「電子書籍」の前にまず「電子出版」を

2012年3月5日
posted by 仲俣暁生

posted by 仲俣暁生(マガジン航)

「憂鬱な e-Book の夜明け (仮) アトムとビットのメディア考現学」という電子書籍を上梓されたKazuya Yasui(夜鷹)さんにご寄稿いただいた、「電書メランコリーの蚊帳の外で」という文章を「読み物」コーナーに公開しました。私はこの文章を読んで、ここ数年、自分のなかでずっとすっきりしなかったことが、ストンと腑に落ちる思いがしました。

Yasuiさんは、「文化」としての出版と「商行為」としての出版は全くの別物である、とした上でこう書いています。

「出版」の原義が「世に出して知らしめること」であるのは、英語の “publish” が “public” からの派生語であることを考えても明らかで、本来そこに商行為の匂いは一切含まれない。同様に「文化」を表す “culture” は “cultivate” からの派生語だ。原義の「土地を耕して耕作地にすること」から転じて「知識・教養を育むこと」となり、そうして得られた知識はコミュニティの中で伝承・共有され、そのコミュニティの「文化」となる。

つまり文化の形成プロセスで、知識を伝承・共有する手段として「出版」が行なわれるのであり、そこでは出版業界(今日では出版社・取次会社・書店により構成される流通システム)はそれを手助けする仲介人(メディア)の位置付けになる。

ここで言われている意味での「文化」としての出版と、「商行為」としての出版の混同が、電子書籍をめぐる議論をきわめてわかりにくく、かつ不毛なものにしていることは確かです。「文化」のほうが偉くて「商行為」は劣る、などといいたいわけではありません。また文化が結果的にお金をもたらす場合もあれば、商行為のつもりが儲からないこともしばしばです。ですが、概念としては両者の間で一線を引いたほうがわかりやすい。だからこそ、Yasuiさんは「出版」や「文化」を――そして引用箇所の後では「本 book 」の意味までも――原義にさかのぼって再確認しようとしているのです。

「出版」の新しいエコシステムを

いまの時代に、もっとも簡単に「世に出して知らしめること」ができる手段はインターネットです。だからネット上で何かを「公開」することも、英語ではごく普通に publish といいます。「出版」というと、どうしても「版」という漢字のイメージに引きずられ、印刷(あるいは少なくとも組版)されたものと思いがちですが、原義はもっとシンプルで、ようするに何かをプライベートな領域からパブリックな領域に移すことが「出版」です。

「電子書籍」という言葉で表現されているものは、本来の「出版=Publishing」の試み(電子書籍でなくてもメルマガでもブログでも構いません)と、業界内でのジャーゴンとしての「電子書籍」に、おおよそ二分できます。かつて「電子出版」といえば、CD-ROMなどの固定メディアによる流通しか手段がありませんでしたが、その制約はなくなり、すでに多くのコンテンツが電子的に「出版」されています。他方、最大の当事者であるべき出版社は、新しい情報環境のもとでの「出版」が不得手なため、プラットフォームに対するコンテンツの提供元にとどまっている。その一方で、出版業界とは無縁のベンチャーが「出版」の心意気をもっていたりします。

いや、出版社だっていろいろと電子的にも「出版」しているよ、という声も聞こえてきそうです。だったらこう言い換えましょう。アマゾンのKindle Direct PublishingやアップルのiBooks Authorなど、「黒船」と呼ばれることもある米国のITプラットフォームは、たんに既存の本の「電子書籍」版を売るだけでなく、あらたな「出版」の仕組みを自社のサービス(より正確に言えばエコシステム=生態系)のなかに備えています。

既存の本や、これまでと同じように紙でも作られる本の電子化という意味での「電子書籍」以外にも、インターネットやスマートフォン、タブレット端末、さらにはソーシャルメディアなどの新しい情報環境にふさわしい、これまでの出版社/者以外にも開放された「出版」の動きが日本でも起きています。しかし、両者はなかなかひとつの流れになりません。

これは他人事ではなく、私自身、これまでにない「出版」を促進しうるプラットフォームとしての電子書籍と、既存の本のカタログが一気に電子化されることで生れるコンテンツ・アーカイブとしての電子書籍の両方に心惹かれています。しかし、両者の間には思いのほか、大きな裂け目があることもだんだん分かってきました。そのどちらにもなりきれない日本の「電子書籍」は、なにか大きな誤解の産物、とまではいかなくとも、大きな迂回路をめぐっているのではないか、という気さえしてきます。

いずれにしても、「電子書籍」が生れるためには、誰かが「電子出版」をしなければならない。そのことが等閑視され、「出版社/者」の主体性が見えないまま、電子書籍の数合わせ、帳尻合わせが進むだけだとしたらあまりにも不幸です。この4月にも設立されるという出版デジタル機構が、たんなる「電子書籍」の制作管理団体にとどまらず、出版社が(できうることなら既存の出版社以外の「パブリッシャー」も含め)本来の意味での「電子出版」の主体となれる環境を整備してくれることに期待しています。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。