iPadは蜘蛛の糸!?

2010年6月7日
posted by 大原ケイ

拙ブログで、iPadやキンドルは、不況の海に漂う日本の出版社の前に垂れてきた蜘蛛の糸だと書いた。なのに出版業界やマスコミのこの浮かれ様はなんだろう? 猫も杓子もツイッター特集の次はiPad特集って? そう、細い細い蜘蛛の糸なので、そんなに皆でいっぺんにぶら下がったら切れるってば。

アメリカにおける電子書籍は最初から「ブーム」や「トレンド」ではなく、着々と進みつつある当然のうねりの一つに過ぎない。ってなことをずいぶんと昔からクチを酸っぱくして言ってきたつもりだが、誰も聞いてなかったってことだな。どんな魅力的なガジェットが発売されようとも、どんな売れっ子作家がEブックを出そうとも、急に誰もが電子本を読むようになるわけではない、という当たり前のことさえ忘れてしまったかのようなこのお祭り騒ぎはなんなのだろう、と思う。

日本のビジネス誌は軒並みiPad特集。まさに「猫も杓子も」状態。

日本のビジネス誌は軒並みiPad特集。まさに「猫も杓子も」状態。

こっちでも書籍全体の売上げ(09年の総計約240億ドル)に占めるEブックの売り上げはまだまだ少なく、今年もおそらく約8%。ぶっちゃけまだ一割にも満たない。これが5年とか10年とか近い将来に50%を超えるとか、やがて紙の本がなくなる、などと戯けたことをほざくマイク・シャズキンみたいなコンサルの言うことをまともに信じる輩がいるから困る。そう言っておけば日本のマスコミから取材が来ることを予測しているか、あるいは不純物の多いドラッグでもやっているのだろう。

コンサルなんて出版社で働いた経験のないIT系の人がほとんどで、どこかの首相みたいにありえないことを公約して辞任に追いやられる心配もないわけだから、そりゃ好き勝手なことを言うだろう。踊らされる方がバカだ。ITバブルの頃に株価を釣り上げたアナリストと同罪だ。

自費出版で出した本が注目されてベストセラーになり、70%もの印税が懐に入ってきてホクホク、なんて著者はそれこそほんの一握りで、自分じゃどんなに買っても当たらないけど、日本のどこかでジャンボ宝くじを当てる人がいるのと同じだ。まぁ、日本では共同出版などという名の下に搾取されていた人たちが搾取されずに、だけどやっぱり本屋には並ばない本を出す道がまたひとつ開けたといえば、それだけでもまだマシになったのかもしれないけれど、既に刊行点数過多の日本のマーケットでどこに読者がいると思うんだろう?

日本とアメリカでは異なる出版社と著者の関係

ブック・エキスポに来ていた日本の編集者の人たちもおそらく、こっちでアポをこなしながら、エージェントや版権担当者の人に「キンドル使ってる? iPad持ってる?」と期待しながら訊いたことだろう。そして「全然」という返事に面食らったことだろう。そりゃそうでしょ。企画書やゲラや見本刷を読むのが仕事の人たちだもん。Eリーダーは以前から使ってる、という人たち以外にそんなガジェットをわざわざ自分で買って既に世に出た本を読んでいるわけないだろーに。

日本の出版社が恐れる「中抜き」もこっちではあまり心配がないといっていいだろう。なぜか? 日本では人気のある著者であればあるほど、著作を複数の出版社から出す。美味しい旬の著者の汁をみんなで分け合う互助システム。だから著者としては電子版権をさらにまたどこかに売ったり、自分で出すことが特定の出版社への裏切りにならない。

欧米では著者はどこかの出版社1社に留まり、運命共同体となる。著者と契約する段階でもうずっと昔から「Eブック権」の話がついているし、在庫も底をついた古いタイトルがEブックで売れたら、その著者の新刊の売り上げにつながるから悪い話ではない。出版社を替るだけでも業界の評判が落ちるのに、今後も高印税につられてEブックで美味しい思いをしようという著者はそんなに現れないだろう。

もう一つ、日本の出版社にとって頭の痛い話がアメリカのマンガ市場だろう。この2年、売り上げが減少しているのだが、これは日本の出版社があれもこれもと急に出しすぎて、市場が飽和状態になり、修正が起きているのと、アメリカもそろそろ自分たちで新しい著者を探してコンテンツを確保しようという動きが出てきただけの話だ。もっとマーケットを勉強してアメリカのマンガ読者の嗜好を掴み、タイトルを絞ってマーケティングに力を入れればちゃんと今後も伸びるはずなのだ。それを無闇矢鱈にあれもこれもと欲張るからダメなわけ。

本なんて、元々地味なもの。地道に作って、丁寧に売って、たまーに売れるのがあって、ちょこっとだけ儲かる。ということで、最後に日本の電子書籍の将来について一言:

「ぶちっ!」

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執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。