神田古本まつりで「電子書籍」体験を

2012年11月9日
posted by 池田敬二

昭和35年から開催されている神田古本まつり。約100店舗が参加し、出品される本の数は100万冊以上だという。今年は10月27日(土)から11月3日(土)まで開催された。国内はもちろん、海外からも多くの「本好き」「活字中毒たち」が訪れた。

古書探しはもちろんのこと、神保町の街情報もわずかなキーワードから「連想検索」によって探し出してくれる心強い存在が、2007年10月にオープンした「本と街の案内所」である。神田古本まつり開催期間中には多くの人々がこの案内所を訪れた。この「本と街の案内所」には、2011年9月から未来の読書環境の提案を行なう実験室として、電子書籍端末による読書体験ができる「e読書ラボ」が開設されている。市販の電子書籍端末を一堂に展示し、実際に手に取って比較できる。多くの古書や新刊書籍を買うために人が集まる神田神保町で、電子書籍が体験できる貴重な場所である。

連日、夕方まで大勢の人出で賑わった神田古本まつり。

「電子書籍体験コーナー」での貴重なヒアリング

私が所属する一般社団法人 電子出版制作・流通協議会(通称、電流協)は、電子出版の制作・流通に関する市場とビジネスを成長拡大していくために、2010年に設立された。現在、約130社の会員で構成されている。

今年の神田古本まつりの期間中、電流協は「e読書ラボ」の協力で「本と街の案内所」の奥のスペースに「電子書籍体験コーナー」を開設した。試用できる電子書籍端末およびコンテンツを増設、より多くの来場者にじっくり電子書籍での読書を体験してもらおうとテーブルと椅子も用意した。紙の本のヘビーユーザーに、電子書籍を紹介しようという試みである。

ゆっくり触る機会の少ない読書用端末を体験できるコーナーが設置された。

事前には迷いもあった。古本まつりの来場者と電子書籍のユーザー層は属性がまるで違うので、無意味ではないか? という危惧である。いや、だからこそ意味があるはずだ! と、この企画を推進してきた電流協普及委員会や「e読書ラボ」を運営している国立情報学研究所 連想情報学研究開発センターのスタッフとも侃々諤々のディスカッションを繰り返した。結果、電子書籍や電子出版の普及活動の一環として、まずは実施してみようということになった。

実際に私が立ち会った感触をお話しよう。会期直前の10月25日にアマゾンkindleの日本販売のニュースも飛び込み、この話題もあってか、想像以上に「電子書籍体験コーナー」に関心を持っていただいたようであった。

蓋をあけてみれば、ほとんど電子書籍は初めてという方ばかり。残念ながらKindle Paperwhiteは展示できなかったが、ソニーリーダーやkobo Touchなどを並べたところ、「これなら紙に近い」「文字の大きさも変更できて便利だ」「家が本で溢れているので、一定量でも電子化できれば助かる」という好感触の初心者の声が聞かれた。天候によって増減はあったが1日平均約40人で期間中約300人の来場者がこの「電子書籍体験コーナー」を訪れた。

特に印象的だったのは奥様が入院中の老紳士の話だ。寝たきりの奥様は大の読書好きだが、手が不自由になって本を持つことさえ難しい。耳で読むオーディオブックや朗読ボランティアなどを提案したが受け入れず、自分の目で活字を読みたいのだという。ここならいろいろな電子書籍端末が見られると娘さんがプリントアウトした地図を頼りに、電車を乗り継いでいらしたのだった。

操作方法を確認すると「これなら妻も使えそうだ」と、一つ一つの端末について丁寧にメモを取る姿に胸を打たれた。大きさが比較できるようにペンと一緒に電子書籍端末をデジカメで撮影しながら、床ずれ防止のため体位交換する都合上「(左右、中央とベッドの)3ヶ所に順次固定する工夫がいるなぁ」とつぶやいていらした。電子書籍の役割は、読書形態がアナログからデジタルに移行するだけではなく、読みたくても読めない状態を解決できるという側面があることをあらためて実感したエピソードであった。

電子書籍とアクセシビリティーについて

出版コンテンツをデジタル化することで、これまで読みたくても読めなかった高齢者や視覚障がい者などに、待望の読書の道を切り開くことも可能だ。アクセシビリティーといえば、スマートフォンや iPadなどタブレットのユーザーインターフェースでおなじみのピンチイン、ピンチアウト(タッチパネル上で2本の指で画面をつまむようにして操作すること)による文字の拡大縮小機能や、視覚障がい者が利用している音声読み上げ機能を思い浮かべる人が多い。

デジタル化されたテキストデータは、音声に変換させるTTS(Text To Speech)の技術や音声合成エンジンも驚くほど進化している。ちなみに、電流協のニューズレターはアクセシビリティーの観点から、毎号PDF版、HTML版、EPUB版に加えて、音声合成された朗読が埋め込まれたTTS機能付EPUB版も発行している。関心のある方はその実力を試していただきたい。

このTTSは視覚障がい者や高齢者だけでなく、いわゆる健常者にも聴覚で「読む」という行為が新しい読書スタイルとして定着する可能性がある。満員電車の中でいくら読みたくても物理的に本を開くことができないような状態でも、TTSであれば聴くことができる。出版物だけでなく、通勤電車の中などで新聞など速報性の高いコンテンツも適しているといえる。

また出版物を朗読した音声コンテンツのオーディオブックは、かつてはカセットテープやCDといったパッケージメディアであったが、現在はインターネット上でダウンロードする形式が主流になっている。オーディオブックの市場規模は日本では10億円程度といわれているが、全米オーディオブック協会の発表によると米国では2010年のセルマーケットで1167億円、ダウンロードマーケット市場で692億円と大きな市場を形成している。セルマーケットとダウンロードマーケットの数値比率の逆転も、新しい統計で見られるはずだ。

アメリカでオーディオブックが日本に比べてはるかに大きな市場を形成している要因として、国土が広大で車社会なので移動中に耳で「読む」習慣が浸透していることや、就労ビザで集まる多くの外国人たちが文字よりも音声で英語に親しんでいることも挙げられる。オーディオブックは声優らが朗読して録音するためコストも時間もかかるが、TTSは低価格、短時間での音声変換が可能である。電子出版以外でも文章の校正やレシピなど様々な応用が可能であると新たなサービスも登場している。

こうした電子書籍をアクセシビリティーから捉えることは、社会的意義や福祉の側面で重要であるのと同時に新しい読書スタイルを生み出し、市場拡大につなげるという意味でも見逃せない視点である。新刊書籍や過去の膨大な出版コンテンツにもアクセスできる環境が整備され、誰もが読める電子出版が実現できれば、出版社をはじめとする出版業界にとっても、そして何よりも読者にとって理想的な姿といえるだろう。

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池田敬二
(一般社団法人 電子出版制作・流通協議会)
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