経済学者のジョン・メイナード・ケインズが20世紀の前半に用いた「アニマルスピリット」という言葉があります。「野心」や「欲望」といったニュアンスで使われますが、要するに「成功したい」という人間の意欲をさす概念で、こうした欲望こそが「人間の経済活動を推進する」とされるものでした。
たとえばデフレ下では、モノの価値が下がります。それは逆にいうとお金の価値が上がる現象。ということは、人はただ現金を握っていれば、自分の財産が増えていく。アニマルスピリットをたぎらせて冒険に挑むよりも、安全志向のほうが有利ということになってしまいます。
実際、デフレ時代には安全志向というか、欲望の薄い人々の登場、いわゆる「草食系」の人々が話題になったりしました。この傾向は現代も続き、メディアではしばしば「若者の~~離れ」などと、車のようにかつてはステイタスとされたものにこだわらなくなった状況が取り上げられます。
これでは社会が停滞してしまう。日本もインフレ時代へと舵を切りました。確かに「アニマルスピリット」はそれ自体で否定されるべきものではありません。「儲けたい」「成功したい」、「お金持ちになって高価な車に乗り、女の人にモテたい」。真面目な話、健全で大切な欲望です。余談になりますが、漫画界出身の私などは若い頃、「漫画とは人間の欲望を全肯定する表現だ」と教わったものでした。哲学者ニーチェもこうした欲望を大地の論理として肯定しています。
ただ、確かにアニマルスピリットは大切なのですが、21世紀の現代、人の欲望も多様になった。人が目指す「成功」にも多様な形がある。草食の「アニマルスピリット」があってもいい。こういうことをいうと「競争原理を否定するのか」と誤解されたりすることもあるのですが、拙著『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーターたち』の取材を通して、若い世代にはやはり自分と同じような考え方をする人が少なくないと確信するようになりました。
現代の若者の価値観を取材した
この本は、ある意味で世代論です。自分たちの世代と、今の若い人はなにが違うのだろう。それを知ろうとした時、普通だったら広告代理店の市場調査のようなものに目を通すかもしれません。あるいはアカデミズムの文献を参照することもあるでしょう。
しかし本書ではそれを「若い世代と実際に対峙して作品をつくっている、現場のクリエーターに取材する」ことで、知ろうとしたものでした。
広告関係の人に「なんで雑誌つくっている人は、もっとマーケティングしないの」と言われることがあるのですが、それはちょっと違うかなと思っていました。
常々感じてきたことなのですが、優れた創作者の体内で行われるマーケティングは、そうした会社が行う調査よりもよりディープ。繊細に、官能的に時代をとらえ、そこにさらに自身の感性が重なっているものなんです。しかもその知見は「作品の成功」という形で、裏打ちされている。
本書では、それを教えてもらいたいと考え、映画化もされた大ヒット作品『アオハライド』の作者、咲坂伊緒さんや、メジャー青年誌で活動しながら実験的な手法も取り入れる漫画家、浅野いにおさん、ライトノベルの分野で「経済」を描き成功した小説家の支倉凍砂さんなど、さまざまな創作者に取材させてもらいました。
ただ実際の取材では、すでにメジャーで活躍している人だけではなく、メジャーとインディーの狭間で支持を広げている若い人たちにも話を聞かせてもらっています。特に音楽業界では、既存の「メジャー」のあり方が揺らいでいる。メジャーレーベルが、同時にインディーズも運営して、しかもそちらのほうからヒットが出ていたりします。この領域のセンスも教えてほしかったためでした。
実際に話をうかがって痛切に感じたのは「この世界にもはや正解はない」という感覚が、広く共有されていること。たとえば、かつての日本社会では「学校を出て、就職すれば一生安定」というモデルが、人生の正解として機能していました。もしこのコースに乗りそこねたとしても、「手に職をつければ、それで食べていける」というモデルもありました。
音楽の世界も同じです。かつては「メジャーレーベルからデビューする」が成功の方程式として厳然として存在していた。たとえば80年代から90年代初頭のバンドブームのころ、当時の雑誌のメンバー募集欄では「当方プロ志向、メジャーを目指さない人はお断り」などという募集がよくありました。「メジャー志向。学生不可、社会人不可」というメンボも見たことがあります。「メジャーを目指す以外、すべての退路を断った人間でないとダメ」。自分などはそのストイックさに「厳しいな」と思ったものです。
しかし今では違います。もはや学校を出たからといって、就職できるとはまったく限らなくなった。かつていろんなところで語られた、「平凡なサラリーマンなんかになりたくない」「俺も結局、平凡なサラリーマンになるのかな」という言葉が、今にして思えばなんと傲慢だったことか。選挙の宣伝で「夢は正社員になること」と流れたり、「公務員になることが夢」などという時代がまさか来るとは、当時の誰も考えていなかった。
「メジャーデビュー」は選択肢のひとつでしかない
コンテンツの世界にも変化は押し寄せ、もはやメジャーデビューが成功への「正解」とはいえなくなり、いわば「選択肢のひとつ」となりました。
たとえばメジャーレーベルからCDを出しても「プレスは50枚だった」などというニュースが流れることがある一方で、ニコニコ動画で支持を集めたクリエーターが、カラオケの印税だけで1000万円以上の収益を上げ、さらに作品世界をもとにした小説や漫画まで展開されるといった例も出ています。
メジャーとアマチュア。この場合はどちらが成功者なのでしょうか? しかも現代の激しいところは「ではニコニコ動画で人気を集めるのが正解か?」というと、たちどころにそれも過去のものになってしまうところです。あっという間に競争者が押し寄せ、コンテンツの数が多くなりすぎる。個々の作品は情報の海に埋もれてしまい、ランキング上位は、すでに初期にヴァリューを獲得した人がどうしても目立ってしまいます。
こうした事情は音楽だけに限りません。たとえば漫画分野にしても、コミックマーケットなどで同人誌を売るほうが、収益だけならばむしろ有利なケースがあることは以前より知られていましたが、近年はさらに漫画誌で連載をしても単行本化のハードルがますます高くなっています。漫画家というものはデビューして数年の間が厳しい。その期間に連載をしても単行本にならないのであれば、LINEまんがなどスマホをプラットフォームにした配信のほうが経済的にはむしろ有利ということも、現実味を帯びてきました。
そのような時代の変化を反映して、現代の若い創作者は「正解はこれだと、押し付けないようにしている」と異口同音に語っています。たとえばAJISAIというバンドのボーカリスト、松本俊さんは「これが正しい」というメッセージを歌わないように気をつけているという。この複雑な社会で、人生の答えは人それぞれにあるはずだから。
またApplicat Spectraのボーカル、ナカノシンイチさんも「今の時代、どんな選択肢もありえるじゃないですか。ではその選択肢の中でなにが答えかというと、それは歌詞でも言わないようにしてるんです」と語っていました。答えは自分で探すしかない。その方法を歌にしていると。
「もはや世界に正解はない」。しかし、そうであれば、彼ら青年たちはなにを拠り所にして、活動を続けているのでしょうか。それは「バランス」だと、OverTheDogsの恒吉豊さんは指摘しています。
今の時代、「自分の意見が絶対正しい」という信念の強さよりも、「どんな言葉も幾分かは正しくて、でも違う視点から見ると間違っているところもある」というバランス感覚を大事にしたい。上に挙げたような「メジャーになる以外の選択肢はない」というような信念の強さは現代では共感されづらい。
似たような意見を、実は編集の現場でも聞きます。たとえばあるオタク系漫画誌の編集長が「今ってあまり個人個人の重いドラマは読者に受け入れられず、それよりも複数のキャラクターの人間関係を描いたほうが共感される」と話していました。これは日本だけではなく、たとえばスーザン・コリンズが書いた『ハンガー・ゲーム』(邦訳はメディアファクトリー刊)のように、アメリカのヤングアダルト小説にも同じ感覚が見られます。
恒吉さんは「理屈で片付けようとしているわりには、なにも整理されてない時代だと思う。そのことに若い人のほうが気がついていると感じる」とも語っていました。
今の世の中は、ありとあらゆる言葉があふれている。たとえば原発の稼働問題にしろ、増税にしろ、金融政策にしろ、いろんな立場のどんな言葉もある。あらゆる言葉が語られて、どの言葉もなにかは正しくて、どこか間違っている。その結果かえって「言葉の力がすごく弱くなっている」と。
こうした時代、どんな意見もある程度正しく、ある程度間違っているのに、ただ自分の成功体験を語るだけの大人は、少々押し付けがましいと感じられるかもしれません。
「“売れる”ってこと自体が90年代の現象」
ロックンロールバンド、The Bohemiansの平田ぱんださんは、今の時代にまだ、売れる時代のやり方で続けようとする人がいるのは嫌だったと語っていました。
“売れる”ってこと自体が90年代の現象なんだから、今の時代に売れることを目指すのが、そもそもおかしいと思っています。それはもう今後はないことなんだから。
私のようなバブル世代とは違って、今の若い人は生まれた時から縮小の時代しかしらない。だからぜんぜん感覚が違う。このことはよく指摘されることですが、しかし私は平田さんの肉声を聞いて「そこまでか」と感じたものです。ただよく考えると、これは絶対に平田さんの価値観が正しいのです。
そういえば、1974年から1981年にグレイトフル・デッドのマネージャーを務めたリチャード・ローレンも、若い音楽家へのアドバイスとして「音楽をやりながら、食えていればそれで成功。それ以上をのぞむのは危険な道だ」と言っていました。
大量に製造し、大量に流通させる「メジャー」という仕組み。その流れに乗れば、ある程度の部数が出て成功を手にできる。車、高価なブランドの服、豪邸。そうしたステイタスシンボルも手に入る。そうした時代は過去のものになりました。
では平田さんのような青年はなにを大切にして活動を続けるのでしょうか。この人のブログに、好きなCDを買って「お金を、お金よりも大切なものに変えるのは幸福」という言葉があります。「ステイタス」を追いかけるのではない。それよりも身近で価値のあるものを、大切にする。その感覚は、案外、私にもわかるものであり、この取材でお会いした多くの普通の若者たちにも共感されるものでした。
「そんなことでは成功せん!」というご意見もあるでしょう。「欲望をたぎらせて、一心不乱に野望を追いかけてこそ、成功も手に入る」という意見もあるかもしれません。「だから草食系はダメなんだ」と。
ですがそうした「成り上がりの道」が夢として機能したのは、実は人類史上空前の発展の時代の話でした。歴史家、エリック・ホブズボームが言うところの「黄金の時代」。20世紀の、社会が一体一丸となって大量生産と大量消費に取り組んだ時代の成功のモデルです。
この時代、確かに努力は全面的に肯定していいものでした。努力することで、成功する道筋が見えていた。今とは違い「がんばれば夢は叶う」が、空疎なキャッチフレーズではありませんでした。
しかし、2000年代、いわゆるゼロ年代にアニメーション『コードギアス 反逆のルルーシュ』を大ヒットさせた谷口悟朗監督は、むしろあの時代が異質だったのであり、人間の本質はもともと誰だって、どんな世代だって努力なんかしたくないんだと指摘しています。私も、おのれのライフスタイルを振り返って、まったくその通りだと感じます。
現代の企業は「大人の事情」ばかり聴こえてくるところほど、業績が厳しい。一方、大ヒット商品は「波乗りしている時にも動画を撮影したいなあ」とか「火星に行きたいなあ」などと大人げない領域から生まれており、グローバルに展開する大きな企業は、そうした個人の創造性を、巧みに取り入れている。
たとえばAppleのiPhoneも、故スティーブ・ジョブズの「こんな電話があったら、すごいほしい」という大人げのないセンスから生まれたものだと思います。
であれば大量製造、大量消費の時代の成功の論理よりも、新しい波に目を向けたほうがいいのではないか。古典的な「アニマルスピリット」だけではなく、いろんなアニマルが生活できる社会を目標にすれば、かえって経済的な成功も見えて、日本が「新しい資本主義」のモデルをつくることもできるのではないかと感じます。
脂の乗った欲望よりも、自分の身の回りの実感を大切にする日本の若い層のライフスタイル。これからの時代、きっとそこから新しい発想が出てくることでしょう。
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