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あまりにも「小説」が足りない

第4信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

今年の九月は、雨の降らなかった日が二日しかなかったと、テレビの気象予報士がいっていました。洗濯物は乾かず、出かけるのも億劫です。

それなら家にいて仕事がはかどるかというと、そういうこともありません。照ろうが降ろうが、書けないときは書けないもので、ワープロを開いたパソコンの前でひねもすクサクサしています。この往復書簡があって助かります。思うことをただ書いているだけでも、気が晴れますから。

しかしパソコンをワープロからインターネットのブラウザに切り替えると、もういけません。スポーツ業界でのパワハラ、文芸業界でのセクハラ、芸能人の引退や死。近頃のネットで見かけるニュースには、ろくなものがない。大阪なおみが全米オープンテニスで優勝したと思ったら、受賞後のインタビューでは泣きながら謝罪している始末です。今年はまだあと三か月も残っていますが、僕は「今年の漢字は『膿』がいい」と、SNSに書き込んでしまったくらいです。

「新潮45」の休刊も、膿を出したうちに含まれるのでしょうか。新潮社の雑誌に書けることを名誉に感じ、身を入れて原稿を出していた人たちが気の毒です。

もちろん僕の同情は、差別的言辞を弄した人や、そんな言辞を許した編集者には向けられません。言葉は、個人がおおやけに向けて発するものです。例外は「公文書」だけでしょう。差別を助長する人間や、その人間の言葉を公表した人間を批判するべきです。雑誌に差別的な言葉が掲載されて、その雑誌の継続を瞬時に止めてしまうのは、犯罪者の住む町を丸ごと焼き払ってしまうのも同然です。現実の町で同じような処置をしたとしたら、世界に生き残れる町はどれくらいあるでしょう。

個人の言葉が雑誌によっておおやけに向けられるのには、必ず編集者の仲介と助力が必要になるのです。言葉を換えれば、個人は編集者の判断がなければ、ひと文字だって商業出版から言葉を発することはできないのです。

仲俣さんはこのやりとりを、作家と編集者の意見交換の場と考えていたようです。前の手紙で早くもその考えからズレたものを送ってしまって、失礼しました。僕は仲俣さんを編集者と思ったことは殆どないのです。ちなみに文芸批評家か、それとも文芸評論家か、という違いに対しても、僕は鈍感でした。これからは「文芸評論家」で通すことにします。

そして――これはクレームでは全くないのですが――僕はなるべく自分の肩書を「作家」ではなく「小説家」として貰うことにしています。「作家」というと、小説よりももっと広く、さまざまな言論活動をする人間のように思えるからです。実際問題として、僕の仕事が九割がた小説を書くことだからでもありますが、それ以上に、小説という言葉の運動の重要性と可能性を、僕が異常なまでに、おそらく、殆ど宗教的なまでに、信じて疑わないからです。

小説ほどエラい言語表現はないんだぞ、と思い込んでいるようなもので、この一点だけでも僕は、言論についてまともに人と話し合う資格がない幼稚な人間だと思われても仕方がないでしょう。自分の小説がこの「信仰」に見合う立派なものとも思えません。

ただ、「新潮45」の騒動や、ネットで行き交う言葉を見ていると、そこにはあまりにも「小説」が足りない、と思うのです。

ネットの言葉に「編集」がないことは、誰もが知っています。また「新潮45」の短兵急な休刊が、いわば編集部の逃避、ないしは経営側による「編集」の放擲であることも、仲俣さんを含む多くの識者が指摘していることでしょう。

ネット時代となって爆発的に生じるようになった、言葉による奇禍、いわば文字による舌禍が、「公表される言葉」の量に対する「編集」の圧倒的な不足に起因することは、誰もが知っていることです。「編集」という言葉を使っているかどうかの違いがあるだけで、この問題を憂うる人は、そろって「編集の不在」を危惧しているといえるでしょう。

僕は同じ問題に、編集と同じくらい「小説の不在」を感じるのです。小説的視野とか、小説的思考と言い換えた方がいいのかもしれませんが、小説的視野や思考が、氾濫している「編集を介さないで公表される言葉」のなかで欠落しているのは、小説そのものが言葉を発する個人個人に、あまりにも届いていないからでしょう。いわゆるSNSなどの「ネット上に氾濫する言葉」だけでなく、今や小説は、小説を書いている個人にも届いていないのではないかと、僕は考えています。

小説を知らずに小説を書く人間は、ネット時代の前から少なくありませんでした。言葉を書く人間にとって小説というのは、受け入れるのが非常に難しい文章群なのでしょう。小説を受け入れないまま小説を書くことは容易ですし、それが「優れた小説」と見なされることすらあるでしょう。これは公開書簡ですから、僕が小説をどんなものと考えているかは、拙著『小説は君のためにある』(ちくまプリマ―新書)を是非お読みくださいと、ここで宣伝を入れておきます(仲俣さんもこの書名を手紙に入れ込んでくださいました。感謝いたします)。

しかし小説が本来内部に持っている多様性、多義性が、これほどまでに必要とされている時代は、かつてなかったと思います。それは単に、かつてと比べて今はインターネットが言論(というほどではないのかもしれません。話題、といった程度なのかもしれませんが)の主流になっているから、現代の中にいる僕にそう見えるだけでしょうか。ネットに氾濫するだけでなく、現実世界にも少なくない影響を与える言葉たちの、その単純さと膨大さ、匿名性に庇護された「文責」の稀薄さを見るにつけ、おこがましいのは承知の上で、僕は自分もまたできる限り「啓蒙」をしなければならないと思うのです。

「特殊文芸」の隆盛と「文豪」へのアクセスの良さによって、「一般文芸」が看過されている、という分析は興味深かったです。僕は自分の仕事の位置をそう捉えたことはありませんでしたし、「特殊文芸」についても知るところは少ないのですが、それでもあの分析は実感できるものでした。

(余談ですが、僕は自分が書く小説のジャンルについては意識しますが、それはいわば戦略的な意識です。たとえば『茅原家の兄妹』(講談社)という小説は、ジャンルとしては恐らく「ホラー小説」です。しかし書くにあたって意識したのは、ヘンリー・ジェイムズと夏目漱石でした。同じ意識で純文学を書くことはありません。小説を書く側からの純文学とは、砂漠か原生林のような場所でなければならないと考えていますから。)

円本に象徴されるような「当時の「現代文学(明治・大正文学)」にパースペクティブを与え、序列化する営み」が、現代文学にもそろそろ必要になってきたのではないかという御指摘も、まったくその通りでしょう。文学に限らず、平成にはまだ形がありません。たとえそれが、どんなに僕たちを逡巡、躊躇させるとしても、恐らく「平成の総括」は避けられない知的課題であると思います。「平成という時間の括りには意味がない。実感もない」という、僕たち自身の中にもすでにある批判や「空気」をあらかじめ見越しての総括が。そのうちの「平成文学」を、せめて仮説としてでも提出しなければ、僕たちは――実に気恥ずかしい表現ですが――文学者として最低限の歴史的貢献を怠ることにもなりかねません。

そしてそれは、まさに「編集」の力によるのではないですか。仲俣さんのいう「『体系』をつくる仕事」とは、まさに編集そのものでしょう。編集者であり文芸評論家である仲俣さんが当惑しているようでは、小説家の僕など途方に暮れるばかりです。

しかしもしかしたら、小説の実作とその上梓という、編集者との共同作業から、僕にも経験的に考えられることがあるかもしれません。仲俣さんの次の手紙を待ちながら、少し考えてみます。今回はもう、ずいぶん長い便りになってしまいました。

第1信第2信第3信第5信につづく)

執筆者紹介

藤谷 治
小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。
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