7月8日~11日まで東京ビッグサイトで開催された第17回東京国際ブックフェアは、過去最大の1000社が出展、来場者数も87,449人と過去最多だったという。実のところ毎年足しげく通っているわけではないブックフェアに、今年は足を運ぼうと思ったわけは、電子書籍関連の動きにともなってユーザーインターフェースとしてのフォントへの関心が高まっていることを、肌で感じていたからだ。
先日『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)という本を上梓した。タイトルどおり9人の書体デザイナーに、文字への思いや書体誕生の舞台裏について聞いたインタビュー集で、30歳~80歳代の各年代の人々に話を聞いたことで、金属活字から写植、デジタルフォントまでの流れを追うことができた。この本が、思った以上に反響をいただいている。それはどうやら、ちょうどiPadの登場で電子書籍への注目が高まった時期に出版が重なったことが関係しているようなのだ。この本自体では、電子書籍にふれていないにもかかわらず。
昨年のブックフェアの時期にはすでに、視認性、可読性の高いフォントが電子書籍に不可欠とのことから、UD(ユニバーサルデザイン)書体に注目が集まっていたが、今年のブースを見て回った感想としては、フォントへの関心だけでなく、そこからさらに一歩進んで、「いかに文字を読みやすく並べるか」という「組版」への関心が高まっているように感じた。
意識されはじめた「文字」
大日本印刷は紙の書籍からパソコン、携帯電話、スマートフォン、読書専用端末など、さまざまな表示端末に向けた出版コンテンツをワンストップで制作する体制を構築する「ハイブリッド出版ソリューション」を強化するとし、さらにはブックフェア開催にあわせ、今秋、国内最大級の電子書店を開設することを発表。オンライン書店「bk1」との連携に加え、DNPグループに加わった丸善、ジュンク堂、文教堂といったリアル書店との連携も進めて、生活者の欲しいコンテンツを、求める時に、求めるメディアやチャネルで提供していくという。
100年以上にわたり出版分野で愛用されてきた同社の伝統書体「秀英体」は、すでに発売中の秀英明朝Lに加え、M、B、初号明朝が今秋モリサワから発売予定となっているが、そのチラシ各数百部は初日にほぼなくなってしまったそうだ。これは例年にないスピードだという。
いっぽう凸版印刷も、「出版イノベーション2010」と題してプレゼンテーションを展開。やはり電子書籍・雑誌の制作・加工から配信までをワンストップでサポートする「コンテンツファクトリー」の制作フローなどを紹介していた。いずれも、これまで紙媒体の制作で培ってきた情報加工や表現のノウハウを活用しながら、紙媒体や電子書籍と人とを結びつける流れを示したものだった。
UDフォントを中心に展示を構成していたフォントベンダーのイワタでは、ポメラやパイオニアのテレビリモコン、iPhoneアプリの「角川類語新辞典」(物書堂)など、同社のフォントが搭載されたさまざまな端末を展示。「ヒラギノ」フォントの販売元、大日本スクリーン製造のブースでも、同書体がiPhone、iPadに標準搭載されていることから興味をもち、立ち寄る人が見られた。
フォント関連でもっともにぎわいを見せていたのは、フォントベンダー最大手のモリサワのブースだ。ブックフェア前日に発表した電子書籍ソリューション「MCBook」が注目を集めてのことで、同ソリューションによる電子書籍をインストールしたiPhoneやiPadなどのデモ機周辺に人が集まった。
MCBookは、Adobe InDesignなどで作成された組版データからiPhone用の電子書籍アプリケーションを作成するツールで、その特徴は、印刷で定評を得ているモリサワフォントと組版エンジンを搭載したビューアによって、読みやすい電子書籍コンテンツを読者に提供できるということ。書体は現在のところリュウミンL-KL、中ゴシックBBB、新ゴL、ゴシックMB101Lをはじめとする標準フォントとかなフォントを各9書体ずつバンドルしており、そのなかから3書体を電子書籍コンテンツに埋めこむことが可能。
コンテンツ提供側で準備する「標準セット」ではフォントなどを変更することができないが、「カスタムセット」を選択すれば、漢字・かなそれぞれのフォントとサイズ、行送り、字送りをユーザーが設定することができる。縦組/横組や行送り、字送り、ルビ表示などの設定を読者がどのように変更しても、句読点などの禁則処理を含めて読みやすさがそこなわれることなく、美しく読みやすい組版を保つということが大きな特徴だ。組版エンジンを持つフォントベンダーであるがゆえの強みといえる。
7月10日にボイジャーのブースで行なわれた座談会で、司会の仲俣暁生氏に「電子出版で困ったこと」を問われた米光一成氏が、こんなふうに答えていた。
「困ったのは、俳句の原稿が来たときに、縦書きができなかったこと。ePUBは現在、横組みにしか対応しておらず、そのときはしかたなく縦組の俳句を画像として配置することで対応したが、やはりできればテキストにしたい。電子書籍を自分でつくってみると、日本語の貪欲さというか、組版や表現、フォントのすごさというものを痛感する」
電子書籍をつくり、公開する環境はあるが、日本語組版への対応がまだ追いついていない。印刷物においてはフォントも組版もある程度の成熟を見せているため、その存在は読者にとってとくべつ気にすることのない、空気や水のようなものとなっている。
しかし電子書籍においては、現段階では未成熟な部分があるからこそ、作り手だけでなく読者から見ても、フォントや組版――そうした言葉ではなく「読みやすさ」「見やすさ」という言葉で意識されているかもしれないが――に対する気づきがあるのではないだろうか。これを機に、私たちの読書体験を支えてきた文字(フォント)と、それを読みやすく並べる技術(組版)への関心がさらに高まるとよいと思う。
にぎわいを見せるブースが多々あった一方で、同じデジタルパブリッシング フェアに出展している会社でも、電子出版系のソリューションを掲げていないブースは人もまばらなところが多かった。やはり人々の関心は電子出版一辺倒なのだろうか。
これからのカタチの見本市
しかしブックフェアは、本をとりまくさまざまなビジネスが一堂に会する場所だ。ホリゾンのブースには折り機や製本機などさまざまな機械がそろい、デモも見せてくれた。渋谷文泉閣など、いくつか出展している製本会社のブースを見てまわると、柔軟性と強度にすぐれ、丈夫で熱に強い「PUR」という接着剤が、これからの本をより開きやすく丈夫にし、本の機能やデザインに新しい可能性をもたらすということがわかってくる。
デジタルパブリッシング フェアから出版社のブースが立ち並ぶゾーンへと移動する途中、若い人たちが集まり、熱心に話を聞いているブースがあった。「紙の学校」だ。代表の岩渕恒氏に話を聞くと、
「『紙の学校』なんてデジタルパブリッシングにケンカを売ってるのかなんて言われますが(笑)、向こうから来たお客さんのなかで数人に一人はここで足をとめ、話を聞いていってくれる。『やっぱり本は紙ですよね』と言い残していく人もいる」
岩渕さんは別に電子書籍を否定しているわけではない。たとえば数kgにもなる法律関係の書籍や辞書などの電子書籍化のメリットは十分認めている。一方で、哲学や思想、文学など、紙の書籍に向く内容はあるし、長く残したいものはやはり紙じゃないか」という。
同様に、若者が熱心に見入る姿が印象的だったブースがあった。金属活字や母型、活字棚、インテルのカット機などを展示した堀内印刷所だ。同社ではすでに十数年前から活版印刷は稼働していないものの、昨年、社に残っていた活字を展示したところ好評だったため、今年も展示したのだという。金属活字時代につくられたオリジナルの「堀内文字」は、現在OpenTypeの仮名書体「堀内フォント」に生まれ変わっている。ブースに集まってきた若者には、金属活字を初めて見る人も多いらしく、なかには小学生の姿もあった。
ブックフェア会場では毎年、日本書籍出版協会、日本印刷産業連合会主催の「造本装幀コンクール」受賞作品も展示されている。今回、文部科学大臣賞を受賞したのは『瀧口修造1958 ―旅する眼差し』(慶応義塾大学出版部刊/装幀:中垣信夫、西川圭〈中垣デザイン事務所〉/印刷:加藤文明社/製本:加藤文明社)。瀧口修造がヨーロッパで撮影した写真を集成した本のほか、手書きの「夫人宛絵はがき」やメモ帳を実物さながらに複製、オリジナルプリントまで添えるという、贅をつくした豪華本だ。その他の入賞作品も、趣向をこらしたものばかり。一冊ずつ手に取って見ると、造本のおもしろさに、時の経つのも忘れてしまう。
印刷、フォント関係と、きわめてかたよっていながらも、こうしてブックフェアをながめてみると、電子書籍と紙媒体はどちらかが淘汰されるという話ではなく、それぞれの内容に適した表現がなされ、それを欲する読者の手もとに届けられればよいという感想に落ち着く。ブックフェアは、電子書籍と紙の書籍双方の表現の可能性や技術、手法が一堂に会した、新たな創造のヒントがつまった場でもあった。