「本」はまだ読者に届いていない

2011年8月15日
posted by 沢辺 均

複数の場所で読めるようにする理由

この連載は、デジクリ発行と同時に、我がポット出版のサイトの「ポットの日誌」コーナーに毎回掲載している。また、この「マガジン航」にも掲載してもらっている(編集部注:連載2回分を1回にまとめるなど、転載にあたり少し再編集しています)。つまり、3カ所で掲載しているわけだ。

なぜ、このデジクリ連載をポット出版のサイトと「マガジン航」に掲載したいのか。ボクはせっかく苦手な文章を書くんだから、できるだけ多くの人が読む可能性を増やしたいのだ。文章ってのは、恐ろしく人の目に触れていないとおもっているんだ。いや、ボクの文章だけじゃなくて、もっといい文章も、だ。

それが惜しい。

ポット出版の本で『石塚さん、書店営業にきました。』って本がある。タイトルどおり、出版社の営業がいかにして書店に食い込むのかって本。スゲー狭いでしょ、ターゲットが。出版物は年間8万点の新刊。営業が一人で担当するのが年10冊平均(沢辺試算)だから8千人。そんな小さな市場で、3千部近くが売れた。もう、買うような人はだいたい買ってるんだろうなって思っていたら、一昨年(2009年)の東京国際ブックフェアで100冊近くも売れたことがあった。

本は、その本を読むだろう人に全然届いていないんだって思った。これは本に限らずサイトの文章も同じなのだと思う。デジクリを購読している人と、ポット出版のサイトをちょっと見に来る人、「マガジン航」を見に行く人って、重なっていない人のほうが多いだろう。だから複数の場所で読めるようにしたほうが、読む人が増えてくれるって考えたわけだ。

ここからちょっと本の話に寄る。

既刊本を売ることこそ出版社の使命だ、みたいな言い方がよくされる。半分はそのとおりだけど、でもよっぽどの本じゃなければ、ただ増刷・増刷の繰り返しだけで買われることはないとおもう。化粧直ししないと、売れるキッカケにならない。

たとえば、『星の王子様』の著作権が切れたときに、いくつもの『星の王子様』が発行されたし、一定の注目も集めた。太宰治の『人間失格』にイケメンの写真かなにかのカバーをつけ直して注目を集めてたこともある。ポット出版だって『劇画家畜人ヤプー【復刻版】』 は1万にはまだ届かないけど、復刊したことでそれなりにはもう一度注目を集めることができたんだと思う。

これらの本は「化粧直し」したってことで、注目を集めた。それがなければ、そうした注目は集められなかったのだ。本(=文章)はまだまだ読む可能性を持っている人に知られていないんだ。

電子書籍の時代、つまり、読むことができる文字数が、とてつもなく増える時代に、改めて出版の意味を考えると、見る場所を増やしたり、化粧直ししたりすること、そうすることの意味のあるものを探し出すことに、それがあるのだと思うのだ。

本を「もう一度届ける」のはとても難しい

電子書籍の話として続きを書きます。この化粧直しは太宰治の『人間失格』のようなカバー替えのほか、復刊・増補改訂版・文庫化などという方法が考えられる。

ところがもともと少部数のわがポット出版の本はこれらをやりづらい。カバー替えでも増補改訂版でも、やはり初版のときより売上げは大きく落ちると思う。もとが少部数なのだから、そうした化粧直しで売れるだろう部数はさらに少なくなるわけだ。

石ノ森章太郎の『ジュン』が完全復刊。

ポット出版では、ときどき復刊をやる。今も石ノ森章太郎の『ジュン』という名作の完全復刊を準備中。これはもともと初版や最初の発表時の評価も高く、その後も評価は落ちてない(という判断)ので、少部数での復刊でも採算がとれるだろうと考えたのだ。ポット出版の復刊は、それなりに売れた本をターゲットにしている。

余談だけど、紀伊國屋のパブラインという出版社向けのサービス(有料で月額10万!)があって、店頭の実売を一日遅れでみることができる。さらに、他社の本・雑誌も見ることができるのだ。1990年代の後半あたりからのデータが蓄積されている。これが他社の本の復刊を考えるときに役に立つのだ。

さて、この『ジュン』の例は他社の販売成績の良い(そしてその後忘れられたり、大手出版社の基準では復刊するほど販売が見込めなさそうな)本の例。ポット出版の本では、1000、2000部という販売成績の本もゴロゴロしている。こうした本は文庫にされることもない。文庫は、昔は初版3万部などと言われていたけど、今は1万チョットくらい。それでも1万! いくら文庫にしてもそれほどは見込めないもんばかりだということだ。

さらに、ポット出版は文庫をだすには困難な課題がヤマ積み。文庫の初版部数が多いということは、売れなかったときの赤字がスゴいことになる。毎月定期的に複数タイトルをだすことも取次に求められるようだから、イッパイださなきゃならない。書店店頭に、もうあらたな文庫のスペースを確保してもらうことがそもそも絶望的にむずかしい。

まあ、取次がポット出版が文庫をだしたいといっても、相手にしてもらえないだろうけどね。つまり、化粧直しして、まだまだ読んでくれるだろう人に、もう一度届ける機会をつくるのは、今考えられるパターンではとても難しいのだ。

「文庫」の代わりに「電子書籍共同ブランド」を

そこで考えたのが電子書籍の利用だ。電子書籍化を化粧直しの「もうひとつの機会」として利用しようということなのだ。これを、われわれのやっている版元ドットコムという出版社団体の会員出版社で、共同のブランドとして取組んでみよう、と考えたのだ。ただしくは、このアイデアは、版元ドットコムの仲間である高島利行さん(語研)が言い出したことなんだけどね。

版元ドットコム共同の独自ブランドを電子書籍でつくるのは、化粧直しをするってこと以外にもいくつかの理由がある。

実はこれまでも中小出版社のタイトルもときどき文庫になっている。この場合は、ほとんど「持って行かれた」って感じなのだ。最初にリスクや知恵を著者と一緒にだして本にして、多くのシッパイのなかからそれなりのアタリをだす。やっとあたったタイトルを、今度は大手出版社が文庫にしてしまう、っていうイジケタ感じを持ってしまうのが、中小出版社にとっての文庫のイメージ。

もちろんタイトルにとっては、もう一度化粧直しして世に出て行くのだからいいことではある、ってのはわかっているんですよ。で、この「持って行かれる」ってことに、電子書籍化で対抗できる。

投資コストも少なくてすむ。文庫を万単位で制作すれば、印刷・製本費だけでもン百万の単位の初期投資が1冊あたりに必要。紙の本をスキャンしてOCR(校正しない)の透明テキスト付きの「スキャン電子書籍」であれば、ものすごい低コストでできるので、リスクを少なくすることができる。

書店の棚を営業してとってくることも必要ない。取次に「文庫だしたいんですよ」って言う必要がない(つまり、断られることもない)。版元ドットコムの数十社でも、対抗してブランドをつくれば販売促進活動もそれなりにできる。電子書籍化のノウハウも数十社で生かせる。

ただし、マイナスなこともある。イマイマ、電子書籍がたくさん売れる環境にないってこと。でも、だからこそ今から取組めば、ブランドを浸透させる可能性も多くなる。大手も含めて、電子書籍の制作や販売促進などのノウハウは「ない」といっても過言ではないんだから、充分競争について行けると考えているのだ。

*この記事はクリエイターのためのメールマガジン「デジタル・クリエイターズ」での連載「電子書籍に前向きになろうと考える出版社」の第10回と第11回を再編集し転載したものです(「マガジン航」編集部)。

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