第3回 軽くて閲覧性の高い最強デバイスは、いまも紙なのか

2016年11月15日
posted by 山田苑子

借りて来たハードカバー、ダウンロードしたPDFのプリントアウト、入手しづらい博論のコピー、持って歩きたくない重さの画集や写真集、先生から渡される手書きメモ入り講義資料、ゼミで配られる先輩同輩後輩のレジュメの束エトセトラエトセトラエトセトラ……。

現代の私たちは、さまざまなフォーマットのアーカイブの海を航海する旅人のようだ。インターネットを通して得られる情報だけでも、そのフォーマットはことなり、私たちはそれぞれに対応したソフトを利用することになる。しかしこれだけパソコンとインターネットが発達したいまでも、私たちはまだまだ「紙」というデバイスに引きずり回されていることに気付くだろう。

読まねばならぬ資料や論文の山。順不同に本棚にツッコマれて塩漬けになっている……。せめて日付タグくらいふっておけばいいものを……。

私たちは、まだまだ「紙」を読んでいる

大学院に限らず大学のゼミと呼ばれるものに出れば、資料や史料、レジュメ、報告書類など、大量の紙資料が配付される。これらの資料はおおむねA3横を1面として印刷されている場合が多く、スキャンすると11インチ程度の画面では拡大なしには読むのが難しい大きさになる。

いままで学部を超え大学を超え、多種多様のゼミに参加させていただき、数限りない紙資料を拝受して生きてきたのに、嗚呼、それを活用した人生だったと、私はあのとき同席していた皆さんに胸を張って言えるのだろうか。せめて資料をきちんと整理しストックし、すぐ引き出せるかたちにできていたらと、度重なる引っ越しごとに後悔と口惜しさで目の前が真っ白になるだけだ(紙だけに)。

一方、CiNiiからダウンロードしたPDFファイルも、パッと全体を確認するには紙にプリントアウトしてしまうほうが早い。すぐにチェックしたくとも手のひらサイズのデバイスはいかにも小さく、拡大と縮小を繰り返すうちにどこを読んでいるのかわからなくなる。幼少期から鍛えたド近眼を最大限駆使して小さい文字に集中することで、降りるべき駅を乗り過ごすこともしばしばだ。

画面が大きければいいかというと、そうでもない。常時帯同している11インチ程度のノートパソコンの画面では、文字を最適な大きさにすると、たいてい縦幅が足りない。1ページ読むのに上下2往復するという非効率だ。PDFというフォーマットで作成されたドキュメントは、多かれ少なかれ紙媒体で読まれることを意識したレイアウトになっている。「文字を読む」紙媒体はたいてい縦方向に長いものだ。横幅が広いPC系デバイスには不利なレイアウトである。

書籍についても、こと大学のレポートなりレジュメを作成するための本、ということに限定されると、私たちはまだまだなかなか電子書籍を利用しづらい状況であることは第1回(Kindle Unlimitedは貧乏大学院生への福音となるか?)に書いた。おまけに図版が書籍と同じようにレイアウトされていない場合があるため、適切な位置関係での理解力を得たいために、紙の本を選ぶことも多いだろう。

ストーリー性がある小説や漫画、種明かしがある推理ものでもないかぎり、本というものはたいてい、どこから読んでもOKだ。私は「あとがき」を読んでから、本編を後ろから前へ遡って読む癖があり、この行動が電子書籍で容易にできないことが読書上でストレスなのだと最近気づいた。わざわざ電子書籍でなく紙を買う場合、このストレスを回避している場合が多い。

「何を」&「何で」読むべきか。その組み合わせが問題だ。

私はあなたが30分で1冊読み切れるような本の話をしているのではない。たった一章に20も脚注が付くようなタイプの本を読むための話をしているのだ。読解困難な文章が読解困難なデバイス上に展開されていれば、解読に倍ほどの時間がかかるどころか、「最後まで読む気が失せる」という逆効果をもたらす怖れさえある。さらに言えば脚注はたいてい本文よりフォント数が小さく、適正拡大の自助努力が必須になってくる。

では、紙で適正化された解像度とレイアウトは、やはり紙で読むに限る、ということなのだろうか。

しかし紙は、なんとも、重い。周囲のあの人やこの人の本に対する言説の多くは「本が多くて引っ越しできない」「本が多くて床が見えない」「本が多くて家族に怒られる」「本が重くて家から出たくない」「コピーした資料が錯乱してなにがなんだかわからないけど捨てられない」だいたいこのような悩みに集約される。お世辞にもポジティブなものとは言えないだろう。

この量が年々膨れ上がるにつれ、私たちは現実に引き戻される。ギブアップ、紙一択の世界観は、もう、無理だと。しかしだからといって電子書籍に身を預けても、いまの段階では幸せになれない。この過渡期の世の中で、日々増大するアーカイブを閲覧するために、いったい私たちはどうすればいいのだろうか。

場所を取ること、重いこと、整理に手間がかかること……これらの諸問題にかかわらず私たちは紙でモノを読んでいる。私たちは、まだまだ、意識的にも無意識にも紙を選択しているのである。逆に言えば、紙でのメリットをいくつかでも享受することができ、紙でのデメリットを打ち消すことができるデバイスがあれば、それは選択するに値するということになる。

紙とデジタルのハイブリッドが最高の選択肢

ある日、臨時の仕事が急に入ったので、懐に謝礼が入る皮算用に浮き足だって、そのギャラをまるまる充てるかたちでiPad Pro 9.7インチを買ってしまった。その仕事でもらったイベントステッカーを純正のSmart Keybordに貼って謝意を表明している。請求書発行はこれからだ。

毎月の家賃の支払いにも眉間に皺を寄せる日々なのに、何故そのような愚行に及んでしまうのか、怒りと呆れを覚える読者の方もいるかもしれない。古今東西変わらない事実、そう、人は忙しくなるほど、最新デジタルデバイス渇望症を発病するものなのだ。そのデバイスを買うことで、仕事が一段と捗ることを確信して……。

この1年半、大学院に通う中で、「閲覧」という一点について、私は下記のような複数の条件を満たせるデバイスを探していた(入力デバイスとしての条件も多数あったが今回は割愛する)。

・女性の片手で持って苦痛でない軽さ
・A4サイズのPDFを拡大縮小なしに一覧できる解像度

・屋外のフィールドワークに持ち出せる剛性
・周囲光量による明るさの自動調節機能
・A4用紙に書き込む際に、下敷きに利用できる物理的広さ
・お財布に痛すぎない経済性

ノートパソコンを上回るモビリティと、屋外の立ち状態でも耐えうる軽さ、そしてA4サイズの閲覧性を求めた、と要約できるだろう。条件を詳細に規定すればするほど、デバイスを購入後の満足度に繋がるというのは経験上明らかである。条件に合致するかどうかは、やはり少しでも長く触ってみないと分からない。しばらくは家電量販店に通いつめてデバイスを試した。貧乏大学院生としては、作業効率を上げなければいけないという命題を抱えつつ、無駄玉は打てない。寝る間を惜しんだ熟考が必要なのだ。

バチカン教皇庁図書館の写本の美しさに震える

逡巡の末購入したのは、450グラムを切る重量の9.7インチiPad Pro (Wi-Fiモデル/32GB)。学生価格で60,800円也。450グラムと言えばほぼペットボトル飲料1本分だ。純正のスマートキーボード230グラムを足しても700グラムを切る。手持ちのノートパソコン(11.6インチMacBook Air)は1キロを超え、当然だがとても片手で持てたモノでは無い。かつて愛機であったVAIO Xの軽やかさ(約765グラム)を懐かしく思い出しつつ、後継機が出ない哀しみにこれまで身をやつしてきた私だが、この軽さには納得だ。

またディスプレイでも圧倒的な閲覧性が得られた。MacBook Airは11.6インチで1,366 x 768ピクセル。iPad Proのほうが物理的画面は狭いにも関わらず2,048 x 1,536ピクセルと解像度が向上し、視認性が高くなったのだ。タブレット端末なので画面の上下制約が解かれ、PDF論文は縦でも横でも対応可能。私の領域的に、縦書き論文にもまま出くわすので、画面が回転できるのも便利な点だ。

vatican

バチカン図書館の貴重本、ウルビーノ聖書。左がMacBookAir、右がiPadPro。文字が読める大きさに拡大した時、全体の閲覧性が大幅に違ってくる。

写真や画像などの資料を見る機会が多い場合、画面がRetinaディスプレイであることのメリットは大きい。とくに歴史的史料などは、研究者の欲求を満たすレベル、すなわち原本の質感すら感じられるほどの高解像度でアーカイブ化されている場合が多い。NTTデータが着手しているバチカン教皇庁図書館のデジタルアーカイビング事業、デジタル・バチカン・ライブラリーがよい例だ。プレス発表での「スキャンのクオリティはとにかく高いものでなくてはなりません。古文書学者の学術的要求を満たすのにふさわしいレヴェルで文書を参照できなくてはなりません」というNTTデータ・イタリアのCEO、ヴァルテル・ルッフィノーニ氏の発言は、伊達ではないのだ。

資料を手元で拡大・縮小するときに、感覚的な自由さで行えるのも、タブレット端末の大きな利点のひとつだろう。カラープリントされたものを入手するより、電子データからのほうが、より微細な情報を得られるように、時代は変わってきているのだ。極東に住みながらにして貴重なマニュスクリプトを舐めるように見られるとは、よい時代になったものだ。

まだプリントアウトで消耗してるの?

フィールドワーク時には、数十枚のA4資料を手で持ち運ぶよりも、電子データでクラウドやデバイスに格納しておき、必要なところにアクセスするほうが遥かに便利だ。いままでは立ちながら大量の紙資料から該当の場所を検索するという行為に大変手間がかかっていたうえ、うっかりすると手元から落ちてばらけ、整えるなどの余計な労力を生んでいた。画面の光量自動調整機能や映り込みの改善が行われたデバイスであるため、紙と同様とまではいかないが屋外での閲覧ストレスが大幅に軽減されている。

また写真を撮る、リアルな紙にメモを取るなどの行為も、手持ちの量が減ると楽になる。現地で追加配布される資料は大抵がA4か、それ以下の大きさだ。メモするために別途クリップボードか下敷きを買おうかと考えていたが、iPad Proの9.7インチは充分その物理的要件にも足る。

フィールドワーク当日に手渡された紙資料は、その場でカメラに収めデジタルデータとしてアーカイブしてもいい。搭載された12メガピクセルという解像度カメラで、それが申し分なく可能になった。紙に書き込んでからアーカイブしてもいいし、画像データにした後も、たぶんApplePencilを買えばストレスなく書き込めるはずだ(「iPad Proを買うならApplePencilを買わねば意味がない」と言われるほどの誉高いツールだが、懐事情が寂しい故に、いまのところ購入を控えている。次の原稿料が入ったら購入したいものだ)。

A1ほどの設計図など、現地に紙で持って行かねば使い物にならない場合もあるだろう。その場合は紙で出力して持っていけばいい。紙で見るのが最適なものもあれば、紙でないデバイスが便利な場合もある、という落としどころが、アーカイブ閲覧の本当のところではないだろうか。当たり前すぎる結論なので誰も言わないだけかもしれない。ハイブリッドの何が悪いの。

そう、院生は胸を張って、自分に最適な新しいデバイスを買うべきではないだろうか。それは紙の史料を買うのと同じくらい、いまや「必要」なことなのだ。閲覧性は生産性に寄与し、これまでアーカイブを閲覧するまでにかかっていた「用意」のコストを削減することができる。

このデバイスを買って以来、「デジタルデータを紙へ印刷する」という、閲覧以前の作業が非常に少なくなった。プリントアウトは枚数が多くなれば時間がかかる上に、紙やインクの心配をしなければならない。しかも急いでいるときに限ってトラブルが出るときている。iPadPro購入と前後してプリンターが1台壊れたのだが、今後のプリントアウトはコンビニ等の外部店舗サービスを利用することに決断し、新規の購入をやめることにした。このことで実質的には、プリンターに纏わる不測の事態と不安から解放され、固定費もかからなくなったことになる。

閲覧は閲覧のみによって成立しているに非ず。閲覧物の用意から閲覧と思え。この工夫が、アーカイブ利用の次の段階にも、テキメンに活きてくるのである。

執筆者紹介

山田苑子
貧乏社会人大学院生。テーブルトークRPGと舞台芸術を養分に育ち、学生時代は薄い本作りに全財産をつぎ込む。大学卒業後は夢のサラリーマン生活を6年送った後、不適合の烙印と共に一転、個人事業主に。音楽とITの狭間で働き、趣味は積読と睡眠。母親から譲り受けた季刊誌『銀花』の山を売りあぐねている。剣道三段。