「マチガイ主義」から電子書籍を考える

2011年3月9日
posted by 仲俣暁生

日本の電子書籍の問題を考える上で、「青空文庫」の存在と、彼らが培ってきた過去の経験ほど大きな示唆を与えてくれるものはありません。日本でも昨年から、商業的な電子書籍のプラットフォームがいくつも登場していますが、ご存知の方も多いように、青空文庫はこれらとはまったく異なる発想で生まれたものです。

青空文庫は、著作権保護期間がすぎた日本語のテキストを、インターネット上に保存・整理・公開している無償のテキスト・アーカイブです。著作権切れのテキストだけでなく、著者自身がネットでの無償公開を認めたテキストもふくめ、2011年の現時点で9989点の作品が収録されています。1万点の大台まで、あとわずかというところです。[追記:2011年3月15日に1万タイトルを突破しました。

直接にこのサイトにアクセスしたことがない人でも、iPhone/iPadアプリのさまざまなブックリーダーや、ソニーが発売したReaderなどを通して、青空文庫の本を読んだことがあるかもしれません。青空文庫の存在は知らなくても、紙の本でいまも有料で売られている作品が、電子書籍としてタダで読めるのはなぜだろうと、不思議に思った人は多いと思います。

これら無償のコンテンツが電子書籍の普及に欠かせないことは、アメリカでもグーグルやアップルがパブリックドメインのテキストを、電子書籍サービス立ち上げ時の目玉のひとつに据えていた事実からもわかります。

テキスト・アーカイブは誰がつくっているのか?

青空文庫がモデルとしたアメリカのプロジェクト・グーテンベルクは1971年にイリノイ大学のスーパーコンピュータを使って始められたもので、インターネットをつかって電子書籍/電子図書館の試みとして最も歴史のあるものです(ウィキペディアによる詳細な解説はこちら)。彼らのウェブサイトによると、去る3月1日にこのプロジェクトの内部で制作された電子書籍のコンテンツが4万タイトルを数えたそうで、創設者であるマイケル・ハートがこのことを発表しています。

The Year of the eBook – Project Gutenberg News

プロジェクト・グーテンベルクが40年かけて4万点なのに対し、1997年に開始された日本の青空文庫は15年足らずで約1万点ですから、十分胸を張れる数字です。

ネット上で無償で公開されている電子書籍コンテンツとして、ほかにウィキペディアがよく知られています。底本となる紙の本が存在しないため、ウィキペディアが「電子書籍」と呼ばれることは少ないですが、2001年にスタートしたこのインターネット上の百科事典プロジェクトでは、英語や日本語をはじめ世界中の270以上の言語で、のべ1600万項目以上が記述されています。現実的な利用価値やコンテンツの量を考えると、世界最大の電子著作物といっていいでしょう。

青空文庫やプロジェクト・グーテンベルク、ウィキペディアなどの存在が貴重なのは、たんにコンテンツがタダで読めるからだけではありません。電子書籍のさまざまなアプリケーションやサービスを構築するには、自由につかえるコンテンツがあらかじめ潤沢に用意されていることが、どうしても必要です。

とくに電子書籍ビジネスの立ち上げが遅れた日本の場合、商用の巨大なプラットフォームが登場するはるか以前から、すぐれた日本語ブックリーダーのアプリや、キンドルなどで読みやすいPDFへの変換プログラムが生まれてきたのは、青空文庫によって書誌データ付きの無償のコンテンツがあらかじめ大量に蓄積されていたことと、決して無縁ではありません。

ところで、青空文庫やプロジェクト・グーテンベルクのコンテンツは、誰がどのようにして作っているのでしょうか。これらはいずれもボランタリー・スタッフによって運営されている、非営利のプロジェクトです。だれもが自由かつ無料で利用できるだけでなく、送り手としても貢献できるのが大きな特徴なのです。

青空文庫の場合、底本の選定からコンテンツの入力・校正までを行っているのは、「青空文庫工作員」と呼ばれる人たちです。このメンバーになることによって、誰でも青空文庫のコンテンツの充実に寄与することができるという点で、ウィキペディアとよく似ています。「青空文庫工作員」となるためのマニュアルが青空文庫のサイトで公開されていますので、興味のある方はご覧下さい。

さて、ここからが今日の本題です。

青空文庫工作員の一人で、2007年から『週刊ミルクティー*』という電子出版プロジェクトを行っている、しだひろしさんから「マガジン航」宛てに連絡をいただきました。『週刊ミルクティー*』は青空文庫ですでに公開されている作品や、公開前のテキストを編集して、ボイジャーのT-Timeで読める形式の電子書籍として配信しています。とくに旧字旧かなのオリジナルと、現代表記におきかえたテキストの2パターンでコンテンツを同時収録していることが特徴です。

最新号が出たので「マガジン航」で紹介してほしい、というのがお送りいただいたメールの趣旨だったのですが、こちらで書き起こして記事にするよりも、ご自身の言葉で、これまでの活動について書いていただくのがよいと思い、そのように返事を差し上げたところ、さっそく長い文章をいただきました。この文章を「読み物」コーナーに「週刊ミルクティー*の活動について」という記事として公開しましたので、ぜひご覧下さい。

電子出版の二つのあり方

「週刊ミルクティー*」の活動で驚いたのは、毎号の電子書籍の付録として、本文の解説に役立つ語句をウィキペディアから集め、もうひとつの電子書籍を作っていることです。青空文庫やプロジェクト・グーテンベルクのような文芸作品が中心のテキスト・アーカイブと、ウィキペディアのような客観的な事実を扱ったテキストとを組み合わせた、ハイブリッドな電子出版があり得ることを教えられました。

海外ではすでに、ウィキペディアのコンテンツを自分で編集して、オンデマンド印刷による紙の本やPDFとして手に入れることができる、Pedia Pressというサービスが始まっています。ネット上にパブリックドメインのコンテンツがたくさんあるということは、タダで読めてありがたい、ということにとどまらず、そこから二次的な編集著作物がさまざまに生み出せるということでもあるのです。

しださんからいただいた文章には、もう一つ、思いがけない言葉がありました。しださんはこの文章のなかで喜田貞吉という歴史学者・考古学者の言葉を引いているのですが、彼の言葉を受けてご自身で次のように書いています。

彼は、記述内容の老朽化という問題に対して、雑誌・逐次刊行物の発行という手段を選択しました。自分の発行したものの内容を、常に点検し訂正し続ける…… これは、かつてチャールズ・パースやカール・ポパーが提唱したマチガイ主義(Fallibilism)と同じ考え方です。さらにいえば、 Wikipedia や Project Gutenberg へと引き継がれている思想そのものです。

ここに出てきた「マチガイ主義」という考え方は、ウィキペディアやプロジェクト・グーテンベルクだけでなく、インターネット全体や、コンピュータ文化全体のあり方を考えるうえで、もっとも重要なものの一つだと私は考えます。インターネットには、よく「永遠のベータ版」という言い方がありますが、その根本にあるのも「マチガイ主義」という思想です。たとえ不完全であってもまずリリースし、マチガイがあることが分かればすぐに改める。これは従来の紙の出版と、電子メディアにおけるパブリッシングとの、最大の違いかもしれません。

日本でこの「マチガイ主義」を信条としていた思想家が鶴見俊輔です。昨年出た津野海太郎氏の『電子本をバカにするなかれ―書物史の第三の革命』(国書刊行会)という本には「ウィキペディアとマチガイ主義」という一文があり、ここで津野氏は鶴見俊輔による、次のような「マチガイ主義」の定義を引用しています。(ちなみにこの一文は、一昨年に行われたWikimedia Conference Japan 2009における津野氏の講演をまとめたものです)

マチガイ主義(fallibilism) 絶対的な確かさ、絶対的な精密さ、絶対的な普遍性、これらは、われわれの経験的知識の達し得ない所にある。われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、マチガイの度合いの少ない方向に向かって進む。マチガイこそは、われわれの知識の向上のために、最も良い機会である。したがって、われわれが思索に際して仮説を選ぶ場合には、それがマチガイであったなら最もやさしく論破できるような仮説をこそ採用すべきだ。(太線部は原文では傍点)

こう考えていくと、電子書籍(というより「電子出版」というべきでしょう)に対するアプローチが二通りあることがわかります。片方に、底本をさだめて入力・校正を繰り返し、信頼できるテキスト・アーカイブをコツコツとつくっていくという、青空文庫やプロジェクト・グーテンベルクのやり方。もう一つが、ウィキペディアのように「マチガイ主義」でどんどん先に作っていき、問題があればその都度あとから直していくやり方です。

電子書籍はコンテンツだけで出来ているわけではなく、かならずそれを読むためのアプリケーションやハードウェアを必要とします。そして、少なくともこれらのハードやソフトにかんして言えば、私たちは「マチガイ主義」を取らざるを得ません。「絶対的な確かさ、絶対的な精密さ」をもった電子書籍のリーダーソフトや端末は、そう簡単には完成しないからです。

昨年の「電子書籍元年」騒動のなかで見失われていたのは、電子書籍の生態系を豊かなものにするための、試行錯誤を可能とする裾野としてのパブリックドメインの重要性です。電子書籍をめぐる報道は、「電子書籍ビジネス」における主導権争いの話に終始していますが、アップルもグーグルも、もちろんアマゾンも、パブリックドメインの電子書籍の恩恵をたっぷり受けていることを、忘れてはならないと思います。

極端な話、すべての日本の電子書籍プラットフォームは、青空文庫のコンテンツを必ず読めるようにするべきでしょう。コンテンツが潤沢かつ無料だからではなく、多種多様な内容の書籍コンテンツを長期間にわたって扱う電子書籍のプラットフォームを構築するにあたって、青空文庫の成果を自分たちのサービスにいかに組み込むかというレッスンが有益かつ不可欠だからです。

この機会にあらためて青空文庫の重要性を思い出させてくれた、しだひろしさんに感謝します。もちろん、青空文庫を運営している富田倫生さん、他の青空文庫工作員の皆さんにも、あらためて心からの感謝を。

■関連記事
ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2010報告
丸にCの字を書きたくて
新年にパブリック・ドメインについて考える

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。