第2回 嗚呼、理想の「マイ・図書館」はどこに?

2016年9月30日
posted by 山田苑子

ハタチを超えてこちら、図書館に蔵書として「小説」を求めたことはない。私はプライベートでは――大学院生という立場はプライベートではない、気がする――あまり、小説を、読まないのである。高校生を境にオールフィクションからほぼ足抜けし、当時は松本清張の『壬申の乱』と梅原猛の『隠された十字架』を愛読していたと言えば過渡期であった過去が分かりやすいだろうか(読書量としてはマンガが最多であったが、無論ここでは割愛する)。

そういう大学院生にとって大学図書館は実に心強い味方であるし、仮に大学図書館に蔵書がなくてもどこかの研究室にはたいてい蔵書があり、気軽に訪ねていくことができる。専科大学の場合は蔵書にも偏りがあるだろうが、入学した学科の分野であれば、基礎的なところは誰かが所有しているだろう。

だいたい大学生である以上、普通は朝から晩まで大学にいて勉強しているわけだから、地元の図書館に行くような機会も必要もないのは当然だ。

公共図書館は大学院生の節約術になるか

ところが現状の私は、所属の大学図書館に甘えることができない状況なのである。

まず第一に、新幹線片道2時間半の通信制大学院に遠距離通学しているため、大学の図書館はほぼ利用できない。そして第二に、芸術系大学のため、論文を書くに必要な基礎史料の所蔵が充分でなく、現状必要な書籍が置かれていない。そこで貧乏大学院生としては、居住地近くの図書館で資料/史料の調達をなんとかできないかと考えたわけだ。

学部卒論より修士論文のほうが、修士論文より博士論文のほうが、題材がニッチになっていくのは当然で、よって「自分が必要な書物は、ほとんどの人は生涯必要ない」という状況になっていくのが大学院生なのではないだろうか。そんな本を地元の公共図書館が所蔵して、限りある開架に置いてくれることは奇跡に近い。

……と、頭では分かっていても、日本の図書館なのに『国史大系』がないのは何たること、と憤るのは理不尽であろうか?(『ニューグローヴ世界音楽事典』がなくても頭にこないのは差別かもしれない)。もっとも、地域密着型図書館のなかでも “中央図書館” と銘打たれるような「ちょっと蔵書の多い」図書館のそばに住んでいれば、この程度の辞典や史料は館内閲覧できる場合もある。

これほどの蔵書数はない代わりに、住宅街の中にあって通うのに便利な小さな図書館もある。願わくはその中に、自分の望みの蔵書を実現してくれる図書館――これを「マイ・図書館」と呼ぼう――があってほしい。しかし、そこでは人気の新刊小説に対する大量の予約を見つけることはできても、大学院生にとって必要な本は、最低限の範囲に絞っても借りるのは難しい、というのが実感だ。

所蔵数が多いのは正義か?――「都立図書館」という懐刀

公共図書館の利用経験が浅いなかで、「地域密着の公共図書館が修士レベルの学習、研究にとってどのような立ち位置であるべきか」などという大きな問題に対して、私は意見を提示できない。だが、実際使えないものは仕方ない。「地域の図書館がダメなら大学図書館に行けばいいじゃない」という示唆なのだろうか。大学図書館が役に立たない場合、どうしたらいいんだ。

しかしそのような挑戦状に対し、貧乏大学院生である私は屈している暇がない。卒業が延びれば学費が余計にかかる。それこそ敵の思うツボである。東京に住み、大学所在地よりも家賃を多く払わざるを得ないデメリットを、いまこそ逆利用するべきときだ。「国内の公立図書館では最大級の約192万冊を所蔵」と輝かしく謳う都立図書館が、私にはあるではないか。

日本図書館協会『日本の図書館 統計と名簿 2012』のデータを見ると、都立図書館の所蔵数は第14位となっている。ただ、上位13位までのOPACで利用したい某書誌を検索したところ、蔵書があるのは広島市立図書館、大阪府立図書館、そして国立国会図書館の3館だけであった。2位の横浜市立図書館は都立図書館のほぼ倍の蔵書数を誇るが、私とは求める道が違うのだろう。

蔵書数は、多ければいいというものではない。私の求める本があるかどうか。それが「マイ・図書館」を選ぶには大変重要なファクターなのだ。私の求めるところを充足してくれる都立図書館の蔵書は、どんなポリシーで選定されているのか。公開されているところを見ても「おお!」とすぐさま合点がいくようなものではないのだが、おそらく私が恩恵を受けているとしたら、何度も記載されている「東京関係資料については、特に留意する」という点であろうと思われる。

図書館のコピーサービスに立ちはだかる閉架の壁

広尾にある都立中央図書館には、欲しいと思った本のほとんどが所蔵されており、平日は夜21時までと、比較的遅くまで開館している。「とりあえず行けば、欲しい資料がすべて閲覧できる」というメリットは他では得難いため、私は数年前からこの図書館をよく利用するようになった。しかし不満がないわけではない。

2009年にリニューアルした都立中央図書館。

まずそれなりに遠い。自宅からは往復で1時間半ほどかかる。また麻布の山の上という一等地に位置するため、PCや大量のデジタルデバイスを担いでかなり急な坂を毎回ハイキングすることになり、これはもはや若者ならぬ身には辛い。夢のサラリーマン時代、私は都立中央図書館から徒歩10分圏内に住んでいたのだが、21時までに帰宅できる日はまれで足繁く通うというわけにはいかなかった。人生とは儘ならないモノだ。

さらにこの図書館、館外貸出は一切不可。館内閲覧のみである。館内閲覧しかできないとなれば、当然複写を希望することになる。しかし、それが、けっこう、高い。コイン式セルフコピーは白黒1枚10円で標準的だが、閉架書籍はセルフでのコピーを禁止されている。

職員による閉架本コピーは1枚25円(ということは20枚で500円だ、当たり前だが)。カラーコピーに至ってはセルフコピーが50円のところ、閉架本コピーは130円という値段だ。古い図版などはカラー写真で冒頭のグラビアよろしく口絵掲載されていることも多く、白黒に比べれば需要は少ないものの、10枚コピーしたら1,300円。ちょっとした写真集なら買えそうな値段になってしまう。

セルフコピー禁止の対象となっているのが、損傷の激しい書籍や希少本ということであれば納得もいくが、私以外誰も読んでいないのではないかと思うほど綺麗な状態の、近年に刊行された本であっても、閉架であればセルフコピーは不可なのだ。必要な書籍がすべて開架であればストレスはないかもしれない。しかし必要な本の半数が閉架だと、セルフの2.5倍というコピー代は、貧乏学生としては躊躇する値段になってくる。

とある日の複写レシート。開架、閉架、どちらも80枚程度の複写をした。「モノクロコピー」と記載があるのが、コイン式セルフサービス。

このとき閉架本でコピーしたのは、

・1冊目:2014年出版の翻刻史料で、定価14,000円、古書価32,000円以上。口絵を1枚カラーコピーした。モノクロコピーは42枚。

・2冊目:1977年出版の翻刻史料で、古書価25,000円以上。モノクロコピーを45枚。

開架本は、

・1冊目:2012年出版の900ページにもわたる、論文と翻刻史料を合わせた書籍で、定価28,000円、古書価27,000円以上。論文部分54枚をすべてモノクロコピーした。

・2冊目:1927年出版の翻刻史料。古書価でも1冊単位では販売が見つからず、7巻揃えで17万円ほどするようだ。見開き28枚をモノクロコピーした。

しめて3,125円なり。これらの高価な書籍の複写が、この程度の値段で手に入ると思えば安いモノなのかもしれない。だが、館外貸出してもらって自分でコピーするほうが、はるかに安くあがる。

周回って知る、地元図書館は使えるやつ

都立中央図書館で自分の使いたい本を検索したとき、まれに「貸出中」表示になっている場合がある。しかも閉架本だ。一瞬何を言っているのかわからないかもしれないが「貸出不可の図書館の閉架本が貸出中」という矛盾に満ちた事実には、戸惑うより先に怒髪が天を突いてしまう。これはいったいどうしたことなのだろう。誰にも貸さないって言ってたじゃない。私との約束は嘘だったの。というか私も借りたいんですけど教えてくださいお願いします。

そこで市区町村立の図書館だ。これらの図書館では、近郊に希望する書籍がなければ都立図書館から借りだして貸してくれるサービスを提供している。もちろん、すべての書籍について図書館間貸出を行っているわけではないし、貸出した館内での閲覧のみの図書もあるなど、制限はある。しかし確実に借り出せる本や自由に複写できる可能性が増えるのだ。これを使わない手はない。そうなると、一周回って戻っていくべきところは、地元の公共図書館なのではないだろうか。

地元の図書館に、大学院生として求める本のすべてが所蔵されていることを期待するのは、虫がよすぎるだろう。しかし利用する方法を吟味すれば、助けになってくれる可能性は充分ある。そうすれば、少なくとも麻布一等地へのハイキング回数は確実に減らすことができる。交通費節約はもちろんのこと、時間節約も大きなメリットだ。貧乏院生は細々としたバイトで糊口を凌いでいかねばならないから、ちょっとした時間も大切なのだ。

望むらくは、せめて、図書館のレファレンスサービスに駆け込んだときに、「そのようにお困りなら、こういうことができるので利用されてはどうですか」と、図書館の側から積極的に提案してくれるとよいのだが――「このようなことができるようですが、どういう手続きをすれば私もその状況が享受できますか」と素人が自分から言えるまでには、なかなかに時間がかかる。先に「卒業が延びれば学費が余計にかかる」と書いたとおり、貧乏大学院生にはそんな余裕はないのである。

(つづく)

執筆者紹介

山田苑子
貧乏社会人大学院生。テーブルトークRPGと舞台芸術を養分に育ち、学生時代は薄い本作りに全財産をつぎ込む。大学卒業後は夢のサラリーマン生活を6年送った後、不適合の烙印と共に一転、個人事業主に。音楽とITの狭間で働き、趣味は積読と睡眠。母親から譲り受けた季刊誌『銀花』の山を売りあぐねている。剣道三段。