改革は「周縁」から起きる
多くの場合、大きな変革は中心からではなく周縁から始まる。マンガ産業も同じである。
思えば戦後の日本マンガの変革は出版の中心地・東京からではなく、大阪から始まった。戦後まもなく手塚治虫を祖として始まった「ストーリーマンガ」は、中央からは「赤本屋」という蔑称で呼ばれた大阪の零細出版社から生まれた。中央でマンガが子ども向け雑誌の1ページか2ページくらいのボリュームしか使えなかった時代、大阪ではマンガ単行本が中心だった。つまりストーリーを語るために必要なボリュームがあったのだ。
仮に手塚治虫が東京の雑誌でデビューしていたとしたら、彼は凡庸な子どもマンガの作家に終わっていたかもしれない。デビュー間もない手塚が、単行本デビュー作の『新寶島』(酒井七馬との合作)を引っさげて上京したとき、東京の大家のひとりは「これはマンガではない。こんなマンガはあなただけにしてほしい」と言った。その後、手塚は大阪でめきめき力を付け、人気を獲得していき、ついに東京での本格デビューを「漫画少年」という最高の舞台で飾る。初期の代表作『ジャングル大帝』がそのときの作品だ。
1950年代半ばには、やはり大阪から、マンガ表現を根底から覆し、現在のコミックにまでつながるムーブメントを起こした「劇画」が生まれている。舞台となったのは中央集権的な出版流通システムからはドロップアウトしたマイナーな出版社が細々とつくる「貸本マンガ」の世界。書店に並ぶのではなく、本を一泊5円程度の安価で貸し出す貸本屋にだけ並んだマンガ単行本である。
「劇画」の名付け親だった辰巳ヨシヒロも、のちにミスター劇画となるさいとう・たかをも当時はまだ20歳前後の若者だ。彼らは子どもが読むのではなく、自分たちと同世代の若者が読むマンガを生み出し、大人のマンガ読者を開拓した。中央の出版界は彼らの作品を「下品で残酷」「絵が汚い」などと酷評したが、やがてマンガ出版そのものが空前の劇画ブームに飲み込まれていった。
1960年代後半の青年コミック誌ブームを支えたのは、貸本劇画出身の若い描き手たちであり、「月刊漫画ガロ」や「COM」といったマイナー誌で新人デビューした描き手たちだった。大阪のマンガ出版はこの間に中央との競争に敗れて衰退してしまうが、今度はマイナー誌が周縁の役目を担ったわけだ。さらに1970年代に登場する「ニューウェーブ」と呼ばれる作家たちのバックボーンになるのは「三流エロ劇画誌」と呼ばれたマイナー雑誌であり、1980年代に入ると「ロリコン雑誌」が周縁としての役割を果たすことになった。
中央の出版社は、周縁で生まれた新しいマンガを取り込むことで新しい描き手と、新しい市場を労なく手に入れ、マンガ出版を産業と呼ばれる規模にまで発展させることに成功した。一方で、変革の原動力となった周縁の零細出版社は、描き手と市場を資本力に勝る中央に奪われ、消えていくしかなかった。
1990年代半ばを境に、日本のマンガ出版がパワーを失っていったのは、マンガ産業の中央集権化が進んで、周縁と呼ぶべき場所がなくなったからではないのか。そのために、大きな変革を起こすことができなくなったからではないのか。私は長年そう考え、『マンガ産業論』や『マンガ進化論』の中で繰り返し語ってきた。
ところが、ここ10年ばかりの間に、新たな周縁が生まれているのだ。それが東アジアのマンガだ。「周縁」という言葉を使うことで、あるいは差別的な意図を感じる人がいるかもしれないが、私にはまったくそのつもりがないことを明言しておく。文化人類学で言うような「中央を活性化する周縁」という意味で使っているだけで、これまでに書いたことからも理解してもらえるように、周縁の存在には肯定的な意義を感じている。もしも「東アジアという周縁」から新たなマンガの波が起きるのだとすれば、それはマンガそのものの未来にとってプラスになる可能性が高いとさえ見ているのだ。
テンセントコミックとウェブトゥーン
マンガ表現の新しいスタイル。それは韓国で生まれたウェブトゥーンだ。日本でもスマートフォン向けに配信される縦スクロール読みのウェブトゥーンは定着し、電子コミックのスタンダードになりつつある。しかし、紙のマンガ出版市場が減少傾向にあるとは言え、2412億円(『出版月報』2019年2月号)もある日本では、韓国とは少し事情が違っている。韓国のウェブトゥーンが電子コミックとして完結しているのに対して、日本の場合はリクープするためには紙の単行本にもする必要があるため、コマ割りやページの〝引き〟という紙のマンガならではの表現方法を残さざるを得ないのだ。
一方で、同じようにウェブトゥーンを取り入れながら、紙を意識せず電子コミックとして完結させることで新たな進化を始めているのが、中国だ。
JETROが2018年に発表した『中国出版市場調査』によれば、2017年3月の中国でのマンガ・アニメアプリのアクティブユーザーは1ヶ月あたり6585万人。日本の出版社と契約した日本マンガの作品、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『テニスの王子様』などの人気も高いが、それ以上に読まれているのがウェブトゥーン形式で描かれた中国人マンガ家によるオリジナル作品だという。
私は、非常勤講師として教えている京都精華大学の授業の冒頭で、毎年学生たちに「友達にすすめたいマンガ」というアンケートをとっているのだが、ここ数年でその内容は大きく様変わりしてきた。韓国の留学生がとりあげる作品に、韓国を代表するウェブトゥーン配信レーベル「ネイバーコミック」のものが増え、中国の留学生がとりあげる作品に、やはり自国の配信レーベル「テンセントコミック」のものが増えているのだ。いずれもウェブトゥーン形式の作品である。
中国からの留学生が紹介してくれた『一人之下(ひとりのした)』(米二/天津動漫堂)は、2015年からテンセントコミックで配信されているウェブトゥーンだ。主人公は秘められた超能力を持つ若者・張楚嵐(ちょうそらん)。彼と同じような超能力を持つ人々は異人と呼ばれ、国営の配送会社の「速達」が密かに動きを監視している。「速達」に雇われた楚嵐が異人の絡む恐ろしい事件に巻き込まれていく、というサスペンスアクションだ。中国ではすでに100億ビューを超えているという。
2016年には中国のアニメ製作会社・パンダニウムの手でつくられたテレビアニメ版が日本でも放映され(東京MX系列)、2017年からは原作の日本語版が集英社のWEBマンガサイト「少年ジャンプ+」でも配信されている。
別の留学生が紹介してくれた墨飛×BING『閻王法則』もテンセントコミックのヒット作だ。こちらもサスペンスアクションだが、縦スクロールで読ませるテクニックは『一人之下』よりも進化している。
2000年代のはじめから日本の出版社は中国企業との合弁で日本スタイルのマンガ雑誌を中国国内に普及させようと努力してきた。内容は日本のヒット作と中国の新人の作品を抱き合わせて編集するというものが中心だ。2012年には講談社が、日本の雑誌づくりのノウハウを中国に移植する目的で、広西出版伝媒集団との合弁で月刊誌「勁漫画(チンマンファ)」を創刊した。この雑誌の執筆陣はすべて中国の作家で、講談社は編集プロダクションとして中国人編集者をサポートするというのが特徴で、2015年には中国国内で新人マンガ賞を創立するなどもしている。
集英社も杭州市の翻翻動漫や中国国際動漫組織と手を組んで2006年から中国国際ストーリー漫画コンテスト「新星杯」を運営するほか、正規版の翻訳出版によって日本マンガの普及につとめている。
しかし、中国政府の規制や海賊版の横行の影響に加えて、広い国土を持つ中国で、日本のように全国津々浦々に雑誌を届けることは、インフラ面でもコスト面でも無理があった。
2000年代初頭の中国の若者はネットカフェなどで電子版のマンガを読んでいた。彼らが読んでいた電子版には日本マンガの海賊版が数多く含まれていた。スマホの登場によって中国の電子版マンガ読者はそのままウェブトゥーンに流れた。固定電話が普及していない中国では携帯電話やスマホは必需品であり、「誰もが持っている携帯端末が最良の読書端末になる」という法則はここでも生きていたのだ。
先に紹介したJETROの調査では、中国でのマンガ・アニメアプリの市場は快看漫画(クァイカンマンファ)とテンセントコミックがほぼ市場を二分していると紹介している。
快看漫画は、中国の人気女性マンガ家・陈安妮(チェン・アンキ)が2014年にスタートさせたマンガ・アプリで、登録者は1億3000万人。アクティブユーザーは月に1506万人に登る。ユーザーは大人の女性が多く、腐女子系の作品が中心。一方のテンセントコミックは、アリババ、ファーウェイと並ぶ中国三大IT企業の一角・謄訊(テンセント)グループが2012年にスタートさせたマンガアプリだ。登録者数は1億9200万人。アクティブユーザーは月に1478万人。子ども向けから若者向けまで幅広いジャンルを扱っているのが特長だ。
これに続くのが、日本の集英社と提携して『ドラゴンボール』『スラムダンク』などの配信を手がけている漫画島で、日本の他にアメリカ、香港、韓国、台湾などのマンガの翻訳を配信して、アクティブユーザーは月に572万人。2015年に政府の規制で一時サイトを閉鎖された影響があるかもしれないが、翻訳ものが中国国内のオリジナル作品に押されているという構図も見えてくる。
マンガ産業からACG産業へ
まあここまでは「マンガの大変革」と呼ぶほどのことではないだろう。
私が注目しているのは、テンセントグループが進めようとしているコンテンツ戦略なのだ。中国のSNSである「徴博(ウェイボ)」の中でも二大勢力と言えば、新良(シナ)・グループの「新良徴博」とテンセントグループの「謄訊徴博」だ。ユーザーはそれぞれ2億人を超えると言われている。
テンセントコミックはこの謄訊徴博と連動している。マンガ家は謄訊徴博にウェブトゥーンの作品を投稿し、その中でアクセスの多い作品はテンセントコミックでも配信されるようになっているのだ。投稿作品に原稿料は発生しないが、テンセントコミックで配信される場合は、広告収入の一定割合がマンガ家に支払われる。
この広告収入が大きいのだ。人気マンガ家は日本の原稿料や出版印税を遥かに超える収入を得ることができる。「中国には年収が億単位のマンガ家が何人もいる」と言われて久しいが、そのからくりがこの広告収入なのである。
さらに、テンセント・グループはその主力部門であるオンラインゲームの世界にもマンガのキャラクターを利用している。先に紹介した『閻王法則』はオンラインゲームにもなっているのだ。
さらに、テンセント・グループの中には、包括的業務提携を結ぶ上海の絵夢(えもん)アニメーションや、『キングコング 髑髏島の巨神』(レジェンダリー・ピクチャーズとの共同製作)や『ワンダーウーマン』(DCフィルムズほかとの共同製作)を製作したテンセント・ピクチャーズがあり、企画段階からハリウッドでの映画化も視野に入れていると言われている。
つまり、日本ではマンガは出版社が、アニメはテレビ局やアニメ会社が、映画は映画会社がと独立しながらメディアミックスがなされているが、中国ではテンセント・グループとテンセントが出資する企業を通して、ほぼワンストップでコンテンツを利用する形が生まれているのだ。
謄訊徴博のライバルである快看漫画も、登録されているコンテンツをワンストップで利用するために、配信作品のテレビ化、映画化に積極的で、2017年から2019年までの3年間に5億人民元(86億5000万円)を投じて、作品の質量両面での強化に取り組むと発表した。
中国からの留学生によれば、これらはアニメ・コミック・ゲームの頭文字をとって「ACG」産業と呼ばれているのだという。
日本人にとっては、マンガとアニメとゲームは別物だが、中国では日本のマンガはアニメから入って、興味があれば読むもので、原作という認識がない。マンガを描いている若者たちも「マンガ家」という職業を目指しているのではなく、ACG産業のコンテンツビジネスを担っているという意識なのだそうだ。
その一方で、中国の若いクリエーターたちの中には、大企業のACG産業に組み込まれるのではなく、自前のメディアを持って作品を発表する方向を模索する動きもある。自身のホームページをつくってそこに作品を発表し、広告収入や読者からの「投げ銭」で資金を調達するという手法だ。クラウドファンディングの中国版である。これを紹介してくれた留学生は、「セルフメディア」と読んでいたが、これに利用されているのがWeCHATであると聞いて驚いた。
実は、WeCHATはテンセントが提供するメッセンジャー・アプリなのだ。どうも、中国の巨大情報企業グループは自国内のコンテンツ全てを飲み込み、やがて、周辺の国々のコンテンツ産業も飲み込もうとするのではないか、と思えてくる。
はじめに中央と周縁の話を書いたが、このままでいくと中国という新しい「中央」が生まれて、日本が「周縁」に追われる可能性がない、とは言い切れない。そうならないために、マンガ、アニメ、ゲームといった垣根を越えた新しいコンテンツの企業形態が必要だと痛感している。それこそが、マンガ(もうマンガとは呼べないかもしれないが)の新しい道を開く近道だと思えるのだ。
(つづく)
執筆者紹介
- マンガ研究者。和歌山大学経済学部卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『マンガ産業論』(同)で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を受賞。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。2014年、日本漫画家協会参与に着任。
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