電子書籍論と歴史的視点

2010年12月30日
posted by 大澤 聡

以下は、『図書新聞』2010年7月24日号(第2975号)に掲載された拙稿です。同号は「2010年上半期読書アンケート」にあわせるかたちで、「電子書籍」特集の体裁も採っています。この記事のほかには、目玉企画として、前田塁・永江朗・藤沢周・円城塔の4氏による座談会「「電子書籍元年」、何を考えるべきか」が掲載されました。ご関心がおありの方は、ぜひ図書新聞編集部に問い合わせるか、図書館などでバックナンバーにあたっていただければと思います。

さて、今回、当該記事を本サイトに転載していただくにあたって、縦書きを横書きに変更し、改行数を増やし、小見出しを貼付しました。内容面での改筆は行なっておりません。基本的に初出のままです(ただし、校正前データを利用)。そのためもあって、ネットにアップするテキストとしてはいささか違和のある文体になったように思います。すなわち、紙に印刷されたテキストをそのままネットに移植したときにしばしば生じる違和感。それをはからずも体現する結果となりました。

同一コンテンツがメディアを取替えることで表層的印象までをも変えてしまう。書き手はこういったインターフェイス間の差異を意識しながら文章を書くでしょう。そうした多メディア環境という条件に由来する表現上の変化についても、あらためて別の機会に考えていければと思います。

《作者‐読者》の直接接続という夢想

杉山平助という批評家が、1930年代前半に、批評の社会性についてくりかえし分析している。その際、徹底して商業主義的な立場をとっている。背景には、小林秀雄らの〝自律した批評〟への目配りがあったはずだ(拙稿「大宅壮一と小林秀雄」[叢書アレテイア10『歴史における「理論」と「現実」』(御茶の水書房)所収]参照)。どれほど批評の地位が向上しようと、出版資本の一環にすぎないことを忘れるな、というわけだろう。

一例に、論説「批評の敗北」(『読売新聞』1931年10月17―23日)を見てみよう。杉山の分析はシンプルだ。いわく、批評家とは商品価値を測定する「鑑定人」である、と。商業が未発達の時代・領域の「消費者」は自らの鑑識眼を信頼し消費する。ところが、商品化が進展するにつれ、それは困難となる。なにより物量として選択肢が増大するからだ。その負担を代行すべく、「職業的批評家」が出現することになる。かかる一般論から、杉山は議論を説きおこす。そして、この構図を文芸業界に適用していく。

文芸批評家は、読者(=消費者)に文学作品(=商品)の解説を提供する。と同時に、読者を代表して作者(=生産者)に要望を伝達する。かくして、《作者‐批評家‐読者》の三者関係が形成される。ところが、実際には出版社も介在する。杉山はそれを「仲買人」になぞらえた。この四者関係で考えている(書店や取次など物流に関する存在は勘定に入れていない)。論説の中心議題は、出版社と批評家の関係である。両者は「第一義的要素ではない」。作者と読者のあいだに後発した存在だ。前者は作品の「交換価格」を決定する。後者は「質的優劣」を決定する。

ただし、両者の機能は相互侵犯的である。出版社は優劣の識別能力をもつからこそ、価格決定ができる。プライシングにおいて「批評」性を発揮する。他方、批評家は作品の優劣に言及することで、価値をも示すことになる。結果的に、市場価格の変動に影響をおよぼす。両者は機能的に近似する。ゆえに、対立関係におかれる。結論からいえば、批評家はこの対立に「敗北」する。批評もまた出版社をとおして商品とならざるをえないからだ。出版社は自身の利益に反する批評を排除できる。自身が批評家でありながら、杉山はこうした身も蓋もない見取図を導き出してしまう。

しかし、杉山は「批評の敗北」を「勝利」に反転する経路を末尾に指し出す。「発端」に戻れ、というのだ。すなわち、「作者と読者の直接的関係の恢復」。出版社と批評家が消失する光景を「最高の理想」とする。アクロバティックなこの論理展開は、紙幅の都合もあり説明されない。一ヶ月前に発表された「商品としての文学」(『東京朝日新聞』1931年9月19、20日)でも同じ議論を展開していた。こう結ばれる。作者と読者が「より合理的な新しい社会機関を通じて結びあはされる時代」が到来せねばならない、と(やはり詳細はなし)。

杉山以降も、多くの論者が《作者‐読者》の直接接続を夢想した。だが、具体策の提出にいたることはなかった。なぜか。理念を実現するテクノロジーが存在しなかったからだ。直販の一般化は不可能事だった(同人誌など限定空間における事例はある)。

電子書籍は出版社を消滅させるか?

さて、2010年代の現在はどうか。私たちは「理想」を実現しうる環境をすでに手にしている。杉山が漠然と表現した「新しい社会機関」がいよいよ出来する。インターネットの普及や電子書籍端末の登場によって。それらは出版社不在の取引を技術的に可能にするだろう。出版社だけではない。取次や書店もスキップされうる。作者と読者が直取引を行なう。その光景はもはや現実だ。諸機関は商品流通の複雑性を縮減すべく誕生した。ところが、複雑性は新たな技術により解消されてしまう。であれば、書き手は実入りの良いセルフパブリッシングを選択する(場合もある)だろう。金銭以前に、執筆自由度の高さや実験的表現の可能性も魅力的に映る。

さっそく、いくつかの試みが観察される。

例えば、小説家の瀬名秀明や桜坂洋らによる電子書籍『AiR [エア]』。Vol.1の配信が2010年6月17日に開始された。小説や評論、エッセイなど九つの書き下ろしを収録した雑誌スタイルだ。これを紹介する記事は、見出しに当人たちの思惑をこう記した。「出版社〝中抜き〟が目的ではない」と(ITmedia News 6月23日付記事)。実際、当該書籍の公式サイト冒頭部には次のようにある。「なにかを否定するためではなく、新しい可能性を肯定するためにこんなことをやっています」。当人の意図がどうあれ、直販は出版社の「否定」と見えてしまう。業界もこうした動向に過敏になる。そのため、事前の弁明が必要となる。

私個人は、技術的進展が出版社の消滅に帰結すると思わない。技術的に可能なことと、人びとが望むこととは、別の問題だからである。変容しながら残存し続けるだろう。「出版」という形態を前提するかぎり、責任問題や校閲、プロモーションなどをどう処理するのかという問題も残る。とすると、出版社と新技術との最適な接合形態もいずれ見えてくるにちがいない。

しかしながら、ここではあえて杉山の未来図に付きあってみたい。思考実験として、出版社消滅を仮定する。すべての書き手がデジタルデータによる直接サービスへと移行。この条件で考えてみよう。転換期において、多様な展開をシミュレートしておくことは無駄ではない。

出版社は企画・原稿を出版物へと飛躍させる窓口の役割を担ってきた。逆にいえば、そこでふるいにかけるわけである。その投機的営為において出版社は「批評」性を発揮した。ところが、現在の技術革新はこのゲートキーパーの撤退をうながす。望めば誰もが出版できる状況へ。金銭面での参入障壁(刊行コスト)の低減もそれを後押しする。

となると、従来ならば到底存在しえなかった有象無象の出版物が大量発生する。出版大洪水のごとき状況と帰すのか、それとも不可視の死蔵コンテンツの山と化すのかは、ここでは問わない。ともかく、そのただなかで、読者は自身の眼で取捨/発掘し消費することを求められる。これは、杉山のいう「発端」回帰を意味する。出版社に担保されていた「批評」が再び読者に戻される。「批評」を「信用」に置換えてもよい。読者は出版社のネームブランドを選択基準に入れる(場合がある)。だが、その基準も直取引の条件下では確保できない。

出版社「中抜き」にともなう負担が個々の読者に集中する。それは非経済的である(だから、技術と願望は別だと述べた)。何らかの代替装置が必要となる。作者と読者だけで構成される出版空間では、例えば先行読者による評価が重視されるだろう。アマゾンのカスタマーレビューに付された「おすすめ度」の星の数が典型的だ。クラウド的に立ちあがる集合的な批評行為と見ることもできる。読者による読者のための口コミ的な批評。だが、そうした「星の数」の平均値が「信用」ならないことを私たちは知っている。ときに、ステルスマーケティングに使われることも。

にもかかわらず、読者はそれに頼るほかない。読者はメディアパフォーマンスに幻惑され続ける。これが先の仮想条件から導出される風景だ。はたして「理想」的だろうか。だからといって、直販を止めろといっているわけではない。

「問いの構え」の変換を

長年私たちは、新たな出版流通モデルを模索してきた。「どのように改良すべきか」をめぐる議論の蓄積がある。ところが、キンドルやiPadを契機とした、ここ一年ほどの議論はタイプが異なる。多くは「未来はこうなる」型の言説に偏っていた。素朴な技術決定論による未来予想図が氾濫する。私たち自身が「何をしたいのか」「どうすべきなのか」といった問いのモメントはすっぽりと抜け落ちている。このあたりで、いちど電子書籍をめぐる議論の体勢を組替えるべきではないか。

「技術が進むことで、○○ができるようになる」型の論理だけでは片手落ちだ。「○○をしたいから、関連技術を進める」型の議論も必要となる。場面によっては、これが反動的な提言となりうることは十分承知している。だが、こと電子書籍論に関しては、あまりに前者に傾斜しているように見えるのだ。「○○をしたい」の部分は歴史的に規定される。とするならば、あらためて歴史的参照項の掘りおこしを進めなければならない。いかなる経緯で現行の出版流通体制が構築されたのか。それに対してどのような論議がなされてきたのか。

現在進行する出版環境の地殻変動は、杉山の活躍した1930年前後を連想させる。20年代半ばの出版大衆化状況の到来を経て、現在まで継続するビジネスモデルの基盤が急速に整備された時期だった。杉山が前述の問題にこだわったのは、かかる構造変動の渦中においてである。杉山にかぎらない。当時のジャーナリズムでは出版論が小さなブームをむかえていた。メディア論の萌芽といってよい議論が出揃っている。まさに、メディア=中間項、すなわち出版社や批評家が検討の対象となったのだ。そして、ただちに議論は現実の出版動向にフィードバックされた。

杉山は、「敗北」から出発する。その意味を強調した。別の機会には、それが自身の「評論の絶えざるテーマ」であるとさえ述べた(「文芸時評」『新潮』1934年2月号)。出版市場と批評家(という自身の〝職業〟)の関係の最適化を追求したのである。いま出版にたずさわるあらゆる立場の人間に必要なのは、そうした問いの構えである。

(初出:「図書新聞」2010年7月24日号[第2975号])

「自炊の森」はだめでしょう

2010年12月30日
posted by 沢辺 均

自炊の森という店が秋葉原にプレオープンしたそうだ(akiba PC hotline 2010年12月28日号)。断裁済みの本とかマンガ、業務用スキャナをおいて、自炊させるサービスだそうだ。

●自炊の森 Twitterアカウント http://twitter.com/jisuinomori

こりゃダメでしょう。ツイッターでは

当店のサービスの要点は、利用者ご自身が自分の体を使って自炊(スキャン)する、という点です。著作権法で定められている私的複製の要件として、これが求められるからです。
http://twitter.com/#!/jisuinomori/status/19075483773706240

とか書いているけど、著作権法では完全にアウトだと思う。その最大のポイントは、断裁済みの本を貸し出すところだ。この店に並べられている本やマンガを出版している版元は、法的手段を、出来るだけ早くとるのがいいと思う。

自炊が盛り上がっている(らしいってこと)のは、当然だと思う。本として残しておくほどではないにせよ、一応資料としてとっておきたいな、という本があることはとってもワカル。デジタルデータがあるのなら、あるいは、デジタルでアクセスが可能なら、捨ててしまってそのスペースを空かせたいのはオイラも同じだ(昨日大掃除したばかりだしね)。

この前、あるIT系の大企業の人から、会社の引っ越しのついでで、紙の本を「自炊」してしまいたいのだが、出版界に相談する窓口も見つからなかったので、結局、それを保管するスペースを、家賃をはらって確保する以外になかった、きちんと対価を払うので、対応してもらいたかった、という話を聞いた。これも同じ話。

オレ自身の著作権法解釈は、福井健策弁護士の見解とほとんど同じだ。
出版業界のムードとしては、福井さんほど、ラディカル、ではないだろうけどね。

書籍の電子化、「自炊」「スキャン代行」は法的にOK?〜福井弁護士に聞く著作権Q&A(Internet Watch)

ところで、「自炊の森」は論外としても、大手出版社が、自炊代行サービスにも対策をとろうとしてるって話がある。気持ちはなんか解らんでもないけど、アプローチが逆だと思う。
福井さんも、

 Q8:自炊の代行サービスは適法?
A8:権利者から複製の許可を取らない限りは、違法でしょう。
解説:私的複製の範囲を規定する著作権法第30条1項を見ると、「『使用する者が』複製することができる」と書かれています。こうしたことから、自炊に限らず複製の代行サービスは、私的複製として許容されないというのが通説として定着しています(表【2】参照)。

これまでも新しいメディアが生まれるたびに複製代行サービスが登場しましたが、ビデオのダビングサービスをはじめ、権利者の許可のない複製の代行サービスは基本的に押さえ込まれてきた経緯があります。 自炊代行サービスに関する判例はまだありませんが、現行法を解釈すれば、おそらく複製権侵害に該当すると考えられます。

とはいえ、私も自著で利用してみたことがありますが、こうした自炊代行サービスは電子書籍のラインナップが揃わない現在、利便性がありユーザーの需要が高いことは間違いありません。許諾の確認できない書籍のスキャン代行は当面停止し、前述の複写権団体などを通じて作家・出版社と包括契約を模索するなど、各業者は適法化に向けて努力すべきでしょう。無論、作家・出版社側の電子書籍充実に向けた努力も望まれます。

と書いているし、先のIT系大企業のような要望に、出版界が応えられていないということへの対応こそ、先にやるべきことなんじゃないだろうか? そうしないと、理解を得られない。

妥当な費用負担をして、便利になりたい、という要望に応えることが先決で、その対案を出さずに、自炊代行サービスタタキをするのは、妥当性を欠くやり方だと思う。提供しているサービスの不足をたなに上げて、その不足を埋める第三者の行為を「だけ」をたたくだけだから。

さてさて、書協という、ナンバーワン出版業界団体の行動には、まったく関与できないし、してもいないし、これまでも特に態度を明らかにしたこともない、と思うんだけど、この「自炊の森」に書協なり、の業界団体が反撃するなら、断固支持するつもりだ。もちろん、自炊要望に応える対応策も必要だけどね。

ポット出版でも、ささやかに「ず・ぼん」のバックナンバーをネットで公開してるけど、ポット出版で「ず・ぼん」シリーズを「自炊」して、紙の本を買ってくれた人には無料で、紙の本を買ってくれていない人には有料で、PDF化して公開しようと計画中だ。DRMは(ほとんど)かけないで、ね。

2011年の電子書籍議論は、DRMのことがいよいよメインテーマになる予感?
いや、オレの「希望」だけかもしんないけどね。

※この記事はポット出版の「ポットの日誌:「自炊の森」はだめでしょう+自炊について+書協ガンバレ」(2010年12月29日)を改題して転載したものです。

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印刷屋が三省堂書店オンデマンドを試してみた

2010年12月20日
posted by 古田アダム有

電子書籍元年と何かと騒がしかった2010年、その締めくくりは電子書籍ではなくオンデマンドブックサービスだった。

三省堂書店が米国On Demand Books社の提供するオンデマンド印刷製本機であるエスプレッソ・ブック・マシン(EBM)を店舗に導入するというニュースが入ったのは8月の上旬。 EBMを最初に導入する同業者はどこになるか、興味をもって見守っていた僕は驚きとともにそのニュースを読んだ。

EBMは三省堂書店神保町本店に設置されている。

EBMは三省堂書店神保町本店に設置されている。

Espresso Book Machine

僕がエスプレッソ・ブック・マシン(EBM)という、洒落た名前のオンデマンド印刷・製本機の存在をWEBのニュースで読んだのは確か2008年のこと。割合にコンパクトな機械で、公共の施設等に設置可能だという。オーストラリアの書店が同年これを導入しているが、僕は(間抜けなことに)日本では出版系の印刷屋がこれを導入するものと思い込んでいた。

EBMの初号機は2007年、ニューヨーク公共図書館に最初の機械が設置されている(同年、Time誌の “The Best Invention of the Year 2007” を受賞した)。実際には前年の2006年からベータ版の投入が始まり、ベータ第2版はエジプトはアレクサンドリアの図書館に設置された。

アレクサンドリアといえばもちろん、かのアレクサンドリア図書館があった場所だ。本の最新鋭のソリューションと、伝説の図書館が数千年の時を経て同じ土地に置かれていることがなんとも興味深い。

EBMはコピー機に製本装置を合体させた機械で、構造は割合にシンプルだ。まずコピー機から本のページが出力される。両面印刷されたページがまとまると、カラープリンタ(製本機の上に載っている)から出力された表紙に糊で固定され、断裁機で天地小口を落とされて本の形になる。この間およそ10分。まだ暖かな本が読者の元に届けられる仕組み。

ちなみに本のデータはOn Demand Books社のサーバに蓄えられ、版元が望めばそのネットワークに繋がる世界中のEBMから出力できる。出力側はアナログな本だが、ソリューションとしてはいま流行のクラウドなサービスになっているところが面白い。

オンデマンド印刷

ふだん僕は印刷会社で営業をしている。主な取引相手は文字物をメインとする出版社。クライアントも僕たち業者も、おそらく一般の読者が想像する以上に印刷物の刷り上がり品質に関しては厳しい意識をもって向かっている。もちろん、可読性に関わる材料の選択についても吟味を重ねて製品は作られる。

例えば、数年前まで僕の会社では刷り上がりが濃くなりすぎないように抑えていた。長時間に及ぶ読書の際に目が疲れないようにという配慮からだ。最近は高齢者の読者が増えたことで、逆に濃い刷り上がりを求める声が増えて基準濃度よりもインキを盛るようにしている。

そうした職務上の目から見て、僕はこれまで品質に満足のいくオンデマンド印刷機に出会ったことはなかった。

オンデマンド印刷機は、オフィスにあるコピー機に製本機能が付いたものと考えてもらえればいい。印刷の方法は、トナーを電気的に紙に付着させ、熱などでキャリアの樹脂を溶解させ定着させるシステムだ。

このため、コピー機の刷り上がりには独特な「テリ」がある。紙面とのコントラストが強く出てくっきりするが、細部の再現性にはまだ難点があり、かすれや欠けが出やすい(紙の種類にもかなり左右される)。「テリ」については賛否両論あるが、紙と画線部が乖離しているという印象をどうしても受ける。

(もちろん、と言いたいのだが)品質についてはオフセット印刷が圧倒的に優れている。しっとりと紙になじむ刷り上がり、文字や図版の細部のキレは、みなさんが日頃接している書籍をひらいて会社でとったコピーと比較してみていただければ分かる。

この印字上の違いが、多くの出版社がオンデマンドサービスに踏み込めない要因の一つ。おそらくどの版元も、オンデマンドサービスを採用して眠っているコンテンツを動かしたいと考えているはずだ。それでも、出版社として担保すべき品質の(そして販売上の)問題がある。「うちの本づくりの基準からいうと、この仕上がりでは難しいね」という言葉をこれまでに何度となく耳にしてきた。オンデマンド印刷機のメーカーから僕たちの業界に対して売り込みも続いているのだが、成功した例はこれまでにあまり耳にしていない。

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読み物コーナーに新記事を追加

2010年12月17日
posted by 仲俣暁生

印刷学会が発行している「印刷雑誌」2010年9月号(Vol.93)の特集「電子書籍規格の必要性」より、以下の記事を「読み物」コーナーに転載しました。

電子書籍のフォーマットについて関心がある方はぜひご参照ください。

電子書籍ファイルフォーマットの構造

2010年12月17日
posted by 小町祐史

記述言語とマーク付け

電子書籍に限らず、文書などの構造をもつデータの交換フォーマットには、ASN.1、SGML、XMLなどの記述言語が用いられてきた。

記述言語は文書構造記述などの特定目的のデータの記述とアクセスを指示する言語であり、指示要素の組合せによってコンピュータの多様な動作を規定するプログラム言語と比較するとき、データがテキスト形式で扱われ、制御変数をもたないことが多いなどの特徴をもつ。目的によって表1のように分類される。

表1 目的による記述言語の分類

表1 目的による記述言語の分類

マーク付けの一般化
文書処理の電子化は植字機(タイプセッタ)において開始され、印刷指示がタグとして文書データの中に埋め込まれた。タグは機器に依存していたため、それが埋め込まれた文書データの交換性は極めて限定されていた。

そこで文書中に印刷指示を書くのではなく、次のように文書を構成する意味的なまとまり(論理的要素)を示すタグを文書データの中に埋め込む(マーク付けする)ようになった。

 <header> 環境保全の強調
<paragraph> パリで開かれていた国際環境保全会議…

その結果、

◇マーク付けを機器非依存にできる。
◇マーク付けに用いるタグの可読性が高く、しかも印刷の専門技術に関係しない。
◇したがって文書内容の作成者は意味内容の記述に専念できる。

ことになった。

マーク付けはさらに、ある文書クラスに共通する論理的要素とその構造を識別するようなタグ集合へと一般化され、共通マーク付け(generic markup)と呼ばれた。要素に関する属性記述をもタグに含めて、多様なアプリケーションに対応できるようにしたマーク付けも行われて、一般化マーク付け(generalized markup)となった。

このようなタグ集合の定義方法を国際的に取り決め、言語として体系付けたものが ISO(国際標準化機構)によって承認され、SGML(Standard Generalized Markup Language:標準一般化マーク付け言語)として制定された。これを用いれば、いわゆる文書に限定せず、さまざまなタイプのデータ集合(アプリケーション)に対して、一般化マーク付けを定義でき、さらに各種の補助機能によってさらにマーク付けを扱うさいの利便性の向上が図られた。

なお、SGMLのいくつかの追加機能は、処理系の進歩によって不要になり、その後開発されたXMLでは簡素化が施された。

スタイル指定

論理構造(論理的要素とその構造)のマーク付けを施された文書データは、表示メディア上にフォーマット付けされて展開される必要があり、そのため論理的要素をどのようにフォーマット付けするかの指示(スタイル指定)を受ける必要がある。

なお、本稿では“フォーマット”を異なる2つの意味で用いる。“文書・書籍の交換フォーマット”という文脈におけるフォーマットは、交換対象データを扱う送り手と受け手との間の交換対象データに関する表記方法の取り決めであり、JISなどでは交換様式と書かれることが多い。

もう一方の表示メディア上での“文書データのフォーマット付け”という文脈におけるフォーマットは、文書データを構成する文字列等のまとまりを視覚的に見やすく表示メディア上にマッピングすることである。組版、レイアウト、スタイル付け、ページ展開などが、類似の意味をもつ。

表示機能を大きく異にする装置間での文書交換では、スタイル指定はローカルに設定しなくてはならず、交換の対象は論理的要素とその構造に限定される。しかし、充分なフォーマット付け機能と表示機能をもつ環境では、再編集の可能性を維持したまま交換による版面の一致または最適近似が要求されることが多い。その場合には、文書の論理構造に加えて、論理的要素に対するスタイル指定が交換の対象となる。

CERN(欧州原子核研究機構)における技術文書の交換から始まったHTMLは、それが扱う要素型を極端に限定し、それらに対応するスタイル指定をもある程度規定して、SGML 宣言、文書型定義、スタイル指定の交換を不要にすることで、当時の処理系においても、ウェブ環境での軽快なナビゲーション(文書間のたどり)を可能にしてインターネットの普及に貢献した。しかしこの限定された仕様が、とくにフォーマット付けに関する要素型および属性の独自拡張を呼び、交換性が失われることが目立った。World Wide Web Consortium(W3C)は禁欲的なまでにHTMLでのフォーマット付け機能を制限し、充実したフォーマット付けに関するユーザー要求はスタイル指定言語CSSを併用することで充足した。

この戦略によって、SGMLの時代から提唱されていた電子化文書、とくにウェブ文書を論理構造とスタイル指定とに分離して記述することが社会に定着していった。

XML とスキーマ

HTMLの大普及の結果、当初のHTMLのスコープ(適用範囲)を越えた複雑な文書までを、HTMLと同様の簡便さで交換したいという要求が現れた。この要求を満たすため、SGMLのサブセットに整形式のコンセプトを導入したXMLが開発された。

SGMLにおいては、共通する論理的要素とその構造を定義するスキーマ言語としてDTDだけが使われていたが、XMLの普及と共にXMLの構文を使ったスキーマ言語(W3C XML Schema、RELAX NG XML syntax)が利用可能になり、さらに簡素な記述を可能にするRELAX NG compact syntax がISO/IEC 19757-2 として制定された。図1~3にそれぞれXML DTD、RELAX NG XML syntax、RELAX NG compact syntax による論理構造の記述例を、その入れ子構造を図4に示す。データ型の規定、XML名前空間なども次々と開発されて、XMLはいわゆる文書だけでなく、一般的なデータの構造を記述する言語として、プロトコルの記述などにも広く利用されている。

図1 スキーマ言語XML DTD による論理構造の記述

図1 スキーマ言語XML DTD による論理構造の記述

図2 スキーマ言語RELAX NG XML syntaxによる論理構造の記述

図2 スキーマ言語RELAX NG XML syntaxによる論理構造の記述図3 スキーマ言語RELAX NG compact syntaxによる論理構造の記述図1~3の各構文が示すvocaburary(要素と属性)の関係。要素と属性は入れ子構造になっている。

図3 スキーマ言語RELAX NG compact syntaxによる論理構造の記述

図3 スキーマ言語RELAX NG compact syntaxによる論理構造の記述

図4 図1~3の各構文が示すvocaburary(要素と属性)の関係。要素と属性は入れ子構造になっている。

図4 図1~3の各構文が示すvocaburary(要素と属性)の関係。要素と属性は入れ子構造になっている。

電子化文書を論理構造とスタイル指定とに分けて記述することは、XMLの利用においても同様であり、CSSをさらに拡張してXMLの構文で表記したXSLが開発されて、印刷・出版の文化の中で発達してきた多くのフォーマット付け・組版技術の要素(文書スタイルオブジェクト)がサポートされるに至っている。

IEC TC100 における電子書籍規格の扱い

電子書籍においては、文書としての論理構造とそのコンテンツ(文字列、画像など)だけでなく、フォーマット付けされたページイメージに対しても著作物としての扱いを受けることが多い。そこで電子書籍モデルを示す前にとくにフォーマット付けを論じる。

電子書籍におけるフォーマット付け
人の思いは通常、ことばによって表現され、文字列を使って記述されることが多い。人の思いを時間的に固定して、文字列およびその他の補助データで表現したものが文書であり、他の人(または自分自身)にその思いを伝えることを目的とする。

ことばによって表現される思いには、必ずしも明示的ではないこともあり得るが、意味的な区分(論理構造)があり、その構造を適切に示すことによって思いの伝達が明確になる。思いを文字列で記述するとき、その論理構造をなるべくわかりやすく伝達するために、文字列を展開する表示メディア(紙など)の上で文字列を幾つものブロック(見出し、段落、注釈など)にまとめ、ブロックの境界を空白等で明らかにし、さらにブロックの中での文字の並び方、フォントなどで他のブロックと区別するというフォーマット付けが印刷・出版技術とともに発達した。

著者や編集者は彼らの思いを表示メディアの制約の範囲でなるべく適切に表現できるスタイルオブジェクトを用いて文字列を展開し、読者は紙面に展開された文字列のブロックから著者や編集者の思いをより明確に把握する。紙などのハードコピーによる文書交換においては、表示メディアに展開された文字列のブロックという著者や編集者が意図する論理構造のインスタンス(論理構造に基づく実際の値としてのデータ)があるだけであり、表示メディアの制約の変化への柔軟な対応は困難である。

文書が文字コードの列として表示メディアから独立してはじめて、その文字列に対して記述言語などを用いて論理構造の指定が可能になり、電子化された情報として論理構造が交換可能になる。

電子書籍モデル
文書の論理構造を読者に視覚的に示す技術としてフォーマット付け・組版技術があり、それは前述のとおり表示メディアに依存する。eBook(電子的な書籍)流通系の中では、多様な表示メディアの存在を許容する必要があり、表示メディアに依存しないgeneric formatと表示メディアに依存するreader’s formatとを用意することが必要である。

そこでIEC 62229(マルチメディア電子出版の概念モデル)が示すTC100 のe-Publishingモデルでは、Data preparer(電子書籍を作成する組織または人。たとえば編集者)とPublisher(電子書籍を発行し、配付する組織または人)との間の交換様式としてgeneric formatを規定し、Publisher とReader(読者)との間の交換様式としてreader’s format を規定することを推奨している。generic formatにおいては、論理構造を含むだけでなく、reader’s formatへの変換に際してのヒント情報としてのスタイル指定を含む必要がある。

reader’s formatにおいては、Readerにおける表示メディアに依存したスタイル指定が含まれる。そのスタイル指定をフォーマッタ(文章の整形を行うアプリケーション)によって実行した結果をreader’s formatとすることも可能である。

Author(著者)とData preparerとの間の交換様式としてIEC/TS 62229のモデルに含めたsubmission formatにおいては、Authorがとくに指定することを要求するスタイル指定を含むとともに、Data preparerとの間のproofreading(文書校正処理)交換のサポートが望まれる。

IEC 62448 の基本構造
IEC/TC100(国際電気標準会議のマルチメディアシステム及び機器に関する技術委員会)のe-Publishingモデルに基づくgeneric formatとして、すでにIEC 62448が発行されている。これは我が国がTC100固有の加速化手続きを用いて提案した規格であり、当時のe-Publishingの国際マーケットを考慮すると「統一フォーマットの国際的議論が困難である」との判断に基づき、マーケットを拡大しつつあったBBeB XylogとXMDFのフォーマットを追認するとともに、極めて簡素なe-Bookを考慮したg-coreというフォーマットを規定している。g-coreにおいては、vocaburary(要素と属性)のセマンティック(データの意味)の厳密な規定は示されておらず、スタイル指定も行っていない。

なお、最近ではISO とIECの各種手続きが統一化される方向にあり、そのための検討が続けられているが、IEC/TC100ではISO やISO/IEC JTC1(ISO/IEC合同技術委員会)とは異なる標準化手続きが認められており、加速化手続きにもTC100固有の手続きが用意されて、新規分野の国際規格開発の効率化が図られている。

図5 IEC62448におけるRELAX NG記述の先頭部分

図5 IEC62448におけるRELAX NG記述の先頭部分

これらの規定の構文には、RELAX NG compact syntaxが用いられ、RELAX NG記述の先頭部分で図5のような、g-core、BBeB、XMDFの選択が行われる。今後、国際的に合意されたフォーマットもこの機構を用いて(この選択肢の追加によって)IEC 62448(電子出版の共通フォーマット)の中に導入することが可能である。

※本稿は「印刷雑誌」2010年9月号(Vol.93)の特集「電子書籍規格の必要性」に掲載された記事を、著者の了解を得て転載したものです。