるだろう。
一方の伊那図書館は、本には書き留められない地域に潜む知識や情報を住民とともに掘り起し、発信している(たとえばiPad/iPhone用デジタル地図アプリ「高遠ぶらり」)。これまでも図書館は、地域について書かれた本やパンフレットなどを地域資料として収集してきたが、その多くは発行されたものにかぎられていた。それに対して伊那図書館では、職員と住民が協働して新しい知識をつくり出している点であたらしく、本に限定されない多様な知識へのアプローチは望まれるべき図書館の機能ではないだろうか。
くわえて伊那図書館の取り組みは、図書館が地域の方へ足を踏み出し、地域をつくっているともいえる。まちライブラリーとは逆さ向きのアプローチだが、審査員の高野明彦氏が指摘されていたように、この双方のアプローチが重なるところに新しい図書館が立ち上がるように思われた。
だから、フタを空けてみれば審査員票のほとんどを伊那図書館が獲得したけれども、じっさいは票差以上に競っていただろう。公開プレゼンテーションでの選挙方式はエンターテイメント性があって楽しいものだが、今回のような微妙な評価が表れることがなく、この点は改善の余地がある。
真似たらいいことを知らしめる
ところで、審査員評のなかで秋田県立図書館の山崎博樹氏が「真似ることができるものであること」を自らの審査基準として話された。
「図書館にはライバルがいない。だから、よい取り組みはどんどん真似した方がいい。」(山崎氏)
Library of the Yearの意味はここにあるのではないだろうか。賞を獲った取り組みやノミネートされた事例をただ賞揚するのではないし、箔をつけるものでもない。「良い図書館を良いと言う」ことで先進的な取り組みを知らしめ、図書館にかかわる人たちが真似るためのきっかけを提供することに意義があるのかもしれない。
あたらしい取り組みが周知され、それを参照した取り組みが生まれるうちに一般化され、次なる取り組みが模索される―—知識もまた、そのような共有と参照をくり返しながら育まれてきた。その器である図書館も、知識の収集、保存、公開のノウハウを共有し、資源として再活用し、再生産していくことが望ましい。
くわえて、やはりこれからの図書館には知識の生産と発信が期待される。知識を生み出すのは専門家や研究者にかぎられたことではなく、民俗学や文化人類学をふり返れば分かるように、だれもが暮らしや仕事のなかで知を蓄積している。それらはスケールが出ないために商業出版ではあつかいにくいけれども、図書館なら公にできるのではないだろうか。むしろ、本に限定されない知識の全体性をとらえようとするところにこそ、これからの図書館の公共性があるといえるかもしれない。
この観点でいうと、今回のLibrary of the Year 2013に伊那図書館が選出された意味は大きい。伊那図書館を真似る図書館がいくつも登場し、いつの間にか地域知を発掘し、発信することが当たり前になるかもしれないのだから。
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執筆者紹介
- (川口市メディアセブン ディレクター)※当時
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