絶版本をアーカイブして売る

2010年9月21日
posted by 藤井誠二

出版社が「電子化」に過剰反応する理由

何年かぶりにいきなり電話をしてきたと思ったら、そんな話か。顔を見せにきてから言うことなんじゃないか――十年ちかく前に出した拙著(初版のみで再版なし)を電子化(PDF)して友人のサイトで販売したいという申し出を、その版元の社長(編集長)に電話で伝えたところ、返ってきた答えはとどのつまりそういうことだった。

不義理をしていたことはたしかなのでそれはごめんなさいとか何とか謝った記憶があるのだが、さきの言い草にカチンときてしまったぼくは、そのときはお互いに移動中だった慌ただしさもあって、また電話をするということだけを約束してどちらからともなく電話を切ってしまった。

相手はぼくが不義理をしていたことに不機嫌になったのではなく、「電子化」という言葉に過敏に反応したのは手にとるようにわかった。顔を付き合わせないで電話で話していると険悪な空気というのはだんだん濃厚になるもので、売り言葉に買い言葉的なやりとりを応酬した挙げ句、勝手に電子化をするならばお互いに法的に決着をつけようというような話まで出た。

消耗した。何年も絶版状態にある自著を電子化して売るのにどうしてここまで気持ちがささくれ立ったような体験をしなければならないのかがわからなかったし、既刊本を電子化することはしち面倒くさいことなのかという嫌気まで芽生えた。

けっきょくその編集者とは後日、珈琲を飲みながら話し合いをして、誤解をといてもらったのだが、電子化に敏感に反応した理由がわかった。それは、「電子書籍化をすると、もともとの版元にあった電子化をする権利を電子書籍を売るサイトに取られてしまうのではないか」と思ったのだそうだ。著作権が著者にあることは当たり前だが、電子化すると販売権も自動的になくなってしまうのではないかと勘違いしていたんだ、とその編集者はぼくに詫びるように言った。

ちなみにその社長兼編集者は電子書籍化のフォーマットについてEPUBなのかPDFなのかという知識はなかったし、電子化する際にあらためて出版契約書を作成することは念頭にあったようだが、具体的に契約内容について案はなかった。世の中が電子書籍の衝撃と騒いでいるので、自分のところもすべて電子化したいというふうに漠然と考えているだけのようだった。

「アーカイブ・ブック・プレイス」の試み

ぼくが自作を電子書籍化したいと思い立った最大の動機は、いつでもネット上で電子書籍として入手できることにより、紙の上での「絶版」がなくなるからだ。それで儲けようという目論見ではない。過去の著作を電子化して販売することだけでビジネスモデルとして成功している例を見聞したことがなかったし、電子書籍市場はすこしずつ成長していると言っても、その内実はノンフィクションにとってはお寒い限りだ。ぼくは電子書籍がもたらすメディア構造の変化の今後についてもちろん希望も託しているが、煽られているにすぎないという思いも正直言って、ある。

新刊書の書店の棚に並んでいる単行本の七~八割程度が絶版本か、再版予定なしであることは「本」に関わる者なら常識として認識しているだろう。多くの版元は初版か二刷りを売り切ってしまうことで、それで経費を回収、利益を出す。それを連発していくことで体力を維持していて、そのローテーションに分野問わず書き手たちも組み込まれている。書き手の大半は自作に再版可能性があるかどうかを常に確認したり、いま残部がどの程度あるのかを把握したりすることに無頓着であり、再版がかかるかどうかの決定権は版元の胸先三寸である。在庫が残りわずかになっても増刷せず、絶版扱いになることもふつうだが、そのあたりの判断基準が著者に伝えられることはまずないだろうと思う。

ぼくの先輩ライターが単行本だけでなく新書や文庫までも数百冊単位で買い取り、それをメルマガ読者に頒布したり、ときにサービス品としてつけて在庫をなくし、増刷を即すことを実行していた。本の寿命を著者の懸命の努力で延ばすということだ。しかし大半の書き手はそういうことをしていない。それをやるためには在庫を買い取るだけの資金や、売りさばけるだけの固定読者を確保する個人メディアを運営するなど、そこに注ぎ込むエネルギーは並大抵のものではないとその先輩を見ていて思った。

だから電子書籍化はある種の救いで、自著で発行して五年以上経っているものを中心にPDF化してそれをネット上で販売してみたいと思った。課金する仕組みはシステムに詳しい古くからの友人が「アーカイブ・ブック・プレイス(ABP)という販売フォームを立ち上げて担当してくれることになり、何人かの同業者らも参加をすることになった次第である。ぼくらは電子化する本の版元に電話をかけるなどして、「了解」を得ようと思ったのだが、さきのようにいくつものハードルがあることに気づいた。

アーカイブ・ブック・プレイスのサイト画面。決済には銀行振込とPayPalが利用可。

アーカイブ・ブック・プレイスのサイト画面。決済には銀行振込とPayPalが利用可。

出版社の対応はさまざま

さきの編集長の「思い込み」もその一つなのだが、ぼくも含めた参加者たちの体験を総合すると、版元の対応は温度差はさまざまだった。「問題ありません」とすぐに承諾の返事をくれた版元は少数派で、しぶしぶ了解してくれたところが大半だった。「向学のためにまず話をうかがい、勉強したい」「考えさせてほしい」と一カ月以上も保留されるところも少なくなかった。歓迎されていないことはよくわかった。

「版面権はこちらにあるので、PDFは遠慮してほしい」という、やんわりと拒絶をする版元もあった。版面権という言葉は知ってはいたが、こういうところで主張されるとは思っていなかった。これは版面を組み、その原版を保持している印刷所が出版社に対して主張する権利だとばかり思っていたが、版元が著者に主張してきた。

一口で電子化と言っても、たとえばEPUBなどにする場合は文字データが必要になるのだが、その完全データは印刷所が持っている。それをもらうためにはまず版元か著者が代金を支払う必要がある。それを回避するためには本を入力し直し、EPUB形式にフォーマットしてもらわなければならないのだが、それに経費もかかる。入力し直すから校正も必要だろう。だから著作権者にとって経費をかけずに電子化するのはPDFしか方法がないということになる。

表紙を( 販売サイトに) 載せることを条件にするところも、逆に表紙を載せないことを条件にする版元もあった。というのは表紙はデザイナーのものだし、版元がそれを発注したものなのでそれは版元に権利があるということだ。また逆に表紙を必ず表示をして、販売サイトと版元とのリンクを張ってほしいと言ってきたところもあった。インターネットで「本」の存在を知り、電子書籍が買うか、版元から買うか選択できるようにしてほしいということだ。中小版元は何年も再版がない本でもわずかな在庫を残していることが多いから、それを売れることを期待しているわけだ。じっさい、電子版と紙版があったら、紙を選ぶ人が多いという印象がぼくにもあるので、電子書籍を紙版の案内役として見ているということだ。

販売権を主張してくるところもあった。紙の本を出版・販売する権利(出版権)を持っていた出版社が、それを著者の一存で出版社ではない販売サイトで売られてしまうことに対する生理的嫌悪感だろう。それはさきの社長の感覚とも通じる。そこの落としどころとしては、サイトで電子版を売った場合の売り上げの数パーセントを紙の版元に支払うという取り決めを結ぶことにした。大半の版元が電子書籍については、そういった電子書籍印税を放棄してくれたが、一部の版元とは売り上げの数パーセントを求めることで決着をした。

もっと著者自身が電子化を

著作者は著作権を握っているといっても、誰しもがただちにiPadで頁をめくるように読める電子書籍をつくることができるわけではない。それにはコストと手間がかかる。

あるデジタルコンテンンツ担当を十数年にわたってつとめてきた準大手版元の幹部と話す機会があったが、印刷所が持っているデータを買い、それをEPUB形式にして、あらためて校正をかけるコストを考えたら、既刊本の電子化はわりが合わないから版元としてはやらないと言っていた。その版元の方針はそこで作品を出している著者の作品については原則、その著者が電子化(販売)を希望すれば自由にやってもらう方針にしているそうだ。「新刊ならわからないけれど、電子版が紙の作品を上回る部数を売ることはありえないと思う。だから、既刊本の電子書籍は著者と読者を結びつけるツールとして有効活用してほしいし、その協力は惜しまない」とその幹部はぼくを励ましてくれた。

ここ数年より以前に版元と取り交わしている出版契約書には電子化した際の権利関係のの取り決めは明記されていないし、著作権は著作権者にあり、その行使を差し止める権限は版元にはない。いま現在はそのあたりを取り決めたルールはないから、著作権者が個々に判断をして電子化をして、好きなところで売っていくしかない。販売をするサイトはどこかを専売にしてもいいし、複数のサイトで売ってもいいのである。値段の設定もすべて著作権者が主導して決めていくのだ。宣伝も著者がツイッター等さまざまなメディアを利用して自分でおこなっていく。

ともあれ、「電子書籍の衝撃」は出版社では黒船ととらえる発想から一歩も前進していないところから、紙と共存させていこうと試みをはじめているところ等さまざまな受け止め方があるのだが、著作権者主導の電子化はいまのところほとんど進んでいないというのが実態だろうと思う。

版元から許諾をとる過程で関係をこじらせたくないという理由もあろうが、電子化にあたってのルールが明確ではないというもの、電子化しても売れる本はごく一部なのでやる意味がないというものもあると思う。様子見、というのが大半の書き手の本音だと思う。けっきょく今までに拙著(共著)も十冊程度を電子書籍化したが、売れた部数は微々たるもので、紙では一万部以上売れたものが、電子書籍では数冊というところである。ちなみに共著者から電子化に対して反対意見は一切なかった。

それでもぼくは自作を電子書籍化してネットで売ることをしてほしいと思う。ぼくも続けていくつもりだ。それによってたった一人でも新しい読者が獲得できる可能性があるのだから。

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藤井誠二
(ノンフィクションライター)
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