30年後の出版界のためにいまできること

2010年1月8日
posted by 梶原治樹

出版という産業は「拡散」に向かう

今回、編集部(注・初出は「新文化」紙)から私に与えられたお題は「いま30代半ばのあなたが出版界を引退するころ、出版産業はどう変わっているのかを主にデジタルの視点から想像した上で、いまの出版関係者に向けて書いてほしい」というものだった。たとえば30年後、明らかにコンテンツ流通の状況は変わっているだろうし、著作者と編集者、読者との関係も変わっているのではないか。電子ペーパーが完全に普及し、紙だか電子だかよくわからないものを使って、みんな本を読む時代になっているかもしれない。

では、そうした未来を控えて我々は何をなすべきなのか、どういう意識を持って自らを変えていくのか、というのがここ数年間の自分たちの課題なのではないかと思う。

私は出版社で12年にわたり働いてきたが、その短い間でありながら、宣伝、雑誌編集、営業、経営企画とさまざまな職種を経験できた。ここ3年間はデジタル事業部門に移り、電子書籍やWebサイトの製作・営業といった新規事業を中心に行ってきている。出版社の「本流」から外れた所にいることで、かえって出版産業やコンテンツビジネスを客観的に見る機会に恵まれた、と思っている。

出版「不況」という言い方は、最近あまりされなくなってきた。「不況」であれば「好況」のときが来なければいけないが、もはや誰も、この状況を景気のせいのみと捉えていないだろう。

では、出版は「衰退」していくものなのであろうか。私はそうとも思っていない。明らかに一般人が文字を読む量は増えているし、自らがブログなどで情報発信する機会も増えた。出版という産業は「拡散」の方向に向かっている、と言える。

小林弘人氏が「誰でもメディアの時代」と言ったように、情報発信は誰でもやろうと思えばできるようになったし、受け取るほうの選択肢も格段に増えている。同人誌やミニコミ誌を作り自主流通で売り続ける若者は数多く存在しているし、ブログなどを使って十分食べていける収入をあげている著者も少なくはない。そういう意味では、Yahoo!やアメーバだって、立派な「コンテンツ流通業者」である。

「編集」も読者がする時代

流通だけではない。じつは、出版社の最後の砦と思われる「編集」という作業すら、もはや出版社の手を離れて、読者の側にシフトしつつある、という状況を忘れてはいけない。Yahoo!やグーグルなどの「マイページ」機能では、自分の好きな情報を画面上の好きな場所に置くことができる。RSSリーダーを使って、自分の好きなブログの更新情報だけを拾い、読むことができる。Twitterを使えば、ほぼリアルタイムで自分の関心ある情報だけを得ることができる……。

いくらコンテンツホルダー側が頑張って自らの権利を主張しても、「読者が持っているモニターの編集権」は、すでに読者側に移っているのだ。まず、そのことを我々は自覚しないといけないだろう。

「情報や言論の発信活動」がもはや特権的なものではなくなっている中で、何をしていくべきなのか。もちろん、戦略はひとつではない。「あえて戦わない戦略」だって、私は十分あると思う。あるいは、「課金の壁」を作って自らの重要なコンテンツを囲い込み、無料コンテンツで集客しながら有料コンテンツで商売をする、という世界もある。

ただ、いずれにしても、「出版人は、『誰でもメディア時代』の先頭を切って走るべきだ」と私は思っている。世の中の全員がプロの出版人になるわけではない。サッカーを自分でやる人は格段に増えているが、その一方で、オカネを払ってプロの試合を観にいく人だって多い。むしろ自分でプレイしている人ほど、実体験があるぶん、プロの試合をより楽しむことができるのではないか。出版も、やっぱりお客さんに喜んでもらえるプロのプレイをすることに尽きるのではないか。

もちろん、プロだってたまにはアマチュアに負けることもある。一生に一回なら、アマチュアでもスーパープレイができる。しかしプロである以上、平均点を常に高く保つべきだと思っているし、それこそが「読者の信頼にたるコンテンツ作り」につながっていくのではないだろうか。

「人材発掘」はプロの仕事

プロ球団としての経営を考えるのであれば、当然ながら新人育成が必要だ。それは出版社だって同じことだろう。下部組織としてジュニアチームを作り若い人材を育成するように、我われはメディアを使いながら優秀な人材を発掘していくべきだ。

最近、私が関わった仕事の中では、40代向け女性誌『EFIL』の創刊が一つのモデルケースになっている。雑誌にとってはまさに逆風の状況の中で、規模は小さいながら着実な実売を保つことができている一つの要因に、創刊1年前から立ち上げたWebサイト『EFiL.net』がある。同サイトは創刊時までに1万人の女性会員を集め、編集部と二人三脚で運営を行ってきた。現在では読者の声を拾うツールに、新たな連載作家の育成と囲込みに、新企画の実験の場所に、雑誌広告とWebとを組み合わせたクロスメディア企画の実現に……と、さまざまな面で使われている。

何より嬉しいのは、編集部の一人ひとりが「雑誌もWebも自分たちのメディア」ととらえ、企画作りに結びつけている点である。作業負担も相当なものになってしまい、Web側としては申し訳ない気持ちもあるが……。大事なのは、「出版社のデジタル活用が、一部の部署だけのものになってはいけない」ということだ。

すでに、企画のための情報収集から始まって、執筆、制作、流通、販売……すべての段階にデジタルメディアやデジタルデータは深く入り込み、欠かせないものになっている(いまや出版社営業担当がPOSデータを見られなくなったら、大変なことになるだろう)。「デジタルは専門部署だけでやっていればいい」では、間違いなく済まされない状況になったと私は思っている。

デジタル化だけでなくマーケティングを

さらに、いま出版社に何が必要かと問われたら、私は「マーケティング」と答える。こんな話をすると、「読者の声ばかり拾っていても、売れる本は作れない」という声が聞こえてきそうだが、大抵の場合そういう人は「マーケティング=市場調査」と考えているのではないだろうか。マーケティングとは「売れるための仕組みづくり」であり、市場調査はその一部分でしかない。

出版社は今まで、非常によくできた出版流通の仕組みを特権的に用いることで、ある意味、本作りに集中することができていた。しかし、今は一冊一冊ごとに、売るための導線作りを考えなければいけない時代になっている。既存の書店流通にも、まだまだ取り組むべき課題は多数ある。宣伝、パブリシティの仕掛け方ももっと科学的に考えなければならない。

書店外における書籍流通の仕方だって、きちんと真剣に研究し、取り組まなければいけないと思っている。などと「新文化」で書くと、怒りだす方々も多そうだが……。もちろん、既存の出版流通、書店との関係は今も最重要であることには変わりがない。大事なのはすべての市場を俯瞰的に捉えて、必要なところに必要なプロモーションを全力で行う、その体制作りにあるのだ。「書店のことは営業部が」「宣伝は宣伝部が」という縦割り意識の中では何も新しい市場は生まれてこない。

出版に限らず、いまはすべての企業がマーケティング部門の再編成を課題にしている。「宣伝」「販促」「広報」「ユーザサポート」などの組織の枠組みを見直し、戦略的にマーケティング・コミュニケーション体制を編成していくべきだという空気に変わりつつある。そのような企業の人たちに対して、出版社の側が「ウチの部の仕事はここまでで、あとのことは知りません」という態度でいて、うまくいくわけがないだろう。

一つひとつの本に対するマーケティング戦略が明確に建てられたうえで、その手段の一つにデジタルメディアの活用があるのだ、と私は思っている。出版社にとって、デジタル化とは生き残りのための「必要条件」であろう。しかし、「十分条件」ではない。「紙がデジタルに置き換わればすべて安泰」なわけではない。

現在の「電子出版」はゴールではない

また、私自身は現在の電子出版の世界がゴール地点だとはまったく思っていない。ケータイコミックがかなり大きな市場となってきたが、これとて、もしかしたら「ケータイ小説」と同様、大がかりなブームの後に一気に落込みが来るかもしれない。一方で、一度は日本で死に絶えた電子書籍専用端末が、米国でキンドルなどがヒットしたのをきっかけに再度登場し、市場を席巻する可能性も十分ある。

そのために、いま我われは何をすべきか。
私は「どんな世界が来ても良いように準備しておく」ことが必要だと思っている。そして、そのためにしておくべき重要なことの一つが「明確な権利処理」のモデルづくりであろう。

アニメや映画の世界では、すでに映画・DVD・関連商品・テレビの放映権などをトータルで考えたうえでライツ処理を行い、制作や宣伝の予算を考えている。コミックをのぞいた出版の世界では、本業の紙の売上げが大きく、電子出版の売上げはごく一部であるため、まだそのような考え方は浸透してない状況であろう。

しかし、長い目で見ると「紙以外のデバイス」で本を読む機会は広がってくるだろう。その時に、著作権者とどのような出版契約を交わすのか。雑誌であれば原稿料の枠組みでどこまで電子化ができるのかのルール作り、あるいは電子化により新たな収益が発生した場合の配分について考えなければならない時代になってくる。

すでに、そのあたりの意思統一を進めている出版社もあるという。これについては、自社のことを棚に上げてしまっている。今後、意識改革が必要な部分だと思っている。

私もメンバーとして参加している日本雑誌協会のデジタルコンテンツ推進委員会も、まさに同様の考え方に基づいて活動をしている。現在は実証実験の準備中で、私自身も実験用ポータルサイト構築に腐心する日々なのだが、決して「サイト作り」そのものがゴールではない。

基礎部分のインフラとルール作りを急げ

最も大事なのは、情報を流通させるための基礎となる部分である。この基礎部分を、各社がばらばらに、好き勝手な方法で取り組んでは、最終的に使い勝手の良いものにならないだろう。

基礎となる部分は、デジタルデータ作りのフォーマット、ライツ管理の統一ルール、書誌情報や検索用メタデータ、課金決済や読者管理を行うためのプラットフォームなど、多岐にわたる。共通化できるところは共通化し、コンテンツの中身やビジネスモデルの部分では各社が切磋琢磨して競い合えばいい。結果として、ジャンル別に違った発展の仕方をしていくことは当たり前だし、極端な話「ウチの雑誌はデジタル化しません」というのも、十分あり得ると思うのだ。

私の属する出版社も含め、いまは余裕をもって経営ができている会社など、ほとんどないだろう。そんな状況で現業を必死にこなしながら、「新たなことをやれ」「考え方を変えろ」というのは無理な話だ、と言われるかもしれない。猛スピードで走っているクルマの方向を急に変えることはできないのと一緒だ。企業として経営している以上、そのクルマを止めることはできない。それでも、走りながら方向転換をしていかなければならない。

これに対する言葉としては、月並みだが「変化を恐れるな」の一言に尽きるだろう。この言葉は、かつて私の所属する出版社から刊行された『チーズはどこへ消えた?』の一節に出てくる。9年前にこの言葉を全国の読者に届けた私たちこそが、今自ら実践しなければいけないことなのだと思う。

(初出:「新文化」2009年12月17日号)

※本稿は、出版社に勤務する筆者が、出版社、書店、取次等の出版業界に勤める方々を中心読者とする業界紙「新文化」に書いたものをほぼそのまま転載し ています。「読者は業界内部の人に限る」と意識して書いた文章を『マガジン航』に掲載することに迷いはありましたが、やはり、広く外の皆様のご意見もお聞 きしてみたいと思い、『マガジン航』編集部へ転載をお願いいたしました。

なお、こちらの原稿はあくまで私個人の意見をまとめたものであり、筆者の所属する組織、団体等における考え方や意見を代表するものではない、ということをお断りさせていただきます。

執筆者紹介

梶原治樹
(扶桑社)