電子書籍が死んだなら

2012年2月11日
posted by 小関 悠

本を買ったとき、その本が死ぬことについて考える人はあまりいない。盗まれたり火事にあったり、あるいは誰かにあげたり売ったりしなければ、本はいつまでもあなたの下で生き続ける。日本の本は総じて品質が高いので、多少折れ曲がり、汚れ、黄ばんでも、読むことに支障はないだろう。それは本が絶版になろうと、出版社が倒産しようと変わらない。

電子書籍は違う。電子書籍は突然死ぬ。つまり、読者の意図せぬ形で読めなくなる。実際、これまでにいくつもの電子書籍サービスが終了となり、私たちの電子書籍が読めなくなった。これは控え目に言っても、電子書籍の弱点である。読者は電子書籍の死にどう備えるべきだろうか。そして電子書籍ビジネスは死とどう向き合うべきか。

さまざまな死のかたち

・ストアの死
お気に入りの書店が閉店になったら、他の書店を探さなければいけない(ジュンク堂新宿店……)。一方、電子書籍ストアが閉店した場合は、他のストアで代用できないことが起こりえる。たとえば、購入済の電子書籍は再ダウンロードできなくなるだろう。すると手元の電子書籍リーダーが壊れたら、それきり中の書籍ごと読めなくなる可能性がある。またアマゾンがやっているように、これから電子書籍ストアが著者と読者を結ぶコミュニティとして発展していくとすれば、ストアの死と共にそこで生まれたコミュニティ資産も失われることになる。

このように考えると、電子書籍端末は多くの電子書籍ストアに対応することが望ましい。たとえばPanasonicのUT-PB1は楽天Rabooにしか対応しないが、ソニーのReaderはRabooだけでなく、Reader Storeや紀伊國屋書店BookWebにも対応する。数が多ければ良いというわけではないが、読者にとってはリスク軽減になるだろう。

・フォーマットの死
多くの電子書籍端末は、提携する電子書籍ストアからの購入だけでなく、PDFやEPUBといった標準的な電子書籍フォーマットの読み込みにも対応している。読者としては、なるべく標準的な形式、標準的なDRMの電子書籍を揃えたいものだ。そうすればたとえ利用していた電子書籍ストアが閉店したとしても、他の端末で読み続けることが可能になり、購入した書籍が死蔵することはない。マルチメディアと騒がれた時代のCD-ROM電子ブックの多くが今日読み込めないことを考えれば、これは大きな進歩だ。

先行するデジタル音楽市場でも、データの可搬性は問題と見なされていた。それでも今はアップルやアマゾンなどの大手が軒並みDRMのない、AAC/MP3といった標準形式のデータを販売している。携帯電話の「着うた」においても、レコチョクが購入済の着うたデータをスマートフォン向けにも無償で提供するサービスを発表した。実際のところ、購入した音楽や電子書籍のデータをいつまで利用するかは問題ではない。「いつまでも利用できる」という安心感が利用を後押しするのだ。電子書籍でもDRMを撤廃したオライリーのような試みが歓迎されていくだろう。

もっとも、標準化に逆らうような動きも出ている。アップルは電子書籍作成ツールiBooks AuthorでEPUB3を独自に拡張した形式を採用した。作成されたiBooks形式の電子書籍はiTunesのみで販売が許可されているため、結果としてDRMもアップル独自の形式となっている。アマゾンKindleも独自の形式、独自のDRMを採用し続けているが、こちらは様々なプラットフォームにKindleアプリを提供することで批判をかわしている状況だ。

・端末の死
言うまでもなく、電子書籍端末の違いは読書体験を左右するものである。同じ書籍でも、KindleとKindle DXで読むのは異なる体験だろう。紙の書籍にはハードカバー版や文庫版があり、読書スタイルに合わせて選ぶことができる。電子書籍もコンテンツと相性の良い端末を選んで読めるのが望ましい。

しかしどのような電子書籍端末が販売され、いつまで販売され続けるかは、メーカーの心ひとつだ。6インチのKindleはもう4代目だが、9.7インチのKindle DXは2年半リニューアルしていない。Sony Readerは当初5インチ、6インチ、7インチの3サイズ展開だったが、今は6インチモデルだけが残っている。液晶タブレットKindle Fireの噂が出たときは、アマゾンがE-INK式の電子書籍端末をやめるのではないかとヒヤッとしたものだ。これは杞憂に終わったが、今後もアマゾンがE-INKにこだわり続けるかは分からない。

こうした現状は電子書籍の作り手にとっても問題だ。iPadやiPad 2は9.7インチで1024×768ピクセルの解像度だが、将来的にはより高解像度になるだろうし、解像度を維持して小型化されるかもしれない。iPadやiPad 2に最適化された電子書籍は、将来的にはおのずと意図されぬ形で閲覧されることになる。

・出版社の死
昨今、アマゾンKindle DTPや、アップルiBooks Authorなど、出版を個人にも開放する取り組みが続いている。出版社の「中抜き」を無くし、著者への印税率を高めるという見方から、歓迎する作家や読者も多い。

しかし、出版社はただ原稿を右から左へ本にして稼いでいるわけではない。校閲やデザインや広告で書籍の魅力を高めるだけでもない。出版社は、書籍に関する面倒な権利を管理するという機能も備えている。すぐに書籍を絶版にしてしまい、権利を囲いこんだままの出版社を苦々しく思うこともあるだろう。しかし一方で、作家やその周辺にいる人間の一存で、中身がすっかり書き換えられたり、絶版になったりするのも困るはずだ。権利をきちんと管理することについてとやかく悪く言う人もいるが、かといってまともに管理されていないとまともな流通もなくなるというのは、いつまでもDVD化されない映画作品などを見ているとよく分かる。

アマゾンやアップルは、これから出版社としての機能をますます強めていくだろう。それでも、彼らは決して出版社ではない。ビジネス上の判断があれば、出版機能を簡単に切り捨てるはずだ。実際、アップルはもうHyperCard向けのサポートを行っていない。電子書籍の出版社がその機能をやめたとき、宙に浮いた権利はどこへ行くのだろうか。あらかじめ対応を明らかにしておくくらいの気概があってもいいはずだ。

次世代に残る電子書籍を

紙の書籍だろうと電子書籍だろうと、読み終えられるまで読めればいいという声はあるだろう。しかし、書籍とはいつまでも同じ形で読み続けられるものだという声も、同じように尊重すべきである。

私はこのごろ、ゼロ歳児の子供を抱きながら、よくKindleで電子書籍を読んでいる。片手で読めるKindleはとても使いやすい。子供が大きくなったら、Kindleがどれほど役立ったか教えてあげたいくらいだ。そしてそのときのKindleは、当時の本がそのままに、同じような読書体験のできる存在であり続けて欲しい。私は自分の好きな書籍を子供にも読ませたいし、自分の好きな電子書籍も子供にも読ませたい。この永続性こそが書籍の良さであり、電子書籍にも引き継ぐべきものではないだろうか。

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