本の値引き競争で笑うのは誰?

2009年11月12日
posted by 大原ケイ

オンライン書店のアマゾンが自社の電子書籍端末、「キンドル」を普及させようとしてまず始めたのが、ハードカバーで定価20ドル以上もするような売れ筋の本のキンドル版を9.99ドルで売り始めたことだ。それまでは刊行後間もない売れ筋のハードカバーの本は、アマゾンの最大限ディスカウント枠でも40%引きなので、定価25ドルのものでも10ドル以下になることはなかった。

キンドル版の場合、同じアマゾンのサイトで購入後、1分もしないうちに手持ちのキンドルに自動的にダウンロードされ、読み始めることができる。しかも送料がかからず1冊10ドル以下となれば、数万円もするハードを買うのもやぶさかではない、という気にもなるだろう。

とはいえ、キンドル版の売上げは書籍全体の売上げからみれば、まだまだ数%という1桁の数字だったのである。話題になったとはいうものの、すぐに紙媒体の存在を脅かすような存在ではなかったはずだ。アマゾンとしては、同じタイトルなら、ハードカバーで売ってもキンドル版で売っても、同じ額の売上げを版元に払う、という条件の元で行っていたことだからだ。

なのに、それに対抗するように、ディスカウント・スーパーのウォルマートが売れ筋のハードカバーの本を10タイトル選んで9.99ドルで前売りを始めたことが、安売り競争の火種をつけることになった。ウォルマートといえば、同じ商品だったらどこよりも安いのがモットーの量販スーパー。商品の大半が中国製だったり、従業員の労働条件がかなり悪いので色々と批判もあるが、この不況の中で、いや、不況だからこそ売上げを伸ばしている数少ない企業のひとつだ。

ハードカバーの新刊が9.99ドルと聞いて我が耳を疑った。そんなのムリ!と思ったからだ。

アメリカでは、どんなお店でも、一定以上の部数さえ注文すれば版元から直接、定価の50%に近いディスカウント率で本を仕入れることができる(日本ではディスカウントという概念ではなく掛け率で言うので、5掛け強ということですね)。だけど、それはどんなにそれ以上の数を仕入れても半額よりは安くならないハズだった(10年ほど前、大手書籍チェーン店のバーンズ&ノーブルがもっと安くしろと裏で取引しようとして版元に圧力をかけ、公正取引委員会のお咎めを受けたことがある)。

ちなみにどんな本が10ドル以下になっているか、ちょっと列記してみよう。(カッコ内はハードカバーの定価)

・前注文だけでベストセラー入りの元副大統領候補サラ・ペイリンの自伝 ($28.99)
・ベストセラー作家ジェームズ・パターソンの「アレックス・クロス」シリーズ最新刊 ($27.99)
・久々のスティーブン・キングの書き下ろし1000ページの大作Under the Dome ($35.00)
・スリラーの大御所、ディーン・クーンツの新作Breathless ($28.00)
・遺作が見つかったマイケル・クライトンのPirate Latitudes ($27.99)

本をまるで傷みかけたバナナを叩き売りするようなウォルマートの行為に対し、アマゾンはさっそく、同じタイトルを同じ値段の9.99ドルで対抗し始めた。そうこうしているうちに、今度はウォルマートのライバルであるターゲットが同じタイトルを99セント安い9ドルきっかりで売り始め、さらにウォルマートは1ドル下げて8.99という値段をつけた。ターゲットがこれにマッチングすると、ウォルマートは8.98に。

こうなるとまさに泥沼。そうこうしているうちにも、インディペンデントと呼ばれる中小書店は最初から事態を冷静に傍観、安売り競争には加わらなかった。それどころか、その裏をかいて、取次から仕入れる代わりにこの3店に注文を入れ出したのだ。なにしろ、大量に注文しても通常1冊18ドル近いスティーブン・キングの新作がその半額で仕入れられるのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。

これに気がついたディスカウント店側は、さっそくお一人様数冊(ターゲットが5冊、アマゾン2冊、ウォルマートが3冊までだから、どんなに頑張っても10冊が限界)まで、という制限を付けた。書店によっては書店員スタッフ全員で注文を入れたところもあったみたいで、結局、安く注文できた一般の読者はあまりいないんじゃないか、という話もある。

その間にもスティーブン・キングは、「この話を聞いてgobsmacked(ベックラこいた)」というコメントを出していたし、出版社の団体ABA(American Booksellers Association)は、これがダンピングなどの違法行為に当たるかどうかを調べろと法務省に嘆願書を出す始末。

とりあえず、ディスカウント競争が自爆した3社は、これ以上安売りするタイトル数を増やしたり、値段を下げたりする気はなさそうで、一過性のクリスマス商戦で終わりそうな気配。とはいうものの、価格破壊による地獄を垣間見た恐いエピソードだった。

※大原ケイさんの個人ブログ、「マンハッタン Book and City」の 「値下げ競争で自爆した書店とスーパーの安売り戦争の顛末—Who won the $9 price war?」(2009年11月5日)を改題して転載したものです。

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キンドルで売れているのはどのジャンル?—What’s selling on Kindle? And why? (マンハッタン Books and City)

執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。