端末普及の次に必要なこと〜新年に考える

2013年1月5日
posted by 仲俣暁生

あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は、2009年の創刊以来、四度目の正月を迎えることができました。これも寄稿者および読者のみなさんのおかげです。この場を借りて、あらためてお礼を申し上げます。

昨年は楽天Kobo、アマゾンのKindle、グーグルのBooks on Google Playといった電子書籍サービスが日本でも相次いで開始され、それぞれに対応した電子書籍端末やタブレットも発売されました。またアップルが小型のタブレットiPad miniを投入し、既存の国産電子書籍ストアも専用端末を発売したり既存機種の値下げを行ったりしたことで、年末商戦では電子書籍が話題のひとつとなりました。

さて、年が明けて2013年。最初の話題はごく個人的なことを書かせてください。昨年のうちに、いくつかの電子書籍端末(具体的にはKindle Fire HDとKindle Paperwhite,そしてBookLive! Reader Lideo)を手に入れることができたので、年末年始の休みにじっくり腰をすえて、電子書籍による「読書」をしてみようと思い立ちました。今回はその際に考えたことの報告です。

いまだにわかりにくい電子書籍の所在

苅部直『安部公房の都市』

ネット書店で本を買う場合、私は最初から読みたい本が決まっていることがほとんどです。しかし今回は、せっかく新しい電子書籍端末を手に入れたばかりなので、とくに目的をもたず、目新しい本を探すことにしました。

小説ではなく、もう少し手応えのある本を読みたいと思い、いろんなジャンルをさがすうち最初にみつけたのは昨年2月に単行本として刊行された苅部直『安部公房の都市』(講談社)という本の電子書籍版でした。この本が目についたのは、ちょうど安部公房の未発表作品「天使」が「新潮」2012年12月号に掲載されて話題になったばかりだからでしょうか。また楽天Koboがサービスを開始したとき、言葉遊びのつもりで「安部公房」で検索してみたことも、心のどこかにひっかかっていたかもしれません。

苅部氏のこの本については、ネット上にもすでにいくつもよい書評がでていますので、ここでは本の内容には詳しく立ち入りません。一言だけいえば、同書を読み終えた後、私は自分の書棚から安部公房の本を何冊か引っ張りだし、読みはじめずにはいられませんでした。

ところで、この記事を読んで同じ本を読みたいと思った方がいても、どの電子書籍ストアでならば買えるのかを正確に知るのは、じつはとても難儀です。発行元である講談社のウェブサイトには電書infoというページがあり、すでに電子化されている作品のリストがPDFでダウンロードできます。しかし、このリストには個々のタイトルが発売されている電子書籍ストアについての説明は一切なく、「電子書店によっては取り扱いのない書目もございます」とあるのみ。記載するには対応しているストアの数があまりに多いせいでしょうが、ちょうど一年前に、林智彦さんが「電子書籍の探しにくさについて」という記事で詳細に報告してくれた問題点は、いまだにほとんど解決されていません。

この記事で紹介されていた「電子書籍横断検索」「ダ・ヴィンチ 電子ナビ」をつかって「安部公房」で検索してみたところ、紀伊國屋書店BookWebやBookLive!、電子文庫パブリをはじめ多くのストアで扱いがあることがわかりました。しかし、どちらの検索結果からも最大手のひとつであるhontoが抜けていますし、さらに前者ではeBookJapanが、後者では私が買ったアマゾンのKindleストアをはじめ楽天KoboやSony Reader Storeさえもが抜け落ちています。さらに丁寧にウェブ検索してみるとNeowingというストアや、今年3月でサービスを終了するRabooからも同書の電子書籍が販売されていることがわかりました。もしかすると、まだ他にも取り扱いストアがあるかもしれません。

結局のところ、電子書籍の所在を探すにはウェブでのオープンな検索に頼るのが早道ということになりますが、そうなると実際の品揃えとは無関係に、ブランド力のある(検索エンジンで上位に表示される)電子書籍ストアがどうしても有利になってしまいます。やはり発行元の出版社が、責任をもって対応ストアを明記するべきではないでしょうか(安部公房の本がないのは残念ですが、新潮社はShincho Live!で電子書籍の対応ストアをタイトルごとに明記しています)。

ところで、『安部公房の都市』を読みおえて私が最初にしたことは、当然、安部公房の作品を電子書籍で探すことでした。彼ほど国際的に評価されている作家であれば、作品の大半とまではいかずとも、代表作のいくつかはすでに電子書籍化されているのではないかと期待したのです。しかし、この期待はあっさりと裏切られました(ただし、英訳されている代表作が、すでにいくつか電子書籍化されています)。私が探した範囲では、ドナルド・キーンとの共著『反劇的人間』が一冊あるのみ(しかも出版社のウェブサイトでは電子書籍版が出ているとの説明なし)。幸い、この電子書籍はBookLive!からも出ていたので、Lideoに入れて読み始めました。

さて、『安部公房の都市』は、多くの引用とともに作品の魅力を的確に表現した好著で、同書を読了後、私は安部公房の小説が読みたくてたまらなくなってしまいました。家にあった二、三冊をすぐに読み終えてしまうと、文庫化されている作品を書店で「まとめ買い」しましたが、なんとなく釈然としません。こんなときのための電子書籍だったのではなかったのでしょうか? 草創期から日本語ワープロ専用機を小説の執筆に使っていたことでも知られ、没後に残されていたフロッピーから遺作(『飛ぶ男』)が発見されたという逸話さえある大作家の小説が電子書籍化されていないとは淋しいことです。

もっと本から本、本からウェブへのリンクを

年末年始にもう一冊、電子書籍でじっくり読んだのは勝田龍雄『重臣たちの昭和史』(文藝春秋)でした。最後の元老、西園寺公望の秘書だった原田熊雄が残した膨大な口述筆記(『西園寺公と政局』)などを史料として書かれた一級のノンフィクション作品です。出版社のサイトからは書影も消えていますが、複数の電子書籍ストアから発売されており、本の内容に関しては、まったく文句のない名著だと思いました。

この本は上下巻に分かれており、下巻の末尾に人物一覧がついています。紙の本ではこれが「索引」になっていたのでしょうが、リフロー型の電子書籍の場合、ページによる索引ができません。そのかわりに全文検索があるのですが、この人物一覧は検索のトリガーとしてはとても便利です。しかし私が買ったKindle版は、もともと別のフォーマットで出ていた電子書籍のファイルを転用したもののようで、検索方法の指示が実際のアプリの挙動と一致していませんでした。

また、この人物一覧を参考に全文検索をしても、同一電子書籍内の当該箇所しか表示できません。電子化の際に上下巻を合本にしていれば重宝したことでしょうに、惜しいことをしたものです。電子書籍版にはこのほか写真の処理でも不具合があり残念です。

さて、『重臣たちの昭和史』は本文中で多くの引用がなされています。たとえば冒頭には、夏目漱石の「ケーベル先生」からの引用があります。私はこの本をKindle Fire HDで読み始めましたが、引用箇所の続きが気になったら、本文中の「ケーベル先生」という語を選択し「ウェブ検索」を選ぶことで青空文庫に収録されている同作を参照できます。もちろん、キンドルストアから「ケーベル先生」をゼロ円でダウンロードしてもいいのですが、ウェブでみるので十分です。

『重臣たちの昭和史』の冒頭に、夏目漱石の「ケーベル先生」からの引用がある。この語を選択して「ウェブ検索」をすることで、青空文庫に収録されている「ケーベル先生」の全文を参照できる。

多くの本は、他の本との相互リンクによって生きています。『安部公房の都市』は巻末に参考文献の一覧があり、『重臣たちの昭和史』では引用箇所にその都度、引用元が明記されていますが、すぐれた評論やノンフィクションが書かれるためには、多くの文献を参照することが必要です。

今回読んだ二つの著作の場合も、安部公房の場合は2009年に完結した『安部公房全集』(全30巻、新潮社)が、『重臣たちの昭和史』の場合は原田熊雄の『西園寺公と政局』(全8巻+別巻、岩波書店)が、それぞれ大きな土台となっています。このことはフロントエンドで読まれる本の裏に、かならずバックエンド役を演じるアーカイブ的な著作があることを教えてくれます。電子書籍のメリットは第一に、作品の内や外へのリンクが容易なところにあります。こうした参考文献にかんしては、できれば詳細な書誌情報がほしいところですし、すでに著作権保護期間が過ぎている本の場合、Books on Google Playなどで全文が公開されたら、さらに便利でしょう。

こうした例をみてもわかるとおり、電子書籍からウェブへのリンクや、整理された書誌情報、Wikipedia、青空文庫などオープンなリソースへのアクセスは、読書の支援ツールとしてとても役に立ちます。そうしたツールのひとつとして、アマゾンのKindleにはX-Rayという機能があります。X-Rayはいわば索引の高機能版で、本のページや章や全体のなかで、その言葉がいつごろどのくらいの頻度で登場するかが一目で分かり、選択した語句の解説や登場人物のプロフィルなどが表示されるというものです。トピックスの解説はWikipediaから、人物プロフィルはShelfariという読者コミュニティ・サービスからとりいれたコンテンツです(ちなみにShelfariの『1Q84』についてのページはこちら)。

たまたま手元にある英語版の村上春樹『1Q84』がこれに対応していたので試してみたのが下の図です(ちなみに、日本語の本でX-Rayに対応している電子書籍を私はまだ読んだことがありません)。

Kindleの英語版ではX-Rayという高機能検索サービスに対応した本も。これは村上春樹の『1Q84』で「トピック」を選んだところ。

日本の電子書籍サービスは、使いやすい専用端末がようやく安価で普及し始めたばかり。次の目標としてはタイトル数の充実が挙げられることが多いようです。しかし、タイトルばかりがいくら増えても、読者が求める本にたどり着くための導線や、購入後のコンテンツに対する読書支援環境が不十分ならば、大半の電子書籍は、アクセスの少ないウェブサイト以上に、誰からも「読まれない」ものになってしまいます。

周辺プレイヤーとの協働を

昨年の正月、私は「人は本とどこで出会っているか〜新年に考える」という記事を書き、先に紹介した林智彦さんの文章を紹介しながら、彼のいう「周辺プレイヤー」を含めた出版の「エコシステムの構築」という言葉に注目しました。アップルがiBooksで電子書籍でもまもなく日本市場に参入という報道が一部でされていますが、アップルが参戦すればプラットフォームと端末の数はもう十分ですし、そろそろ一部では淘汰も始まるでしょう。端末とストアが普及した次に必要なのは、たんなるタイトル数の拡大ではなく、周辺プレイヤーとの協働と、それに基づくサービスのよりいっそうのソフィスティケーションだと思います。

林さんの記事で「周辺プレイヤー」として挙げられているのは、書籍にかんする記事や広告、レビューです(面白いことに、『安部公房の都市』も、『笑う月』という作品の新聞広告の話から語り起こされています)。その他に想定しうるプレイヤーとしては、図書館やウェブなどの各種アーカイブ、読者コミュニティやセルフパブリッシングのサービスなどがあげられます。作家の側も今後は文芸エージェントを介在させることで、新しい出版のエコシステムのなかで、出版社のみに依存しない新しい立ち位置を見つけるでしょう。出版社や書店、電子書籍のプラットフォーマーも交えたプレイヤー相互の議論とルール作りが、これからはますます必要となります。

「マガジン航」では、そのための議論や意見表明の場を、立場を超えて今後も提供していきたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。