グーグル・プロジェクトは失敗するだろう

2010年3月25日
posted by 津野海太郎

昨秋、アマゾンで、まもなくロバート・ダーントンの『The Case for Books』という本がでることを知った。でもこれ、なんと訳したらいいのかね。たぶん「本という事件(事例)」あたりなのだろうが、そこに「本の容器」という意味がかぶさっているのかもしれない。

ダーントンは、18~19世紀フランスの出版業界をフィールドとするアメリカの高名な書物史家で、日本でも『革命前後の地下出版』『歴史の白日夢』『猫の大虐殺』『禁じられたベストセラー』などの翻訳がでている。

ハーヴァード大学図書館の館長でもあり、近年は『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』をおもな舞台に、本の電子化にかんする積極的な発言をつづけてきた。おそらくこんどの本も、それらの最近のエッセイをあつめたものなのだろう。

ロバート・ダーントンの新著『The Case for Books』

ロバート・ダーントンの新著『The Case for Books』

私は書物史家としてのかれを信頼している。とくに『猫の大虐殺』が好き。文章もいい。そこで、すぐ予約注文しておいたら、ほどなく現物が届いた。長めの序文がついていて、それがたいへん興味ぶかい。

しばらくイギリスにいたダーントンが、ハーヴァードに新しい図書館長として呼び戻されたのが2007年の夏。そのときはすでにグーグル・ブックサーチに向けた図書館蔵書電子化の秘密交渉がはじまっていたという。いやもおうもない。たちまちその渦中にまきこまれたダーントンは、交渉の過程で、グーグルの関心が電子化データの独占とそのビジネス利用にしかないということに気づく。

グーグルには批判的。しかしだからといって、印刷本の電子化にやみくもに反対しているわけではない。それは、おなじ本におさめられた「サイバースペースの功罪」という文章で、「これまで私たちは、書物はコンピュータにまさる、と惰性的に考えてきた。でも、それはまちがっている」とのべているとおり。

「書物だけでは足りない。残念ながら書物もまた、いくつかの限界をもっているのだ。研究者としての経験でいうが、書物だけでは、あまりにも多くのものがこぼれ落ちてしまう。そこで私はインターネット上でつくられる多層構造の電子本を夢みる」

その夢を実現すべく、すでにダーントンは AHA(アメリカ歴史協会)の Gutenberg-e計画に中心的にかかわるなど、いくつかの活動を実際にはじめている。ただし、電子化であればどんなやり方でもいい、というのではない。それには守るべきいくつかの「基準」があるはずだ。

「インターネットは学びの世界を変えるだろう。そう私は確信している。すでに変化ははじまっている。未来にむけての新しい諸基準を用意する一方で、過去からひきついだ最高度の諸基準を保持しつづけること。責任をもってそうすることが私たちの仕事なのだ」(同)

ようするにダーントンは、もし電子化によって印刷本の限界を越えるというのであれば、最低ではなく最高の鞍部で越えるのでなければ意味がないよ、と考えるタチの人なのだ。そんな人物の目から見ると、グーグル・ブックサーチの越え方には納得できない面が多々ある。 だいたい、グーグルにはおびただしい数の技術者や弁護士はいても、ひとりの書誌学者も専門の図書館人もいない。そんなことで「夢の電子世界図書館」が実現できるわけがないじゃないか。

図書館の無料原則は守られるべき

では図書館の歴史がつくりあげた最高の鞍部とはなにか。だれでも自由に蔵書を利用できる図書館の無料原則がそれだと私は思ってきたし、ダーントンもおなじように考えているようだ。電子図書館に専門の図書館人が必要なのは、もちろん技術的な理由もあるが、なによりも、この原則の重要性を深くこころえているスタッフがいないと困るからなのである。

それやこれやで、結局、ダーントンは「このグーグルの計画は失敗するだろう」と確信するようになった。そこから、「オープン・アクセス」運動の一環として、企業利益ではなく公共的な基盤にたつデジタル・アーカイブ集合といったものを構想し、いずれはグーグル・プロジェクトをもそこに加えてゆく、という方向での活動を開始しつつあるらしい。

さきほど私はロバート・ダーントンを「高名な書物史家」と紹介した。もうすこしくわしくいえば、前世紀の60年代から70年代にかけて、リュシアン・フェーブルらの大著『書物の出現』をきっかけに、書物史を科学史や芸術史とならぶ独立の学問領域として確立しようとする運動がはじまった。『書物の秩序』のロジェ・シャルチエや『印刷革命』のエリザベス・アイゼンステインと並んで、その流れに立つ現在の代表的な学者がダーントンなのである。

この「書物史」運動の大きな成果(のひとつ)は、5000年におよぶ書物史に生じたさまざまな変化のうちで、「口承から書記へと「写本から印刷本へ」というふたつの変化を、もっとも本質的で決定的な変化としてくっきり浮かび上がらせたことだろう。そしてダーントンは、その第一の革命(書記革命)と第二の革命(印刷革命)につぐ第三の革命として、いまの電子化を積極的にとらえようとする研究者たちの代表でもある。シャルチエはそうしたダーントンにやや批判的であるかに見える。

書物史は直接の役には立たない。でも、大きな見通しをあたえてくれる。そうダーントンはいう。「いずれにせよ、未来はデジタル化され、現在はその過渡期である。印刷とデジタルというコミュニケーションの2つのモードが共存し、新しい技術がたちまち時代おくれのものになってゆく」(序文)

この「新しい技術」は、おそらく「デジタル」をもふくむのだろうが、そのあたりはやや曖昧かな。私は「ふくめるしかないだろう」という立場だ。デジタル化は印刷のような限定された技術ではなく、産業革命とおなじ総体的な変化なので、その着地点がなかなか見えない。したがって、いま新しく見える個別技術が、しばしば、あっというまに陳腐化してしまう。グーグルのブック・プロジェクトも、いまはまだ過渡的な試みと見ておいた方がいい。それが私の考え。

日本にもすぐれた書物史家が何人もいるが、それぞれの膨大な知の蓄積を背景に、本や図書館の電子化について真正面からの議論をたたかわせる気風はないにひとしい。書物史家の誇りにかけて、かれらが「未来に向けての新しい諸基準」をさぐる作業に積極的にとり組んでくれるといいのだが。

■関連記事
Robert Darnton The Case for Books: Past, Present and Futureへの書評記事(丸善ライブラリーニュース160号、PDF)
On the ropes? Robert Darnton’s Case for Books (Publishers Weekly)
The New York Review of Booksに寄稿されたRobert Darntonの記事一覧
書物史の第三の革命