出版流通の見えないダイナミズム

2009年10月21日
posted by 柴野京子

ほしい本が手に入らない、という声をあまり聞かなくなったような気がする。そうなのだとすれば、たぶんインターネット書店が普及したおかげで、古書も含めてたちどころに「ほしい本のありか」がわかり、二日も待てば手に入るようになったから、ということなのだろう。実際、インターネットは本を買うのに便利だ。アマゾンがあれば書店はいらないという人すらいる。しかしこのように展開すると、話はあっという間にきな臭い方向にすすむ。いわく、「インターネット書店は町の書店を滅ぼすのか」。

だがそういうところに行く前に、もう少し注意深く考えてみたほうがいい。「ほしい本」とは何か?「手に入らない」といっていたのは誰か?「ほしい本」についてのクレームがアマゾンの出現で消えたのならば、「ほしい本が手に入らない」と言っていたのは、アマゾン・ドットコムで本を買えるような人だった、ということになる。クレジットカードを持っていて、インターネットが使える、本好きの人。そして何より自分がほしい本をわかっていて、それを探せることが条件になる。これは、意外に高度な能力である。

そういう能力をもっている人にとって、本を探すことは仕事であり楽しみであり、日常だ。出版社の名前や作家を知っていて、ジャンルや判型についての知識もある。さまざまな手段で本の海に入っていくことができる。けれども、世の中には本に行きつく方法すら思いつかない人が無数にいる。いわゆる「書物」とは違うものを「本」と呼ぶ人もたくさんいる。それに、人は毎日本屋に通っていても、自分が興味のない本には気づかないし、そもそも本を買わない人がいることに気づかない。もちろん、そんなことに気づかなくても一向にかまわないが、出版流通の話は、実際にはそんなふうに、思いのほか限られたところで語られている。

ならば、少しだけ話を広げてみよう。日本の出版流通は、書籍と雑誌が取次という同じルートを通って、同じように書店で売られているところに最大の特徴がある。これは、日本の近代出版産業が雑誌流通を中心につくりあげられたことと深い関係があるのだが、書籍と雑誌の流通が同じである、というのはいったい何を意味するだろうか。

ひとつの模範解答は、利益率の高い雑誌のおかげで書籍にかかるコストが吸収され、出版業界全体が成り立っている、というものだ。しかしいっぽうではこうしたメリットと引きかえに、アイテムも少なく、定期性のある雑誌の流通スタイルが優先されたことで、書籍のきめ細かい対応―「ほしい本」への対応―がなおざりにされた、とも考えられている。このようなデメリットは、雑誌の極端な不振で利益構造があやうくなった現在、再販や委託のような取引慣習、二大取次の寡占といったことがらも巻き込んで、流通システム全体への批判としてクローズアップされている。

確かに、既存のフレームの中で、出版社―取次―書店というルートによる一元的な流通は、ビジネスモデルとしては限界に近づいているのだろう。だがこれもまた、自ら規定した「業界」内部の解釈にすぎない。そうした文脈をいったん離れ、社会の中で人と出版物をつなぐ装置としてのポジションを改めて観察すると、書籍と雑誌がカップリングされた日本の出版流通には、もっと別の効果があったはずなのだ。たとえば、店頭に雑誌の売場を備えている日本の書店は、とてもフレンドリーで入りやすい。駅やショッピングセンターにある書店などは、どこからが売場なのかわからないぐらいだ。そこでは、規模に応じてさまざまなジャンル、種類の出版物が許容される。

さらに言えば、世界を見回しても、また歴史的にみても、日本の人口あたりの書店の数というのはずば抜けて多い水準を保っている。これは出版物を総合的に取引するための流通システムが洗練されており、書店が参入しやすい商売であったこと、その結果、人と本が接する空間として、書店が最も身近に機能してきたことを示している。現在の出版流通は、およそ八十年前にはほぼ完成している。なおかつ、すべてジャパン・オリジナルなのである。構成、配置の両面でキャパシティの広いこの出版流通が、日本に特徴的といわれたぶ厚い中間的読者層の形成や、コミックというジャンルの成立に少なからず加担してきたであろうことは想像に難くない。

したがって、「出版流通の危機」が取り沙汰される現在、ほんとうに考えるべきは、安易なシステム解体論や、利益の見込まれそうな領域へのサバイバル参戦ではない。むしろ、そのような文脈から打ち捨てられそうになっているところを、もっとよく見たほうがいい。ものを言う人ではなく、もの言わぬ人々に向けて提供してきたものが何だったか、クレームとして表面に浮き上がってこないものが何か。それを丁寧にたどっていく先にこそ、「出版流通」が装置として、その本来のダイナミズムとしたたかさを発揮するフレームがあるはずだ。

(初出 『いける本、いけない本』第9号 ムダの会発行、2008.12.20)

執筆者紹介

柴野京子
(東京大学大学院学際情報学府博士課程・元取次勤務)※当時
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