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ニューヨーク公共図書館の英断

ニューヨーク公共図書館のデジタルコレクションに収められている67万点を超えるデジタル画像のうち、パブリック・ドメイン(著作権保護期間切れ)である18万点の高解像度データが、ウェブ経由で簡単にダウンロード&再利用できるようになりました。そのことを伝える今年1月5日付の同図書館のブログ記事には、こうあります。

Today we are proud to announce that out-of-copyright materials in NYPL Digital Collections are now available as high-resolution downloads. No permission required, no hoops to jump through: just go forth and reuse!

ニューヨーク公共図書館では以前より、コレクションの低解像度データのダウンロードは認めていたのですが、今回の決定でパブリック・ドメインのものについては高解像度版データのダウンロードについても事務手数料(administration fee)を撤廃し、自由(無償)としました。これにより紙媒体への印刷をはじめ、より高度な「再利用」が行えるようになったのは素晴らしいことです。公共財産(パブリック・ドメイン)である著作権保護期間切れの作品やデータが死蔵されることなく、市民による再利用を促すために使いやすいルールと環境を整えていくことが、新しい時代の「public library」の役割である――そのことを誇らしげに謳った宣言といえるでしょう。

新しいデジタル・コレクションのサイトは、パブリック・ドメイン画像を発見し、利用できるまでの仕組みがきわめて簡単です。デジタル・コレクションのサイトで検索を行うさいに、「パブリックドメインの素材だけを検索」にチェックを入れるだけでよいのです。

こころみに「bookstore」で検索してみたところ、ボストンにある「アメリカで最古の書店」との説明がついた絵葉書の画像が直ちにヒットしました。調べてみると、この絵葉書はボストンの有名な観光名所となっているOld Corner Bookstoreが、実際に書店だったときの姿が描かれたものでした。Wikipediaからのリンクで、19世紀当時のこの店のモノクロ写真(ボストン図書館所蔵。CC BY 2.0)も参照できますが、ニューヨーク公共図書館にはカラー写真(おそらく彩色ですが)として残っており、当時の佇まいがよりいっそう伝わってきます。書店の前の舗道にいる紳士たちが、いまにも歩き出しそうではないですか。

From The New York Public Library

今回のニューヨーク公共図書館の決定でもっとも重要なことは、パブリック・ドメインにある公共財を活かすには「利用のためのワークフローの簡便化がもっとも大事である」という判断をした部分にあります。これまでの事務手数料を撤廃し、ウェブサイトのユーザー・インタフェースを劇的に改善することで、誰でもオンラインで気軽にパブリック・ドメインのデジタルデータを発見し、利用できるようにする。巨大なアーカイブを抱えるニューヨーク公共図書館がその方向へ舵を切ったことは、まさに英断といえるでしょう。

今年は日本では江戸川乱歩の著作権保護期間が切れた年なので、その連想でエドガー・アラン・ポー関連のものがないかと検索してみたところ、エドゥアール・マネが描いたポーの肖像スケッチが見つかりました(この画像は正確には「パブリック・ドメイン」ではなく、「no known US copyright restrictions」というコピーライト表示がされていますが、利用についてはパブリック・ドメインに準じています。日本での権利の所在は不明なので、この記事では画像の掲載は差し控えます)。

ちなみに、これらの作品紹介ページの最後には、ちょっとした遊びが仕掛けられています。たとえばこの「マネが書いたポーの絵」の場合、

・1832年 作者(この場合はマネ)誕生
・1883年 作者死亡
・1889年 元データの画像制作
・2015年 電子化
そして
・2016年に「あなたと出会った(Found by you!)」

こんなふうに、作品とオーディエンスが出会うまでの道のり(タイムライン)が楽しく可視化されているのです。

(クリックで拡大します)

ところで先のブログ記事には、続けて以下のように書かれていました。デジタル・コレクションを利用するための(以前からあった)APIの仕様をアップデートし、その詳細をGitHubのアカウントで公開していくそうです。

more technically inclined users will also benefit from updates to the Digital Collections API enabling bulk use and analysis, as well as data exports and utilities posted to NYPL’s GitHub account. These changes are intended to facilitate sharing, research and reuse by scholars, artists, educators, technologists, publishers, and Internet users of all kinds. All subsequently digitized public domain collections will be made available in the same way, joining a growing repository of open materials.

こうした取り組みは、日本の国立国会図書館や青空文庫に集められた「公共財」を活かす上でもヒントになるのではないでしょうか。

今年最初の記事(「本とパブリック・ドメイン」)を書いた翌日になされたこの発表を聞いて、私のなかでは一つの確信が生まれました。著作権保護期間が延長され、新たにパブリック・ドメインに加わる作品が減ってしまうのは残念です。しかし、保護期間の延長の是非については以前より延長を望む人たちもおり、意見が割れていました。

しかし、すでにパブリック・ドメインとなったものを利用するためのハードルを下げることには、意見の対立はないはずです。保護期間の延長を嘆いていたずらに時を過ごすよりも、すでに公共財となっている(はずの)膨大な作品やデータに対するアクセスと利用の方法を、デザインやテクノロジーの力を借りて(せめてニューヨーク公共図書館並みに)劇的に改善する方向へと、日本での議論や実践が向かうことを祈らずにはいられません。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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