『ケヴィン・ケリー著作選集』電子書籍化の意義

2011年12月20日
posted by yomoyomo

EPUB版はiBooksなどで読める。

先月末、達人出版会から『ケヴィン・ケリー著作選集 1』(以下、本書)が刊行されました。

達人出版会は IT 系の電子書籍出版サービスですが、商品の価格が0円、つまり無料なのは本書だけで、それが多くの人の目を惹いたようです。無料公開が可能な理由は、本書の成立過程にあります。

元々は、著者のケヴィン・ケリー(Kevin Kelly)がブログ The Technium に公開した文章を、堺屋七左衛門氏が七左衛門のメモ帳で翻訳して公開したことから始まります。

堺屋さんが自由に翻訳を公開できたのは、ケリーがブログにクリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)ライセンスの「BY-NC-SA(表示 – 非営利 – 継承)」を指定していたからです。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下での刊行

クリエイティブ・コモンズとは、『CODE』などの著書で知られるアメリカのサイバー法の第一人者ローレンス・レッシグ教授らが立ち上げた、作者が著作物の権利を独占せずに商用利用などの利用条件を明示できるライセンスを提供することで、それを基にした創作活動を可能にする「コモンズ(共有プール)」の拡大を目指す国際的非営利組織、並びにそのプロジェクトの総称です。

ケヴィン・ケリーのブログで指定されている CC BY-NC-SA は、原著者についてきちんとクレジットし、営利目的で利用せず、しかも何か改変などを加えたらその派生作品も元作品と同条件(CC BY-NC-SA)で配布するなら自由に利用できるというライセンスです。翻訳もこの「派生作品」にあたるので、堺屋さんは訳文に原文と同じく CC BY-NC-SA の条件を守ることで、いちいち著者の許諾を取ることなく自由に訳文を公開できたわけです。

そして、そのライセンスは本書にも引き継がれています。本書が無料なのはそれが理由ですが、重要なのはその価格よりも、本書が CC BY-NC-SA の条件下で自由に利用可能なことです。

ここまで読まれて気付かれたと思いますが、本書の訳者の堺屋さんも版元の達人出版会も、翻訳の公開について何ら独占的な権利を有していません。つまり、本書のような本は達人出版会でなくても出せたわけです。しかし一方で、普通の出版社なら無料公開に意義を見出さないのも不思議ではありません。これについては、達人出版会の代表が、日本Rubyの会会長でありフリーカルチャーに理解がある高橋征義氏だったことが大きいと思います。

本書の著者であるケヴィン・ケリーについては、本書の序文に書かせてもらいましたのでここで詳述はしませんが、彼が Whole Earth Catalog(以下、WEC)人脈の一人にして、90年代にインターネット・ブームを牽引した雑誌 Wired(今年日本版が再刊しましたね)の創刊にかかわった人物であることが本書の大きな売りなのは間違いないでしょう。

スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチで言及したことで若い世代にも名前が知られるようになった WEC ですが、ケリーは WEC の背景となる西海岸のヒッピー文化、DIY 精神の体現者にして、90年代以降も Wired などの第一線に留まりながら現在まで幅広い分野について旺盛に執筆活動を続けています。

本をめぐるニコラス・G・カーとの議論

本書には、近年のケリーの文章で特に有名な「無料より優れたもの」「千人の忠実なファン」が冒頭に置かれています。前者はインターネットという破壊的技術を前提とした上で何に価値を見出しビジネスを成立させていくか、後者は旧来の大味なビジネスモデルが通用しなくなった後に、一か八かの大当たりを狙うのでもロングテールの底辺に埋もれるのでもなくネットを介して直接収入をもたらしてくれるファンとどのようにつながるべきかという、書籍や雑誌など出版の世界にとっても非常に示唆的な文章です。この二つだけでなく、いろんな分野に応用可能な文章をいくつも見つけることができるでしょう。

ここで少し脇道に逸れますが、少し前に筆者は「マガジン航」に「Kindleは「本らしさ」を殺すのか?」という文章を書かせてもらいました。これは主にニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)の文章を紹介するものですが、実はカーの一連の文章の仮想敵はケヴィン・ケリーだったりします。

というのも、カーが引用した、本から「境界」が失われることの危惧を表明するジョン・アップダイクの文章は、過去から現在にいたる叡智たるあらゆる書籍がデジタル化されてリンクされ、検索可能、リミックス可能な形で皆に提供される全世界図書館というケリーの夢について書かれた「Scan This Book!」に対する反論なのです(ケリーの文章の翻訳は「クーリエ・ジャポン」2006年7月20日号に掲載。青山南氏の文章も参考になります)。

本書にも二つの文章でカーの名前が(ニック・カーとして)引き合いに出されていますが、基本的に技術について楽観的で思考の羽を自由に広げようとするケリーと、常に現実的で毒舌でならすカーは時折意見を戦わせていますが、どちらの論を支持するにしろ、Google やブリュースター・ケール率いる Internet Archive が目指す先は(各々の戦略、ビジネスモデルを不問にすれば)ケリーが夢見るデジタル図書館に行き着くわけで、そうした意味でも彼の論考は無視できません。

ウェブの文章を電子書籍でじっくり読む

ケリーの文章の美点に、文明を生物とみなし、技術をただ人間のための道具ととらえるのでなく技術そのものの欲望を見出す視点のユニークさ、またそれを支える長期的な視座があります。ケリーが扱う話題は往々にして現在的ですが、その論考に軽浮なところがなく筋が通っているのは、その知識の幅広さだけでなく、常に歴史に照らし合わせた普遍性が彼の文章にあるからだと考えます。

今回の電子書籍化は、そうしたケリーの文章をまとめてじっくり読む良い機会を提供する点も実は重要だと考えます。確かに本書に収録された文章はすべてウェブで読めます。実際、筆者も翻訳公開時にほぼすべて一度目を通しています。が、今回改めてまとめて読み直すことで、以前には読み落していたポイントに気付かされ、背筋が伸びる思いでした。

ニコラス・G・カーの『ネット・バカ』ではありませんが、即時性と効率性が何より重視され、インターネット上に氾濫する情報をとにかく捌くことに汲々とする状態でケリーの文章を他のニュース記事やブログと同じモードで流し読みしても、その本質を掴むのは難しいでしょう。本書の公開は、いったん腰を落としてケヴィン・ケリーの長期的な視座を持つ論考と向かい合う好機を提供すること自体に意味があるとすら思います。

本書は EPUB、PDF、mobi の三種類のフォーマットで公開されており、要はどの PC だろうがタブレットだろうがeリーダーだろうがスマートフォンだろうが問題なく読むことができます。今年もそろそろ終わりが近づいてきましたが、冬休みにでも皆さんの都合の良い閲覧環境で本書を読まれてみてはいかがでしょう。

なお、本書のタイトルからも想像できるように、ケヴィン・ケリーの著作選集は本書一冊では終わりません。堺屋七左衛門氏により、既に数冊分の翻訳のストックがあり、それもじきに公開されていくはずです。そんなに無料でばかり読ませてもらっては達人出版会に申し訳ないと思われる方がいましたら、同社から刊行予定の『情報共有の未来』の購入を検討いただけると幸いです(笑)。

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