ブックフェアを見て歩いた3日間

2013年7月24日
posted by 鷹野 凌

2013年7月3日から5日まで東京ビッグサイトで行われていた「第17回 国際電子出版EXPO」へ、私は3日間とも足を運びました。同時期に併催された「第20回東京国際ブックフェア」とあわせ、私が取材した展示内容やセミナーは以下の記事にまとめてあります。

・乾電池駆動の電子ペーパー端末「honto pocket」、ハルヒ11作品入りで書店販売? -INTERNET Watch
・Kindle国内責任者が語る「電子書籍の理想郷」、現状と課題は -INTERNET Watch
・「紙も伸びる」「自己出版の隆盛」電子書籍キープレイヤーが占う未来 -INTERNET Watch
・日本の電子書籍、普及の課題は「ディスカバラビリティ」 -INTERNET Watch
・山田順さんによる国際電子出版EXPOセミナー「電子書籍、プラットフォームはそろった!ところで読者の本音は?」まとめ : 見て歩く者 by 鷹野凌

気になる「不在」のプレイヤー

全体の印象としては、来場者も多く盛況だったように思うのですが、主要な電子書店が出展していないという事実について触れないわけにはいきません。海外組では、ここ1年の間に次々と日本上陸を果たした Amazon(Kindle)、Apple(iBookstore)、Google(Playブックス)が、国内組ではソニー(Reader Store)、シャープ(GALAPAGOS STORE)、富士通(BooksV)などのメーカー勢や、紀伊國屋書店(Kinoppy)、イーブックイニシアティブジャパン(eBookJapan)、去年は出展していたヤフー(Yahoo!ブックストア)も今年は姿がありませんでした。

そういう事情もあってか、アマゾンジャパンKindleコンテンツ事業部長の友田雄介氏が登壇したセミナーは、会期中で最も注目を集めていたように思います。東京ビッグサイト会議棟1階のホールが超満員でしたし、セミナー後に名刺交換を求める人で大行列ができていたのも印象的でした。「紙と電子版を同時発売することで、売上が伸びます」ということを、実例を挙げて説明していたのが出版社向けには説得力があったことでしょう。

また、去年は国際電子出版EXPOに出展していた大日本印刷(honto)とBookLive(上の写真)が、今年は東京国際ブックフェアへ移動しており、昨年も東京国際ブックフェア側だった楽天(kobo)や廣済堂(BookGate)やKADOKAWA (BOOK☆WALKER)などと合わせ、「東京国際ブックフェアが電子書店に侵食されている」というような印象を持った方もいるようです。

個人的には、一般読者向けの展示内容はすべて東京国際ブックフェア側に、制作システムなど技術的な部分に関しては国際電子出版EXPO側にと、きっちり色分けをした方がわかりやすくていいのでは、と思います。国際電子出版EXPO側に出展していた電子書店のパピレス(Renta!)、東芝(BookPlace)、雑誌オンライン(いつでも書店)や、東京国際ブックフェア側で大日本印刷が制作ソリューションの展示をしていたのは、何か異質なものを感じてしまいました。

あと、あまりじっくり見られなかったメディアドゥのブースで、オープン2ヶ月であっという間にアプリ200万ダウンロードを突破した「LINEマンガ」の事例がかなり詳しく語られていたというのを、後から知って悔しい思いをしました。なかなか全部は見て回れないですね。

ボイジャーブースのトークイベント見聞記

そんな中で、ボイジャーブースで行われていたトークイベントはユニークな登壇者が多く、お世辞抜きで興味深かったです。どうしても時間の都合で、以下の2回しか取材できなかったのが残念です。

■『Gene Mapper』台湾発売の裏側とアジアの電子事情
出演:藤井太洋(作家 / 『Gene Mapper』著者)、董 福興(Wanderer Inc. 創立者)
聞き手:萩野正昭(ボイジャー 代表取締役社長)

今後の電子出版を考える上で、非常に興味深いトークイベントでした。藤井太洋さん(写真右)は『Gene Mapper』を書く時に、SFのようなジャンル小説では日本国内のマーケットは小さいので、初めから海外進出を考えていたそうです。

董福興さん(写真左)と組んで、台湾(人口2500万人)と華僑(世界中で3000~5000万人と言われている)向けに繁体中文版(『基因設計師』)を出したこと。台湾は日本と同じ、世界でも数少ない縦書きを用いる国であること。繁体中文フォントのビューワ表示で縦横回転が統一されていないため非常に苦労をし、最終的にフォントを埋め込んで配信していること。繁体中文版は中国本土でも売られていること。中国本土でKindleストアが始まった時にKDPが停止されてしまったため、価格改定ができなくなってしまったことなど、興味深い話ばかりでした。

中でも、中国本土は海賊版大国なのに、「唐茶」というDRMフリーのマーケットで販売しているにも関わらず、いまのところ海賊版が発生した情報はつかんでいないという話が面白かったです。藤井さんも董さんも、始める前は海賊版が出現するのを警戒していたそうなのですが、ちゃんとお金を払って購入したものは中国人も容易く放流しないようなんですね。結局のところ、買いたくても買えないから、海賊版が出まわってしまうということなのかな、と思います。

中国本土でもちゃんと商売になるとすると、人口13億5000万人という凄まじいマーケットですから、日本語から簡体字へ翻訳して配信というのも、今後は真剣に検討していくべきなのでしょうね。その際注意すべき点があって、繁体字から簡体字への変換は簡単ですが、簡体字から繁体字への変換はかなり難しいそうです。つまり、台湾・華僑向けと中国本土向け両方を視野に入れるのであれば、まず繁体字へ翻訳し、次に簡体字向けに変換をすることで、スムーズにいくとのことです。

なおこれは余談ですが、台湾は1987年まで戒厳令下だったため、それまで出版の自由がなかったそうです。だから、台湾も日本と同じく著作権保護期間は死後50年ですが、まだパブリックドメイン化するような作品がほとんど発生していないそうです。

参考資料:アジアの電子書籍事情(董さんが登壇時に使用したスライド資料)

電子雑誌『トルタル』という試みから見えてきた、”本”の未来

出演:古田 靖(電子雑誌「トルタル」編集長)、川窪克実(川窪万年筆店 店主/「トルタル」寄稿者)
聞き手:仲俣暁生(「マガジン航」編集人)

「トルタル」は無料で配信されている電子雑誌です。編集長の古田靖さん(写真左)は、印刷という技術が「読み手」にとって本を身近にしたように、電子書籍は「作り手」にとって本を身近にするのではないだろうか? ということを思いついたそうです。だから、あまりこれまで本に関わりのない人にこそ、この電子雑誌の制作に参加して欲しいと思ったそうです。詳しくはこちらの記事に、古田さん自身がその思いを書かれています。

・トルタルのつくりかた « マガジン航[kɔː]

古田さんの「原稿料を1円も払っていないのに、なぜみんなこんなに作ってくれるんだろう?」という声が、非常に印象的でした。現在、関わっているメンバーは総勢なんと80名。プロモーション・ビデオまで制作されています。参加している他のさまざまなクリエイターと関わることができるという点で、メリットを感じてもらっているのではないか、とのことでした。

川窪克実さんは、文京区で万年筆職人をやっている方です。10年くらい前に音楽イベントを通じて、古田さんと知り合ったそうです。「トルタル」へは、「万年筆で生活している」という文章を寄稿しています(下図)。

仕事用の原稿を万年筆と原稿用紙で執筆する人は、いまではほとんどいません。川窪さんも、「トルタル」への原稿はパソコンとタブレットを使って書いているそうです。でも、「万年筆はまだオワコンじゃない」という信念で、最新テクノロジーと万年筆との融合というのを試行錯誤されているそうです。

例えば、ペン先に微細なカメラがついているペンで、専用原稿用紙に書くとダイレクトに文字を拾ってくれるような技術があるそうです。そこからの発想で、タブレットに入力できるスタイラス機能付き万年筆を作ってみたそうです。導電性の高い24金製で、頭とお尻にはエボナイトが使われているとか。なんとこの一品物をプレゼントということになり、ブースへの来場者全員とのじゃんけん大会が始まりました。

仲俣さんから、「筆跡というのもリッチコンテンツだから、『トルタル』手書き原稿版なんてどうだろう?」というアイデアも飛び出す、和気あいあいとした楽しいトークイベントでした。なお、「トルタル」最新号である vol.5 は、まもなく配信予定とのことです。(カナカナ書房 電子書籍一覧)

ボイジャーのYouTubeチャンネルでは、トークイベントの動画を公開しています。カメラアングルなどを編集しているので、まだいまは一部だけが公開されている段階ですが、見たくても見られなかった回もあるので、非常に嬉しく思います。

来年は、YouTubeライブで中継というのはいかがでしょう?(提案)

■関連記事
トルタルのつくりかた
台湾の電子書籍をEPUB 3で広げる

新人作家の創作の場になったケルアックの家

2013年7月18日
posted by 檀原照和

青森にある太宰治の斜陽館、鎌倉の吉屋信子記念館、茅ヶ崎の開高健記念館、神戸の倚松庵(いしょうあん。谷崎潤一郎の旧宅)など、大正、昭和の文豪たちの自宅を一般に開放し、見物させている例は少なくない。作品からは読み取れない彼らの人間性の一面が垣間見られるようで、現地に赴くと、感慨もひとしおである。

たいていの場合、書斎や蔵書、愛用の筆記用具などが往事のまま展示されているが、もし、である。もしあなたが駆け出しの作家だったとしよう。憧れの作家の旧宅で寝起きし、心ゆくまで創作に励んでよろしい、と言われたらどんな気持ちがするだろうか。それこそ感激に胸が震え、張り切って表現活動に没頭するのではないだろうか。

日本の文豪記念館は、往々にして博物館のように扱われており、創作の場としては死に体である。しかし海外では、文豪のかつての住居を若手作家にゆだねてしまうケースがある。

1996年、ジャック・ケルアックの知られざる家がフロリダで発見された。

ケルアックといえば、今夏公開される映画「オン・ザ・ロード」の原作者として名高い。1969年に47歳で亡くなったが、既存の社会規範に「ノー」を突きつけたその生き様はいまなお多くの人々を惹きつけてやまない。

彼の家の持つ文化的な意味は大きい。しかし建物はがたついており、取り壊される運命にあった。この事実を知り、地元の有志が立ち上がった。彼らはこの家を「駆け出しの作家たちのための創作スペース」として活用しようと考え、非営利団体を設立。寄金を募り、建物を改修した。運営メンバーは全員正業を持つボランティアだ。現在までに44名の作家が恩恵を受けている。

ケルアック・ハウスを取材しようと考えた経緯は以下の通りである。

私はとくにビートニクスやケルアックのファンという訳ではない。ケルアックの『路上』は15年以上前に読んだが、感銘は受けなかった。旅行ものの作品であれば、沢木耕太郎の『深夜特急』の方が格段に面白いと感じたくらいだった。

30過ぎまで私は舞台活動をしていた。舞台の世界ではアーチスト・イン・レジデンス(作品の滞在制作。以下 AIR)はよく耳にする言葉で、「助成金をうけるか、なんらかの賞を取って AIR を経験すれば一人前」という風潮があった。現代アートの世界でも事情は同じだと思う。

さらに横浜にある自宅の近所では、違法飲食店の追放とアートの町としての再生を掲げる「黄金町バザール」というイベントと、それに関連する通年の AIR が2008年から実施されている。AIR は身近な存在だった。

出版不況が長びき、若手ライターが食えなくなって久しい。にもかかわらず文筆の世界でライターズ・イン・レジデンス(AIRのライター版)に関心が向かない状況が、私には不思議でならなかった。

取材対象としてケルアックハウスを選んだ理由は単純である。ひとつは「ケルアックの家」ということで、レジデンスの当事者になるであろうライター以外にも アピールしやすいこと。もうひとつは、いきなり大きなプログラムにあたるより、まずは小さなプログラムを取材した方があたふたせず、内情を調べやすいだろうと踏んだからだった。

プロジェクトが立ち上がるまで

現在このプロジェクトを運営する NPO 組織「ケルアック・プロジェクト」は4人の役員(現状では欠員1名)、5名の理事、3人の賛助員で構成されている。専従職員はおらず、給与も発生していない。純粋にこの仕事への愛情だけで運営されているという。全員で集まるのは年4回。普段は各自が個別にプロジェクトの役割を担っている。

改修工事にあたり 『路上』の旅のパートナー、ニール・キャサディの妻キャロリン・キャサディさんから助言を得ているという。

『路上』のオリジナル原稿を前に立つサマー・ロッドマンさん。

私のケアをしてくれたのは会計担当のサマー・ロッドマンさんだった。実はケルアック・プロジェクトには広報担当者がいないのだという。というのも、いままでは地元メディアで紹介されることはあっても、アメリカの他の地域からほとんど取材されたことがなかったため、どうやら手が空いている者が取材対応していたらしい。海外からの訪問は今回が初めてとのこと。私と待ち合わせたときは、ウェブサイトのデザインや応募原稿の下読みを担当しているという夫のスティーヴンさん同伴だった。ご主人同伴の取材対応はあまり経験がなく、非常に西欧的だと感じた。

サマーさんは7人いる団体設立メンバーのひとり。彼女はなぜこのプロジェクトに関わるようになったのだろうか。

もともと彼女はコロラド州にあるナローパ大学のケルアック・スクール(1974年に詩人アレン・ギンズバーグらによって創立された文芸創作科)でクリエイティブ・ライティングと詩作を学び、MFA(Master of Fine Arts 芸術修士)を修めているという。同校卒業後、フロリダ州オーランドのウインターパーク地区に住んでいたところ、偶然にも近所でケルアックの家が発見され、このプロジェクトに関わる決心をしたそうだ。

この住居は NBC のオーランドエリア・リポーターでジャーナリストでもあるボブ・キーリングさんによって発見された。晩年のケルアックがフロリダで暮らしていたことはよく知られている。しかしその詳細は謎に包まれていた。この家のことも、ケルアックの伝記類には一切書かれていない。

古くからオーランドに住んでいる住人の間では、この街にケルアックが住んでいた、という噂が囁かれてはいたものの、具体的な地番を知る者はおらず、信憑性の薄い都市伝説的な扱いであった。

地元に密着したジャーナリストとして、キーリングさんはこの噂に興味を持った。しかし具体的な成果は一向に上がらない。そこでキーリングさんが取った行動は、ケルアックの三番目の妻ステラ・サンパスさんの兄で、不動産部門の遺産管理人ジョン・サンパスさんに連絡を取るというものだった。その結果、この幻の住居の場所はあっけなく判明した。というのも、じつはケルアックはメモ魔であり、遺品の中に生涯住んでいた住居すべての場所がリスト化されて残っていたからだった。さらに、ケルアックがこの家で母親と同居していたことも明らかになった。

翌年、キーリングさんは「オーランド・センティネル」誌に4千ワードの記事を書き、この家の発見とその価値についてアピールした。

さっそく地元の起業家で、書店オーナーでもあるカミンズ夫妻がキーリングさんに連絡。彼らはこの家の購入と改装を決意し、将来有望な作家にレジデンス(滞在制作)させる「ケルアック・プロジェクト」構想を打ち明けた。

実際の所、築75年のケルアック・ハウスはほとんど崩壊寸前の廃屋だった。しかしサマーさんをはじめとする地元の篤志家たちが1万ドルを寄付、さらに 「USA トゥデイ」が救済支援記事を掲載したことでアメリカの有名小売チェーン、コール・ナショナルの代表取締役であるジェフリー・コールさんから10万ドルの支援を受けることに成功する(コールさんはケルアックの熱心なファンで、学生時代ケルアックに出会うことを夢見てニューヨークのジャズクラブをハシゴした経験があるという)。

こうして多くの人の支えによって、ビートニクスのヒーロー、ジャック・ケルアックの家を保存し、若手作家に貸し出す、という夢のようなプロジェクトが走り出したのである。

平凡な一軒家がインスピレーションの源に

ケルアックはフロリダに1956年12月から1969年10月に亡くなるまで住んでいた。その間もあちこち旅行に出たり、フロリダ州内のみならず、ニューヨーク州や故郷のあるマサチューセッツ州へも引っ越しするなどしている。件の家はフロリダにおける最初の住まいで、オーランドの住宅街に立地している。

ダウンタウンから車で10分程度の距離だろうか。芝生の緑と樹齢を経た巨大な並木の列が印象的な住宅地に出た。車社会のアメリカとはいえ、この一帯は車も人も行き来が少ない。それこそ田舎のように心安らぐ場所だった。どことなく軽井沢に似ているかもしれない。住宅の多くは平屋だった。

そんな住宅地区の一角にまぎれるようにして、目的の物件は建っていた。別段大きなサインがあるではなし。まったくもって普通の家だ。あらかじめ写真で確認しておかなければ、気がつかずに通り過ぎてしまったにちがいない。

ここがケルアック・ハウスだ。

一ヶ月に一人か二人程度ではあるが、現在もケルアックのファンがこの家に「聖地巡礼」に訪れるそうだ。

私が家の周囲をうろつきながら写真を撮っていたところ、気配を感じたらしい。中からサングラスを掛けた金髪の女性が顔を出した。レジデンス・ライターで詩人のモニカ・ウェンデルさんだった(地元の文学イベント「ファンクショナリー・リトレイチャー」で自作を朗読するモニカ・ウェンデルさん)。

建物はすべての箇所についてなんらかの形で手が入っており、オリジナルのままなのは裏口の煉瓦のステップのみ。女性はモニカ・ウェンデルさん。

挨拶もそこそこに家の中に入れてもらう。

入ってすぐの部屋は12畳くらいの大きさのリビング。暖炉の上にはケルアックと盟友ニール・キャサディが肩を組んでいる有名な写真が飾られていた。ほかにはカウチとローテーブル、ローボード。本棚、小さなテレビ、ミニコンポ。

その奥はダイニングで、その又奥はキッチン。更に奥には用途不明な広い部屋。ダイニングの裏手にはケルアックの使用していた書斎件ベッドルームがある。

ライターたちは三ヶ月間この家で寝起きする。プログラムが開始されて10年以上経ち、これまでに44人がここで創作に励んだが、生活臭はほとんどない。ここは連邦政府から国家歴史登録材に指定された物件だが、汚されたり傷つけられたりした形跡はなく、ひじょうに大事に扱われている印象を受けた。

この家はケルアックの持ち物件ではなく借家だったせいもあり、文豪の記念館にしては遺品や故人を偲ぶ品が少ない。この家に住んでいたのは彼の出世作である『路上』(映画「オン・ザ・ロード」の原作)を出版する前後一年弱ほどで、大金が転がり込むと、すぐに6マイル(約9.65キロ)離れた家に越してしまったからだ。

彼の愛用品で飾られているのは、この家で『ダルマ・バムズ』を書き上げたときのタイプライターくらいだ。といっても、このタイプライターはケルアックのものではなく、ニール・キャサディ夫妻のものだったのを、ケルアックが拝借したまま返さなかったものらしい。展示ブースには、その旨を説明した小さなプレートが添えられていた。

このタイプライターがはき出した『ダルマ・バムズ』の原稿も、じつはケルアック・ハウスの運営委員会が所有しているそうだが、利便性や公益性を考えて地元のローリンズ・カレッジに保管と展示を委託しているという。

そんなわけで、この家は資料館と言うよりもケルアックの気配に後押しされながら、若手がお籠もりする場所なのだろう。静かで快適で、集中できる環境が整っている。おまけにケルアックはこの家に住んでいた時に転機を迎えたわけで、ひじょうに縁起が良い。

レジデンス参加者の多くはケルアックのような無軌道な暮らしを追体験したいと思って応募してくるわけではなく、純粋にケルアックの家からインスピレーションをもらいたいと考えているそうだ。

地元の文学コミュニティーとのつながり

モニカさんも特にケルアックのファンというわけではない。

「普段生活している場所が気に入らないわけではないけれど、環境を変えたい」

それが応募動機だった。

大都会であるブルックリン在住の彼女にとって、街全体が郊外めいたオーランドはまったくの別世界だ。「この家で一番お気に入りの場所」だというフロントポーチでインタビューした。奇っ怪な枝振りをしたバージニアカシがフロリダの強烈な日差しを和らげ、心地よい木陰を提供してくれる。犬の散歩で通りかかった近所の住人に彼女が声を掛ける。じつはケルアックという作家自体はこの街ではそれほどポピュラーな存在ではないのだが、この家の方は、すっかりご近所でおなじみになっている。

日本同様、アメリカの書店も Amazon の攻勢や総合大型店バーンズ&ノーブルの販路拡大に伴い、個人経営店が苦境に立たされている。しばしば「インディー・ブックストア」と称される小規模店は、有名著者を招いたインストアイベントや、地元の詩人や作家を招いてのリーディング・パフォーマンス、ブックサークルの読書会などに場所を提供してきた。常連たちの間で横のつながりも出来やすい。こうした草の根的なサロンとしての機能はインディー・ブックストアならではなのだが、ここオーランドでも数が減りつつあり、地元の文学コミュニティーにとって大きな打撃となっているという。2010年にはもっとも人気の高いインディー店「アーバン・シンク」が閉店し、大きなニュースになった。

そうした流れの中で、ケルアック・ハウスが果たす役割は大きい。地元オーランドのユニバーシティ・オブ・セントラル・フロリダやローリング・カレッジとの共催でワークショップや講演会を開くなど、地元との結びつきは小さくない。この家で開かれるパーティーに参加する文学好きの常連もいる。さらにモニカさんのようなレジデンスライターが地元の文学イベントに参加したり、ローカルな文芸Podcast番組に出演するなど、地元をないがしろにしていない。地元の有志がボランティアで運営しているのだから、ごく当たり前のことなのかもしれないが。

サマーさんに尋ねたところ、プロジェクトの立ち上げに際して他団体の様子を参考にするようなことは特になく、ケルアックの生誕地ローウェル(マサチューセッツ州)や没地セント・ピータースバーグ(フロリダ州)ともほとんどつながりを持っていないという。それよりも地元で地に足をついた活動をし、全世界からこの家へやってくるライターを迎え入れることにフォーカスしたいと考えているそうだ。

従って特に大きな目標はないが、もし可能であるなら、現在三ヶ月間に1人ずつ、一年間で4人招いている現状から、もう一軒家を購入して倍の年間8人の受け入れが出来たら申し分ない、とのことだった。

全米各地のレジデンス・プログラム

モニカさんはこのプログラムに参加する前にも、別の場所でレジデンス・プログラムに参加した経験があるという。ニューヨークから車で7時間の位置にあるヴァーモント州のヴァーモント・スタジオ・センターだ。ここはモントリオールのすぐそばで、大自然の豊かさが売りのプログラムだ。設備、広さとも全米最大規模。参加者はギボンズ・リバー沿いの22軒の建物に分かれて生活する。一ヶ月間に50人前後が参加するがライターばかりではなく、むしろアートや写真などの分野からの参加が多い。貴重な出会いの場として、大きなプログラムの意義は大きい。一時期に1人しか参加できないケルアック・ハウスとは対照的なプログラムだ。

アメリカには10〜15の大きなレジデンス・プログラムと、総数は把握できないものの小さなプログラムが数多くある。もちろんケルアック・プロジェクトは後者だ。

ただ必ずしも大きなプログラムが良くて小さなプログラムが悪いという訳ではない。ヴァーモントでは四週間で2,800ドルの参加費が必要だが、ケルアック・ハウスでは逆に月に800ドルの生活費の補助金が支給される。小さなプログラムではオーガナイザーが、参加者の居心地を良くしようと細かく気を遣ってくれる。またケルアック・ハウスでは最長2週間まで参加者がゲストを泊めることが許されており、モニカさんは両親と妹、彼氏、そしてヴァーモントで仲良くなった小説家を泊めたそうだ。逆に多くのレジデンスは関係者以外宿泊禁止である。

「ヴァーモントで仲良くなった小説家を泊めた」という話をしたが、(ケルアックハウスのケースに限らず)一般にレジデンス参加者は渡り鳥のようにあちこちのプログラムを渡り歩くことが多い。その結果、全米各地、場合によっては世界各地に友人が出来ることになる。こうして距離を超えたネットワークが出来上がっていき、それが将来思わぬ財産になっていくのだ。

モニカさんは8月からネブラスカのプログラムに参加するそうだが、そこで過去にケルアック・ハウスに参加したライターと一緒になる予定だそうだ。相手とは初対面だが、同じプログラムに参加した仲間ということで、会う前から既に親近感を感じているという。

ネット時代になって日本でも地方からの情報発信はかなり行われるようになったものの、まだまだ現地に足を運ばないと分からないことも多い。遠隔地のライター同士が大都会を経由しないで直接知り合えたなら、きっと面白いことが起きるのではないだろうか。

今回の取材で印象的だった点の一つは、サマーさんたちが社会起業家のような熱い正義感の持ち主という訳ではなく、もっと肩の力の抜けた状態でいたことだ。「正業が別にあるということが大きいのではないか」と推察するが、彼女らにとって「人生を楽しむための活動」なのだという印象を受けた。

そんな彼女にレジデンス運営で心掛けるべきことを訊いてみた。

「作家がやってくるのは大きな喜びです。自分たちを大きく見せようとする必要はありません。落ち着いて普段通りにしていれば、相手はそこから汲み取ってくれます。出来るだけたくさんの人に作家を紹介し、食事に連れ出したり料理でもてなしたりしてください。自分たちのコミュニティにやってきたゲストとして扱うと良いでしょう。

レジデンスには長期滞在のホテルのような一面もあるけれど、それだけではありません。あなたは特定のレジデンス・ライターの作品が好きかもしれませんが、作品と作家は別の存在。提出された作品が大分前に書かれている可能性もあります。それから予期しているほど作家たちは生産性が高いわけではありません。シンプルに考えましょう」

滞在の成果として、モニカさんが書き上げた詩は全部で6編だった。すべての日程を終えた彼女は、18時間かけて車でブルックリンへ帰っていった。

ケルアック・ハウスは日本と全く関係がない世界に思えてしまうかもしれない。しかし2014年度のレジデンス・プログラム選出ライターのなかに、本選とは別の「控え候補」という形ではあるものの、日本人作家も選ばれている。

幸いなことに、我々の国にも少なからぬ文豪の自宅が資料館として保存されている。これをそのまま利用してケルアック・ハウスのようにするのは、容易ではないだろう。しかしライターズ・イン・レジデンスという枠組みで書き手を支援すること自体は、なんらかの形で実現の余地があるのではないだろうか。

■関連記事
カネよりも自分が大事なんて言わせない
個々の声を持ち寄る「ことばのポトラック」
ヨーテボリ・ブックフェアへのブックバス

読書する場は進化しているか~お風呂編

2013年7月12日
posted by 古田 靖

日本でも多くの本が電子化され始めた昨今。けれど、読者はまだ電子化されるには至っていない。だから手にするブツがスマホ、専用端末でも、読まれる空間は 「リビング」「自分の部屋」「喫茶店」「電車・バス・飛行機」「トイレ」だ。紙の本と変わらない。おそらく半世紀前、1世紀前も同じだったのだろう。

改めて考えると、この変わらなさはちょっとすごい。そこが理想の読書スペースならまだ分かる。でも、実際はそうではない。心地よく本を読める場所を持たず、猫が陽だまりを探してウロウロするように、読みかけの本やデバイスを抱え、誰にも邪魔をされない落ち着ける場所を探している人は多いはずだ。

それなのに、変わらない。20世紀を通じて、読書の読書による読書のための空間は、ついに生まれなかった。もしかすると、22世紀になっても、人類は超音速旅客機の座席やハイテク便座で読書をすることになるのではないだろうか。なんて壮大な心配をしてしまう。大げさだけど。

意外な「理想の読書空間」

「いわゆる”書斎”もどっちかというと本棚メインでしょう。そうではなくて読むことに特化した空間とかツールは出来ないものかと思うんです」

ビールジョッキ片手にそんなことを口にしたのは、隣にいた初対面の男性が住宅設備メーカーに勤めていると聞いたからだ。かなりどうでもいいそんな酒席での軽口に、意外にも彼は身を乗り出した。

「おもしろい空間があるんですよ。読書に最適な場所かもしれませんよ」

「なんですか?」

カバンのから取り出したパンフレットにあった1枚の写真を見て、一瞬うなった。

©LIXIL

「書斎に風呂ですか。リッチな感じですね」

「ありがとうございます」

「すごいですね。でも面白いとは思うけど、実際にこんなことしちゃったら、本が湿ってしまうんじゃないですか。それは抵抗あるなあ」

「これは湯気がほとんど出ない泡のバスタブなんです」

パンフレットには、LIXILのFoam Spaと書いてある。クリーム状の泡がバスタブ全体をおおうので、湯気はほとんど立たないらしい。

「長風呂が苦手なので、入浴しながら本読むのはちょっと」

「上半身はあたたかな泡でつつまれ、水圧がかかりにくい。カラダへの負担が少なく、そういう方でも長く浸かっていられるのも特徴なんです。また、泡が浴槽のフタになるので、とても高い保温効果もあるのです」

しっかり泡をつくったビールがぬるくならないのと同じ理屈だ。

「なるほど」

「このFoam Spaはバスタブをバスルームから開放しようと発想したものなんです。ですから書斎やリビングなどのドライ空間に置くことを目指しています。この写真はそのコンセプトと、未来の暮らしを想像したイメージなんですよ」

「とすると、これは読書の未来、想像図ということになるわけですね」

「そうなんです。体験してみませんか」

バスルームで読書をするという声はたまに聞く。たしかに、まとまった時間、誰にも邪魔されず、静かにリラックスした姿勢で本を読み続けるという意味では入浴は理想的な時間だ。なかには電子書籍端末やタブレットをジップロック防水してバスルームに持ち込むという豪の者もいるらしい。amazonの商品レビューにもその手の書き込みがけっこうあるから、需要は想像以上にあるのかもしれない。長時間の入浴が得意な向きにはいいのだろう。自分は濡れる、のぼせるというのが気になってこれまでやってこなかったが、この弱点が解消されるのなら、楽しめる可能性がありそうだ。

ハイエンドの風呂読書を体験してみた

未来の読書空間候補として、体験取材をさせてもらうことにした。せっかくなので、これまでのバスルームのメリット・デメリットに一家言ある読書家にも率直な意見をもらいたい。本誌編集人・仲俣暁生さんに相談したところ「長風呂は苦手で読書はしたことがない」とのこと。

そこで、下北沢の本屋B&Bのスタッフである木村綾子さんに協力をお願いすることにした。日常的にバスルームで本を読んでいる木村さんは、『今さら入門太宰治』『太宰治と歩く文学散歩』などの著書を持つ作家で、プロのモデルさんでもある。おそれながら、入浴中の読書風景の撮影にも協力していただけることになった。

体験取材はある暑い某日におこなわれた。Foam Spaはショールーム代わりのマンションに設置されていた。先の写真とはデザインが違うが、メカニズムは同じだ。木村さんは長時間の読書に備え、バスタブの底(おしりの下)にいわゆるプチプチ(気泡緩衝材)を敷いているという。そうすることで体勢が崩れず、姿勢を保ちやすいのだそうだ。このバスタブには、クッション性の高い素材をつかわれているとのこと。期待できそうだ。

撮影は木村さんの友人である、作家・演出家の千木良悠子さんに協力してもらい、それぞれ30分ずつ実際に入浴しながら本を読んでもらい、感想を聞いた。

風呂読書の実験に利用したLIXIL社のFoam Spa体験スペース。

実際に長時間、浴槽内で読書をしていただいた。

クリーミーな泡のおかげでペーパーバックであればすぐには沈まない。

読書空間としてFoam Spaを採点する

結果をまとめると、以下のとおりになった。

<ポイント1 湯気>
本は濡れないか → ほとんど濡れない

<ポイント2 水没>
本を落としたらどうなる → クリーム状の泡が受け止めるのですぐには水没しない。が、やはり湿ってしまう(kindle他の電子デバイスはすぐに沈みそうだったので、試せなかった。やはり防水対策は必至)

<ポイント3 本を置く台>
読みやすいか → バスタブの上に置くテーブルが便利。これは今のバスタブでも読書用に普及しそう

<ポイント4 居心地>
長時間の読書は可能か → 可能。湯の温度が下がらないので長居しやすい。床面にクッションが効いていることもあって、長く入っていても身体が痛くならない。

<ポイント5 姿勢>
くつろげるか → 可能性あり。今回のバスタブは大きめだったので、足、腕の置き場がなかった。利用者に合わせたサイズ、形状にできれば解決できそう。

最後に、念のため「長風呂苦手派」代表として、仲俣さんにも入浴してもらった。普段は湯船に5分と浸かっていないという話だったが、30分の読書ができた。思いの外リラックスできたようだ。「これだったら長風呂も大丈夫」とのコメントを得たが、ただ「わざわざ風呂に入ってまで本を読むかと言われたら、自分はそうはしない気がする。やはり本は服を着て読みたい」とのこと。これぞ”理想の読書空間”とまでは確信できなかったようだ。同じくカラスの行水タイプのぼくもほぼ同意見。ただしこのバスタブがリビングにあるのならもしかして、という気にはさせられた。

というわけで、今回の取材で、バスタブの進化は実感できた。それは従来の風呂読書が抱えていたデメリットの多くを解決しつつあるようだ。もともと風呂好きだった人は、この進化で、居心地よく、リラックスできる自分だけの読書空間が想像できるのかもしれない。

しかしこれが未来の読書スタイルだと確信するには至らなかったのも事実だ。読書するわたしたちは、もう少し旅を続けなければならないようだ。

取材協力:LIXIL
Foam Spaの公式ウェブページ

無料貸本屋でどこがわるい?

2013年7月9日
posted by 津野海太郎

PR誌『みすず』に連載中から愛読していた宮田昇さんの文章が『図書館に通う』という本にまとまった。「当世『公立無料貸本屋』事情」というサブタイトルがついている。

著者は私のちょうど十歳上。戦後まもなく就職した早川書房からタトル商会に移り、米軍占領下にはじまる混乱した著作権問題に素手でとりくみつづけた方である。そのあたりのことは私もすでに『翻訳権の戦後史』や『戦後「翻訳」風雲録』などの著書で知っていた。その出版界の大先達が、いまや私同様、ひとりの退職老人として公立図書館のヘビーユーザーと化していたとはね。

ほどなく消えてゆく身で、手持ちの本をこれ以上ふやしたくない。経済的な事情もまったくないわけではないらしい。退職老人の後輩としては、そうした著者のつぶやきの一つひとつが身にしみる。

仕事をやめた宮田さんは、暇にまかせて、じぶんの街の図書館で高村薫や宮部みゆきや桐野夏生の作品をまとめて読み、これまで「私が読むことのなかった多くの日本の作家の作品が、仕事として読んできた海外のエンターテインメントに遜色ないこと、なかにはそれより抜きん出ているものがあること」を知っておどろく。おかげで新しい「老後の楽しみ」ができた。そんな人間から見ると、出版人や作家が図書館を「公立無料貸本屋」としてさげすみ批判する昨今の風潮がどうしても納得できない。いったい公立無料貸本屋のどこがいけないというのか。

この本で私もはじめて知ったのだが、宮田さんには早川書房にはいるまえ、暮らしに窮して小さな貸本屋をやっていた一時期があるらしい。子ども向けに世界名作のリライトを手がけたこともあるのだとか。そんな事情もあって、手塚治虫の新作にむらがり、リライトされた『巌窟王』に熱中する子どもたち(私もそのひとり)が、いつもまわりにいた。氏が「無料貸本屋」という揶揄まじりの批判に反発するのも、ひとつにはそうした経験があったからなのだろう。

しかし図書館を無料貸本屋として利用するうちに、宮田さんにも、しだいに今日の公共図書館が抱える矛盾が見えてくる。

たとえば予約待ちの時間の長さ。東野圭吾の『マスカレード・ホテル』は予約後八か月たって、まだ64人待ち、おなじく池井戸潤の『下町ロケット』は113人待ち――。

宮田さんの「わが街」は鎌倉市(人口は17万人)らしいが、もっと規模の大きな地域図書館になると、事態はさらにすさまじいことになっている。なにせ私が暮らすさいたま市(123万人)の市立図書館ネットワークでは、『マスカレード・ホテル』はいまだに953人待ち、『下町ロケット』は836人待ちなのだから。前者は刊行後一年九か月、後者は二年七か月。ここまでくれば、どう考えても公立無料図書館は深刻な機能不全状態におちいったと判断せざるをえない。現に私よりもはるかに環境にめぐまれている宮田さんですら、こうのべている。

「私の場合、予約待ちが多少あっても、分量のあるものは待つことにしている。この歳になると、本は増やしたくないし出費は抑えたい。だが前作を読み、次作への欲求もだしがたく、文庫が出ているものはつい買ってしまう。どうしても読みたい新刊は、単行本で買ってしまうのは『蜩ノ記』で明らかである。(略)もっとも、一部は私のように本を買う例もあるだろうが、ほとんどは、あまりにも長い予約待ちに読書意欲をそがれてしまっているのではないか」

しかも長い長い予約待ちをへて、やっと目的の本を手にしたとしても、「そのときは背が崩れ、しみと垢にまみれた汚い本になっていることはまちがいない」と宮田さん。その証拠に、すでに図書館の棚におさまった往年の人気作にしても、しばしばそれが「あまりにも汚いのに唖然」とさせられる。それでも「しばらく手袋をはめ、趣味として読みはじめた図書館から借りた本の頁をめくっていた」が、もうやめた。文庫本が出ている著者のものはそちらを買うようにしているというのだ。

私は宮田さんとちがい、これまで一貫して公共図書館の過度の「無料貸本屋」化をおおっぴらに批判してきた。この種の批判は2000年にはじまったと宮田さんは本書の冒頭でのべているが、その二年まえ、私は『図書館雑誌』によせた「市民図書館という理想のゆくえ」(『だれのための電子図書館』所収)という文章で「なにが公共図書館だよ、ただの貸本屋じゃないの」と批判して、図書館員諸氏の怒りを買ったおぼえがある。批判の理由はさきの出版人や作家諸氏とはまったくことなる。それでも字面だけで見れば、私もまた宮田さんの仮想敵(?)のひとりと思われてもしかたあるまい。

しかし、にもかかわらず私は『みすず』連載中から、宮田さんの「公共無料貸本屋」肯定論に反感をもったことはいちどもないのである。それどころか、「そうそう、そのとおり」と、いつも共感して読ませてもらった。近所の図書館について熱心に語る人は大勢いる。でも私をふくめて、昨今の図書館における予約待ちのあまりの増加ぶりや蔵書の汚さについて、ここまで具体的に語った人はいなかった。そのことだけをとっても、これは書かれるべくして書かれた貴重な本だといっていい。

しつこいようだけれど、いまも私は、原理的にも現実的にも、公共図書館を無料貸本屋の枠に押しこめることにはムリがあると考えている。私の街でいえば、モノによっては、すでに一千人を越えはじめた予約待ちの現状が、図書館を無料貸本屋化することのむずかしさを如実に示している。

――と私ならそう考える。でも宮田さんはちがう。なかなかあきらめない。

かつて宮田さんは、アメリカ出版界の「ペーパーバック革命」に感心し、日本の「文庫本革命」もできることならこの線ですすんでいってほしいと期待していた。しかし、この期待が実現されることはついになかった。

「欧米の出版流通、読書を変えたペーパーバック革命が、日本でなぜ起きなかったのか。(略)単行本は単行本として長く大事に売りつづけ、マス・ペーパーバックは読み捨て本的性格をもたせ、独自の流通でできるかぎり安く提供する。それが図書館とおなじく、どれほど読者層を広げたか、計り知れないものがある。(略)もう遅いかもしれないが、このさい、(日本の出版社も)文庫本を少しでも早く出すことを考えないと、Eブックス時代の対応にも困るのではないだろうか。私には、その予感がしてならない」

すなわち、①もし日本の出版社が新刊本の文庫化(低価格化)の時期を思い切って早めれば、図書館の予約待ちの列にならぶ人びとの多くはかならず文庫本に流れる。

②そうなれば短期的な人気本(読み捨て本)の複本購入にも歯止めがかかり、高価格のハードカバー(かたい本)に予算を振りむける余裕が生まれる。

③ひいてはそれが、この国の出版業界に「一気に売るマス販売」と「長く大事に売りつづける単行本出版」との程よいバランスをよみがえらせるきっかけになる――。

大づかみにいってしまえば、どうやらこんなあたりが、なかなか「あきらめない」宮田さんがいま思いえがいている突破の方向らしいのだ。

しかし宮田さんがいかに期待しようとも、いつまでも石橋を叩くだけで、いっこうに渡ろうとしない日本の図書館界や出版業界の習性を考えれば、この方向で現在の隘路が突破される可能性があるとは、とても思えない。Eブックス時代になろうとなるまいと、なにひとつ変わらない。そして「理想的な公立無料貸本屋」という図書館の夢だけがあとにのこされる。だとしたら、図書館の無料貸本屋化を支持する宮田さんと、それを小泉内閣以来の新自由主義的な行政改革(いま需要の多い本だけがいい本だ)による「公共図書館という夢」の破壊を批判する私とのあいだに、はたしてどれほどのちがいがあるだろうか。

「少なくとも『公立無料貸本屋』としての図書館を貶め、その予算を地方公共団体が減らすのに力を貸さないでほしいというのが、図書館を利用する後期高齢者の願いである」という宮田さんの結論に、私は全面的に賛成する。

■関連記事
揺れる東京でダーントンのグーグル批判を読む
グーグル・プロジェクトは失敗するだろう
マンガの「館」を訪ねる[後編]

国際電子出版EXPOに今年もボイジャーが出展

2013年7月2日
posted by 「マガジン航」編集部

毎年恒例の国際電子出版EXPO東京国際ブックフェアが、明日7月3日(水)より東京ビックサイトで開催されます[前者は5日(金)まで、後者は6日(土)までの開催]。ボイジャーは今年も国際電子出版EXPOに出展し、連日多彩なトークセッションを開催します。

会期:2013年7月3日(水)〜7月5日(金)10:00〜18:00
会場:東京ビッグサイト 西3・4ホール(小間No.26-43)
入場料:¥1,200(招待券をお持ちの方は無料)

(ボイジャーブースでのイベント詳細は下の画像をクリック)。

以下、今年のみどころをいくつかご紹介します。

『Gene Mapper』、「カーリル」、達人出版会

まず明日3日ですが、「マガジン航」に深いかかわりがある方々が登壇する、以下のトークセッションは聞き逃せません。

『Gene Mapper』
の著者である作家の藤井太洋さんと、同書の台湾版電子書籍を制作した董福興さんのセッションのテーマは、eBookが海を越えるときにぶつかる「壁」やアジアの出版事情。日本最大の図書館蔵書検索サイト「カーリル」を運営する吉本さんのセッションは、プログラマの立場から図書館と電子書籍についてどう考えるかについてお話を伺います。また技術系の電子書籍を出版している達人出版会の高橋さんには、DRMフリー(PDFもEPUBも)の有償配信システムを開発した経緯などについて伺います。なお、吉本さん、高橋さんのセッションは、それぞれ事前にネットで質問を募集しています。

7月3日(水)13:00~13:45
『Gene Mapper』台湾発売の裏側とアジアの電子事情
出演:藤井太洋(作家 /『Gene Mapper』著者)× 董 福興(Wanderer Inc. 創立者)× 萩野正昭(ボイジャー 代表取締役社長)

7月3日(水)14:00~14:45
プログラマーという立場から考える、電子書籍+ちょっと図書館

出演:吉本龍司(カーリル 代表取締役)× 鎌田純子(ボイジャー 取締役副社長)
※質問を受付中です。エントリーはこちらから。

7月3日(水)16:00~16:45
電子出版はどこを目指すのか・技術書編
出演:高橋征義(達人出版会 代表取締役)× 鎌田純子(ボイジャー 取締役副社長)
※質問を受付中です。エントリーはこちらから。

「トルタル」編集長の古田靖さんや内沼晋太郎さんも登場

翌4日は以下のトークが要チェックです。
まず、電子雑誌「トルタル」の編集長である古田靖さんと、その寄稿者である川窪万年筆店の川窪克実さんをお招きし、「マガジン航」編集人が聞き手となりセッションを行います。このほか、NHKの英会話番組『リトル・チャロ』にも出演していたマット・アルト氏らによるマンガ翻訳をめぐるセッション、下北沢の本屋B&Bの共同プロデューサーで、ボイジャーと「dotPlace(α)」という新しい「場」をはじめた内沼晋太郎さんも登場します。

7月4日(木)13:00~13:45
電子雑誌『トルタル』という試みから見えてきた、”本”の未来
出演:古田 靖(電子雑誌トルタル 編集長)× 川窪克実(川窪万年筆店 店主/トルタル寄稿者)× 仲俣暁生(マガジン航 編集人)

7月4日(木)14:00~14:45
翻訳マンガ、デジタルで世界を翔る
出演:マット・アルト(翻訳者/アルトジャパン 取締役副社長)× 依田寛子(アルトジャパン 代表取締役)× 萩野正昭(ボイジャー 代表取締役社長)

7月4日(木)14:00~14:45
本屋B&BとdotPlace 本と人が出会う、これからの場のつくり方

出演:内沼晋太郎(numabooks代表/本屋B&B共同プロデューサー/ブック・コーディネイター/クリエイティブ・ディレクター)

また最終日となる7月5日(金)もふくめ、上記以外にも連日盛りだくさんのトークセッションをボイジャーブースでは予定しています。すべてのセッションの予定はこちらのサイトをご覧ください。

第17回国際電子出版EXPO 出展のお知らせ
http://www.voyager.co.jp/news/info_tibf/tibf2013.html

またこれらとは別に、最終日の7月5日には「マガジン航」編集人の仲俣が、下記のセミナーに登壇します(有料・事前予約が必要です)。よろしければこちらにもご参加ください。

7月5日(金)10:00~12:00
日本の電子書籍ビジネスに欠けているもの

恒例の白パンフ、今年の題は「情報の海を航海する」

毎年、国際電子出版EXPOにあわせてボイジャーが制作・配布している小冊子、通称「白パンフ」の今年のタイトルは、「情報の海を航海する」。どうぞお楽しみに!

※白パンフはこちらからダウンロードできます(画像をクリックしても可)。昨年以前のものも公開されています。