政治参加の多様性とメディア

2015年11月5日
posted by 工藤郁子

今年はいつになく「政治」に注目が集まった。そこで散見されたのは、直接参加への過剰な期待か、免罪符としての民意の利用か、現状への諦念だった。しかし、社会学者の高原基彰氏の言葉を借りれば、「『大衆の直接的政治参加』と『選挙がすべて論』の間に存在する『多様性』こそが論点になってきた」はずである。署名、ロビイング、世論喚起など、選挙とデモの間にある「多様性」を生業の場としてきた者として、その豊かさと厳しさを描き出してみたい。

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「今の”隷属”は小選挙区制とネットにより生まれた」。ジャーナリスト田原総一朗氏によるこの挑発的な帯文とは裏腹に、西田亮介氏の『メディアと自民党』は、自由民主党の「意図」を読み解くことで、政治に緊張感をもたらす方法を提案する穏当な著作だ。議論の穏当さは、知的刺激を全く損なわない。ありがちな感情論や規範論という「落とし穴」にはまり込むことなく、メディアと政治の「戦後レジーム」の再構築をしようとしている。

自民党・ネット・電通

自民党とメディアについては、すでに数多くの分析がある。本書の独自性は、自民党と関係をもった「民間企業への注目」と「歴史的文脈とその前提」を踏まえたところにある。特に、前者については、自民党から(主として選挙での)広告・広報業務を請け負った広告代理店の株式会社電通、さらに、PR代理店やIT企業などにも西田氏が自ら取材をしており、貴重な内部資料も入手している。例えば、自民党のネット選挙を支援する分析組織「トゥルース・チーム(T2)」が、2013年の参議院議員選ですべての候補者に配信していた日々のレポートなどは、PR業界にいても入手は難しいだろう。

資料から伺える内情も面白い。「今日の打ち手」と題されたT2のレポートでは、「原発の再稼働問題は安全確認が第一で、原子力規制委員会の判断を尊重することを強調」するよう候補者に勧めていたことがうかがえる。また「自民党のメディア露出量と政党別露出量シェア」もレポートしており、テレビ番組やウェブメディアなどで、自民党への言及がどれくらいあったかグラフで直感的に把握できるようになっている。「今日の世の中キーワード」では「これでつかみはOK!演説ネタ」という小見出しがついているとおり、「猛暑」や「日銀判断」などの時事のトピックが使用例と解説付きで一覧化されていた。コンパクトでわかりやすく、多忙な選挙対策本部でも遊説や会見で活用できるように配慮されていることが見てとれる。こうした部分だけでも、資料的価値がとても高い。

それだけでなく、本書は「ときにスリリングで、ときに惰性的で辟易とするような状況」を資料と証言から析出している。その手つきが丁寧で、推理物のような面白さがある。西田氏の導きだした「蓋然性の高い推論」が妥当かどうかは、どうかご自身で読んで判断してほしい。

属人的な関係から、データによるマネージメントへ

素晴らしいミステリーは「犯人」が分かっていても面白い。だから、本書における推論をここで少しだけ種明かしをしておこう。

西田氏は、メディアと自民党の関係を「慣れ親しみの時代」(2000年代以前)、「移行と試行錯誤の時代」(2000年代以降)、「対立・コントロール期」(2012年以降)の3つに区分する。

「慣れ親しみの時代」には、べったりとした長期的な人間関係のなかで「政治はメディアの求めるところを斟酌し、メディアも政治(家)の望むところを慮った」。インサイダーだからこそ得られる情報から権力批判が行われていたのだ。他方で、日本のジャーナリズムの「因習」が生じたのも、この時期だ。

しかし、メディア環境が複雑になり、人々の価値観が多様化した。また、小選挙区制が導入されて、目先の当選が最優先されるようになり、政治家に対する政党の影響力が強くなった。こうした変化に応じて、「移行と試行錯誤の時代」では、マーケティングやPR、パブリックアフェアーズの技法を政治側が取り込みはじめた。勘による選挙からデータによる選挙に移行しようとしたのである。PR会社の協力を得て、世論調査の結果などをもとに、イメージを徹底的にコントロールしようとした。「ワンフレーズ・ポリティクス」の「劇場型政治」によりメディアを席巻した小泉政治も、元総理本人のキャラクターだけでなく、自民党内における戦略と組織能力も発揮された事例だと西田氏は指摘する。

「試行錯誤」とあるとおり、問題も存在した。その一例が、PR会社が郵政民営化のプロモーションを提案した際に登場した「B層」というコンセプトに対する批判である。「B層」は、小泉内閣の支持基盤であるとされ、「(政治について)具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」とされていた。有権者を侮蔑しているようにみえる表現だったため、野党やメディアから激しく追及されることになった。さらに、タウンミーティングの「やらせ」が発覚するなどの事態も生じた。(なお、折しもPR代理店のステルス・マーケティング問題が話題になっている現在、自民党が自身でも検証を行い、広報戦略の行き過ぎを認めている点は銘記しておきたい。)

駆使されるイメージ政治と、圧倒されるメディア

「対立・コントロール期」である現在、バラマキ型の広告・広報は鳴りを潜め、手法が洗練化・精緻化されている。「現代政治のメディア戦略は、あくまで形式的合法性の範疇にある」のだ。プロパガンダでも捏造でもなく、「事実」を効果的なアングルと適切なタイミングで提供・発信することで、特定の政治的主題について有権者の関心と自発的な政治行動の選択を動機づける。

このような文脈のなかに、本書は自民党のネット戦略を位置づけており、前述したT2やJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)などについて検討をしている。自民党は「メディア・パワーを最適にコントロールするべく、硬軟の手法を取り交ぜながら、絶妙にハンドリングしている」のだ。(お気づきの方もいらっしゃると思うが、これは高木徹氏の『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア戦争』で描かれた世界の延長線上にある。当該書籍を興味深く読んだ方は、きっと本書も面白く読めるはずだ。)

自民党側がメディア戦略を変更していった一方で、メディアの側は環境の変化を適切に把握できず、昔と同じ報道手法(「速報、取材、告発」)をとりつづけていると西田氏は批判する。政局や政策に議論を進める前の、認知と好悪の段階で勝敗の大部分は決している以上、その誘導を分析・整理するのがジャーナリズムに期待される役割である(「整理、分析、啓蒙」)というのが西田氏の指摘だ。

政治参加という空白

ところで、本書は「書かれていること」だけでなく「書かれていないこと」でも雄弁な物語を紡いでいる。

例えば自民党の広報戦略に焦点を絞ったために、資源動員論が前景化されており、政治参加が後景に退いている。SEALDs やロビーイングなどへの言及もあるが、添え物程度だ。「メディアと政治」の全体構造を分析することが目的であるならば、不十分な印象を受けるかもしれない。

しかし、これは情報の非対称性の暗示でもある。「政府、政党、政治家」「有権者」「メディア」という3種類のステークホルダーのうち、自民党のみがポピュリズムを刺激する方法を知悉し、戦略をもってガバナンスを構築し長期的な取り組みをしている。人々の世論とデータ分析を主戦場とする「新しいゲーム」に対して、メディアも、有権者も、(そして、野党も)いまだ習熟しているとはいいがたい。本書は、政治参加にあえて言及しないことで、そのような構造的な課題を浮き彫りにする。「政策形成に間接的でありながら大きな影響を与えうるメディア戦略や手法の改革、組織能力の向上が自民党に一極集中している」ことで、イメージや印象によって政治が駆動される「イメージ政治」を過剰に促進することが懸念されているのだ。

「自由への道」と喧伝された主義主張が、実は「隷属への道」であると喝破したのはハイエクだった。今は、(好悪による選択が増えるばかりでなく)主義主張で選んでいるつもりでも、好悪の問題に帰着するような構造が設計されているのではないだろうか。

「理の政治」のプラットフォーム

また、本書で西田氏は、動員システムと社会システムの輪郭を塗りつぶすことで、空白地帯を明らかにしている。(たとえ「年金選挙」「郵政選挙」などと称されていても)政策に関する議論と「理」のゲームが不足していたことが示されているのである。

もちろんこれは政策的争点が不透明だったという社会的要因が大きい。諸外国と比較すると、2000年代に入るまで、日本では労働、福祉、移民があまり争点にならなかった。また、地方と都市の問題も、開発と政治改革により曖昧になった。しかし、今では前記の課題に直面しており、短期間での軟着陸を迫られている。

政治の機能不全は、政治内の問題ではなく、外に原因がある。政治システム外の制約要素である公共圏の不存在と、それに起因する政治不在。解消する鍵は「理の政治」のプラットフォームにあるだろう。しかし、それを営むという「明らかに労多くして、そしてかつてよりは果実の少ない仕事を担う」のは誰なのだろうかという問いを、本書は私たちの喉元に突きつけている。

執筆者紹介

工藤郁子
慶應義塾大学SFC研究所上席所員、マカイラ株式会社コンサルタント。
1985年東京都生まれ。オンライン署名プラットフォームを運営する Change.org, Inc.、戦略コミュニケーション・コンサルティング会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社を経て現職。専門は情報政策と広報。共著に『ソーシャルメディア論 つながりを再設計する』(青弓社)、論文に「共同規制とキャンペーンに関する考察」(情報ネットワーク・ローレビュー第13巻第1号)、「情報社会における民主主義の新しい形としての『キャンペーン』」(法学セミナー2014年1月号)など。