「電子空間の中の文学」に向けて

2015年2月16日
posted by 仲俣暁生

ここまでの道のりは遠かった――。先週アマゾンがMac向けデスクトップ用読書アプリ、Kindle for Macを日本語対応させたのを受けて、さっそくダウンロードして使ってみての率直な印象です。ああ、これでやっと「電子書籍」の最初のステージが完了したのだな、との思いを深くしました。

Kindleの英語版と日本語版とでは、これまでもサービスの投入時期にタイムラグがありました。Kindle for PC/Macの日本語対応は、とりわけリリースが望まれていたもので、私自身もそれを待ちかねていた一人です。

すでにアマゾンは1月21日にPC(Windows OS)向けのKindle for PCを日本語対応させており、今回のKinde for Macはそれに続いたもの。また、このほかにKindle Cloud Readerも日本語対応が少しずつ進んでおり、画像の書籍・雑誌・マンガであればウェブブラウザ上で閲読可能になっています(英語版書籍はリフロー型の書籍も閲読可能)。こちらも日本語のリフロー型書籍も含めた完全対応が待たれます。

Kindle Cloud Readerこそ、まだ完全に日本語対応していませんが、とりあえずKindle端末(PaperWhite, Voyage, Fireなど)でもスマートフォンやタブレット(iPhone、Android)でも、PCとMacいずれのデスクトップでも、Kindleユーザーは電子書籍の蔵書を、環境を問わず自在に読めるようになりました。

このようなマルチ読書環境の構築において世界的には先行していたアマゾンですが、日本ではすっかり他社の後塵を拝した観があります。専用端末とスマートフォン/タブレットとPC/Macのデスクトップ環境のすべてで電子書籍が読める環境は、楽天Koboがいちはやく実現しましたし、BookLive!もMacOS用ビューアを除くすべてを揃えています(Macからでもウェブブラウザを介して閲読可)。紀伊國屋書店のKinoppyやアップルのiBooksも、アマゾンより先にデスクトップでの閲覧環境をリリースしています。

しかし、紙の本も含めれば圧倒的な存在感をもつアマゾンが、スモールスクリーンの端末だけでなく、多くの人がウェブに接する際のインターフェイスであるPC/Macのデスクトップ向け環境を用意したことは、大きな意味をもつものと考えられます。

Kindle for PC/Macの日本語対応がここまで遅れた理由はよくわかりません。しかし、このようなマルチ読書環境=プラットフォームとして電子書籍をまっさきに最初に打ち出したのはアマゾン自身です。いまもまだ誤解している人がいるようですが、Kindleとは「読書専用ハードウェア」の名称ではなく、こうした読書環境の全体を指しています。

そのような「環境」の兆しとして、英語版のKindle for PCが登場したのは2009年11月のことでした。当時、私は英語版のKindleでこのサービスをすぐに試し、 「マガジン航」で以下のような記事を書きました。

Kindle for PCを使ってみた
Kindle for PCを使ってみた(続)

冒頭の「道のり」とは、一つにはこの間のことを指しています。ようやくアマゾンが、ここにきてKindleという電子書籍プラットフォームの「パズルの最後の一コマ」を埋めたことで、2009年以来の「電子書籍」のパラダイムは、ひとまず完成をみたと言えるでしょう。それは「いつでも、どこでも、電子書籍がシームレスに読める環境」の実現です。

はじめからしまいまで読んで行く」のではない電子書籍

Kindle for Macがリリースされたので、私はこれまでに買った電子書籍をいろいろとデスクトップで読みなおしてみました。その結果、この仕組みはKindle端末やスマートフォン、タブレット上での「読書」とちがって、どちらかというと「研究」「調査」などに向いているのではないか、ということに気づきました。

デスクトップのビューアがふつうの「読書」に向かない、と言いたいわけではありません。しかし、「デスクトップ」と呼ばれるユーザー・インターフェイスは、もとはといえば作業スペースとしての「机」のメタファーですから、読書に没入できるように設計された読書端末がもたらす経験とは、おのずと異なってくるはずです。

そのことを確かめるうえで、ちょうどいい本はないだろうか。そこで私が思い出したのは、国文学者で文芸評論家でもあった前田愛の『都市空間のなかの文学』という本です。

1982年に筑摩書房から発売されたこの本を、大学時代に読んで以来、なんども読み返してきました。数すくない愛読書のひとつなので、ハードカバー版は古本で買い直しましたし、1992年にちくま学芸文庫に入った折も、のちに電子書籍版が出たときもすぐに買い求めました(私はKindle版で書いましたが、楽天KobohontoReaderStoreなどでも売られています。プラットフォームによって価格差があるのでご注意)。

じつはこの本は、以前エキスパンドブック版としても電子書籍化されています。そのときのデータを久しぶりに立ち上げてみました。

文字の解像度やビューアのこまかな仕様を除けば、新旧二つの電子版(上がKindle版、下がエキスパンドブック版。クリックで拡大表示)の佇まいはそっくりですが、それは見た目だけのこと。電子書籍のバックエンドの仕組みは、この数年間に一変しました。

エキスパンドブックに象徴されるかつての電子書籍は、「目次」「柱」「しおり」といった、紙の本がもつ内部構造や体裁を再現し、その使用感をできるだけ受け継ぐことに力が注がれていました。その上で、文字サイズや行間、段組などを、好みの状態にカスタマイズできることが売りでした。

しかし、いまの電子書籍はウェブの存在を前提にしています。出版や販売のためのプラットフォームとしてだけでなく、電子的な「読書」を支援する環境としても、ウェブの存在を抜きには考えられません。冒頭で述べた「道のり」とは、電子書籍をめぐるこうした環境の激変をも意味しています。

ウェブ上のアーカイブと電子書籍をつなぐ

『都市空間のなかの文学』の序文にあたる「空間のテクスト テクストの空間」という文章のなかで前田愛は以下のように述べています。

 M・ビュトールは、はじめからしまいまで読んで行く書物というものが書物ぜんたいのなかでは例外的な存在であって、私たちの社会でもっとも重要かつ不可欠な書物は、参照する書物、辞書のタイプの書物であるといっている。「そうした書物は二十世紀文明の特徴です。どんな都会も、どんな近代国家も、電話帳というあの本質的な物体、検討されることあまりにすくないあの不朽の著作が欠けていたら存続しえないでありましょう」(「文学、耳と眼」清水徹訳)。いかにも楽譜状のテクスト『モビール』を書いた人にふさわしい発言であるが、ここでビュトールがあげている電話帳という書物の型態は、文学テクストの「内空間」を規定して行くうえである示唆を提供してくれるはずである。

「はじめからしまいまで読んで行く書物というものが書物ぜんたいのなかでは例外的な存在」であるという指摘は、「電子書籍」の場合にも言えることでしょう。そもそも書物の電子化は、辞書や百科事典といった「参照する書物」がまず先行しました。上の引用箇所で「二十世紀文明の特徴」とされている「電話帳」は、ウェブの時代には「検索サイト」「検索エンジン」へと進化し、すでに21世紀文明にとって不可欠な要素となっています。

「参照する書物」がスタンドアロンの電子書籍からウェブへと溶け出した(Wikipediaがその象徴)のち、携帯電話や読書専用端末、スマートフォンやタブレットといったスモールスクリーンの電子機器が普及することで、「はじめからしまいまで読んで行く」タイプの本の電子化が進みました。「ケータイ小説」や電子コミックによって電子書籍市場が立ち上がり、いまもマンガやエンタメ系の小説、ライトノベルなどの「読み物」が、電子書籍市場の中核をなすのはたしかです。

しかし、そこで電子書籍の進化が止まってしまっては、紙の書物がこれまで果たしてきた役割の、ごく一部しか代替したことになりません。

この本で、前田愛は夏目漱石や森鴎外、樋口一葉らの近代文学作家をおもに論じています。幸いなことに、文中で引用されている作品の多くは著作権保護期間が過ぎており、ウェブ上にそのテキストの多くが公開されています。これは本書が書かれた30年以上前の時点では、想像もつかなかった環境でしょう。

本書には、東京という「都市」のさまざまな地名への言及もあります。紙の本では、それらの場所を示すためには地図の一部を挿絵で取り込むしかありませんでした。しかし、古今東西の無数の地図にも、いまならばウェブ検索で手軽にたどり着けます。それどころかGoogleMapをはじめとする地図アプリによって、ダイナミックに地図を体感することもできるようになりました。

本格的に文学研究をするとなれば話は別でしょうが、初学者や文学愛好家にとっては、電子書籍になった『都市空間のなかの文学』は、こうしたネット上に散らばるさまざまなアーカイブに向けて開かれた、かっこうのポータル(玄関)になっています。

かつて本書がいちはやく電子書籍化された理由のひとつに、この本で論じられている「都市空間」を「サイバースペース=電子ネットワーク空間」に読み替えてみたいという、編集者のひそかな意図があったのではないか――私はそう考えています。この本を手がかりに、青空文庫におさめられた漱石や鷗外、一葉の作品に親しむのもいいでしょう。明治から大正にかけての時代に東京という「都市空間」におきた変容を、ネット上の古地図やGoogle Mapと作品テキストを相互参照しつつ、味わってみるのもいいでしょう。

そのためのアーカイブは、すでにネット上にあまた存在しています。2年前に書いたこの記事で、私は電子書籍とウェブの相互連携の重要性について述べました。今回のKindle for PC/Macの日本語対応は、この動きをさらに前進させてくれる気がします。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。