第3回 里山社設立と夏葉社、島田さんに会う

2013年10月15日
posted by 清田麻衣子

ほかの仕事は知らないのだが、編集の仕事を始めた頃、「編集者は判断の連続だな」と思ったことがあった。

なんとか編集プロダクションに入ったものの、編集とライターの仕事の区別が出来ないままに月刊誌をつくっていた。嵐のような入稿作業の中で、そのページで扱うテーマについて「考えること」に身を委ねていたら、どんどん時間が過ぎて毎日居残るようになり、よく上司に叱られた。しかし仕事は全然出来ないくせに生意気で、「じっくり考えることの何が悪い」などと思っていたので、叱られても釈然としなかった。だが気持ちは落ち込み、すると次第に頭がぼんやりして何も決められなくなり、ますます仕事が進まなくなる……という悪循環に陥った。叱った上司が、固まっている私を遠くから気まずそうに見ていたのは気付いていた。でも頭がちっとも働かなかったのだ。

底まで沈みきった時ふと、真っ白なままのレイアウト用紙が目に入り、「落ち込んでると本って出来ないんだな」と思った。編集は、現象や感覚といった、曖昧で繊細なものを形にして、第三者に感じたり考えたりしてもらいたいのだから、雑誌の場合はラフ、写真選び、原稿整理、書籍の場合は台割、原稿整理、装丁などなど、細部のこだわりを積み上げて、畳み掛けるように判断していく仕事なのだ。翌年の年始の目標は「落ち込む時間を短くしよう」。具体的な目標を立てたつもりだった。

やがて仕事を続けるにつれ、この判断という作業が、私が生活する上で頭の切り替えのスイッチの役割をするようになっていた。そして本という、生活に刺激を与えるものを作る仕事だからこそ、読者の生活サイクルの中にどう働きかけるか、というところまで判断したいと思うようになった。

版元探し

本には、出版社の社員編集者がまるまる一冊編集する場合と、外部のフリーランスの編集者に中身の制作を委託する場合がある。社外編集者と組む場合、その配分は会社によってまちまちだが、大まかには、社外編集者は企画を出して主な編集作業をする人、社員編集者は、社外編集者の企画を最終決定し、会社に通して、タイトル、価格、帯といった販売に直結する事柄を決める人、という振り分けになっていることが多い。会社を辞めてフリーランスになると決めた時、「これからずっと、私は売り方を決められないのか」と思うと、なんだか寂しかった。

2012年5月。退社まで2ヶ月を切っていたが、そんな想いがあり、フリーランスとしての営業活動に弾みがつかず、気持ちは絡み合ったままだった。しかしその状態と反比例するかのようにくっきりと、出したい本の形と時期だけ見えてきた。

2011年4月から始まった田代一倫さんの撮影は、2回目の春を迎えていた。被災地となった場所で生活する東北地方の人々は、長い冬を越え、ようやく迎えた春の日差しと、復興の始まりが重なり、光に包まれているようだった。しかしその光は、被害の度合いと復興の状況によって濃淡が生まれはじめていた。田代さんは、その微妙な変化を肌で感じ、今後その差はより大きく広がり、複雑になっていくと思う、その変化をもう少し見続けたいから、東北に3回目の春が来るまで撮り続け、2013年春を目処に撮影を終えるつもりだと言った。

そこで、本を出すのは2013年の秋がいいという話になった。田代さんと考えたのは、カラー500ページくらいの厚みのもの。多少はページ数を減らすことがあっても、抜粋すると一気に迫力が消えてしまうので、ページ数は極力欲しかった。そこがこの本の肝だ。実現したらすごい本になる。無謀すぎる本の形を考えついて、興奮していた。先があまりにも見えずに、この時はいろんなことをまだぼんやりと考えていた。

とにかく版元の反応を知りたくて、知り合いの出版社の編集者数名に相談してみた。500ページでオールカラー、そして派手ではない内容で、しかも田代さんは新人だ。この高すぎるハードルを越えてくれる版元を探すのがいかに難しいかは、感触ですぐにわかった。本当は、最初から難しいことはわかっていたが、周囲の声で自覚させた感じだった。

また、いろんな反応を聞くにつれ、たとえ気に入ってくれる会社があったとしても、版元側から様々な制約が出ることは大いに考えられる。そしてまず、3ヶ月で結果が出なかったら返品として戻ってきて、注文がない限り店に並ぶことはなく、絶版になり、その後、断裁――。しかも外部のフリーランス編集になった私が、絶版にせず、版元の制約をコントロールして希望する形に持っていくのはほぼ不可能だと思った。

その頃、ある版元のイベントのトークショーに出られていた夏葉社の島田潤一郎さんとお話する機会があった。

夏葉社の噂はよく聞いていた。島田さんは編集未経験で、たったひとりで出版社を起こし、近年あまり読まれなくなった優れたアメリカの短編作家、バーナード・マラマッドの短編集『レンブラントの帽子』、古本屋・山王書房の店主、関口良雄の随筆集『昔日の客』、小説家、上林暁の『星を撒いた町』『故郷の本箱』など、渋くて良い本をすべて増刷させるという偉業を成し遂げていた。

しかも夏葉社の本は装丁が素晴らしかった。すべて櫻井事務所のデザイナー、櫻井久さんが担当されていた。とりわけ私が驚いたのは、カバーがついてないことだった(『さよならの後で』『本屋図鑑』など、必要に応じて一部カバーありの装丁も)。

本屋の棚で、PP張りしたカバーが蛍光灯の明かりを反射して画一的に並ぶ中、本体剥き出しの、しかし上質な加工を施された夏葉社の本は、たとえ1冊で棚差しになっていても、既製品の中で手作りの品物が目立つような、厳かな存在感があった。カバーは必須、という固定概念に縛られていた私にとって、夏葉社のカバーなしの上製本に出会い、呪縛が解けたような感覚を味わった。

こんなにこだわり抜いた本づくりをするのはどんな厳格な人だろうと思っていたら、島田さんは、穏やかに、しかし時折クレイジーな話をするチャーミングな方だった。

イベント終わりの打ち上げに参加させていただくと、登壇後の島田さんはくつろいだ幸せそうな笑顔で、瓶ビールのお酌に小さなコップを傾けていた。親しみやすい雰囲気の方で、つい、かねてからの疑問を絶え間なくぶつけてしまった。しかし島田さんは初対面の私にも丁寧に、とてもわかりやすい言葉でお話してくださった。

「小売業の感覚で本をつくっているだけです。他の商売をしている人からしてみたら、当たり前のことをやっているんですよ。少部数だけ作って、きちんと売ってくれる本屋にだけ卸す。大雑把な一括配本をしていないんです。カバーをかけないのは、適正部数を適正配本するよう心掛けて、返品されないようにしているからです」

とてもシンプルな考え方に基づいて、これまで私が経験してきた出版とはまったく違うやり方をされていることに驚いた。その裏側をもっと知りたくなり、改めて取材をさせていただくことになった。さらにその日、田代さんの写真集を抜粋した資料を持ってきていた。思い切って、島田さんにもご意見をうかがってみることにした。

「難しい本なんですが、どこか良い版元はご存知ないでしょうか。しかも絶版にしないところで……」

島田さんは美術系の版元の名前をいくつか挙げ、真剣に考えてくださった。そして静かに微笑みながら仰った。

「清田さんがご自分でやってみるつもりはないですか?」

私は「いやいやいや…」と手を振りながら、島田さんの提案を打ち消した。出版社設立は自分とは遠い話だと思っていた。率直に言えば、SUREの北沢さんも、夏葉社の島田さんも、そのお考えに共感するし、理想的な出版をされていると思うが、自分は安全な場所から応援する側で居たいと思っていたのだ。

そんなムシのいい考えは見透かされていたと思う。しかし、島田さんはそれ以上私を焚き付けることもなく、出版方法について、一緒に頭を捻ってくださった。既にご苦労されて本を出されている方に、どこかの出版社で出してほしいと思っている本について考えさせていると思うと、ひどく申し訳ない気持ちになった。

出版社をやることに決めた

会社を辞める前から、会社に所属しない無力さを痛感した。残った手として、ひょっとすると、老舗の大手版元の上層部で気に入ってもらえたら、希望の本を作ってくれる可能性はあるかもしれないなどと考え知人に相談してみたが、大手は外部編集者に編集作業を委託すること自体が稀なので、もし仮に出すことが出来ても、その版元の編集者に編集作業を引き渡すことになる可能性が高いと言われた。身体から力が抜けたように感じながら、可能性があるのならと自分に言い聞かせ、田代さんに電話した。

「私の手は離れるかもしれませんが、大手の版元にあたりをつけてみますか?」

即答で「それはダメです!」と返ってきた。私が最初に声を掛けた編集者だからということに加え、ただ単純に、私を編集者として尊重し、良い本が出来ると思うからとのことだった。しかし、私の版元探しが難航している状況については「すみません……」と申し訳なさそうに謝られた。

私はこれまで会社を渡り歩き、どの会社の方にも本当にお世話になったが、そういうこととは別に、いつも心のどこかで、自分が抜けた穴はきっと埋まると感じてきた。田代さんに具体的な言葉を投げかけられたわけではなかったが、何百人もの人を真正面から撮り続けている人なのだ。もともと生活に頓着するほうでも無さそうではあるが、自分の限界まで挑戦し続けている作家に、「お前はどうなんだ」と、編集者としての度量と覚悟を問われているような気がした。

動きはじめてすぐに八方塞がりな状態に陥った。藁にもすがる想いで、人づてに知っていた、自販機エロ本の編集ののち『噂の真相』の副編集長、そして現在はフリーランスの編集をされながら、ジャーナリストとしても活躍する川端幹人さんにご相談に伺った。川端さんは『噂の真相』編集部時代、右翼から編集部が襲撃を受けた経験や、マスコミのタブーが生まれるメカニズムについて書かれたご著書『タブーの正体!』(ちくま新書)を出されたばかりだった。出版界という入り方もルールも曖昧な世界で、ご自分の足で歩いておられる川端さんのご意見を聞きたいと思ったのだ。

待ち合わせは神保町の老舗喫茶店「さぼうる」だった。出版界の隅っこに追いやられたような被害者意識に囚われていたので、「さぼうる」が出版界の中心のように感じられ、卑屈な気持ちになりながら川端さんを待った。

「いいね」

資料を見るなり川端さんは、本の内容に興味を示してくださった。しかし、既存の版元での出版については、やはり厳しいだろうという見方だった。それから少し話が逸れ、私がいま小さな出版社を取材しているという話をした。すると川端さんはやけにあっさり、でもはっきりと、

「清田さんも自分でやってみたらいいじゃない」

と仰った。島田さんの時と同じく、思わず「イヤー」と、今度は大声をあげてしまった。

「だって幸い、著者は出すのはまだ一年以上先でいいって言ってるんでしょ? なんとかなるんじゃない?」

思い返せばじりじりと、版元をおこすという決断の淵まで自分から歩いて来ていたのかもしれない。この日の川端さんの一言で、その淵からポン、と背中を押された格好になった。

「それもそうですね」

川端さんにお礼を言い、「さぼうる」を出た。店に入る前と現実はなにも変わっていなかったが、心持ちだけ大きく変化していた。はからずも、さっきまで出版界の中心だと思っていた場所で「出版社をやる」と決意してしまったことに気付き、少し気恥ずかしく、そして徐々にワクワクしてきた。フリーランス一本でいくことにどうしても気持ちがついていかなかったが、出版社をやりつつフリー編集をやると決めたら、急に先が見えてきた。

夏葉社、島田さんの考える“小売り”

2012年7月。退社を1週後に控え、島田さんに再度お会いすることになった。既にメールで自分で版元を立ち上げることにした、とお伝えしていた。

「ほんとに本気なんですか?」

吉祥寺の夏葉社さん近くの居酒屋。共通の知り合いの編集者とともに、お話を窺うことになった。この日も営業帰りだという島田さんは、席に着くなり仰った。これまでも何人も「出版社を立ち上げる」宣言を撤回する人を見てきているという。

「本気です。本のためにも自分の今後のためにもこれしか選択肢がなかったんです」

本心だった。ただ言いながら心臓がなぜかゾワッとした。

「じゃあ僕がわかる範囲のことは、全部お話ししますよ」

島田さんはそう言ってこの日、夏葉社の本が具体的にどの書店に何冊卸しているかなどといったことまで、本当に包み隠さずお話してくださった。その書ける範囲のことだけ、ここには書こうと思う。

「僕は若くして亡くなった従兄弟のことを思って『さよならのあとで』が作りたいということが夏葉社を始めるきっかけだったんです。そして『レンブラントの帽子』という本も出したいなと思った。あとはいろんな人が『この本がいい』と教えてくれたんです。でも最初に『レンブラント』がきて、それをいろんな人が褒めてくれた。それまで出版の世界に知り合いもいない状態で始めたんです」

 

そういった噂や告知は、すべてtwitterで広まっていったという。そこには、亡くなった従兄弟へ捧げる、島田さんの想い、つまり夏葉社を始めた動機も書かれていた。そのtwitterの文章は瞬く間に広まっていった。

「twitterをやっている方々はとても応援してくれるんです。僕は出版社をずっと続けようという気持ちもなくて。就職もできなかったし。自暴自棄になっていたかんじで。これで食べていこうと思ったわけでもないし。だから今がうまくいきすぎなんです」

とはいえ、最初は別のアルバイトなどもしていたのだろうか?

「出版社だけです。だから2作、自分の好きな本を出して、伝説のバンドみたいにファースト、セカンドを出して解散するつもりでした。責任のとれる範囲でやればいいんです」

島田さんは夏葉社を始める前、明治書院という教科書の出版社で一年間だけ営業をされていたそうだが、そこでトップセールスを誇っていた。島田さんの凄腕営業マンとしての確かな目こそが、「良い本をちゃんと売る」夏葉社の安定した増刷を導いた。

「僕は、『良い本だから絶対に売れる』なんてことは絶対に言いません。僕みたいな小さな出版社は、20年前はやれませんでした。たとえばジュンク堂のように広い店舗で、本がいろんなジャンル分けされているようなお店があるから、ちゃんと置いてもらえる。書店がどういうお客さんを持っているかということが重要な気がしています。具体的に『この人は買うだろう』と思うお客さんがついているお店が僕の場合は重要なわけですよね。5冊仕入れたら、何さんと何さんと何さん、3人くらいすっと名前が挙がってくれる書店がいい書店で、そういう書店に向けて本を卸すということをずっとやっていきたいんです。それを突き詰めてやっていくと返本ゼロということになる」

島田さんは編集もされながら、卸したい書店にはすべて営業されているのだろうか?

「すべての店に実際に足を運んで営業する必要はないと思います。たとえば5000部の本を売ろうと思って一店舗ずつ注文とっていたら2ヶ月くらいかかるので、そしたら本部一括でやるしかない。たとえば、4000部の本を刷ったとして、ベッドタウンの駅にもあるようなチェーンの大型書店に一括で200冊入れると、各店舗2冊ずつバーッと入る。でもそうすると絶対返ってくるんですよ。夏葉社なんて全然知られてないし。でもたとえばそういうファミリーチェーンの書店に2冊ずつ10店舗入れるんだったら、顔が見えるお客さんがいるような、5冊入れてくれる1店舗に入れる。どちらがいいかと考えると、絶対後者のほうが手堅い出版だと、僕は思ってるんです」

取次の問題はどう解消しているのか? 出版社を立ち上げようと考える人ならばまず最初にぶちあたる問題だ。

「僕の知り合いのひとり出版社も、最初は直版を目指していました。でも本の発送までは出来るんですけど、それから集金があると仕事の差し支えにはなってしまうんですね。また、お客さんの地元の小さな書店で注文が欲しいといったときに、直で一冊送るのはものすごいロスになるんです。そういった個別注文に対応するためにも、取次を通すと便利です」

流通や集金といった全国書店とのインフラを担う取次は、出版社と取引をする場合、本一冊に対する取次の手数料兼信用保証料のようなものとして「掛け率」を設定する。この掛け率が、新興出版社の場合非常に厳しい設定になっており、高い保証料を支払うことになってしまう。しかもその率は一度決めたら変更することは難しい。そこで島田さんは、大手とは違う、この小出版社を支える取次と取引をしているという。

「小さな版元をされている方が使っているJRCや、地方・小出版流通センターという取次があるんです。ただ巨大なインフラを持っているわけではないので、1万部以上のレベルだとJRCも地方・小出版もそんなに対応できないという点はあります」

島田さんの作られる本は、2012年夏の時点で、『レンブラントの帽子』『昔日の客』『星を撒いた町』『さよならのあとで』『近代日本の文学史』など、初版は大体2000〜3000部だという。

「僕は明治書院の営業時代に、3000部だったら、時間はかかるかもしれないけれど、足で売りさばけるという確信があったんです。初回の『レンブラントの帽子』がご祝儀的なもので、朝日、読売、毎日、日経各紙に書評が載ったんですよ。それで1年以内に3000部がはけて。で、2刷もはけて。『近代日本の文学史』も2000部くらいは出荷していています。実感しているのは、同じ人に買ってもらってる感じがするということ。だから、1冊1冊手を抜けない。一度ダメだと思われたら、もう夏葉社の本を買ってくれないので。」

ネット販売については、島田さんには独自の信念のようなものがあった。自社の本を自社HPでは販売していない。

「bk1(現honto)にはずっとお世話になっています。アマゾンも本の内容によっては考えます。ただ僕の場合、僕は人との関係で売っていくことが理想で、本屋さんで本を買ってほしいという気持ちがあるんです」

それから店を出て、夏葉社の事務所にもお邪魔させていただくことになった。マンションの一室に、FAXや事務机というごく普通の事務所の設備に加え、ほんのほんの少しの、本の在庫。適正部数・適正配本の結果は、常に身近に目に見えるかたちでそこに現れていた。

「事務所の在庫が多いと『営業頑張らないとな』という気持ちになるし、減っていくと嬉しい。倉庫を借りてしまうとその感覚が鈍ってしまう気がします」

またわからないことがあったら、いつでも相談してくださいと、別れ際に仰っていただき、島田さんの事務所を後にした。

数日後、版元の名前を「里山社」に決めた。単純に好きなものを考えたときに「里山」が浮かんだからだ。里山とは、人の住む場所と自然の間にある、森や林や川のこと。人の手が入らないと途端に荒れてしまったり、宅地化によってどんどん失われてしまう。「日本の田舎」の原風景なのに、移り変わりの早い現代でそれを保持していくのはとても大変なこと。なんでこんなに良い本が絶版なんだ、と思うことがよくあって、年月を経てもスタンダードに良い本を絶版にせずに出していきたい、という思いを込めたつもりもあった。

捻り出した今後のプランは、二つの柱。まずは、フリーランス編集として仕事をしていくこと。そして2冊目以降の本も出すということだった。

次回につづく

【お知らせ】
本連載で綴る、里山社の一冊目、田代一倫写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011~2013年』が、11月8日(金)発売になります!

『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011~2013年』

著者:田代一倫(本作でさがみはら写真新人奨励賞受賞)
装丁:鈴木成一デザイン室
本体:3,800円+税 カラー488頁+別刷折込
発行:里山
 http://satoyamasha.com/

33歳、新人写真家が迷い、考え、挑んだ無謀かつ偉大な一期一会の記録。
圧巻の肖像写真453点と覚え書き。

震災後の三陸、福島で、出会った人々に話しかけ、ただひたすら全身で、真正面から写し続けた写真集です。長い時間を経ても、フッと読み返したくなる本です。是非、ご一読ください。

児童ポルノ法改正の何が問題なのか

2013年10月10日
posted by 渋井哲也

「児童ポルノ法の改正案が出るって本当ですか?」

エロ漫画の電子書籍の編集者から、こんな電話をもらったのは今年の3月だった。日本経済新聞(3月10日付)が、自民・公明両党が、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児童買春・児童ポルノ処罰法)の改正案を提出するために、調整に入った、と報じたからだ。(日経新聞の記事)

私はその記事を見逃していた。多少は話題となったものの、ネットでもほとんど話題になっていなかった。また他のメディアも、この動きについてその後も報じなかった。そのため、まさかその数ヶ月後に「児童買春・児童ポルノ処罰法」の改正案が提出されるとは思ってもみなかった。

結局、第183通常国会は、衆参のねじれによって、参議院で安倍晋三総理への問責決議が可決されたために、6月26日に閉会した。同時に、自民、公明、維新の3党の議員から提出されていた「児童買春・児童ポルノ処罰法」の改正案は継続審議となった。(法律条文 | 改正案

同法案は衆議院にも提出されていたが、一度も審議がなされなかったため、廃案になると思われていたが、国会終盤になって、継続審議を願い出ていたのだ。

私は、性的虐待の被害体験を持つ子ども・若者たちを取材している。生き方をもがき、精神疾患を患っている人も少なくない。「子どもの権利条約」の趣旨にも賛同してきたこともあり、子どもの商業的性的搾取(CSEC)の規制に賛同している。

したがって「児童買春・児童ポルノ処罰法」に関していえば、その趣旨に私も賛同している。しかし、被害のあった子どもに対するケアシステム、ケアに当たるための人材、シェルターが不足している現状に懸念をいだいている。

その一方で、この法律の枠内で、表現規制を議論するのは無理があると思ってきた。「児童ポルノ」の定義が適切ではないために、性虐待の写真が必ずしも現行の「児童ポルノ」に当てはまらない。そのため、私自身もこの法律の「改正の必要性」を感じている者の一人だ。

しかし今回の改正案では、こうした必要な改正が行なわれず、なぜか、所持規制や表現規制ばかりが争点になってしまっている。

「ドカベン」もだめなのか? 参院予算委

この国会で、改正案についての審議はなかったが、提出される前の5月8日、みんなの党の山田太郎議員が参院予算委員会で取り上げた。その質疑は以下の通りだった。

山田議員 今回の改正案では、漫画やアニメについても検討しようとする附則が付いている。しかし、マンガやアニメには被害者はいない。創造物であるマンガやアニメにも適用するのは混乱するのではないか。日本のマンガやアニメが衰退してしまうのではないか。

麻生財相 児童ポルノの規制は、私が党内で担当していたときが最初。ポルノ漫画には成人マークをつけなきゃいけないとか、(棚は)1.2メートル以上の子どもの手が届かないところに置かなければならないようにした。現実問題として、表現の自由が関係するもので、出版元といろいろとやり合った記憶がある。それ以後、ずいぶん、昔に比べれば表現はよくなったんじゃないかと思う。ただ、この種の話は、議員立法。(議員と)直接話し合うのがよく、財務省に持ち込まれても、所管外という感じがします。

*筆者注 : 「児童買春・児童ポルノ処罰法」では何を「児童ポルノ」として取り締まるかを規定している。しかし、ポルノ漫画について成人マークをつけるかどうか、棚の高さをどうするのかは別の議論。これらは同法ではなく、各都道府県の青少年関連条例によるもので、麻生財相は両者を混同している。

山田議員 実は、水島新司先生の野球漫画『ドカベン』は、私と同じ名前の山田太郎という人が主人公なんですけれども、その中でも8歳以下のサチ子という妹の入浴シーンがありまして、こんな本も発禁本になる可能性がある。韓国でも自主規制がなされ、マンガやアニメに影響が出ている。いま、クールジャパンということで、日本の若者の大切な漫画やアニメを海外に積極的に売り込もうとしている。この流れを台無しにしないようにしなければならない。憲法の改正の議論をしているが、改正の先にあるのが表現規制なのか。そう疑われても仕方がない。

安倍総理 児童ポルノ禁止法は議員立法で検討中のため、詳細についてはコメントは差し控えたい。実在しない児童を描写したアニメや漫画に関し、どのような規制が必要か。こうしたアニメが、児童を性の対象とする風潮を助長するおそれがある。一方で、表現の自由との関係もあるので、慎重な考慮が必要であることはその通り。

山田議員 (安倍総理に)漫画やアニメが規制されるのに、小説は規制されないのはなぜか。

麻生財相 (手をあげて総理のかわりに答弁)時代ともに表現が変わってきた。いまは子どもは小説を読まないんですよね。漫画のほうを読む、だからどうしても漫画に目がいく、というのがいちばんの背景だと言える。

自民政調会長が他党に「賛成要請」という異例

なぜ、国会に提出される前の、このタイミングで改正案にふれたのかを山田議員に聞いてみた。

すでに表現に関してはいろんな規制がある中で、どうみても今回の改正案はおかしい。こんな規制ができたら、いい世の中はできない、と。実は、私は繰り上げ当選なんですが、最初に当選した2010年の選挙のときもこの問題があって、反対運動もやっていたんです。この問題は出ては消え、出ては消えの繰り返し。だからずっと情報を気にしていたんです。また「出すかもしれない」と。

こうしている間に、自民党内でも、「単純所持の違法化」と「漫画やアニメ等の規制」に関する改正に積極的だった議員たちが他党にも協力を要請するため、走り回っていた。

自民党の政調会長が、みんなの党の政調会議に出席されて、今回出されたものとまったく同じものを置いて行き、説明をされたんです。「我が党は児童ポルノ法の改正案を出すから、賛成してほしい」と。とんでもない、これはまずいな、と。それで自分のホームページやブログに、その日のうちか次の日に反対の意見表明を出した。

政調会長が自ら他党に説明にいくのは異例なことだ。そこまでするとは、この改正案に相当のこだわりがあるのだろう。

山田議員はこれをチャンスと思い、ホームページやブログ、Twitterというソーシャルメディアでの戦略に出た。ホームページでは何度もこの問題を取り上げ、いまや改正案の反対派議員としてメディアに出ることが多くなった。さらなる広がりを求めた戦略として、自身と同じ名前の主人公が登場する『ドカベン』を予算委員会で取り上げたことで話題になっていく。

山田議員はその舞台裏についてこう話す。

自民党内で政調会長の上といえば、総理か副総理しかいない。安倍さんに色がつく前に、先制攻撃してやろうと画策していたんです。予算委員会でないと直接総理に聞く機会はなかった。そして、予算委員会には、マンガに理解があると思われている麻生さんがいる。

実は、麻生さんがこうした関連の法案をいちばん最初に出して来た人だということは知っていたんです。それでも、アニメそのものを規制するということは麻生さんの口からは言いにくいんじゃないか。問題ありという答弁を引き出してしまえば、自民党も法案を出しにくいだろうと思ったんです。そんなところであの議論を仕掛けた。

実は、予算委員会では外交・防衛の集中審議中で、私も外交問題ということで質問をまかされた。でも、本当の狙いはこの問題だった。ただこればかりやっていると「お前、何やってるんだ」と言われますので、うまくクールジャパンとからめて、かなり無理はあったが質問した。あまり時間もなく、バランスもとらないといけない。国会の審議を見ている人からは「突っ込みが弱い」と言われた。

その後、改正案が提出された。議案提出議員は、自民党は高市早苗、平沢勝栄、西川京子の3議員。 公明党は富田茂之、高木美智代の2議員。日本維新の会は中田宏、阪口直人の2議員だった。

単純所持の違法化、漫画やアニメも含めるどうかは
法制定時からの争点

今回の改正案では、「単純所持」の違法化を設ける方針だ。つまり、麻薬と同じで持っているだけで違法というわけだ。また、現行法では提供や、それを目的とした製造や所持、運搬、輸出入の場合のみが処罰せられる。それに対して、改正案では「自らの性的好奇心を満たす目的」も加えた。その場合、一年以下の懲役、または100万円以下の罰金を科すものだ。つまり、持っているだけでも違法化され、持っている理由が「自らの性的好奇心を満たす」ためであれば、処罰されるのだ。

同法は1999年に、性的搾取や性的虐待から子ども(18歳未満)を守ることを目的に、議員立法で成立した。以来、改正について常に議論がなされてきた。その主な論点は三つだ。

 1)児童ポルノを持っているだけ、つまり「単純所持」を違法とするか
 2)禁止される児童ポルノに、漫画やアニメ、CGなど表現物を含めるか
 3)児童ポルノの定義をどうするか

実はこれらの論点は、法律が出来る前から争いがあった点だ。1996年のストックホルムで行なわれた「児童の商業的性的搾取(CSEC)に反対する世界会議」(通称、ストックホルム会議)で、児童買春や児童ポルノを犯罪化する流れができていた。

ストックホルム会議では、つぎのような宣言がなされている。

児童の商業的性的搾取に反対する世界会議「宣言」

この宣言は、①予防、②保護、③リハビリ及び社会復帰、④子どもの最善の利益の四つのアプローチと、①国内行動計画の策定、②国内の中心機関設置の必要性、③データベースの確立という三つの要素からなっている。

「児童ポルノ」の定義もはっきりしない

この頃は、自民、社民、さきがけの3党連立による村山富市政権だった。ストックホルム会議に日本政府代表として参加したのは当時の清水澄子参議院議員(社民)。1998年5月には、与党3党による「児童買春問題等プロジェクトチーム」ができていた。12月には「ユニセフ・グローバル フォーラム in 東京 公開ワークショップ」が開催された。このときから、児童ポルノの厳密な定義の必要性が言われていた。

参加した研究者(肩書は当時)からも「子どもポルノの定義が不明確。例えば、子どもが性的に搾取された写真だけが対象になるのか、それとも子どもの映像を変形した映像やコンピューターグラフィックスでつくられた映像を使った疑似ポルノなど、子どもの性的詐取の絵まで含めるのか」(デイビット・ムンターポーン/チェラロンコン大学教授)と指摘された。

また、「ポルノなり、わいせつ概念というものが非常に恣意的につくられていて、何のための規制なのかがわからない部分もありえる。(中略)もう少しきちんとした定義と明確な内容が必要」(福田雅章/一橋大学教授)とも言われていた。

捜査側のニーズとしても「保護すべき子どもの年齢を明確化し、何を子どもポルノとするかについて共通の定義を規定すること」(ラルフ・ムチュケ/インターポール事務総局犯罪情報局一般犯罪課長)があげられていた。

日本国内の「児童ポルノ/子どもポルノ」の定義の議論は、法制定時からずっと行なわれているのだ。今回の改正案でいきなり、「マンガやアニメ、CGなど」を含めるかどうかを検討するようになったわけではない。

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『はだしのゲン』閉架問題が問いかけること

2013年8月23日
posted by まつもとあつし

終戦記念日を迎えてすぐ、反戦マンガとして知られる『はだしのゲン』の全巻が島根県松江市の小中学校の学校図書館で、昨年12月以来閉架扱いになっていたというニュースが伝えられた。昨年、作者の中沢啓治氏は死去しているが、平和教育の教科書的存在でもあった同書の学校図書館での扱いを巡って、議論が巻き起こっている。

封印された「はだしのゲン」

既報のとおり、一部の「市民」が、『はだしのゲン』は「歴史認識に問題あり」として、同書を学校図書館から撤去するよう、陳情を繰り返していた。いったんは松江市議会でこの陳情は否決されたが、その後、市の教育委員会が「内容をあらためて確認」した結果、「過激なシーン」の存在を問題視して、松江市内の小中学校の学校図書館において全巻を閉架処置としたものだ。

閉架に収められている書目が検索でき、必要に応じリクエストできる公共図書館と異なり、今回のような学校図書館での閉架処置となると、子どもたちが閉架にどんな本があるのかを知るのも困難であり、こうした処分が行われた図書へのアクセスが極めて限定されたものになる。

松江市教育委員会・教育総務課は取材に対し「図書室の貸出カウンターの棚の中や、図書室の隣の会議室などに保管し、要望があれば閲覧させる」と回答している。加えて、教育長から「できるだけ貸し出さないよう」口頭で求めがあったと8月16日の毎日新聞は報じている。実質的に、学校内で子どもたちが『はだしのゲン』に触れる機会は失われたとみるべきだ。

ことの発端となった『はだしのゲン』という作品の「歴史認識」については、陳情を繰り返していた「市民」である中島康治氏が、その模様を動画で記録し、またBLOGにもその意図を綴っている。

・中島康治 – ニコニコ動画(原宿)
・中島康治と高知市から日本を考える会

これらの動画や記事には、「反日極左漫画『はだしのゲン』」、「捏造慰安婦ファンタジー」といった言葉が登場する。中島氏の思想的な背景は比較的分かりやすいものだと言えるだろう。

松江市はいったんは議会で陳情を却下した上で、別の観点から閉架処置としたのだから問題はないのではないか、という見方もあるかもしれない。実際、松江市教育委員会・教育総務課は今回の閉架処置について中島氏に報告も行わなかったと話す。

しかし、仮にこの一部「市民」による陳情がなかったとしたら、「あらためて確認」ということが行われただろうか? 市議会で否定されたにもかかわらず、閉架処置という、実質的には「学校図書館から撤去する」という要求が通ってしまう結果になったのは、はたして適切だっただろうか。松江市教育委員会・教育総務課によるれば、これまで『はだしのゲン』のように閉架処置となった図書はないという。前例がないのであれば、なおのこと慎重な検討と判断があって然るべきだったはずだ。

内容ではなくまず手続きを検証すべき

現在、この問題についてネット上で繰り広げられている議論は、『はだしのゲン』という作品の「内容」をめぐるものが大半を占めている。すなわち、冒頭の中島氏のような「反日的な表現」を問題視するものから、「戦争の悲惨さを伝える作品なので表現が過激なのは当たり前」、あるいは逆に、(作品を特定しないまでも)「幼い子供には適切なガイダンスなしでは読ませるべきではない」、というものだ。

・はだしのゲンの不適切な表現こそ「戦争」そのものではないか(大元 隆志) – 個人 – Yahoo!ニュース

・渡辺由佳里のひとり井戸端会議: 子どもが心理的な暴力を受けない権利を無視しないでほしい。

だが、筆者はいずれの意見にも「この時点」では賛同しない。あえて言うならば、たとえ戦争の悲惨さを描く作品であっても、レーティングによる読者の選別は考慮されるべきで、大元氏のように残虐描写や暴力表現が「不適切であってよい」とはまったく思わない。映画の話ではあるが、『プライベート・ライアン』をはじめとする生々しい戦争映画に、PG12(映倫による年齢制限。12歳未満の子どもは親の指導、助言などが必要となる)などの指定がある意味をよく考えて欲しい。

つまり、個人的には渡辺氏の意見に私の立場は近い。しかし、いまは上記のように、自由であるべき「図書へのアクセス」が、間接的であれ、きわめて不当・不透明な手続きで封じられたことをこそ、まず問題にするべきだと考えている。そもそも今回「はだしのゲン」は渡辺氏が前提とする「強制的にみせたり」する環境にはなかったし、「うっかりと曝されてしまう」ことで問題となるかどうか判断するための、十分な議論があったとは思えない。

「この作品には子供が心理的な暴力を受けるような描写がある。アクセスを制限するのはやむなし」という結論を「この時点」で下してしまっては、こうした手法、つまり教育委員会等に陳情を繰り返し、特定の作品への関係者の関心を高めることで、「暴力・性的表現から子供を守る」という大義名分のもとで、思想信条のうえで自分たちが気に入らない図書へのアクセスを封じ、結果として表現の自由に制約を加える、という目的を達成する手法を追認してしまうことになるからだ。

この手法が有効だ、ということになれば、政治的な思想信条に限らず、宗教・科学・哲学・美術などありとあらゆるテーマの図書を、「市民の陳情」によって排除することが、理屈の上では可能になってしまう。実際、上記の「市民」氏は閉架扱いとなったことを「勝利」と受け止め、高知県など他県にも陳情の範囲を拡大することを宣言している。こうした動きを封じるにも、まずは、このような手法が有効ではない、ということを強く示していかなければならないはずだ。

言うまでもないが、「表現の自由」は民主主義の根幹を成すものだ。その根幹が、市議会の反対議決があってなお曲げて揺らぐようなことがあってはならない。作品が、我々がアクセス可能な場所にまず存在しなければ、レーティングやガイダンスがどうあるべきかといった議論も成立しない。子供たちが多様な「知」に触れる機会を提供する学校図書館では、その限られたキャパシティ故に、少ない蔵書数で多様さをどう担保するかについて十分な配慮があるべきだろう。公共図書館に図書があれば学校図書館では閉架処置も構わないというのは、学校図書館の存在意義を損ねかねない暴論だと筆者は考える。

今回のように図書へのアクセスが一部の恣意や示威で簡単に揺らぐようであれば、そもそもアクセスのあるべき姿を議論する前提も無くなってしまう。この部分の優先順位を取り違えてはいけない。

図書のアクセスを確保した上で

とはいえ、今回の事件でレーティングやガイダンスの在り方に焦点が集まったことは、ポジティブに捉えたいところだ。都条例における「非実在青少年」問題、そして先の国会で継続審議となった「児童ポルノ禁止法」改正をめぐる問題でも、作品へのアクセスの在り方が問われていた。

人ぞれぞれ嗜好や許容範囲の違いはあれど、「見たくない」「見せたくない」類の作品はある。図書へのアクセスが民主的な手続きによって確保された上で、レーティング、すなわち図書館や書店における陳列によるゾーニングが議論されるべきだ。先述の渡辺氏も、「作品へのアクセスは禁じない」「選ぶときに参考にできるような情報と基準を作り、それを公開するべき」と主張している。これらもまさにレーティングに通じる論点だと言えるだろう。

たとえば、かりに今回のケースで『はだしのゲン』に対し、戦争映画などと同様、PG12というレーティングがなされていれば、どうだっただろうか?小学校では教師のガイダンスのもとで読む、ということになるだろうか。あるいは、少年誌に連載されていた巻数までと、表現の過激さが一段上がったともされる以後の巻では、扱いが異なったかもしれない。

いずれにせよ、その検討の過程が可視化され、時代背景に応じて柔軟な運用がなされるべきで、一部「市民」の陳情の直後というタイミングで「全巻一律閉架へ」といった結果にはならなかったはずだ。つまり、逆説的に聞こえるかも知れないが、レーティングによって、今回のような学校図書館で本へのアクセスそのものが絶たれるという事態を回避しうることができたはずなのだ。

今回のニュースを受けてネット上でも散見されたコメントに、『はだしのゲン』は教室の後ろの棚に置いてあった記憶がある」というものがあった。実は筆者の記憶もこれに近い。小学校高学年となったとき、教室に『はだしのゲン』は、アニメ『ガンバの冒険』の原作となった斎藤惇夫の『冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間』のような児童小説などとともに並べられ、学校図書館にも置かれていない「マンガ」として、回し読みされていた記憶がある。

当時の担任教師にはもう確認しようもないが、教室にあることで、彼の目が行き届く範囲で読まれることを望まれてのことではなかったか、などとも思う。今回あまり議論の対象になっていないが、こういった学級文庫の存在や意義も改めて確認されてもよいのではないだろうか?

とかく先鋭化しやすいネット言論の世界から、今回のような試みが今後も行われることは想像に難くない。また今回は学校図書がやり玉に挙がったが、鳥取県では保護者からのクレームに応じて市立図書館でも自由に閲覧できない場所に保管する処置がとっていることも明らかになっている。

図書へのアクセスという、表現・思想の自由という民主主義の根幹が、ある種の思想を持った個人や、あるいは「子供を守るべき」という保護者の善意によって、結果的に容易に封じ込められ、さらに私たちの論点さえもその本質から逸れてしまいがちだということも示した。ここからどんな教訓を得て、先んじて策を講じられるかどうか、図書へのアクセスに関わる人々はもちろん、私たち読者がどう考え行動するのか――封印された『はだしのゲン』が問いを投げかけているように思えてならない。

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編集をぼうけんする

2013年8月20日
posted by 堀 直人

僕が最初に「本をつくりたい」と思ったのは、もう15年も前、高校生のときのことだ。写真を撮り始めて、写真集をつくりたい!そう思ったときから、僕の「編集という冒険」がはじまった。その後はずっとグラフィックデザイナーをしてきたが、編集に関しては素人でしかなく、何回も本をつくりはじめては、未完でやめていた。そんな未知の「編集」というフィールドで悪戦苦闘しながら冒険し、2010年にやっと完成したのがこの本、『北海道裏観光ガイド』だ。 その発行元である「NPO法人北海道冒険芸術出版」は、出版を手段とし北海道という地域の課題解決に取り組む組織である。この『北海道裏観光ガイド』は、その最初のプロジェクトということになる。

本をつくるという旅の途中でいろんな人が助けてくれたから、僕は冒険を続けることができた。とてもひとりでは、ここまでたどり着くことはできなかったように思う。見たことのない敵が現れるたびに、いろんな戦いがあった。出会った仲間、去った仲間もいる。今この地点に立って、スタートした場所を振り返ると、冒険の途中で出会った彼ら彼女らの顔が浮かんでくる。思い出すたびに今でも感極まり、感謝の気持ちがこみ上げてきて仕方ない。

原付で日本縦断の行商の旅へ

古いバイクなので何度も故障したが、なんとか無事に戻って来られた。

発売翌日の2010年11月22日、僕は北海道南端の函館港発フェリーのデッキにいた。僕はつくった本を全国で販売してもらうため、すぐさま北海道を旅立ち内地へと向かうことにしたのだ。この旅の相棒はTY50という、すでに製造から31年を経た故障の絶えない原付だった。後部座席にはクーラーボックスが括り付けてあり、つくった本が60冊入る仕様に改造してある。やがて船は岸を離れ、本州北端の大間港に向け発進した。過酷な「原付日本縦断行商の旅」のはじまりである。

11月20日に出版記念パーティーを行い、その翌日はかねてから実行委員長として準備をしてきた「札幌ブックフェス2010」のメインイベント「PARCO ワンデイブックス」の日だった。出版とイベント、どちらもやったことがない大きな出来事が同じ日に重なってしまった。イベントが終わりすぐその足で、行商に出るため原付が停めてある室蘭の親戚の家に向かったのだが、吐き気を感じながら「急行はまなす」に乗り込んだのを覚えている。

「札幌ブックフェス2010 – PARCOワンデイブックス」の会場はとてもおもしろい空間だったので、僕たちの本もアグレッシブに展示販売した。

行商の旅は、三回に分けて行なった。最初は、2010年11月21日〜12月21日の31日間。函館からフェリーに乗り、大間へ。東北は安くて味わいのある温泉が多いので、何箇所かそういうところに泊まりながら南下した。仙台からは、ずっと海側を走った。福島の原子力発電所のすぐ横も通った。その風景が大きく変わることになるとは、その時は想像もできなかった。

二回目は、2011年8月18日〜27日の10日間。東京を中心に回り、静岡県三島市から神奈川県相模原市まで走った。行商をしていると、ついでに各地を取材できて一石二鳥でもある。今度は北海道以外の裏観光ガイドや、『日本裏観光ガイド』をつくろうと思う。三回目は、2011年10月9日〜11月21日の44日間。大阪、福岡などの大都市での営業にも手応えを感じ、いよいよ最南端の沖縄県に上陸。那覇市の書店でもお取り扱いいただき、北は北海道から南は沖縄まで 『北海道裏観光ガイド』 が買えるようになった。

この時、取扱店が約100店舗にまでなった。北海道の販売店に取次してもらえる会社とも取引がはじまり、一気に販売数も伸び増刷をした。初刷が2000部、二刷が3000部、合計で発行部数が5000部。まもなく、さらに5000部増刷をする準備をしている。

本をつくろうと思ったとき、こんなことになるとは想像もしていなかった。行商中に知り合った人が販売店を紹介してくれたり、活動をしているなかで知り合った人と仲間になったり、知らない土地で出会った人と数年後には一緒に仕事をすることになったり。旅をしているといろんな人に助けてもらうことになるが、本をつくることも自体もまた、旅だったのかもしれない。ロールプレイングゲームのなかで冒険するように、いろんな困難に立ち向かいながら、懸命に取り組み、さまざまな人に出会いながら前へ、その先へと歩んで行く。

学術書をつくる――『n次創作観光』

『北海道裏観光ガイド』が完成し、営業活動も一段落したところで次に取り掛かったのは、学術書の編集だ。またマニアックな観光ガイドブックをつくると思っていた人たちには、なんでまた学術書?と言われたが、次にやらなければならないと思ったのがそうだったのだから、仕方がない。

著者は、アニメ聖地巡礼を事例にして観光の可能性を研究している観光社会学者の岡本健さん。出会ったのは3年前の2010年8月。初音ミクをつくったクリプトンフューチャーメディアの伊藤博之社長や、当時北海道大学准教授だった故・渡辺保史先生が参加して開催された「札幌CGM都市宣言(β) ~札幌をCGMから考える~」というシンポジウムの企画チームに、一緒に参画することになったのがきっかけだ。

その時はまだ岡本さんは北海道大学の博士課程に通っており、僕もまだ一冊も本を出版していなかったのだが、会うたび二人で何時間も観光についてや日々思うことについて話すうちに、必ず一緒に本を出そうと約束を交わすようになっていた。

「アニメ聖地巡礼」の研究をしていると、最初に岡本さんから聞いたときは「おもしろい」という単純な感想だった。しかし詳しく聞くと本質的なところは、現代社会で問題になっている「他者性をもった他者」と出会えないという社会現象に対して、観光にはその問題を解決する回路があり、その過程が顕著に見てとれるのが「アニメ聖地巡礼」であるという位置づけだったのだ。

その話を聞いて、僕は興奮を抑えることができなかった。そして岡本さんに、鷲宮町で行なわれた「土師祭」の写真を見せてもらった。その写真に写っていたのは、地元のおばちゃん、おじいちゃん、商工会の人、オタクの若者、いろんな人がうれしそうに一緒になって祭りを楽しみ、地域の文化、オタク文化が同列に融合して、祭りをつくりあげている様子だった。興奮が感動に変わった。「この研究を広く世の中に伝えなければ…」という使命感に駆られるようになっていた。恋みたいなものだったかもしれない。その情熱と冷静のあいだに立つことが、今回の大きな課題だったように思う。

この研究の魅力を伝えたい、もっと多くの人に読んでもらいたいと思っていたので、研究者ではない一般の読者に伝える方法を常に考えていた。 序文、章見出し、タイトルのサブコピーというように、細かく段階を分けて内容を要約するための補助線を引いたり、1テーマが見開きで完結するという構成を採用したのもそのためだ。また論述の妨げにならない範囲で、岡本さんの人柄がわかるコーナーやアニメ聖地ガイドなどの息抜きのページも入れた。その他にも岡本さんと話し合いながら、最後まで読んでいただくための工夫をいっぱい考えた。

そうしてできたのが、『n次創作観光――アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性』。岡本さんは書くだけでなく、情報発信や販売促進にまでも熱心に協力してくれた。初刷は3000部発行したのだが、おかげさまで近いうちに増刷することになりそうだ。

地域を編集する

「学術書」という、またもや今回も未知の冒険となったが、 今度の旅にも相棒がいた。名前は、佐藤真奈美。実は彼女とは『北海道裏観光ガイド』をつくるとき、「幌内炭鉱」の取材対象としてはじめて会った。それが今となっては、同じ編集部として一つの本をつくっている。最初に会ったときには、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。

佐藤の本職は、炭鉱遺産を活用した地域づくり。いわば「地域の編集」であり、旧産炭地の編集者と言える。

僕は大学中退で学がないので、論文を読むことに慣れていない。観光現場で働いているわけでもないので、実務的な細かい状況がわからない。彼女は大学院の修士課程で観光まちづくりの研究をした後、「NPO法人炭鉱の記憶推進事業団」という組織に所属し炭鉱遺産の利活用に従事している。僕にはない視点があり、『n次創作観光』をつくる上で欠かせない存在となった。

炭鉱という国策に翻弄された地域が、どうやって地域独自の新たな仕組みを成立させていくか。こうした取り組みは、日本の最先端をいく活動ではないだろうか。今もなお、国策に翻弄され傷ついていく地域がある。旧産炭地での取り組みは先行事例であり、そういった地域のロールモデルになる可能性を秘めている。

北海道は真っ先に人口減少と産業衰退が進んでいくので、いつも課題だけは最先端である。つまり北海道は、日本の未来なのである。右肩上がりで経済が成長して行った時代は、急増する需要にいかに対応するのかということが迫られた。しかしこれからは、「縮小していく時代」である。

国土交通省が2011年に出した推計によると、2100年の日本の人口は中位推計で4,771万人になると示されている。さらに深刻なのは高齢化(同推計によると、2100年の高齢化率は40.6%)、つまり「労働人口の減少」である。そんな時代に、旧来の方針で今の日本が維持できるとは思えない。日本各地を旅すると、この国に残された巨大な建物をたくさん見かけ途方に暮れる。子どもたちが巣立った後、夫婦二人が住むには大きすぎる家を想起させる。

新しい時代に即したかたちの社会に移行するため、知恵をしぼるときが来ている。僕は、社会を適切なサイズに「畳む」という広義の編集作業に従事し、社会課題の先端地である北海道でノウハウを蓄積して、この先の日本に役立てたい。佐藤とはこの先、地域を「著者」とする編集部を一緒にやることとなるだろう。あと早い段階で、彼女自身の著書を出版したい。日本の一時代を築いた「旧産炭地」という事象を導きの糸として、新しい日本の可能性の一つを示すような本にしたいと思う。

紙と電子の最適な組み合わせを考える

まさかIT音痴の僕が携わるとは思わなかったが、電子書籍もつくった。『だれでもできる小さな本のつくり方』というタイトルだ。うっかりウチのNPOの運営に関わることになった武藤拓也が、一緒に企画したイベントで僕が話した内容をまとめ、電子書籍としてコンテンツ化したものである。

彼と話すようになったのは、とあるイベントに関わることになったのがきっかけだ。彼が副実行委員長、僕が事務局長だった。イベントを成立させるために、二人で動き回るうちに友情のようなものが芽生えた。その流れでイベントが終わってからも、いろいろと二人で話しているうちに、仕事や趣味の経験からウェブサービスやガジェットに詳しかった彼から、「堀さんのところでは、電子書籍はやらないのかい?」という話になった。

僕も電子書籍のことが気にはなっていたものの、着手する余裕もなく「ITはどうも苦手だし…」と避けていたのだが、とうとう痺れを切らしたのか、武藤は「堀さんが講演で話した内容をまとめて、俺が電子書籍にするわ」と言い出した。そうしてできたのが、この電子書籍である。Amazonでの無料本ランキングで3位になったりと、思いもよらぬ実験結果が出たので、今では僕も電子書籍の活用には積極的な考えだ。

しかし単に紙ですでに出版された本を電子書籍にするのは、どうなのか。紙の本の需要を食う恐れもあるうえ、なにより書店さんには800円という定価で売ってもらっておきながら、電子書籍では450円で売りますというのは筋が通らないではないか。そういう安易な方法ではなく、紙の本と電子書籍を複合的に考えたパッケージをコンテンツにできないだろうか。紙の本が売れると、電子書籍が売れる。電子書籍が売れると、紙の本が売れる。そんな相乗効果をもたらし合う関係として、紙と電子を考えたい。

そこで考えているのは、先述した岡本さんの博士論文の電子書籍化だ。『n次創作観光』は岡本さんの博士論文を加筆修正して出版したものだが、多くの人に手にとってもらうため低価格の実現を優先した。そのため、大幅に内容を削らざるを得なかった。引用元をわかりやすく表示し、さらに深く知りたい場合も検索しやすいように編集したが、肝心の博士論文のオリジナルを読む手段が非常に限られている。つまりそれは、博士論文という年々生まれる膨大なコンテンツが、埋もれたままになるということだ。

この未利用資源を、どうにか有効活用できないだろうか。電子と紙の組み合わせは、これを解く鍵になるかもしれない。研究者は「より多くの人に成果成果を広めたい」と思っている。読者の中には知的好奇心が強く「最先端の知を知りたい」と思う方も多いだろう。その最先端の知の多くは、学術研究にあり主に論文としてまとめられている。編集という手段を使って、研究者と読者の間の不一致を解消し、最適な環境をつくっていきたい。

ぼうけんを編集する

さて、ここまで「編集をぼうけんする」というタイトルで書き進めてきたが、反対に最近は「ぼうけんを編集する」ということに取り組みたいと思っている。もっとカジュアルに冒険的な生活を送りながら、かつ日常生活の課題解決として「ぼうけん」を使うことはできないか。簡単に言うと「日常をぼうけんする」ということである。

新しい取り組みを始めようとしている、旭川市米飯地域の風景。 有名な旭山動物園のすぐ裏にあるのだが、「行き止まり」集落になっており過疎化が進んでいる。

冒険なんて普通に暮らしている僕たちには縁のないことのように思えるが、見方を変えると日常のすぐ隣で大きく口を開けて、僕たちが訪れるのを冒険は待っている。たとえば毎日生活している街で、一か月くらい野宿してみるなんてどうだろう。お金も時間もかからないにも関わらず、案外けっこうな冒険になるのではないだろうか。ごく簡単な冒険からはじめて、徐々に難易度の高い冒険に挑戦し、日常を冒険に変えていくのは、これからの時代のライフスタイルとしておもしろいように感じる。

また普通の都市生活者にとっては、農業だって、山菜採りだって非日常、つまり小さな「ぼうけん」のように感じられるはず。日々都市に暮らし、何か違和感を感じている人に「ぼうけんのある暮らし」を提案していきたい。そのアウトプットが本なのか、イベントなのか、 場づくりなどの継続的なプロジェクトなのかはわからない。その時々に最適なものを判断し、冒険を編集していきたい。

これら同時に、「田舎を編集する」ということにも取り組もうと思う。今年の夏から武藤が、北海道南部の浦河という小さな町に移住することになった。彼も慣れない生活を経験することで、試行錯誤しながら、田舎での生活を「ぼうけん」することになるだろう。僕もまた、旭川市の米飯(ペーパン)という地域で事業をはじめる。彼とは、時期を同じくして田舎と関わることになった。いずれ、田舎を「著者」とする編集部を一緒にやることになるだろう。

今まで僕は「編集」を通して、「価値観の多様化を契機とした寛容な環境づくり」と「不一致の解消による環境の最適化」を目指してきた。毎回まったく違うことをやっているように感じられるかもしれないが、その2つの目的は今も変わらない。この世界というフィールドで、「編集」という武器を手に、これからも冒険を続けていきたい。

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ワシントン・ポストをベゾスが買ったワケ

2013年8月7日
posted by 大原ケイ

アマゾンCEOのジェフ・ベゾスがワシントン・ポスト紙を買収、というニュースに椅子から転げ落ちた。ポストの記者もI was floored.とツイッターでつぶやいていたので、誰にとっても青天の霹靂といったところだろう。

私は一瞬「アマゾンが?」と思ったのだが、これは間違いで、一説には250億ドルとも言われるベゾスの個人資産の中からワシントン・ポスト紙とその関連企業を2億5000万ドルで買い取ったという話。ってことは彼にとってはこの大金もお財布の1%というハシタ金。1万円持ってたから100円使ったった、みたいな。

とりあえずこのニュースのバックグランドを説明しよう。どういう影響がありそうかも。

首都ワシントンのリベラル系老舗紙

ワシントン・ポストは言わずと知れた創業135年という老舗。ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズと並び全米で影響力の大きい新聞で、本社が首都ワシントンというのもあってとくに政治関連記事に強く、いままで獲得したピューリッツァー賞の数もダントツだ。読者層はニューヨーク・タイムズとかなりかぶり、首都ワシントンとその周りのバージニア州やメリーランド州に住んでいるインテリ層、リベラル寄りの人たち。さらにオンライン版で全国に読者がいる。最近はネットで#WaPoで通じるぐらい。

アメリカでは新聞に限らず、書籍や雑誌の会社は株が非公開になっていて(ユダヤ系の)オーナー家族がいるところが多い。たとえばニューヨーク・タイムズといえば、サルツバーガー・ファミリーだし、雑誌社のコンデ・ナストと言えばニューハウス・ファミリーだし。日本でも大手出版社の一部は野間家(講談社)だったり佐藤家(新潮社)だったりするので、そのへんは同じ。

ただ、某紙の某オーナーのように、マスコミのコンテンツや野球チームの監督の人選にまで口出ししてくるのは御法度で、どちらかというと守り神的存在。まぁアメリカにもルパート・マードックという「オレのもんなんだからオレの思う通りに書け」みたいな勘違い爺もいるわけだが、これはむしろ例外。彼はジューイッシュじゃないし、アメリカのメディア界でもオーストラリアからきた珍獣扱いである。

そのマードックも2007年にウォールストリート・ジャーナルというビジネス紙の至宝を掌中にした。もっとも彼は以前パーフェクトスカイTVを中国で展開しようとしていた時期に、傘下の書籍出版社ハーパーコリンズから出ていたヒラリー・クリントンの自伝から、中国政府に対して批判的な部分を内緒で削除させたこともあるという、よろしくないタイプのオーナー。取材対象者の電話の盗聴がバレたイギリスの大衆紙、ニューズ・オブ・ザ・ワールドの経営に関わりすぎて側近が有罪判決を受けるなど、痛い目に遭っている。いま、中国妻との離婚訴訟でモメているのも何かの報いかと。

一方、ワシントン・ポストは戦後(1940年代半ば)あたりからグラハム一家(初代はメイヤー姓でその娘一族が受け継いだ)がずっとオーナーで、新聞のmastheadと呼ばれるスタッフ欄にpublisher(発行人)、という肩書きで君臨してきた。普段は表に出てこないし、人事にもコンテンツにもクチを挟まない。例外的なケースとして、70年代にニクソン大統領が再選のために違法に裏金をまわしてたのをすっぱ抜いた「ウォーターゲート事件」がある。つまり、コンテンツに口を出したり経営に介入したのではなく、国家への反逆罪に問われるぞという脅しに屈せず、現場の記者をどこまでも支えるという決意を示したのである。

カール・バーンスティンとボブ・ウッドワードというポスト紙の2人の若手記者をデスクのベテラン編集者ベン・ブラッドリーが支え、「ディープスロート(内部告発者)」という言葉をアメリカのレキシコンに加え、ついには現役大統領を辞任に追い詰めた一連のスクープ記事のことは、のちに映画化(『大統領の陰謀』)されたこともあり、覚えている人もいるだろう。この時ワシントン・ポストの発行人だったのは二代目オーナーのキャサリン・グラハム女史で、後継者と目されていた夫が急死し、父の新聞を継ぐことになった。ちなみに彼女の自伝Personal Historyはその辺の事情が詳しく書かれており、お薦めの1冊だ。

ウォーターゲート事件の記事が紙面をにぎわせていた頃に、ニクソン政権からワシントン・ポスト紙に相当の圧力がかけられ、司法長官だったジョン・ミッチェルが「そんなことを暴露したらケイティー(キャサリンのこと)のおっぱいがきりきり締め上げられることになるぞ」とバーンスティン記者を脅したというエピソードはとても有名。買収発表に寄せたメッセージでベゾスが、「(おっぱいはないけど)体の部分を締め上げると脅されるのはイヤだけど、平気だよ」と言っているのは、そういう意味なのだ。

ウォーターゲートにあった民主党選挙事務所に忍び込んだ盗聴犯への資金の流れに端を発し、大統領辞任に至るまで、下手なことを書いたら新聞が潰されるかもしれない…それでもキャサリンは圧力に屈することなく、ブラッドリーを全面的に信頼してウォーターゲート事件の記事を発表し続けるのにゴーサインを出した。キャサリン・グラハムの引退後は息子のドン・グラハムが引き継ぎ、かつてほどの影響力も購読者数もないにしろ、口出しをせずに見守ってきた。ドンはスタッフにも好かれているみたいだ(下の映像は買収発表時のドンの肉声)。

現在のポスト紙の発行人は上のキャサリンの孫娘にあたる、キャサリン・ウェイマス・グラハムだ。ハーバードとスタンフォードで法律を勉強したアウトドア派のバリキャリ47歳。49歳のベゾスと同世代だ。この買収劇が発表になる直前に、ちょうどNYタイムズでプロフィールを読んだところだったけれど、次期オーナーとして何かやらかしそうな感じ…と思ったらジェフ・ベゾスに売ったってことだね。

とりあえず今後も発行人として彼女は残るし、ベゾスはとくにスタッフを入れ替える予定もないと言っているので、ワシントン・ポストのコンテンツが変わるというわけではなさそう。でも、常識的に考えてアマゾンを一方的に攻撃するような記事は載せにくくなるだろう。

というのも、最近オバマ大統領がアマゾンの流通倉庫を訪問して、その際に国内の雇用を支える企業を支持するという主旨の演説をしたばかり。雇用を生み出すといってもアマゾンの流通倉庫の仕事は低賃金で、労組もなく、キツい仕事だというのは周知の事実。アマゾンのせいでどれだけの本屋が潰れて、低賃金雇用ばかりが増えたと思ってるの?と業界の人は怒りを顕わにしていた。リベラル寄りのワシントン・ポストもこのことについては厳しい見方だった

でもジェフ・ベゾスがワシントン・ポストのオーナーとなったら、首都ワシントンで行われる政治家のパーティーにもお声がかかり、それはそれでロビイストを雇うのと同じ効果があるだろう。ワシントン・ポストに好意的に取り上げてもらおうと議員もアマゾンにすり寄っていくだろう。

一方で、折しもEブック談合裁判で米司法省がアップルに勝訴し、これからiTunesストアにも刑罰を与えようとしている。アップルは元々ロビイストにあまりお金を使ってこなかったから、そのとばっちりを受けているとも言える。アマゾンはそれに比べるとなんとしたたかなことかと思うわけで。

だからワシントン・ポストがこれからもジェフ・ベゾスという新オーナーとは一線を画し、中立的な立場を守っていけるのかどうかは、これからの同紙の労組や、最低賃金や、中流階級の雇用などに関する記事で判断できるだろう。

「個人」として買収した理由

ジェフ・ベゾスがアマゾンという企業としてワシントン・ポストを買収しなかったのにはいくつか理由がある。

まずひとつは、ワシントン・ポストの財政問題。ワシントン・ポスト社の資産内訳を眺めても、オンライン版の広告が増えていてはいるものの、大部分を占める紙の広告は他の新聞と同じで、どんどん落ちている。スタッフ削減で退職金の支払いもバカにならず、赤字が累積しているのが実情だろう。これを買収してアマゾン傘下の企業とするには、株主に対し、この赤字をどうしていくのか、説明が求められる。大がかりなリストラ策を打ち出せば、社内の人間に嫌われるだけだし、いくらアマゾンでもAmazon.comのトップページでワシントン・ポストの割引き購読を宣伝するぐらいじゃ、黒字に転換したりできないだろう。新聞というメディアそのものが衰退しているのだから。

そしてもう一つは、メディア買収の際にFCC(連邦通信委員会)から求められる情報開示のプロセスだ。アメリカではマスコミ企業が買収される場合、クロスメディア・オーナーシップ法に違反してないか徹底調査される。要するにテレビもラジオも新聞も同じ資本の会社です、ってのは許されない。アマゾンはいまのところマスコミ企業ではないけれど、ビデオのストリーミングサービスや、Eブックビジネスなど「コンテンツ・プロバイダー」である点が今後違法となる可能性もないわけではない。

アメリカでもレーガン時代から続く規制緩和政策の一環としてFCCの規制を緩めろという声があるが、緩めるとマードック爺みたいなのがのさばるだけなので、そういう懸念もあってまだ揉めている状態だ。だからもしアマゾンがワシントン・ポストを買収するのであれば、いままで絶対に公開してないEブックの売上げなども細かく公示する必要がある。それはベゾスもいやだろう。だから個人としてのお買い上げ、となったと察する。

それとそろそろジェフ・ベゾスも五十路の声を聞く頃。自分の「レガシー」というものを考え始めたのもあるだろう。アマゾンのCEOとして「通販キング」「安売りの殿堂タコ入道」 「書籍ビジネスを破壊した男」として歴史に名を刻むより、やっぱりハーストやサルツバーガーと並び称される「メディア王」の方がいいだろうし。アメリカの歴史を振り返っても、Fourth Estate(第四の権力)の覇王として、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』のモデルとなった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストのように、フィクションの世界でもマスコミ・オーナーは名士扱いされてきた。ベゾスもこれでそうした「名士」の仲間入り、ともとれるわけ。

……ってなことを椅子に這い上がりながら考えてみた。どう思う?

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