イタリア電子書籍事情

2012年2月20日
posted by シモーナ・スタンザーニ・ピーニ

1990年代からイタリアで日本漫画の翻訳家として仕事をはじめ、途中で米国ロサンゼルスのベンチャー企業でウェブの草創期に遭遇したり、ロンドンでコミュニケーション・デザインの修士号を取ったりして、その後に来日した。この過程で漫画の世界が完全にアナログからデジタルへと進化していく環境を観察してきた。けっこう面白い時代に生まれたなぁ、とわくわくしながら進化の波に乗って楽しくサーフィンしている気分だ。

電子出版はもはや松本零士のSF作品に出てきそうな遠い未来のものではなく、現在、毎日、実際に私たちの人生を変えつつある、絶対的な存在だと実感している。地球が一方向にだけ回るように、世界は「前」へしか進まないから、本が電子書籍に移行するかどうかはもはや問題ではなく、「いつ」移行するかが問題なのだ。

しかし、漫画には美術的な要素があるから、文字だけの書籍に比べると変化のプロセスは遅くなるだろう。そこで今回はまず、イタリアの電子書籍の全般的な状況について報告してみたい。

イタリアにもアマゾンとキンドル・ストアが登場

この記事の依頼が来たとき、イタリアの現在の電子書籍情報をもっと詳しく調べるちょうどいいタイミングだなと思いつつ、「でもまあ、イタリアではまだ早いだろうな」と、発育の遅い子供を心配する親のように、電子書籍の歩みの遅さを温かく見守るつもりでいた。でもそれは過小評価だったみたいだ。

イタリアという、ちょっと出来の悪い子供でも、思っていたよりデジタルの成長は早い。それは2010年11月末にようやくできたAmazon.itの影響も大きいだろう。もちろん他にネット通販の本屋さんも多少はあったが、どうして今までイタリアにAmazonがなかったか、不思議に思う人がいるかもしれない。あくまで推測に過ぎないが、イタリアでは郵便や宅急便の料金が高く、地方によって広帯域(ブロードバンド)へのアクセスの格差もある。

こうした物流上の問題にくわえ、官僚的な問題もあると思われる。イタリアでは起業のハードルが高く、ややこしい色々な許可を得たりすることが必要だ。イタリアに比べれば、日本は比較的に起業のコストが低くて簡単なのだ。

Amazon.itにもキンドル・ストアが登場。

Amazon.itには最初はキンドル・ストアがなく、Amazon.comからキンドル本体や英語の電子書籍を購入することしかできなかった。そして2011年12月1日、ようやくイタリアのキンドル・ストアがオープンした。Amazon.itではイタリア語の本だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語など、多国語の本が並列で売られているのが特徴だ。

イタリア語以外の電子書籍も同じサイト内で買える。

イタリア出版協会のデータによると、e-bookの出版点数は1601(2010年1月)から6950(同年12月)までに増えている。現在Amazon.itのkindleストアには、イタリア語の出版物が1万9623点、(英語を中心とする)外国語の出版物は106万3328点が発売中だ。もう「出来の悪い子供」とは言い難い成長っぷりである。もちろん「発売中」 は「売り上げ」とは違う。でもiPhoneやアンドロイド系のスマートフォン、そしてiPadや他のタブレットの人気が増えれば増えるほど、e-bookの売り上げも増えるだろう。

ちなみにヨーロッパの電子書籍の市場規模のトップはアメリカと世界一を競う英国で、ドイツとフランスが続き、4位のイタリアはスペインより少し上である。[The Global eBook Market: Current Conditions & Future Projections By Ruediger Wischenbart, : O’Reilly Media http://shop.oreilly.com/product/0636920022954.doによる]

本の未来を考える国際会議「ifBookThen」が開催

去年から毎年2月にミラノでifBookThenという国際電子出版コンファレンスが開催され、ワークショップなども行われていて、出版業界の関係者からメディアまでに注目されている。

ifBookThenは「出版の未来についてのコンファレンス」で、去年に行われた際の内容は読書経験、デジタル文化の保存、米国とヨーロッパのマーケット状況、などがテーマだった。今年のワークショップは米国と英国の作家とエージェントと出版社の関係の変化や、それに対する自費出版の影響(Mike Shatzkin とDavid Miller)、米国の進化中の電子書籍マーケットに対する出版社の対応(ペンギン・グループの本のオンラインコミュニティ、Book CountryのMolly Barton)、出版の契約の変化(David Miller)などが話題となる。

他のスピーカーは40kの編集長Giuseppe Granieri、The Bookseller の副編集長 Philip Jones (Futurebookの彼のblog)、Nielsen Bookの社長 Jonathan Nowell、ReadmillのCEO Henrik Berggren、BookriffのCEO Rochelle Graysonなど、世界中の出版関係者が集う(スピーカー一覧はこちら)。こうした動きをみると、イタリアの出版社もかなり積極的に電子書籍の出版に挑んでいる模様。ちょっと心配だった子供も、元気あふれる青年に成長していきそうだ。

こうした流れがある以上、イタリアの漫画も遅かれ早かれ完全デジタル化するだろうが、そう簡単には行かない気がする。日本でもそうだが、漫画の愛読者には電子版より紙の本を求める理由がいくつもある。漫画という媒体は文字だけでなく絵も含まれ、コマ割りや見開きの表現なども作品の重要な一部、いわゆる漫画の「視覚的言語」の重要な要素なのだ。また、「モノ」として漫画を集めるコレクターも多い。

次回は日本の漫画の国際化などについて報告したい。

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電子書籍が死んだなら

2012年2月11日
posted by 小関 悠

本を買ったとき、その本が死ぬことについて考える人はあまりいない。盗まれたり火事にあったり、あるいは誰かにあげたり売ったりしなければ、本はいつまでもあなたの下で生き続ける。日本の本は総じて品質が高いので、多少折れ曲がり、汚れ、黄ばんでも、読むことに支障はないだろう。それは本が絶版になろうと、出版社が倒産しようと変わらない。

電子書籍は違う。電子書籍は突然死ぬ。つまり、読者の意図せぬ形で読めなくなる。実際、これまでにいくつもの電子書籍サービスが終了となり、私たちの電子書籍が読めなくなった。これは控え目に言っても、電子書籍の弱点である。読者は電子書籍の死にどう備えるべきだろうか。そして電子書籍ビジネスは死とどう向き合うべきか。

さまざまな死のかたち

・ストアの死
お気に入りの書店が閉店になったら、他の書店を探さなければいけない(ジュンク堂新宿店……)。一方、電子書籍ストアが閉店した場合は、他のストアで代用できないことが起こりえる。たとえば、購入済の電子書籍は再ダウンロードできなくなるだろう。すると手元の電子書籍リーダーが壊れたら、それきり中の書籍ごと読めなくなる可能性がある。またアマゾンがやっているように、これから電子書籍ストアが著者と読者を結ぶコミュニティとして発展していくとすれば、ストアの死と共にそこで生まれたコミュニティ資産も失われることになる。

このように考えると、電子書籍端末は多くの電子書籍ストアに対応することが望ましい。たとえばPanasonicのUT-PB1は楽天Rabooにしか対応しないが、ソニーのReaderはRabooだけでなく、Reader Storeや紀伊國屋書店BookWebにも対応する。数が多ければ良いというわけではないが、読者にとってはリスク軽減になるだろう。

・フォーマットの死
多くの電子書籍端末は、提携する電子書籍ストアからの購入だけでなく、PDFやEPUBといった標準的な電子書籍フォーマットの読み込みにも対応している。読者としては、なるべく標準的な形式、標準的なDRMの電子書籍を揃えたいものだ。そうすればたとえ利用していた電子書籍ストアが閉店したとしても、他の端末で読み続けることが可能になり、購入した書籍が死蔵することはない。マルチメディアと騒がれた時代のCD-ROM電子ブックの多くが今日読み込めないことを考えれば、これは大きな進歩だ。

先行するデジタル音楽市場でも、データの可搬性は問題と見なされていた。それでも今はアップルやアマゾンなどの大手が軒並みDRMのない、AAC/MP3といった標準形式のデータを販売している。携帯電話の「着うた」においても、レコチョクが購入済の着うたデータをスマートフォン向けにも無償で提供するサービスを発表した。実際のところ、購入した音楽や電子書籍のデータをいつまで利用するかは問題ではない。「いつまでも利用できる」という安心感が利用を後押しするのだ。電子書籍でもDRMを撤廃したオライリーのような試みが歓迎されていくだろう。

もっとも、標準化に逆らうような動きも出ている。アップルは電子書籍作成ツールiBooks AuthorでEPUB3を独自に拡張した形式を採用した。作成されたiBooks形式の電子書籍はiTunesのみで販売が許可されているため、結果としてDRMもアップル独自の形式となっている。アマゾンKindleも独自の形式、独自のDRMを採用し続けているが、こちらは様々なプラットフォームにKindleアプリを提供することで批判をかわしている状況だ。

・端末の死
言うまでもなく、電子書籍端末の違いは読書体験を左右するものである。同じ書籍でも、KindleとKindle DXで読むのは異なる体験だろう。紙の書籍にはハードカバー版や文庫版があり、読書スタイルに合わせて選ぶことができる。電子書籍もコンテンツと相性の良い端末を選んで読めるのが望ましい。

しかしどのような電子書籍端末が販売され、いつまで販売され続けるかは、メーカーの心ひとつだ。6インチのKindleはもう4代目だが、9.7インチのKindle DXは2年半リニューアルしていない。Sony Readerは当初5インチ、6インチ、7インチの3サイズ展開だったが、今は6インチモデルだけが残っている。液晶タブレットKindle Fireの噂が出たときは、アマゾンがE-INK式の電子書籍端末をやめるのではないかとヒヤッとしたものだ。これは杞憂に終わったが、今後もアマゾンがE-INKにこだわり続けるかは分からない。

こうした現状は電子書籍の作り手にとっても問題だ。iPadやiPad 2は9.7インチで1024×768ピクセルの解像度だが、将来的にはより高解像度になるだろうし、解像度を維持して小型化されるかもしれない。iPadやiPad 2に最適化された電子書籍は、将来的にはおのずと意図されぬ形で閲覧されることになる。

・出版社の死
昨今、アマゾンKindle DTPや、アップルiBooks Authorなど、出版を個人にも開放する取り組みが続いている。出版社の「中抜き」を無くし、著者への印税率を高めるという見方から、歓迎する作家や読者も多い。

しかし、出版社はただ原稿を右から左へ本にして稼いでいるわけではない。校閲やデザインや広告で書籍の魅力を高めるだけでもない。出版社は、書籍に関する面倒な権利を管理するという機能も備えている。すぐに書籍を絶版にしてしまい、権利を囲いこんだままの出版社を苦々しく思うこともあるだろう。しかし一方で、作家やその周辺にいる人間の一存で、中身がすっかり書き換えられたり、絶版になったりするのも困るはずだ。権利をきちんと管理することについてとやかく悪く言う人もいるが、かといってまともに管理されていないとまともな流通もなくなるというのは、いつまでもDVD化されない映画作品などを見ているとよく分かる。

アマゾンやアップルは、これから出版社としての機能をますます強めていくだろう。それでも、彼らは決して出版社ではない。ビジネス上の判断があれば、出版機能を簡単に切り捨てるはずだ。実際、アップルはもうHyperCard向けのサポートを行っていない。電子書籍の出版社がその機能をやめたとき、宙に浮いた権利はどこへ行くのだろうか。あらかじめ対応を明らかにしておくくらいの気概があってもいいはずだ。

次世代に残る電子書籍を

紙の書籍だろうと電子書籍だろうと、読み終えられるまで読めればいいという声はあるだろう。しかし、書籍とはいつまでも同じ形で読み続けられるものだという声も、同じように尊重すべきである。

私はこのごろ、ゼロ歳児の子供を抱きながら、よくKindleで電子書籍を読んでいる。片手で読めるKindleはとても使いやすい。子供が大きくなったら、Kindleがどれほど役立ったか教えてあげたいくらいだ。そしてそのときのKindleは、当時の本がそのままに、同じような読書体験のできる存在であり続けて欲しい。私は自分の好きな書籍を子供にも読ませたいし、自分の好きな電子書籍も子供にも読ませたい。この永続性こそが書籍の良さであり、電子書籍にも引き継ぐべきものではないだろうか。

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出版に変化をもたらすツールとしてのIT

2012年2月8日
posted by yomoyomo

O’Reilly Media というと、近年では Web 2.0 の提唱者であるティム・オライリーというビジョナリーを中心とするカンファレンス事業のイメージが強いかもしれませんが、一貫して質の高いコンピュータ関連書籍を生み出してきた出版社としての評価を保っており、その信用がカンファレンスビジネスを行う上で担保となっているところがあるのは確かです。

TOC New York 2012に見る「出版 × IT」の最新動向

O’Reilly Media が手がけるカンファレンスは現在では10以上に及びますが、「出版」を中心的なテーマとするのが Tools of Change for Publishing カンファレンス(以下TOC)で、今年は TOC New York 2012 として出版業界の本場ニューヨークで2月13〜15日に開催されます。

今年のTOCはニューヨークで開催。

大雑把に書けば、TOC は出版に変化をもたらすツールとしての最新 IT 技術情報の共有を目的とするカンファレンスで、電子出版や電子書籍といったテーマを考える場合にもそのトレンドを掴むのに適した場といえます。

少し前に O’Reilly Media の Online Managing Editor を務めるマイク・スローカムが「TOC 2012 で注目すべき5つのこと」と題したブログエントリを O’Reilly Radar に書いていますので、その内容を紹介しながら今年の TOC のポイントを見ていきたいと思います。

1. 出版分野にはスタートアップがあふれている

出版はもはや昔からの大出版社だけで仕切られる分野ではなく、スタートアップがいっぱいいるとのことですが、確かにそのリストを見て、その数に驚かされます(ただそのすべてが企業というわけではなく、この「マガジン航」が提携する Institute for the Future of the Book(本の未来研究所) や Internet Archive が手がける Open Library も入っています)。

スペイン発の無料電子書籍プラットフォーム 24symbols の共同創業者が書くように現在を「出版産業における起業の黄金期」と言ってよいかどうかは別として、多くのスタートアップが参入すれば、それだけ出版が活気づくのは間違いないでしょう。

2. あなたにはデータがある。で、それでどうする?

出版社がそれに気付いているかどうかに関わらず、出版社はデータ駆動型なビジネスをやってるんだよ。データを集め、それから必要なものを引き出し、活用する方法を知る必要があるんだよ、とはいかにもオライリーらしい煽りですが、出版もビッグデータというトレンドを逃れられないということでしょうか。

そうそう、データといえば、今年もメタデータを中心テーマとするセッションがいくつも用意されています。

3. 醜い電子書籍はもうたくさん

もはやにわか仕立てな書籍×デジタルの融合は読者には受け入れられない。彼らはデジタルに慣れているのだから、一流の電子書籍を要求するし、今こそ出版社はその要求に応えるときだ、とのことで今年の TOC は電子書籍のユーザー・エクスペリエンス、ユーザビリティに関するプログラムが目立ちます。

4. 出版は本だけに留まらない存在である

書籍側の人はメディア側の人から学ぶものがあり、その逆もまた然り。映画や音楽分野の人たちを混ぜれば、巨大なデジタルナレッジベースが手に入る、と伝統的で狭い「出版」の定義を拡げるのを目指すのもオライリーらしいクロスオーバー感覚だと思います。

そういえば今年の TOC では Forbes の人が、出版とソフトウェアの両方を解するハイブリッドな従業員の雇用、訓練、管理についてのセッションを行います。

5. 「変化/前進/速く(Change/Forward/Fast)」はただの受けの良いキャッチフレーズではない

この「Change/Forward/Fast」が TOC 2012 のキャッチフレーズなわけですが、これはアジャイル開発手法への目配せが背景にあります。つまり、アジャイル開発はソフトウェアの世界で始まったものですが、イテレーション(繰り返し)とフィードバックの核にある特質は出版にも適用可能ということです。

そういえば昨年オライリーは Every Book Is a Startup という本の制作をスタートアップに見立て、すばやく頻繁なアップデートを行いながら本を作り上げる試みを行っていますが、これもアジャイル開発手法の応用と見ることができます。

ePub関係のセッションも多数開催

開催まで一週間を切っていますので、今から参加を決めるのは無理でしょうが、オライリーのカンファレンスは、多くのセッションでプレゼンテーション資料が公開され、また一部は動画も YouTube などで公開されるので、TOC のサイトを眺めて興味あるセッションをおさえておくのもよいでしょう。

ワタシもプログラムを一通り見てみましたが、今年はやはりというべきか ePub を名前に冠したセッションが複数あり、注目度の高さが伺えます。

いくつか気になったセッションをランダムに挙げておくと、Bookserver プロジェクトのピーター・ブラントリーがモデレータを務める The Library Alternative本のアプリ化周りではピーター・メイヤーズの Breaking The Page: Content Design For An Infinite Canvas、Google で上級著作権顧問を務め、先月新刊『How to Fix Copyright』を上梓したばかりのウィリアム・パーティが参加する Can We Have a Rational Discussion About Copyright? あたりになるでしょうか。

ひるがえって日本の出版社に目を向けると、TOC で話題となるような「ツール」に関する情報の共有の話となると、例えば数年前のオーム社開発部、そして最近ではオライリー・ジャパンの ePUB 制作システムといった少数の事例しか思いつきません。いきなり TOC 並みを目指すのは無理としても、有志による勉強会よりは大きな規模の「出版×最新IT技術」なカンファレンスが実現しないものかなと思ったりします。

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Gamificationがもたらす読書の変化
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『本は、ひろがる』をBinBで刊行しました

2012年1月28日
posted by 仲俣暁生

昨日1月27日に、ボイジャーの新しい読書システムBinBをつかって、「マガジン航」のこれまでの200本以上の記事から7本を選んで編んだアンソロジー、『本は、ひろがる』を刊行しました。

PCあるいはMac、スマートフォンや各種タブレットのウェブブラウザから、すべてのページを無償でお読みいただけます(下記のURLまたは画像をクリック。対応ブラウザやOSなど、詳細はプレスリリースを参照ください)。

http://binb-store.com/binbReader.html?cid=18814

『本は、ひろがる』表紙

『本は、ひろがる』は、「マガジン航」編集部が刊行する電子書籍シリーズ、「ブックス航」の第一弾です。刊行の意図については、プレスリリースにコメントを寄せましたので、その一部をここにも転載します。

「マガジン航」は「本と出版の未来」について、個人の立場からのさまざまな声をあつめることを目的として、2009年秋に創刊されました。

創刊から一年半を経た2011年3月11日、東日本大震災が起きました。この震災によって、磐石だと思われていた紙の本の「システム」にヒビがはいりました。紙やインク、物流や倉庫といった、紙の本を支えるインフラ部分が打撃を受け、「本はいつでもどこでも、なんでも簡単に手に入る」という幻想は打ち破られました。

他方、電子書籍の世界では激しい動きが続いていますが、こちらも「いつでも、どこでも、なんでも」という状態にはほど遠い状況です。電子書籍の今後がどうなるかは予測できません。ただし、これまでのオーソドックスな「本」の外側に新しい本の領域ができつつあるということは間違いありません。

電子図書館やアーカイブ、各種の電子書籍などのかたちで出会うデジタルな「本」もあれば、通常の出版流通の外側で手渡される紙のジンやリトルプレスもある。それらが既存の紙の本や雑誌と混ざり合い、渾然一体となった新しい「本」の環境が生まれているのです。

そこで「マガジン航」の過去記事のアンソロジーとして、電子書籍版の「ブックス航」第一弾を刊行することにしました。本書の目的は、「本」の環境の「ひろがり」を伝えることにあります。本書を読んではじめて「マガジン航」に興味をもたれた方は、ネット上の他の記事もぜひご覧ください。

本書に掲載した記事は、以下の7本です(すでにBinBにログインした状態で、リンクをクリックすると各記事の扉ページが開きます)。

・震災の後に印刷屋が考えたこと(古田アダム有)
・揺れる東京でダーントンのグーグル批判を読む(津野海太郎)
・拡張する本〜本の未来にまつわる現場報告(内沼晋太郎)
・ボーダーズはなぜダメになったのか?(大原ケイ)
・キンドル萌漫。(藤井あや)
・ブリュースター・ケール氏に聞く本の未来(インタビュー・構成:「マガジン航」編集部)
・出版流通の見えないダイナミズム(柴野京子)

電子書籍そのものにかんする技術的・製品的な話題は避け、いま「本の生態系」がどのように変化しているか、とくに震災後の「本」のあり方にも思いをはせて記事をセレクトしました。アンソロジーとして編むにあたり、はじめから通して読むとひとつの流れができるように並べてあります。いまでも「マガジン航」のサイトで読める記事ばかりですが、縦書きでも横書きでもきれいに表示されますので、ぜひウェブとはちがった読書体験をお楽しみください。

メインストリームから外れたところにある「予感」

さて、勘のいい方はすでにお気づきのとおり、今回の『本は、ひろがる』は、2010年11月に岩波新書から刊行された、池澤夏樹さんの編纂による『本は、これから』というアンソロジーを意識しています。収録された記事の数は比べものにならないですが、あの本に対する、ささやかなアンサーソングというつもりで編みました。

『本は、これから』は紙の本と電子の本、双方の視点から書かれたエッセイをあつめた、読み応えのあるアンソロジーでしたが、電子書籍に対しては、やや警戒心が先に立っている印象をもちました。もっとも、この本が編まれたのは、電子書籍がブームとなり、マスコミ等でもかなり騒がれていた時期でしたから、そのぶんだけ、紙の本のもつ安定感や信頼感を強調する方向でバランスをとったのかもしれません。

しかし、その翌年に東日本大震災が起こり、紙の本も電子書籍と同様、きわめて精密に編み上げられたインフラの上で流通してきたことが明らかになりました。他方、あれほど恐れおののいていた「黒船」はいまだ来たらず、ブームを当て込んで雨後の竹の子のように生まれた日本勢もいまひとつ生彩を欠いています。その一方で、紙の本や雑誌の市場は確実に地盤沈下しつづけている。

そうした厳しい状況を直視しつつも、「本」のメインストリームから外れたところに芽吹きつつある、本の「ひろがり」への予感を、「マガジン航」に投稿された記事から集めてみたのが今回の『本は、ひろがる』です。

紙か電子か、という対立軸ではなく、どちらの「本」にかかわる人も力を合わせなければ、この難局は乗り切れません。「ブックス航」は今後も刊行を予定しています。「マガジン航」ともども、これからもどうぞよろしくお願いします。

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孤立した電子書籍から、本のネットワークへ
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iBooks Authorは著者にとって朗報か?

2012年1月24日
posted by 大原ケイ

アップルは1月19日、ニューヨークで電子書籍リーダーソフトiBooksの新バージョンであるiBooks2と、マルチメディア電子書籍が簡単に作れるオーサリングツールiBooks Authorを発表した。

今回の発表の場がガジェットやIT産業の中心であるシリコンバレーではなく、ニューヨーク(グッゲンハイム美術館)だったのは、教科書を含めた従来の「本」を作っている中心地がニューヨークだから。ちょうど今、サイエンスに力を入れた高等教育機関の教育改革を提唱し、具体的に動き出しているのがブルームバーグNY市長だ、という背景もあるかもしれない。ちなみにマスコミへの招待状も、こんなデザインだった。


だが、アップルが何か発表すると、米国にも増して過剰にもてはやす日本の「林檎信者」には申し訳ないが、これはこれでメリットもあるけれど、各プレーヤーにとってはデメリットもあるツールだなぁ、という印象しか私は持てなかった。

日米教科書市場の違い

そもそも日本とアメリカでは「教科書」と言われるものに隔たりがあるので、まずはその辺の説明も必要なのかしらん?

米国の教科書といえば、低学年の児童の頃から、大きくて分厚い本が多い。ランドセルなんかには入らないから皆大きなバックパックを背負っているわけだし、学園映画でもお馴染みのロッカールーム風景でもわかるように、宿題に必要な本以外は置き場所がないとやっていけない。大学に行っても、漬け物石にもならない数キロもの本を毎学期、揃えないといけないので学費の他に何百ドルもかかる。

また、いわゆるHigher Education、つまり高等教育での教科書ビジネスは全米で50億ドルぐらいの売上げがあるはず。全体の売上げ部数では減少傾向にあるが、定価がインフレ率の数倍で跳ね上がっている。

教科書を作る側は、義務教育機関の教科書でも色々バラエティーがあって、学校が自由に決める。流通の方にしてみれば、これがけっこう手堅いビジネスになっているというわけだ。業界最大手のバーンズ&ノーブルが、倒産してしまったボーダーズと違って、まだまだ潰れないだろうと言われるのも、実はバーンズ&ノーブルは一般書を売る店舗の他にも、大学向けの教科書・参考書を売る手堅いビジネスをやっているからなのだ。

アメリカの教科書は最初から何年も使い回しされることを想定しているので、作る方も頑丈な装丁にしている。学生の方も、古本を買って、できるだけきれいに使って、学期末テストが終わればまた売りに出す。リサイクルを前提にした地味な産業になっているというわけだ。

だから、アップルがこのクソ重たい、分厚い教科書をiPadひとつで収めることを可能にしてくれるのなら、それはありがたい話のハズだ。教科書を作る側にとっても、改訂版が出しやすくなるのだし。すでにホートン・ミフリン・ハーコート、マグロウヒル、ピアソンなど、教科書や学術参考書を多く出している出版社はこれを積極的に取り入れる方向で検討している。実際にiBooks2版の教科書を見てみたが、昔アップルがやっていたハイパーカードが進化したらこうなっただろうな、という印象だ。

「著者」にとってのメリットはどこに?

だが、コンテンツ発信者にとってこれは朗報なのだろうか? 確かにiBooks Authorsの登場は、イラストや動画や3-Dソフトなどを駆使してマルチメディアな「本」という作品を発表するツールができたといえるかもしれない。ユーザーにとっては確かに魅力的なコンテンツになるだろう。しかしその一方で、この新しいデジタル本に付いてくるコンテンツの使用権をきちんとクリアしなければならない。

この世の中に、自分で文章を書き、イラストを添え、表をとそこに表示されるデータを集め、動画を撮るようなコンテンツを準備できる「オーサー(著者)」がどれほどいるというのだろう? 今でさえ、ネットではコピーライトを丸無視したブログやサイトが氾濫しているというのに。だからこそ、これはいかんとSOPAだのPIPAだのといった、新しい法案が検討されている。

ちなみにSOPA(Stop Online Piracy Act)とPIPA(Protect IP Act)はいずれも、コピーライツを無視した違法な二次使用を止めさせるために、それを奨励していると思われるサイトを、政府の権限でブロックしようというものだ(違法行為による阻止の範囲がそのサイトだけか、そこにリンクがあったりそのサイトの広告をしたサイトも対象になるかの違いはあるが)。

一番ずるいなと個人的に感じるのが、それでアコギな商売をしようとしているアップルだ。iBooks Authorで作られた商品に関しては、うちが独占的に売りますよってこと。タダなら自分のサイトで勝手に配ってもいいけどねって話。このコンテンツが何らかの理由でアップル側の気に入らないところがあれば、エログロが理由で日本のマンガコンテンツを一方的に却下したように、アップルが検閲行為に手を染める可能性も否定できない。

ものが教科書だけに、学校で何を教えるかがアップルに委ねられることになる。なにしろ、アメリカという国は、教育委員会がすべて目を光らせて統一した見解を教科書に反映させるのではなく、宗教上の方針で進化説を否定して唯神論を同列に教えろという勢力が強い地域もあったりするのだ。

アマゾンに続いてアップルも次のステージへ

もう少し出版業界全体を俯瞰して今回の動きを見てみると、アメリカのEブックはアマゾンに続いてアップルも次のステージに入った、ということもできる。

ハード(ガジェット)は既に最初の機種が出て、アップルはハードで儲ける、アマゾンはそこだけなら赤字でも構わない、という基本姿勢が決まった。ソフトに関しては、出版社の大手から中小までエージェンシーモデルでやるのか、ホールセールモデルでいくのかが決まり、Eブックをやる気のある出版社との契約は済んで新刊・既刊タイトル数も揃った。次はサービスで違いを打ち出してそれをアピールしていく段階に入ったということだ。

この点ではアマゾンは一歩先に、テキスト主流ならPDFファイルでも受付け、コンテンツクリエイターが出版社を通さずに簡単に本が出せるセルフ・パブリッシングのシステムを充実させた。アップルはそれに対し、文章プラスアルファのコンテンツを発信したい人を抱え込み、彼らの作るコンテンツで儲けようというスタンスである。

もちろん両者とも、新たな問題を浮き彫りにしてもいる。それは質の低い海賊版の氾濫だ。今アマゾンが宣伝している「安いEブック」のコーナーを覗くとそれがよくわかる。どこから何をパクったのかわからない(ネット時代だからちょっと調べればすぐにバレるのだが)盗作が溢れている。

プロの出版業に関わる身としては、嘆くと同時にこのカオスをどうやってチャンスに変えて生き延びていかなければならないかが問われている。アップルがマルチメディアなツールを与えてくれたからと、それに飛びついて喜んでいる場合ではないのだ。

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