本とパブリック・ドメイン

2016年1月4日
posted by 仲俣暁生

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original image by Cienkamila; slightly edited by odder,(CC BY-SA 3.0

あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は、創刊から7回目の正月を迎えることができました。昨年から本誌の発行元となったスタイル株式会社の他のウェブメディアとも連携し、いっそう充実した誌面を提供してまいります。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ハッピー・パブリック・ドメイン・デイ!

さて、毎年1月1日は著作権保護期間にかかわるベルヌ条約で保護期間算定の区切りとなる日であり、この日を境としてパブリック・ドメインに置かれる作品が世界中で生まれます。そのことをもって元日を「パブリック・ドメイン・デイ」と呼ぶ人たちがいることを、青空文庫の故・富田倫生さんから教えられたのは6年前のことでした。

今年のパブリック・ドメイン・デイには、日本では谷崎潤一郎、江戸川乱歩、高見順、中勘助、安西冬衛といった、1965年に物故した作家がパブリック・ドメイン、つまり「本の公共地」に加わりました。青空文庫の「そらもよう」というコーナーでは「いまだ来ない本のための青空」という文章が公開されており、13作家の13作品の青空文庫入りが伝えられています。

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「パブリック・ドメイン・デイ」という呼び方があることを知って、私は「マガジン航」に当時こんな記事(「新年にパブリック・ドメインについて考える」)を書きました。以下、少し長くなりますがこの文章から引用してみます。

グーグルをはじめとする営利企業が電子アーカイブ事業に積極的に参入してくるなかで、日本の青空文庫や、アメリカのインターネット・アーカイブのような非営利の電子アーカイブの重要性は、これからますます高まっていくでしょう。そのときに考えたいのは、著作物が「パブリック・ドメイン」に置かれている、ということのもつ本質的な意味です。それはたんに経済的な意味で「タダ」である、という以上のことであるはずです。

「出版(publishing)」という言葉を、紙の本を刊行することだけに限定して用いるのではなく、あらゆるメディアにおいて「ものごとを publicにする」という意味をもつことに、多くの人があらためて注目するようになっています。インターネットはすでに、立派なpublishingのツールです。

「出版」という行為は作者や出版社にとっての私的な商業活動であると同時に、公的領域にかかわるパブリックな活動としての側面をつよくもっており、その両面をもつことが、出版の最大の魅力でした。しかし、「出版不況」と呼ばれる事態が長期化するなかで、早期の絶版や長期の在庫切れが示すように、出版という行為のパブリックな側面が軽視され、私的で商業的な側面ばかりが目立つようになってしまいました。

そうしたなか、日本でも欧米諸国に足並みを揃え、著作権保護期間を現行の作者の死後50年から70年に延長しようという動きが絶えません。保護期間延長問題の是非について考えることは、作者や出版社にとって「出版とは何か」ということを、その根本から考えることでもあります。あらたな「パブリック・ドメイン・デイ」を迎えた機会に、あらためて「パブリック・ドメイン」という言葉に思いを馳せたいと思います。

もっとノンフィクション作品の「電子化」を!

しかし、すでにご承知の方が多いように、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が大筋で合意に至ったことにより、日本における著作権保護期間は現在の「著作者の死後50年」から「70年」へと延長されることが決定的となりました。さいわい条約の批准や国内法の整備はまだ行われていないため、今年の元日には1965年に物故した作家の作品が追加されましたが、来年以後はパブリック・ドメインとなる対象が20年ほど巻き戻されてしまいます。これはとても残念なことだと言わねばなりません(TPP合意の報を受けての青空文庫のステートメントも参照のこと)。

しかし、そのことだけで本にとってのパブリック・ドメインの領域がやせ細ってしまうと心配するのは早計でしょう。なにより、著作権保護期間がすでに切れている作品のうち、現時点で青空文庫で公開されているものは、わずか1万3187作品(本日時点)にすぎないのです。「わずか」というのは、青空文庫がこれまで行ってきた活動が不十分だという意味ではありません。世の中には膨大な著作権保護期間の切れた作品が、パブリック・ドメインとして利活用できる状態となることなく、手付かずで残されているという事実のほうに、私たちはもっと目を向けるべきだと思うのです。

著作権保護期間が以前から70年だった地域では、今年ようやく1945年に物故した人物の著作物がパブリック・ドメインに加わります。Wikipediaのこの一覧をみると、ハンガリーの作曲家バルトークらと並んで、アドルフ・ヒトラーやアンネ・フランクといった著名人の名も並んでおりドキッとします。『アンネの日記』をパブリック・ドメインとして公開する動きに関しては、アンネ・フランク財団が抗議する姿勢を見せており、インターネット上でも議論となっています(この件についてはカレント・アウェアネス・ポータルのこの記事が参考になります)。

ところでいま日本では、あの戦争の時代を生きた人々が残した膨大なテキストは、いまどのくらい容易に目にすることができるでしょうか? 昨年は「戦後70年」の節目ということもあり、日本でも第二次世界大戦時の記憶をとどめようという議論は盛んでした。しかしそのことと、著作権保護期間の延長問題やデジタル・アーカイブとをリンクさせた議論はあまり目立たなかったように思います。

これまで青空文庫がアーカイブしてきたのは主に近代文学作品でした。記録文学をはじめとするノンフィクションの領域の電子アーカイブ化は、国立国会図書館が電子アーカイブ化を行っている図書や文書(国立国会図書館デジタルコレクション)を除くと、あまり手が付けられていない状況といっていいでしょう。

さらに著作権保護期間切れの作品のほかにも、「孤児作品」と呼ばれる、保護期間が切れているかどうかが不明の作品が膨大にあります。それらをどのようにして、あらたな読者や利用者の元にとどけていくか。そのたいへんな作業は青空文庫だけでなく、多くの人の手によって担われるべきです。

「マガジン航」はこれからも、青空文庫をはじめとするデジタル・アーカイブの動きに注目してまいります。企画のご提案、ご寄稿を心よりお待ちしております。


【イベントのご案内】
持田泰「變電社の試み ~『デジタルアーカイブ』『パブリックドメイン』がもたらす自己出版の可能性を探る」

日本独立作家同盟のセミナーに、「マガジン航」にも何度かご寄稿いただいている變電社主宰の持田泰さんが登場します。第二部ではゲストに国立国会図書館の方もお迎えし、本誌編集発行人もトークに参加。本とパブリック・ドメインの問題に関心のある方は、ぜひご参加ください

日時:2016年1月30日(土)14:00~17:00(13:30開場)
出演:持田泰(變電社) 、大場利康(国立国会図書館)、仲俣暁生(マガジン航)
場所:グラスシティ渋谷 10F HDE, Inc.(東京都渋谷区南平台町16番28号)

※イベントの詳細とお申し込みはこちらをご覧ください。
http://peatix.com/event/140645 

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。