電子書籍戦争は終結、勝者はアマゾン

2011年9月30日
posted by 小関 悠

※この記事は「辺境社会研究室」で9月29日に公開された記事「電子書籍戦争は終結、本はアマゾンのものになった」を、著者の了解を得て改題のうえ転載したものです(「マガジン航」編集部)。

概要:アマゾンが発表した新しいKindleは79ドルという価格攻勢により電子書籍端末の決定版となった。アマゾンが電子書籍市場を支配することで、読者、出版社、書き手のあり方はまったく異なるものとなっていく。

79ドルのインパクト

ここ数年続いた電子書籍をめぐる狂想曲は、完全に終わった。終わりを告げたのは、始まりを告げたのと同じ、アマゾンだった。9月28日に開催されたアマゾンのKindle発表会は、そう確信するに十分な内容であった(下はその映像)。

アマゾンが最初に電子書籍端末Kindleを発表したのは2007年11月のことだ。初代Kindleは白黒のE Inkディスプレイ、やぼったいデザイン、電子書籍に対応するだけの単機能性、399ドルといった価格で、売れるはずもないという批判も多かった。しかし実際は発売当初から売り切れの続く人気製品だった。もっとも、ハードカバーならば何十ドルもする書籍が電子書籍なら9.9ドルで買えるのだから、読書家が飛びつくのは当然だったかもしれない。

あれから4年。アマゾンは改良を続け、今回発表となった新Kindleは早くも四代目になる。4年をかけて白黒のE Inkディスプレイは綺麗になり、切り替えも高速になった。デザインはかなり洗練された。単機能性は変わらない。しかし、一番変わったところ、そして新Kindleの一番のアピールポイントは、なんといっても価格だろう。最安モデルは、なんと79ドルだ。

79ドルというのはどれほどインパクトのある数字だろうか。前世代のKindleは最安モデルでも114ドルだったので、一気に1/3ほど値下がりしたことになる。そのうち100ドル以下になるという見方はあったが、予想を上回る攻撃的な価格設定である。現状、米国でKindleのライバルと言えるのが大手書店チェーンBarnes & Nobleの販売するNookくらいで、こちらは139ドルだ。Nookには実際の書店でさわって購入できるという強みもあるものの、60ドルの価格差はあまりに大きい。B&NはNookを値下げすることもできるが、そうするとアマゾンはKindleを50ドル以下にするかもしれない。

なぜアマゾンの電子書籍端末だけが安いか

なぜアマゾンは79ドルという価格を設定できたのだろう。理由はみっつある。ひとつめの理由は、その人気だ。Kindleはアマゾンオンラインストア全体でもトップの販売数を誇る大人気商品である。売れるから安く作れる、アップルのiPadと同じ戦略だ。

ふたつめの理由は、電子書籍の販売手数料である。Kindleで電子書籍を購入すると、売上の一部(契約によるが標準で3割)はアマゾンのものとなる。ウェブブラウジングもゲームもできるiPadと異なり、Kindleでは電子書籍を読む以外にほとんどなにもできないので、ユーザーがKindleに触れれば触れるほど、アマゾンは労せず儲かることになる(Kindleのブラウザはまだ「実験段階」)。だからアマゾンはKindle本体を安く設定できる。そしてすでにアマゾンでは電子書籍の売上が紙の書籍の売上の倍となっている。

価格攻勢に出られる最後の理由は、広告だ。アマゾンは先代モデルから、Kindleに広告を表示できるようにした。79ドルというのも実は広告つきモデルの価格で、広告抜きモデルは109ドルからとなる。広告収益を考えれば30ドルぶん値下げしても問題ないと、アマゾンは考えているのだ。最近では画一的な広告だけでなく、住んでいる場所に応じた地域広告の配信もはじまっている。広告ビジネスが順調に進めば、さらに値段を下げられるだろう。広告は書籍を読んでいないときなどに表示されるだけで、読書の邪魔にはならないため、ユーザもわざわざ高い広告なしモデルを買うよりは、広告つきモデルを選ぶはずだ。そうすればアマゾンはますます広告の配信先を増やせることになる。

日本の電子書籍市場のゆくえ

仮に、日本でKindleが発売されたらどうなるだろうか。79ドルということは、いまの円高レートだと6000円になってしまう。しかし、仮に広告なしモデルの109ドルを基準に、1ドル90円換算の9800円で売られたとしても、インパクトは絶大だ。たとえば、ソニーが発表したばかりの電子書籍端末Readerは約2万円である。Readerにはマルチタッチ操作に対応するとか、microSDカードが使えるといった機能面での優位性はあるものの、2倍の価格差はそんな些細な違いを吹き飛ばすだろう。

そもそもKindleが上陸するまえから、日本の電子書籍市場は死屍累々である。電子書籍元年と騒がれたのはほんの昨年のことだが、そのきっかけとなったアップルのiPadは電子書籍サービスiBooksを今もって日本で開始していない。それにiBooksは米国でも話題を集めていない。けっきょく、人はiPadでは本を読まず、ネットサーフィンやゲームなどを楽しむばかりなのだ。そして電子書籍はKindleのような専用端末でなければ楽しめないのだ。Kindleの書籍はスマートフォンやタブレットでも閲覧できるのに、Kindle端末が売れていることからも、それは明らかである。

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すべての出版物をデジタルに

2011年9月27日
posted by 沢辺 均

出版デジタル機構はなぜ必要なのか

ポット出版では2010年年明けから、紙の本の新刊発行と同時に.book形式の電子書籍の販売をボイジャーストアで始めた。だけど、結果はカンバシくない。だいたい二桁の実売だ。まあ予想通りではある。負け惜しみでもある。

なにがたりないのか? 電子書籍のタイトルが少なすぎるということにつきると思う。これまでも何度か書いてきたように、数十万のタイトルが必要だ。ジュンク堂なみの品揃えがあって、はじめて読者は電子書籍を一つの本のカタチとして受け入れるのだろうと思う。だからまず自社から取組みを開始したし、仲間たちと一緒にやってきた版元ドットコムでも取組みはじめた。

とはいえ、出版界の大手から零細までの出版社の既刊本を電子化しなければジュンク堂なみにはならない。ちなみに、一年間に発行される本のタイトル数は1位が講談社で千と数百、1000位の出版社で年間10タイトルくらい(ポット出版は12~16タイトル)。実に多くの出版社が出版活動をしているのだ。こうした多彩な出版社が足並みを揃えるためにも「出版デジタル機構(仮称)」という組織が必要だったのだ。

「出版デジタル機構(仮称)設立準備連絡会設立」のお知らせ

設立には20社(インプレスホールディングス・勁草書房・講談社・光文社・集英社・小学館・新潮社・筑摩書房・東京大学出版会・東京電機大学出版局・版元ドットコム[代表:ポット出版・ほか6 社]・文藝春秋・平凡社・有斐閣[五十音順])が名を連ねた。今年の春から、さまざまな出版社が取組んできて、やっとプレスリリースまでこぎ着けた。もう何日かで設立準備室を開いて日々具体的な準備をはじめる予定だ(プレスリリースなどはこちら)。

「株式会社」であることの可能性

この出版デジタル機構は「すべての出版物のデジタル化」を目標にしている。具体的には、出版社による電子書籍の制作・販売などのサポート、図書館への販売、著作権者への収益配分の代行などだが、それらと同時に「国内で出版されたあらゆる出版物の全文検索を可能にする」も目的の一つとした。

出版デジタル機構は、本当にこうした目的を達成できるのだろうか? 困難も山ほどあるけど、可能性も充分あると思っている。発表後には「いくつ団体をつくれば気がすむのか?」のようなツイートもあった。たしかに去年の電子書籍の大流行の際には、いくつもの業界団体ができた。それらと決定的にちがうのは、株式会社を設立する、ということだ。

業界団体の多くは、会員から徴収した会費収入で運営されている。専従のスタッフもいるけど、出版社の社員がその出版社の仕事として業界団体の仕事をしていたり、最大手の講談社や小学館などは、社員をなかば専従のように「派遣」していたりして、見えない寄付のように機能している。業界団体は自立できていないのだ。したがって、意見の食い違うことは実行できないし、どんなことを決めても参加出版社には取組む義務がないことが多い。

こんどの出版デジタル機構を株式会社として設立することの大きな意味は、ここにある。これまでのように、「なんとなく合意できることを決める」というのではない。株式会社である以上、単独でお金が回っていかなければやがて倒産だ。参加するすべての出版社の合意がなくとも事業方針を決定できるかわり、多くの出版社に利用されるように営業に回らなくてはならない。このことを、少なくともこのプレスリリースに名を連ねた20社は共有したのだ。

「すべての出版物のデジタル化」の先に見えるもの

出版デジタル機構は、なにをするのか? もう少し具体的なイメージを紹介しよう。といっても、以下は少々ボクの妄想が混じり込んでいる。全体の合意にまではなっていない。

すべての出版物をデジタル化すれば、まず第一に「ジャパニーズ・ブックダム=全文検索一部表示」が可能になる。このことはすでにプレスリリースでも公表されている。出版デジタル機構が独自にこのサービスをするのか、国立国会図書館などと共同でおこなうかなどはこれからの課題だけれど、その前進に具体的な一歩を踏み出した。

第二に、これはかなりボクの先走りだけれども、いま読者が紙の本で持っている本のデジタルデータを提供することを考えたいと思っている。たとえば、自炊代行業者に宅配便で本を送るのと同じように、出版デジタル機構に送ってもらえれば、そのデジタルデータか閲覧権を提供する。読者からみれば、持っている本の記録と検索性が高まる。出版社からみれば、読者の本棚に空きが出て、思う存分本を買ってもらうことができるのではないだろうか?

第三に、著作権者のデータベース化が進み、利用度合いに見合った使用料で著作物の利用を可能にすることができそうだ。

これらはボクの妄想の度合いが強い。またほかにもアイデアはどんどん湧いてくると思う。こうした環境が整えば、その環境を利用したあたらしい商売を生み出す、あたらしい人たちが出てきてくれる可能性がひろがるとも思う。

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「帯に短しタスキに長し」のコンテンツに朗報?

2011年9月22日
posted by 大原ケイ

アメリカの(それに準じてヨーロッパでも)本は往々にして分厚くて重い。満員電車に揺られながらコンパクトな文庫本で読書をする必要がないし(ちなみに欧米人がいちばん本を読むのはバケーションの時、つまり夏)、一方で、何でもあくせくしているこんな時代だからこそ、本を読むときは長い時間楽しめるものを、という欲求もあるからだろう。

来月下旬にようやく英語圏でも村上春樹の『1Q84』(上の映像はそのPV)が出るが、日本では3巻に分けられていたものが1冊で登場する(ゲラで見せてもらった時には1000ページぐらいあった)。スティーブン・キングのようなコマーシャルな作家も、ジョナサン・フランゼンのような純文学系の作家も新作を発表するときは、満を持して大作をぶつけてくることが多い。ファンとしては、長い間待たされてお腹が空いたところへ大盛りの料理が運ばれてくるようなもので、やったるでー、というわくわく感がある。

本という媒体には、手軽にできるお勉強の道具というよりも、エンタメとしてのコスパを求めている気がする。あっという間に読み終えて、ちょこっとなんだか賢くなったような気がする読み物や、人気のある作家が次々にエッセイだの対談集だのと、薄い新作が出るよりは、何週間も楽しめるような本が好きなんだよね。しかもこれがスリラーやミステリーなどのジャンルものになると、○○シリーズというのが1年に1冊のペースで数十冊も続いてたりするけれど、ファンの人は飽きずに焦れずに待っているし。スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンシリーズとか、ジャネット・エバノビッチのステファニー・プラムシリーズとか、「ハリポタ」にしたってティーンエイジャー向けの本が500ページって、スゴイ国だなぁと感心させられる。

アマゾンもアップルもショート・コンテンツに着目

…とはいえ、デジタル化の波と共に、少しずつ変化が起こっているようだ。とりわけ、キンドルやヌックなど、軽量で持ち運びに便利な電子書籍リーダーが定着しつつあるので、移動中の隙間時間にも本を読むことができるようになってきたという背景もあるだろう。

キンドルは今年に入って、Kindle Singlesというジャンルを新たに設けた。これはページ数でいえば100ページ以下のコンテンツを別枠で売り出したものだ。単行本にするには短すぎ、雑誌記事にするには長すぎ、という分量のもので、ジャンルを大雑把に分けると、長すぎて雑誌に載せきれなかったルポルタージュや、単行本としては出せない「ノヴェラ novella」という短い小説などが、1〜5ドルの値段設定で売られている。

kindle singlesの人気第一位はやはりスティーブン・キング。

出版社側もこれを新しいファンを開拓するためのツールとして限定期間中タダでダウンロードできるようにしたり、長さが中途半端で未発表だった作品を電子書籍の限定版で読めるようにしている。ただし、Eブック限定でしか読めないからといって、これでキンドルを買って下さい、ということにはならない。アメリカの電子書籍はそういう姑息な囲い込みをしなくてもいいほどにまで成長しているからだ。

あるいは、ニューヨーカーのような雑誌が、特集号を別に印刷して出すよりも、ここの枠で売り出した方がプロモーションもかけやすいし、細かいページ数を気にせずに作れるという利点もある。私もいくつか読んでみたが、半日でさらっと読める分量のものが多くて、けっこう楽しめた。

キンドルで順風満帆なものをアップルが見逃すはずもなく、今月からiBookstoreでもQuick Readsというくくりで、同じような長さ、同じ値段設定のコンテンツを売り始めた(日本からはアクセス不可)。こちらもジャンルは同じ、ノヴェラや短編小説、そしてノンフィクションのルポルタージュが中心だ。

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進化せよ。ここがガラパゴス島だ!

2011年9月21日
posted by 鎌田博樹

GALAPAGOSタブレット(10.8型と5.5型)の自社販売を9月で終了するというシャープの発表は、メディアによって「撤退」と報じられ、同社は急遽、それが「誤報」であるとする記者会見を開かねばならなかった。

この夏に7型タブレットの新製品を出したばかり(イーアクセスが販売)のことで、通常ならこんな「誤報」は生まれない。ところが、世間(を反映するメディア)はGALAPAGOSが終わる、と短絡・直感した。その意味は軽くはない。これほどデリケートなことに関してシャープが鈍感であったはずはないので、ただ苦しい説明を避けたのだと思う。では何が言いにくかったのか? なぜ人々は「誤解」したのか?

シャープは昨年末に発売した2機種の販売終了を発表。

出版における「プラットフォーム」の重み

GALAPAGOSのオリジナル製品は「日本的」美意識にこだわった商品だ。極端にワイド(縦長?)なスタイル、PPラミネートの印刷物を思わせる重厚・美麗な画面、「縦組み、ルビ付き、マンガ対応」を保証するXMDFブラウザ、出版界に祝福された専用ストア…。販売目標100万台を掲げたGALAPAGOSは、まさにiPadとKindleという黒船を迎え撃つわが連合艦隊の旗艦として持ち上げられた。このオリジナル機種に対して、7型のほうはGoogle純正Android 3.2搭載の、現在ではありふれた非日本的タブレットだ。だからシャープも大きな声では宣伝しなかったのだと思う。そして二隻の旗艦をひっそりと「退役」させ、グローバル・スタンダードな7型を残した。しかし、戦艦大和がただの戦艦でなかったように、オリジナルGALAPAGOSも大きな象徴的意味を持っていた。それは一商品で負うには重すぎるメッセージで、行き場を失えば発信者に帰ってくる。加速度をつけて。

出版におけるプラットフォームは軽いものではない。とくに画面サイズとアスペクト比は、デザイナー、編集者を拘束し。読者のユーザー体験を制約する。簡単に変えられては堪らない。市場からiPad7インチ版を求められたアップルが、それを拒否し、画面を将来にわたって固定したのは、それが「唯一」のものでなければならないと考えているからだ。シャープは、オリジナルGALAPAGOSをどう進化させるのか、廃棄するのかについて説明を求められている。判型が決まらなければ活字出版は成り立たないように、電子出版も「仮想ページ」が安定しないと成り立たない。製作者と読者を大事にしないとプラットフォームは務まらない。

企業として「電子書籍のプラットフォーム」という看板が重荷になってきたのなら、それは返上してもかまわない。そもそもタブレットと「電子書籍端末」とは必ずしも相性がよくないのだから。シャープにとってタブレットは、PC事業を継承すべき戦略的なものだ。そもそもタブレット市場は、日本でも海外でも、これから離陸期を迎えるものだし、シャープのような会社が、この重要な市場から撤退してよい理由は見当たらない。それに、ガラパゴスは「環境」に適応し、進化できなければガラパゴスではない。もちろん適応は1年や2年でできるものではないのだ。いま必要なことは、失敗をきちんと評価し、教訓を汲んで前進することだと思われる。もちろん、それはシャープだけの問題ではない。ソニー、パナソニック、東芝など日本を代表する企業に共通する問題であり、いまだに21世紀の出版のプラットフォームを見出せていない出版界にとっての問題でもある。そして「電子書籍元年」を総括することでもあるだろう。

GALAPAGOS7つの教訓

GALAPAGOSタブレットについて、現時点で筆者が言いうることは以下である。

第1に、タブレットは専用読書デバイスを代替するものではない。在来書籍を読むには重すぎ、高すぎる。雑誌やマンガ、ムック、拡張型のE-Bookなどには向いているが、現在のところタブレット向きのコンテンツはデータ的に重く、価格は高く、供給も多くない。GALAPAGOSはコンテンツ市場とのミスマッチと戦わねばならなかった。iPadもこの分野ではまだ成功していない。コンテンツで儲かっていないのは同じだ。

第2に、以上の背景がありながら「電子書籍」端末としては準備不足のまま出発したことがGALAPAGOSの躓きだった。出版業界の全面支援を期待したと思われるが、それができる業界ならソニーやパナソニックも苦労はしなかった。あるいは「官民」あげて国産プラットフォームを支援する環境ができることに期待したのかもしれないが、それを期待できる状況ではないし、仮にできたとしても、かえって「毒饅頭」になりかねなかったと思う。国産プラットフォームは、最初から「おててつないで」では生まれない。

第3に、タブレット自体は静的プラットフォームではなく、「クラウド+デバイス」で成立する半分オープンな生態系の一部であるべきものだ。シャープはGALAPAGOSを完成品としてデビューさせたが、クラウドのほうは漠然としたままであった。ユーザーにとっての価値が見えなければ生態系も育たない。放っておいてもモノから生態系が育つ時代ではない。GALAPAGOSがAndroid Marketに依存しない判断をしたのは別に間違いでないが、GALAPAGOSクラウドはまだ詰め切れていなかった。

第4に、タブレット・ビジネスは、企業の戦略的事業として成立する。GALAPAGOSは、シャープ自身の事業エコシステムにおける位置づけが(少なくとも外からは)不明な孤島として登場した。例えばシャープには電子辞書がある。これは特定コンテンツ/専用フォーマット/専用デバイスという閉鎖系環境で成立させた日本的E-Bookだが、これを統合するビジョンを持つならGALAPAGOS生態系にも説得力が生まれるだろう。ソニーや他の家電メーカーにも共通することだが、事業部の壁を壊せない限り、タブレットで成功する確率は限りなく低くなる。

第5に、流通の問題だ。量販店に頼らず、消費者とのコンタクトを重視して直販を採用したこと自体は正しい。B2Cの関係を創らなければ、家電メーカーとしての将来はないかもしれない。とはいえ、直販とサービス体制の構築は企業全体として取組むべき歴史的大事業で、GALAPAGOSだけで機能させるのは無理がある。たとえばアマゾンのビジネスは、物理的・仮想的なロジスティクスを中心とした「サービス」とそれを最適化する「ソフト」を軸に成立している。タブレット事業には不可欠なものだ。

第6に、ユーザーが期待するコンテンツの問題。これは出版社自身の進化に期待しても1ミリも前進しない。彼らはまだE-Bookの作り方、売り方を修得していないし、未知の世界を前に躊躇している。もともと本の多くはマーケティングで生まれたものではないし、読者とそのニーズが知られているわけでもない。シャープが成功体験を持っている電子辞書は、高価な辞書・事典類をパッケージにして手が出る値段で出したから成立した。コンテンツのない「電子辞書」デバイスでは売れない。紙版の8割の値段で売られる広辞苑電子版を買うために、誰が空の電子辞書を買うだろうか。

最後に、GALAPAGOSがユーザーに約束する価値の問題がある。それが他にない読書体験の提供であるなら、徹底してユーザーの立場に立たなければならない。出版業界に遠慮し、配慮していては画期的な「企画」は生まれない。電子辞書のように、ユーザーが期待するものを実現するために出版社を(もちろん理屈よりはお金で)説得する剛腕がなければ価値は提供できないのだ。ユーザーの信頼、ユーザーとの永続的関係はそこから生まれる。足らないのはコンテンツではなく、旧弊を乗り越える知恵である。

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インターネット電子図書館の夢

2011年9月12日
posted by 仲俣暁生

インターネット上にパブリック・ドメインの本やテキストをアーカイブする試み、いわゆる「電子図書館」や「電子書籍」の元祖であるプロジェクト・グーテンベルクの創設者マイケル・S・ハート氏が、9月7日にイリノイ州の自宅で亡くなられました。

プロジェクト・グーテンベルクのサイトはハート氏の追悼記事を掲載。

この知らせは多くの新聞やウェブサイトで報じられているほか、プロジェクト・グーテンベルクでも公式の発表をしています。この文のなかで紹介されている、ハート氏が語ったとされる次の言葉に私は強い印象を受けました。

One thing about eBooks that most people haven’t thought much is that eBooks are the very first thing that we’re all able to have as much as we want other than air. Think about that for a moment and you realize we are in the right job.

こういうことを人はあまり考えたりしないかもしれないけれど、電子書籍は空気以外で、われわれが好きなだけ享受できる、まさに初めてのものなんだ。そう考えてもらえれば、僕たちのしているのが正しい仕事だということが理解できるだろう。

プロジェクト・グーテンベルクがイリノイ大学の大型コンピュータをつかって開始されたのは、いまから40年前の1971年のことです。当時はまだパーソナル・コンピュータも存在せず、インターネットも生まれたばかりでしたが、この年が本当の「電子書籍元年」といえるかもしれません。

その後、プロジェクト・グーテンベルクの思想はさまざまな人々に受け継がれ、1996年にはブリュースター・ケール氏により、電子テキストやワールドワイドウェブ、さらには映像や音声のコンテンツまでを幅広く収集する、インターネット・アーカイブが誕生しました。現在はプロジェクト・グーテンベルクのコンテンツも、他のテキストアーカイブとともに、インターネット・アーカイブにも収められています

ブリュースター・ケール氏も自身のブログに、マイケル・ハート氏の死を追悼する文章を発表し、20年前の二人の出会いから現在にいたる交流の思い出を綴っています(Michael Hart of Project Gutenberg Passes)。昨年来、大いに話題になっている電子書籍の問題は、「電子図書館という夢」を追い求めてきた彼ら先人たちの試みと切り離して考えることはできません。

ケール氏は今年の5月に来日し、国立国会図書館で講演を行っています。この機会に行ったケール氏への長いインタビューも、さきほど「読み物コーナー」で公開しました。電子書籍や電子図書館の問題に関心のある方は、ぜひお読みください。(ブリュースター・ケール氏に聞く本の未来

日本でも、プロジェクト・グーテンベルクにつよい影響を受けて青空文庫が1997年に誕生しています。このプロジェクトを中心となって進めてきた富田倫生氏は、今年の東京国際ブックフェアで「青空文庫 800人のボランティアと一万冊の電子書籍」という講演をしています。こちらもあわせてお聞きください。