第6信(藤谷治から仲俣暁生へ)
仲俣暁生様
先日はお会いできて楽しかったです。お身体の具合がよくないと聞いていたので、いらっしゃらないだろうと思っていたのですが、案外お元気そうなので安心しました。
授賞式会場で見かけた人たち――その中には長年のあいだ愛読してきた小説家や、古なじみの書評家、そして書店員たちもいました――と、仲俣さんの手紙にあったひと言が、思いがけず自分の昔を思い出させました。
「あたかも批評が小説より優勢であるように思え、批評家が小説家より格好よいとさえ思えた時代」……。そうでした。ニュー・アカデミズムとか、ポスト・モダニズムとかいった言葉が、おしゃれで気取った響きを持っていたあの頃は、まさに「批評の時代」と呼ばれていたのでした(そういったのは大岡昇平だという話を、風の噂に聞いたことがあります。自分で確かめたわけじゃありません)。
まったくあの頃、八十年代といっていいのでしょうが、あの頃は僕も、批評ばかり読んでいました。柄谷行人や蓮實重彦といった、当時売り出し中だった批評家のものは言うに及ばず、吉本隆明や江藤淳など、すでにヴェテランだった人たちの批評、それに当時は、小説家もやけに批評を書いていました。批評を前提として書かれたような印象の小説や、批評そのものにしか見えない小説もありました。
もしもあのまま、批評や批評的小説ばかりを読んでいたら、それも批評的(?)に読んでいるだけだったら、僕は決して小説家になれはしなかったでしょう。またそのために僕は、四十まで小説を書けずにいたとも思います。そしてこれは、今にして思えばというような、事後的な解釈ではありません。
僕はある時――今世紀が始まって間もないどこかの時点で、かなり意識的に「文学を批評的に読むこと」と決別しました。「批評の時代」が終わったからではありません。そんなものは、とうに流行遅れになっていました。僕は一冊の本(『百年の孤独』)をきっかけに、小説と小説として読むことができるようになりました。
この話は語り始めれば長くなるから割愛しますが、もし自分に、小説家であるための何らかの資質があるとしたら、この一点にのみあるかもしれないと思っています。僕は小説を小説として読むことができ、それは決して誰にでもできることではないのを知っています。人は評論を評論として読むことも、詩を詩として読むこともできるのに、どうやら小説を小説として読むことは、なかなかできないようです。
これはしかし、小説を「ただ楽しく読む」のとは画然と違います。それはいわば、マルセル・デュシャンがモナリザに仕掛けた芸術論的な悪ふざけのようなものです。デュシャンはモナリザに髭を描いて「髭の生えたモナリザ」とし、それだけでなく、今度は当たり前のモナリザを「髭を剃ったモナリザ」として人前に出したのです(注)。それはただのモナリザなのに、人にはもはやそれが、髭を剃ったモナリザに見えてしょうがないという、楽しくも芸術論的な悪ふざけです。
僕が言う「小説を小説として読む」も、これに似た経緯を通過したものです。つまりまず「批評の時代」に頭の先までどっぷりと浸かり、しかるのちに小説を、いわば「批評」という「髭を剃った小説」として読む、ということです。仲俣さんの手紙にあった、「いくら批評が読まれても、それが対象としている実作は読まれない」時代から脱出して、実作を読むに至った、と言ってもいいかもしれません。
こんなことを書いている自分が、仲俣さんがこの場で取り上げようとしている「編集」の問題からかけ離れているとは、僕は思わないのです。「「読む人、書く人、作る人」のトライアングル」と、その「運動を生み出す」ことの重要性は、僕にもよく判ります。ただ僕は、その「トライアングル」のうち「読む」(仲俣さんが「基底」と見なしているのはこれでしょうか)というのは、やはりそう簡単なものではないと、若かったころの自分を思い返しながら、考えているのです。
「批評の時代」の文学が、何を僕たちに残したでしょうか。あの膨大な饒舌の中で、こんにちでもなお重要と思えることは、「読むというのは、なまなかなものではない」という一事に尽きるのではないでしょうか。文学とは、読めば読めてしまうものであり、感銘さえ受けてしまえるものであり、そのために、いくらでも読み捨てられ、通り過ぎてしまえるものなのだと、彼らは意図せず僕たちに示したのではなかったでしょうか。
今になって僕はそれを痛感するのです。インターネットという、とどまることの許されていないかのような、通り過ぎることしか許されないかのような文学(ネット上の言葉はすべて文学です)を前にして、僕は「批評の時代」を大いに楽しんだ、そしてその後にただ書くだけで何もしなかった、自分の怠惰を思わずにはいられません。
むろん、読めば読めてしまう文学はインターネットの登場するはるか以前からありました。人間がいくらでも発言できるツールの発明と流布も、悪いことではないはずです。しかしそこにはあまりにも、無思慮で無反省で無防備な言葉が、不特定の読者に向けられた「文学」として放り出されてしまいました。これは「小説を小説として読む」ことができるようになった僕という人間が、読むことと書くことの困難と危険を示さずに、あたかも「書けば書けてしまう」かのように振る舞い続けたことにも、原因があるのです。僕のような無名な小説家がインターネットの奔流に何ができるというのだ、という諦念は、自分の無力を肯定する言い訳に過ぎず、ひいては「人間の無力」というセンチメンタリズム にしかつながりません。
同じことが「編集」に言えるのではないですか。前の手紙で僕は、小説の圧倒的な不足欠乏を呟きました。仲俣さんは「一人出版社」のような小さなメディアによってこそ「新しい文学なり、同時代に対する正確な批評が生まれるのではないか」と書いていましたが、メディアの規模の大小が問われない時代になった、という意味であれば、その通りだと思います。しかしそれよりも大切なのは、「編集」の存在を読者に、あるいは「時代」に、示すことです。
本当は、恐らくそれでも足りないのでしょう。「読むこと」がなまなかでないことを示すために、僕がこれまでやってきたことは、ただ小説を書いただけです。それは「小説がある」ということを示すために続けてきたのだと思います(今気がつきました)。しかし――滑稽なくらいに当たり前の話ですが――、小説の存在をただ示すだけでは、まったく足りないのです。
しかし、僕が編集を何も知らないからこう思うのだけかもしれませんが、「編集」は、ただそれを露呈させるだけでも、充分に現代に訴えるものがあるのではないですか。何しろ編集というのは、そもそも露呈しないところで機能するものですから、それを明確にするのは、意味のあることだと思います。「評論」とは違う「編集」の存在を強く主張するのは、「新しい文学なり、同時代に対する正確な批評」に対しても有効だと思えます。
……とはいえ、編集を明確に露呈させる、というのがどういうことなのか、こう書いている僕にも、一向に見当がつかないですけれど。
[注]これはデュシャンの「L.H.O.O.Q.」についての正確な記述では、まったくありません。
執筆者紹介
- 小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。
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