アメリカの電子書籍、“ブーム”は終了

2014年4月8日
posted by 大原ケイ

2013年の書籍総売上の数字がAAP(全米出版社協会)から発表された。これは会員となっている約1200社の売上(つまり卸値)を計上した数字で、日本で書籍の売上が発表されるときの末端小売価格での本の総売上げとは違うのでご用心を。

書店での総売上金額は、ニールセン社がやっているPOS集計の書籍売上サービスBookScanの数値などから想定するしかなく、具体的な数字は今年後半にならないと上がってこないだろう。AAPの数値にしても、メンバー社の報告のみなので全てをカバーしているわけではない。

それによると2013年の書籍総売上は約150億ドル、前年比で1%増。私が機会あるごとに日本の出版業界に向けて言ってきたように、アメリカは日本のような「出版不況」という状況にないので、2008年9月のリーマンショックの翌年を除けば、書籍の売上はここ15年ほど毎年数%ずつ微増している。この間の米経済インフレ率を考慮すれば、「横ばい」ということもできるが、とにかく、日本のようにここ18年間どんどん落ちっぱなしではない。かといって、Eブック台頭により書籍全体の売上が劇的に増えたという事実もないが。

“ブーム”は終了、三割でまず定着か

とくに2013年の前半はどのジャンルも売上ペースが落ちていて、このままだと2013年はマイナス成長かもと心配されていただけに、年末にかけてクリスマス商戦でかなり盛り返したということができるだろう。一昨年はYA(ヤングアダルト、つまりプレティーンからティーンエイジャー層のマーケット)にカテゴライズされる『ハンガー・ゲーム』三部作や、(内容的には緩エロぐらいだが)ロマンス本に分類された『50シェイズ・オブ・グレイ』三部作というメガベストセラーが売上を牽引していたので、それに代わる地道なヒット作が増えたというのも、業界全体にとってはいいニュースだ。いやもう、この2作の快進撃にはちょっと飽きていたので……。

詳しいレポートは有料でAAPのサイトからダウンロードできるが、フォーマット(ハードカバー/ソフトカバーなど)やジャンル(一般書、専門書、児童書/YA、宗教関連など)による内訳が大部分である。みんなが知りたいEブックについては、売上シェアが全体の27%という数字。

要するに、あれだけ騒がれてきたEブックだが、アメリカでさえも三割いかないというわけだ。2年前、前年比での成長率が250%という数字が出ていた頃は、IT関連の予想屋が「数年のうちに本の八〜九割がEブックになる」などと言っていたが、IT系のニュースサイトやブログでそう豪語していたライターたちがいかに実際に本を読んでいないか、PV稼ぎに大げさなことをいっていたかわかろうというもの。出版社の中の人たち(たとえば私が仕事上出会う編集者ら)は、三割いかない、という数字にけっこう安堵している。

しかも一般書でいうと、2012年は前年比で33.4%の成長率だったのに、2013年は3.8%。この数字の種明かしをすれば、出版社から出ているEブックはもはや急成長していないけれど、著者がセルフ・パブリシングで出しているEブックにかなりの読者が流れたということだろう。ただし、こちらは刊行点数が増えても、ほとんどが数ドルという値段設定のため、Eブックを出せば誰もがウホウホと儲かるものではなく、ISBNもついていないし、著者が売上を申告してそれを計上するシステムもないので、一体どれだけの数が出ているのかも掴みきれない。

この5年ほど、日本の出版業界関連の人たちが次から次へとアメリカにやってきては、アメリカにおけるEブックがパイオニアとしていちばん進んでいるという考えの元に、その実態を掴もうとしているが、いまとなっては本を買う場合に、紙かEブックかという選択肢のあることがあたりまえに定着したということだろう。

以下に、数字では見えにくく、日本とは根本的な部分が違うことがあまり理解されていないと思われるアメリカの書籍市場の特徴を列挙する。

セルフ・パブリシングについて

アメリカ人は基本的に自分で自分をアピールしてナンボ、という個人成果主義の国であり、教育においても「褒めて伸ばす」傾向があるので、アメリカ人は、自分が本を読まないにもかかわらず、みんながみんな「自分にはベストセラーが書けるはず」と思い込んでいる。アメリカの出版社のほとんどが持ち込み原稿を見ないのも、文学新人賞を創設して素人原稿を集めたりしないのも、それをやると玉石混交どころか、石ばかりが飛んでくるから。本の企画や原稿を最初の段階で選別する目利きとしてリテラリー・エージェントがいる。

出版社に断られ、エージェントを見つけられない人が、それでも自分で出版できる手段として、Eブックを出し始めた。もちろん中にはごく稀に口コミで「おもしろい」という風評が立って、出版社やエージェントの目に留まり、紙バージョンを出版するまでにいたる本もある。アメリカではKDP以外にもフリーランスのブックドクターとか、装丁屋など、色々とセルフ・パブリシング向けのサービスが充実しており、セルフ・パブリシングによる著者の情報交換も盛んだ。しかしやっぱり「出版社から紙の本も出してもらう」というのがゴールになっている部分がある。Eブックでいくら儲けてもそれだけじゃ足りないと感じる人が多い。

いまのところ、セルフ・パブリシングのEブックは1冊1〜数ドルの価格帯が限度で、それ以上の値段をつけると売れなくなり、一方で、出版社から出ている新刊のEブックは10数ドルというのが相場。出版社の付加価値が10ドルだと思えばいい。Eブックのおかげで、誰でも本が出せるという裾野は広がったが、同時にエージェントを付けて出版社から出すことの意義があらためて見直されたとも言える。

アメリカで出版社がつくということは、搾取されないようにエージェントがしっかり印税や版権を管理してくれて、アドバンス(印税の前払い金)という形でまとまったお金をもらえて、出版社が編集、製本、流通、さらにはマーケティングを請負い、数年間(数作)のコミットをしてくれる、ということでもある。

これが日本だと出版社から本を出したところで、副次権などの管理はやっぱり自分でやらないといけないし、初版部数はどんどん少なくなっているし、1冊ごとに違う出版社を探さないといけないし、自分の本がどこでどれだけ売れているのかいないのか、さっぱり知らされないし……。だったら自分でEブックを出しちゃえ、と思うのも無理からぬ気がする。

セルフ・パブリシングについては、アメリカでは「クオリティーの低いものが大多数」だということを前提に考えた方が良い。そして日本では、いまここで出版社が自らの価値を著者に示せないなら、ますますコンテンツが集められず、ダメになっていくと思っていいだろう。とくに医学的に何の証明もされていないどころか間違っていて健康を害しそうな健康法の本(アメリカだとすぐに集団訴訟が起こる)、ウラとりもろくにしていなかったり剽窃を含むノンフィクション(これも訴訟になって版元が回収せざるをえなくなる)、著者やテーマが旬だからって誰かが聞き取って書き写しただけのような量産即席本(アメリカでは事前パブをしないと書店に並ばないので売れない)、誤字脱字の簡単な校正だけで急いで出したような即席本(前に同じ)……。そういったコンテンツを量産して自転車操業をしている出版社はそろそろ持たなくなるだろう。

その一方で、コボのWriting Lifeも始まり、他のセルフ・パブリシング向けサービスが次々と出始めたら、出版社の存在意義ってなんだろう?ということになる。セルフ・パブリシングの本に対抗してEブックの安売りをしている場合じゃないと思うのだが。

マンガはメジャーじゃない

紙バージョンで出ていた日本のマンガが物珍しさも手伝ってアメリカでも注目されていた時代(2007年あたりがピーク)はもう終わった。これからアメリカでは、オンラインで売り出すことを考えない限り、「クールジャパン?なにそれ?」という状態になっていくだろう。有料マンガ・アニメ配信サイト、crunchyroll(クランチーロール)も個人的には始めるのが5年遅かったと思う。そして日本の「萌え」文化は、意外にお堅いアメリカ市場で「エロ」として引っかかる可能性がある。何でもかんでも輸出していると、すぐに発禁というしっぺ返しをくらうだろう。

一方で、アメリカ版のマンガ的コンテンツと言える「グラフィック・ノベル」は、紙で丁寧に作り込んでいくとか、マニア向けの豪華装丁版を作るとか、クラウドファンディングで読者を確保するとか、Eブックとは関係ないところでサバイバルの道を模索してる。

日本は良くも悪くもマンガの売れ行きが出版社を支えている部分があるので、Eブックになってもマンガは重要なコンテンツなのだが、すぐにリフロー可能な英語のテキストコンテンツと違って、データ量がハンパない。そもそもキンドルデバイスの仕様だって、日本で売られているものはローカル端末のストレージ量がアメリカのキンドルの2倍になっているくらいだ。アメリカだと、アマゾンが本をダウンロードするデータ量ぐらいだったらということで3G回線を付けたモデルで十分使えるが、マンガのDLにはWi-Fi環境が必要だろう。

アマゾンはセルフ・パブリシングの著者に対しては、回線使用料を印税からさっ引いてくるので、マンガをセルフ・パブリシングで出している、出そうとしている人にとってはデータ量は大きな問題だ。そういえば先日も、「Amazonでマンガを100円で出せなくなる?」という日本のマンガ家さんのサイトを見かけたが、こういうことはアメリカでは全く問題になっていない。このあたりをどうしていくかは日本の人たちが自分で考え、システムを構築していかなければならない。キンドルやコボがローカリゼーションで対応するには、マンガの売上でコストが回収できる前提がないとだめだろう。

リテール全体の形態が大きく変わっているのであって
「本屋さんがなくなる」問題ではない

アメリカではバーンズ&ノーブルやブックス・ア・ミリオンのような大型チェーン店と小規模のインディペンデント系書店には大きな乖離があるので、「Eブックのせいでどんどん本屋さんがつぶれている」などと思うのは大きな間違いだ。

リーマン・ショックの後はとくにガソリンの値段が上がり、代わりにネット回線の発達によって、アメリカ人、なかでも消費を支えてきた中産階級は、買い物をするためのモール(デパートといくつもの小売店が集まったショッピングセンター)や「ビッグボックス」と呼ばれるその他の大型店から足が遠のいている。こうした背景を理解しないと、書店についてもその実態が掴めない。

業界規模第2位だったボーダーズが倒産したのもEブックのせいばかりとは言えないし(これについてはこの記事で詳細に検証済み)、バーンズ&ノーブルも、自らがヌックというハードウェアを作っている部分では大きな失敗をしたわけだが、オンラインのBN.comでは、Eブックも紙の本も、アマゾンに負けないくらいのディスカウント率で売りまくっている。一時期は全米に500店ほどあったメガストアも、各店舗の賃貸料や売り場面積単位での売上によって、少しずつ縮小する方針でクローズしているので、潰れまくって困っているというわけではない。

その一方で、インディペンデントと呼ばれるアメリカの小さな書店は、これまでもEブック以外の敵(1970年代のモールチェーン店、80〜90年代の大型店、2000年前後のオンライン書店)と戦い抜いてきたので、残っているところは足腰が強いし、この3年ぐらいは全体数も差し引きで少しずつ増えているぐらいだ。しかも「アマゾンは敵」と明確に理解していて、同じ土俵で戦おうとはこれっぽっちも考えていない。とりあえず、Eブックを望む読者に対応して、全米書店協会指定のEブックデバイス(いまはコボ)を置いたりもしているが、積極的に売っていない。むしろアマゾンにできないことを常に実行してサバイバルの道を模索している。自動配本で送られてくる本を並べて「売れないなぁ」などと悠長なことを言っている本屋は一軒もない(そもそも自動配本制度がないので)。

YAというカテゴリーから大ヒットが生まれる土壌がある

数値的には「児童書」と一括りにされることが多いが、アメリカでは10代前半ぐらいの読者マーケットが明確に分かれていて、「ハリポタ」シリーズの一大ブームでYAは老若男女の読者に広がるベストセラーを生み出せるカテゴリーとして注目を集め、出版社もこの層をターゲットにヒットをしかけるようになった。女の子が吸血鬼と恋に落ちる「トワイライト」シリーズや、アメリカのテレビで人気のリアリティー番組と近未来の戦争を背景に少女が救世主となる「ハンガー・ゲーム」のシリーズもYAから一般読者に広がったヒット作だし、「50シェイズ」も実は、もともと「トワイライト」のファンサイトに投稿されたセルフ・パブリシングのEブックから火が付いた。いまも「ダイバーシティー」シリーズの映画化第一作が公開され、シナジー効果で原作がヒットしている。

これとは全く別の年齢層である、いわゆる「児童書」については著者も出版社もEブック化に慎重に対応してきた。本を読みはじめたばかりの世代にいきなりタブレットで本を与えることがいいのか、という議論もされたし、児童書最大手スカラスティック社は、児童書の表現世界をちゃんとデジタルで再現できるまでは、うちはEブックで出しません、とも言ってきた。ここに来てタブレットもだいぶ安くなり、Wi-Fiでの高速回線が確保された地域が広がったことから、Eブック化はまだまだこれから、というジャンルだ。

人が本を読まなくなっている、と諦めてない

このところ日本でも毎年、企業がこぞってジョークホームページを作ったりしているエイプリル・フールだが、アメリカで「これは一本まいりました」とみんなが感心していたのがNPR(National Public Radio、つまりNHKみたいな公共メディアチャンネル)のニセ記事だ。

Why Doesn’t America Read Anymore?というタイトルで本の写真が付いた記事をフェイスブックにアップ。多くの人が即座に「そんなことないもん!」「読んでるよ!」「NPRのウソつき!」とコメントを付けてSNSで流したのだが、最後までフェイスブックの記事をちゃんと読むと「エイプリルフールでした。最後までこの記事を読んでくれた人、ありがとう。これからもNPRをよろしく」というメッセージが出るようになっている仕掛けだった。

このジョークに引っかかった人、引っかからなかった人が自らのフェイスブックページで「本に限らずアメリカ人は長い文章を読まなくなっているのか」という議論を繰り広げていたのをリアルタイムで追っていたので、感慨深い。

アメリカはもともと、みんながみんな本を読むことに期待していないというべきか、読書人口では日本とそんなに変わらないと思われる。でもやっぱり本が好きな人は好きだし、何が面白いのか自分たちで見つけてくるし、ちゃんとそこにお金を使っている。著者は著者で、そういう読者と自らコミュニケーションをとることを厭わないし、本は「モノ」ではなくて、メッセージをやりとりする「ツール」だと割り切っている感じがする。だからこそ自分で納得した上で、紙の本を買うか、Eブックをダウンロードするかを選択しているといっていいだろう。

このあたりの“出版文化”の違いは、数字で根拠を示せと言われてもムリなのだが、AAPの数字ではわからない部分を説明すると以上のようになる。

ということで、アメリカではもうEブックはそれだけではニュースにもならないし、日本がこの先、参考にできる部分も限られていると思われるので、後は自分たちでどういうシステムを構築し、どう電子書籍とつきあっていくかを決めるべきだろう。

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執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。