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奥多摩ブックフィールドに行ってきた

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三連休の初日である11月2日、奥多摩ブックフィールドに行ってきた。しばしば「東京の水がめ」と称される小河内貯水池(奥多摩湖)の突き当りに、旧奥多摩町立小河内小学校の建物を利用した多目的スペース「奥多摩フィールド」がある。その旧職員室と校長室を利用して昨年の春にオープンした図書館だ。正式名称は「山のまちライブラリー・奥多摩ブックフィールド」だが、以下の記事では単に奥多摩ブックフィールドと呼ぶことにする。

公式サイト内にある開設顛末記にあるとおり、ここは基本的にはプライベート・ライブラリー、すなわち個人蔵書の置き場である。主宰者の一人である「どむか」さんは私の知人であり、以前から置き場に困っている本を何人かで場所を借りて移すという話を聞いていた。

もう一つ、以前に「出版ニュース」編集長の清田義昭さんとお会いした際、同誌の休刊後、出版ニュース社に置いてある出版関連資料をこの場に移すという話も伺っていた。あらためてさきの開設顛末記を読むと、ファウンダー会員には「専門家の蔵書活用を考える会(準備室)」の方のお名前もみえる。この場所には「専門家の蔵書活用」という裏コンセプトもあるのだろう。

そんなわけでいつかは奥多摩ブックフィールドを訪ねなくては、と思っていたが、そうこうするうちに秋も更けてしまった。開館日は基本的に毎月第一土曜日だけ、しかも「どむか」さんに連絡をとると、冬季は水道管が凍るので12月から2月までは休館だという。11月2日は、この機会に行かなければ次は来年春になってしまう年内最後の公開日だった。

旧小学校をそのまま利用した空間

実際に行ってみると、奥多摩はやはり遠い。新宿駅から青梅駅まで、青梅特快で約1時間10分。青梅駅から奥多摩駅までは35分(乗継ぎのタイミングが悪いと奥多摩駅まで2時間以上かかることもある)。駅から奥多摩フィールドまで、さらにバスで約30分。所要時間だけでいえば東京・大阪間の移動とさして変わらない。そんな長い道のりを、最後は奥多摩駅からバスにのんびり揺られ、小河内ダムと奥多摩の山々が織りなす景色を堪能しつつ向かった。

峰谷橋のバス停を降りると、湖の向こうに旧小河内小学校の建物が小さく見える。

奥多摩に来るのは、小学生の頃に鳩ノ巣渓谷まで来て以来である。秋の観光シーズンということもあり、バスの乗客は思いのほか多い。小河内貯水池(奥多摩湖)のへり沿いに進むこの通りは青梅街道である。やがて赤い大きな橋が見えてくるので、それを渡る手前の「峰谷橋」というバス停で下車する。タイミングがよいとさらに近い「学校前」のバス停に止まる路線もあるが、本数は少ない。

「峰谷橋」から10分程度歩くと、旧奥多摩町立小河内小学校の建物に着く。「都内に僅かしか残っていない築60年ほどのヒノキ造りの木造校舎」というキャッチフレーズどおりの、じつに味わい深い建物である。名前が紛らわしいが、旧小学校を利用した多目的スペースすべてをひっくるめた名称が「奥多摩フィールド」であり、その旧職員室に「奥多摩ブックフィールド」がある。職員室内を見学する前に、まずは建物全体をみてまわった。

旧職員室のあたりから玄関を見たところ。外光が入り込んで明るい。

多目的スペース「奥多摩フィールド」として当時のままの教室が使われることもある。

この建物は、1957年に小河内ダムが完成して旧小河内村(合併して奥多摩町となった)がダムの底に没した際に、現在の場所に移転したものだ。移転前から数えると開校から100年以上の歴史をもつ小学校で、移築後の建物も築60年以上だが、玄関も廊下も当時の佇まいを残している。そのため映画などのロケにもしばしば用いられるという。

出版関連資料とドイツ文学者の個人蔵書

ひとまわりして戻ると、出版ニュース社の清田さんも一足先にいらしていたことがわかった。旧職員室と隣の小さな部屋には、「出版ニュース」のバックナンバーをはじめとする同社の刊行物や出版関連の本がコーナー別に仕分けられている。「悩みは湿気とカビです」と清田さん。奥多摩ブックフィールド側でもあらかじめ湿気対策はしていたが、先日の台風19号と大雨の影響で、運び込んだ一部の本にいつのまにか間にかカビが生えていたという。この日はとても天気がよく、本の虫干しにはうってつけだった。

「出版ニュース」のバックナンバー一式が置かれている。

「社史」などジャンル別に出版寒冷資料も区分けされている。

奥多摩ブックフィールドのメンバ―(主催者やサポーター)は、決められた年会費を負担することで、自分の蔵書をここに置くことができる。ひときわ目立つのは、ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書だ。1980年代まで東京大学教養学部で教鞭をとられ、49歳の若さで急逝した石井さんの蔵書約2000冊がここに収められている。先の開設顛末記によれば、これらの本は「2トントラック2台で運び込まれ、200以上の段ボール箱はバケツリレー方式で棚まで」運ばれた。専門的な本が多いため、遺志を継ぐ研究者たちが丹念に整理したという。

ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書についての解説。

奥多摩町のローカルメディアと出会った

個人蔵書の一部は値段をつけて売られてもいる。お土産代わりに「どむか」さんのコレクションから「台湾版BIG ISSUE」のバックナンバーを一冊買った。国内外で購入した本や雑誌を「東京最西端書店」と称して、ここで一部展示販売しているのだ。お代は、瓶に入れる。おつりはなく、その代わりに横に置いてある「おつり本」を持っていく、という原始的な仕組み。

奥多摩町にはいま、本屋が一軒もないという。旧小学校の建物は様々なイベントに用いられており、その際に訪れる人たちがこの「本屋」のお客さんである。

サポーターなどが持ち込んだ本の一部は購入することもできる。

奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」が置かれていた。

このほかに気になったのは、奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」というフリーペーパーだ。奥多摩町の自然環境を活かし、ローカルメディアによくある「お店紹介」や「人物紹介」にとどまらず、山間部のサウンドスケープや夜間の景観などを特集しており、デザインもエディトリアルも魅力的だ。

山間部の人口減少や高齢化はどの地域でも大きな課題であり、このフリーペーパーには若い世代町への移住定住を促すという目的があるようだ。配布場所となった奥多摩ブックフィールドがそうした課題解決にも寄与できる場所になるかどうかは、これからの利用のされ方にかかっているだろう。

* * *

最後に、この記事を書くにあたって旧小河内小学校のことを調べていたら、東京都がYouTubeで公開している昭和32年(1957年)の記録映画「東京ニュースNo.85 小河内ダム」を見つけた。この映像のなかには、ダムに沈んでしまった移設前の小河内小学校の校舎と、現在の位置に建てられたまだ真新しい小学校の姿がどちらも見える。

「専門家の蔵書活用」を含めた個人蔵書のアーカイブとしてスタートしたこの場所が、地域の記憶や記録と結びつき、未来の世代に知識をつなげる場所になってくれたらどんなにいいだろう。春になったらまた、奥多摩ブックフィールドを訪れてみようと思う。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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