昨年4月から今年10月まで約1年半、ネットとマスコミの向き合い方を取材してきた。これまでの取材活動を出版社の動向を中心に振り返ってみたい。
電経新聞に連載した「ネットとマスコミ」は2009年4月にスタートした。激動するネットとマスコミの関係をじっくり取材して見極めたいという思いから始まった企画だ。もともと1年以上の連載にする予定だったが、開始当初、「最後の総括では『逆襲するマスコミ』『ネットで再生するマスコミ』くらいの見出しを付けることになるのではないか」という、いま思えばひどく甘い見込みを立てていた。要はマスコミの底力に期待していたわけだ。
結局マスコミを取り巻く厳しい事業環境は、当時といまとで何も変わっていない。ひどくなっているようには見えないが、改善しているともいえない。あえて表現するなら「苦境の固定化」といったところか。
そのような中、従来よりもネット事業に傾注する社が増えているのは事実だ。目の色も確実に変わっており、チャレンジングな姿勢が目立つ。その傾向はとくに出版社に強く現れている。背景にネット社会の広がりがあるのはもちろんだが、もう一つ重要なポイントは、ネット事業に力を入れても、本業への悪影響は軽微で、場合によってはシナジー効果のほうが大きいと、各社が認識し始めていることだ。
やんちゃなネット企業が臆面もなく自分たちの領域を侵食するので、しかたなく重い腰を上げ、自らネット事業に乗り出しているという面もないわけではないが、そういう後ろ向きな側面はかつてほど強くない。ただ、それらの取り組みが成果に結びついているとは言いがたく、暗中模索は当分、続きそうな気配だ。しかし一体いつまで続くのか。気が滅入っている関係者も少なくない。
マスコミに踊らされるマスコミ
現状の動きに対し、あえて過激な見出しを付けるなら「マスコミに踊らされるマスコミ」「ネットに翻弄されるマスコミ」という感じだろうか。
当然のことだが、マスコミ各社の情報収集力は非常に高い。彼らはICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)の最新動向をはじめ、同業他社の戦略をいち早くキャッチし、自社に取り入れている。iPhoneが登場すれば、すばやくiPhone向けにコンテンツを配信し、iPadが出れば、瞬時に対応するという具合に、その動きは極めてスピーディだ。瞬発力はビジネスの要諦でもあるので、それはそれで刮目に値するが、一方で盲目的に疾走しているような不安も覚える。マスコミが流すネット関連の先走り情報にマスコミ自身が踊らされているように見えなくもない。
ネット上のサービスは消長が激しい。いまはときめいていても、明日になれば廃れているというサービスは珍しくない。人気サービスにしてもほとんどはネットリテラシーの高いヘビーユーザーがけん引しており、一般的に定着しているサービスはむしろ稀有だ。
以上の観点から言っても、各々のサービスについて、本当にビジネスとして継続できるのか確認する必要がある。具体例を一つ挙げるなら、現在話題沸騰中のデジタル書籍。果たして商品として世の中に受け入れられ、ビジネスとして成立するのかきちんと精査したほうがいい。
数年前のネット界は、ブログやSNSに脚光が集まっており、今後の主流と見られていた。しかしどうだろう、一時ほどの輝きは失せ、主流というよりは一部マニアのツールという位置付けだ。ケータイ小説はどうか。飛ぶ鳥を落とす勢いで登場したが、いまは見る影もない。消滅したわけではないが、マニアックなサービスとして細々と生きながらえているという雰囲気だ。
デジタル書籍も実はその延長線上にあるのではないか。私はデジタル書籍に対する出版社の挑戦を評価しているし、その普及に水を差すつもりは毛頭ないが、少なくともこのような視点で検証してみることも姿勢として大切なことではないか。盲進を防ぐという意味からも重要なことだと思う。現状のデジタル書籍はプラットフォーム提供者が売り上げの数十%を手数料として持っていく。著者へ支払う著作権料や原稿料などもあるので、出版社の手元にはほとんど儲けが残らない。
ビジネス動向についても疑問符が付く。新書のデジタル電子書籍を制作、販売する某出版社の編集員は「ひどいものは1カ月の売り上げが400円くらい」と動揺を隠さない。
一方、「デジタル書籍が紙のレベルに近づくにはあと数十年はかかる」という意見が技術者側から出ていることも注目すべきだ。紙媒体とデジタルコンテンツをつなぐシステム「Kappan」の研究開発に取り組むNTTサイバーソリューション研究所メディアコンピューティングプロジェクトの宮田章裕氏は、
「紙は、読みやすさ、頑丈さ、自明のインタフェース、書き込み可能な点など有用性は高く、デジタル書籍はまだそのレベルに達していない。ただデジタルはリッチな表現が可能など、紙にはない特長もある。このような状況で求められるのは、紙媒体からリッチな最新データを簡単に取得する仕組みだ」
と話す。
本とネットのヘビーユーザー層は重ならない?
現在は、将来展望の有無、ネットの幻惑に翻弄されていないかを、冷静に考えてみる時期でもある。まず読者ニーズについてだ。果てして読書家といわれる人々の中でデジタル書籍の欲求が高まっているのだろうか。私の知る限り、そのような欲求は決して高くない。
価格の観点で言えば端末コスト、ネットワークコストとの兼ね合いが重要だ。仮に端末コストが5万円だとする。5万円あれば、1冊1000円の新刊本が50冊買える。本好きなら迷わず紙を選択するのではないか。出版社からすると、神経に障るだろうが、5万円を握りしめ古本屋へ行けば、新古書が300~400冊くらい買えるはずだ。
ネットワークコストはアマゾンのようにプラットフォーマーが負担する例もあるが、今後ユーザーが負担するようになれば、デジタル書籍の価格優位性はさらに薄れる。
また端末における電池の問題も視野に入れる必要がある。読書家なら5~6時間くらい平気で読みふけるわけだが、端末側がそのニーズに対応できるのか。デジタル書籍端末には他のデジタル端末同様、電池の問題が付きまとうことを忘れてはならない。これは紙の書籍にはない大きなハードルで、このハードルを越えない限り飛躍は難しいだろう。
もう一つある。実は、書籍とネットサービスには大きな共通点がある。それはビジネスモデルがロングテールの構造になっていることだ。
書籍の場合、月に50冊くらい読む読者、つまりヘビーユーザーが書籍市場を支えている。ネットサービスも同様で、一部のヘビーユーザーが市場を支えている。書籍のヘビーユーザーがどのくらいいるのか算定するのは難しいが、出版社やその道のジャーナリストの話を勘案すると、多く見積もって1万人前後ではないか。一方、総研などの話をまとめると、ネットサービスのヘビーユーザーは国民の1%前後のようだ。要するに技術者や事業者、ゲーマーを含め100万人程度で、彼らがお金を払ってサービスを使ってくれるから市場が成立しているわけだ。
ここで問題になるのは、書籍のヘビーユーザーとネットサービスのヘビーユーザーがどのくらいかぶっているかだ。ネットサービスのヘビーユーザーがデジタル書籍の読者になってくれなければ、デジタル書籍市場は盛り上がらない。そういう意味でも、ネットサービスのヘビーユーザーの中に読書家と呼べる人がどのくらいいるのか、詳しい市場調査が求められる。
余談になるが、現状、プラットフォーマーを目指す通信キャリアやメーカーは、オンラインゲーム(ソーシャルゲームとも言う)の取り込みに躍起だ。なぜならオンラインゲームではお金の取れるビジネスモデルが確立されようとしているからだ。具体的にはアイテム課金と呼ばれるもので、ゲームを始めたときは無料でも、強い敵を倒したり、さらに高度な技を展開するためのアイテムを有料で提供するモデルだ。このアイテム課金が結構なビジネスになるということで、やにわに注目が集まっている。
私の独断に過ぎないが、オンラインゲームに夢中になってお金を払う層に本当に読書家がいるのだろうか。ちょっと疑問だ。ただネットサービスというのは、基本的にこのような世界である。儲かるサービスが見つかれば、こぞってそちらへ流れていく。プラットフォーマーはオンラインゲームが儲かるならオンラインゲームに注力する。ほかのサービスが儲かるなら、オンラインゲームを捨てて、そちらに注力する。
ビジネスなのだから当然といえば当然だが、このような世界では、出版業界に底流する「活字文化を発展させる」「表現の自由を守る」「ジャーナリズムを堅守する」といった理念はないがしろにされる可能性のほうが高い。
出版社が主役になるべき
それはさておき、出版社のネット事業を見ていておもしろかったのは、各社の個性が色濃く反映されている点だった。予断は許さないが、マスコミの中で最初にネット事業をドライブさせるとしたら、出版社だろうと個人的には予想している。
私自身、デジタル書籍の興隆には半信半疑だが、それでも出版業界はチャレンジを続け、現在は紙とデジタルをバランスさせた売り方を画策。「ハイブリッド販売」と呼べそうな戦略にたどり着いている。紙で出版した書籍をネットで配信したり、まずはネットで配信し、それから紙で販売するなど、実験的な取り組みが繰り返されている。
しかし、出版業界はなぜそこまでしてデジタル書籍の取り組みを持続させるのだろうか。私は数多の関係者に取材をしてきたが、彼らの多くが、デジタル書籍に疑問を抱いていた。周知の通り、デジタル書籍ブームはこれまでも何度となく到来し、何も残さず去っていった。そういう歴史を知る彼らにとってデジタル書籍は期待より失意のほうが大きい。「デジタル書籍元年」はいま出てきた言葉ではなく、90年代にも2000年代のはじめにも存在した。某出版社の幹部は「今回は3度目のデジタル書籍元年だな」とぼやいていた。
それでもデジタル書籍に軸足を向けるのは、「もしかしたら」という可能性が残されているからだ。某出版社の幹部はこんな物言いで現在の状況を説明した。
「例えば20年前、ペットボトルの水を買うなんてナンセンスだとだれもが笑っていた。しかし現在、だれもが当たり前のようにペットボトルの水を買っている。いまこの時点でデジタル書籍はナンセンスである。しかし、その将来はだれも読めない。だから軸足だけは向けざるを得ない」
デジタル書籍の裏側には、技術革新やユーザーニーズの変容に戸惑う出版業界の悲哀が隠されているようだ。
雑誌系のネット配信でも動きが出ている。例えば、当連載にも登場していただいた新潮社は9月1日から有料サイト「ウェブ版フォーサイト」を始動。月額800円で国内外の政治・経済情報を提供している。同サイトは3月に休刊した会員制雑誌『フォーサイト』の後継版という位置づけだ。
実は私は同誌を購読していた。休刊の知らせが届いたときは正直ショックだった。こういう硬派な雑誌は根強い読者が付いているので残るものと考えていたからだ。この一件で雑誌不況の深刻さを改めて認識した。一方、休刊した雑誌がネットで復活するという事例は珍しく、そこには新鮮味もある。あまり喜べないが、ネットジャーナルは、こういう形で発展していくのかもしれない。
余談になるが、某出版社幹部と接見した折、「ぼくは雑誌が好きで、AとかB、C、Dなどを読んでいます」と話した。相好を崩すかと思いきや幹部は浮かぬ面持ちで「君の趣味は?」と聞く。「音楽が好きだし、マラソン大会にも出ますね」と回答。「音楽やマラソンの雑誌は読まないの?」と幹部。「ほとんど読まないですねぇ」と私。すると幹部は声を張り「そこに雑誌不況の根源があるんだ。君が挙げた雑誌は仕事に関連したものばかりじゃないか。雑誌の真骨頂は趣味やレジャー情報にあるのに、それはネットで済ますんだろ。だから雑誌が落ち込むんだよ」。「そうだったんですか、すいません」。幹部の剣幕に押されて思わず詫びてしまったが、雑誌不況の裏にネットの影があることはよくわかった。
節約志向が強まる昨今、私を含め趣味などへの出費をできるだけ抑えたい人は多い。そういう層にとってネットは便利で安上がりだ。マスコミにとってネット上での事業展開がいかに難しいかは最早論を待たない。モバイル系の有料課金が右肩上がりといっても現状はせいぜい「利益になるが柱にならない」という程度だ。
その背景には「ネットはフリー圏」というユーザーの強い感覚があるとされる。一瞬そうかと首肯してしまうが、よく考えるとちょっと変だ。私もネットユーザーの一人だが、毎月ISPに接続料を払っている。こう言うとすぐにクリス・アンダーソンのベストセラー『フリー』を持ち出す人がいる。同書にはISP料はネットを支えるものでコンテンツとは無関係との記述があり、その上、このような混同は価値を誤った単位で計っているせいだとお小手まで取っている。
う~む、ベストセラーに難癖を吐くのも何だが、そんなの詭弁だといいたくもなる。だってそうだろう、ネットに接続するほとんどのユーザーは豊富なコンテンツを目当てにしているのだから。そういう観点で言っても、ネット接続とコンテンツを分離するのはどうかと思う。理論的に理解できても、感覚的に納得できない。
多くの日本人ユーザーはISP料をネットへの入場料くらいに捉えているのではないか。だからネット上のコンテンツが有料だと、二重取りに遭ったような妙な腹立たしさを覚え、忌避するのだ。この感覚は根深い。
このような観点から言っても有料化のハードルは高く、すぐに定着するとは思われない。ここで求められるのは長期的な戦略だ。ポイント制を導入するなどユーザーのアレルギーを払拭しながら徐々に有料化の流れをつくることが肝要ではないか。
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執筆者紹介
- (電経新聞)
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