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元少年A『絶歌』の出版が投げかけたもの

1997年5月27日、神戸市須磨区にある友が丘中学校の校門前に、行方不明になっていた小6男児の頭部が置かれていた。そこにあった「犯行声明文」には警察に対する挑発的な内容が書かれており、筆跡が似ていた少年A(当時14歳)が犯行を認めた。少年は他にも2人の女児を殺傷していた。いわゆる「神戸児童連続殺傷事件」である。

医療少年院での治療と保護観察を経て社会復帰したその元少年Aが執筆した『絶歌』(太田出版)が話題となり、ベストセラーとなっている。

この本をめぐっては様々な論点がある。私もすでに他のニュースサイトで記事を書いている。出版の是非については、<【神戸児童連続殺傷事件】元少年Aの告白本『絶歌』出版の是非>(東京ブレイキングニュース、2015年6月11日)、事実関係の記述については、<元少年Aの手記には「3つの重大な疑問」について書かれていない――果たして彼は本物なのか?>(トカナ、2015年6月13日)、加害者心理についても、<「どうして人を殺してはいけないのか?」元少年Aの結論とは?――『絶歌』から加害者心理を読む>同、2015年6月16日)を執筆した。今回は他の論点を述べたい。

これまでの犯罪告白本は騒がれないのに…

なぜこれほどまでに『絶歌』が注目されることになったのか。母親に「元少年Aみたいにならないように」と育てられたにもかかわらず、結果として、秋葉原通り魔殺傷事件を起こした死刑囚、加藤智大は『解』『解+』『東拘永夜抄』『殺人予防』(すべて批評社)を出版した。事件の被害者や裁判を傍聴した人、私を含め多くのジャーナリストやマスコミが加藤へ対して拘置所に手紙を出したが、返事はない。これらの本が回答なのだろう。

同じように少年事件で死刑判決を受けた永山則夫の『無知の涙』(河出書房新社)、東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件で死刑が執行された宮崎勤の『夢のなか 連続幼女殺害事件被告の告白』と『夢のなか いまも』(いずれも創出版)、和歌山毒物カレー事件の死刑囚、林真須美(再審請求中)の『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら〜林真須美 家族との書簡集』(講談社)….。これらの出版の是非については、『絶歌』ほど議論されなかった。

『絶歌』が騒動となった最大の理由は、著者の得体の知れなさではないか。また少年法の理念である「更生」がかなったのかも気になるのだろう。これほどのネット社会にもかかわらず、元少年Aの身元が特定されたり、取材が実現したことは一度もない。主要な犯罪者の手記では唯一、匿名による出版だ。そのことが醸し出す不安感もあるのではないか。

図書館の対応

また、すでに出版された書籍をどう扱うのかも問われる。とくに公共図書館はその議論の最前線に置かれる。

日本図書館協会・図書館の自由委員会は「図書館資料の収集・提供の原則について」という確認文書をウェブサイトで公開している。「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」では、「図書館は資料収集の自由を有する」として、図書館員の個人的な関心や好みによって選択しない、個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、糾弾をおそれて自己規制したりはしない、などとされている。つまり、図書館がある資料を収集するかどうかは、図書館自身の判断で行うべきというものだ。

さらに、自由宣言では提供制限を行なわないことが原則だが、①人権またはプライバシーを侵害するもの、②わいせつ出版物との判決が確定したもの、③寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非刊行資料の場合は提供を制限されることがある、としている。神戸事件当時、新潮社の写真週刊誌「FOCUS」(1997年5月24日号)は少年Aの写真を掲載したが、全国の図書館では、①を理由に閲覧制限をしたことがある。

ただ、図書館が先走りした例がないわけではない。サリンを自作して、暗殺を図るといった内容が書かれているジョン・アボットの小説『みどりの刺青』(福武書店、当時)があるが、1994年の松本サリン事件が起きた後、事件の舞台となった松本市の市立中央図書館は貸出を一時、停止したと報道された。これは、自由宣言に照らした見解を出せるように、貸出前に職員がまず読んでいたのだ。

その後、貸出を再開し、図書館は利用者懇談会を開いた。職員の検討を優先させ、その間は市民への貸出をしなかったことは安易な判断で、自己規制につながる印象を市民に与えたなどの反省がなされた。

今回の『絶歌』の事件の舞台となった神戸市はどうか。神戸市の久元喜造市長は記者会見で、「遺族への配慮がされず出版され、その結果、遺族が精神的苦痛を受けたことは大変遺憾」などとして、市立図書館では購入しない方針を明らかにした。だが「図書館の自由に関する宣言」では資料収集の自由をうたっている。これは「個人・組織・団体の圧力や干渉」に当たらないのだろうか。

かつて図書館の自由委員会は、2013年8月、「中沢啓治著『はだしのゲン』の利用制限について(要望)」のなかで、「学校図書館の自由な利用が歪むことが深く懸念されます」と述べ、自主的な読書活動を尊重する観点から、利用制限を再考することを求めたことがある。

この時はすでに所蔵されていた資料の利用制限だったが、今回は、まだ収集していない資料を購入するか否かが論点だ。自由な読書が保証されるためには、市長という権力者の判断によって購入するかどうかを決めてはならないと私は考えるが、市としては被害者感情を優先したかたちなのだろう。だが、

「図書館は、自らの責任において作成した収集方針にもとづき資料の選択および収集を行う」

という自由宣言の項目に込められた図書館の独立性は『絶歌』にも適用されなければならない。市長の判断ではなく、図書館の判断として、収集の自由という原則を踏まえた上で、今回は購入しないと判断したとなれば問題がないだろう。会見では「教育委員会の権限」と言っていたが、どんな議論があったのかは公開すべきではないか。

少年は「更生」したのか?

医療少年院から出た後の、事件から7年目の春から始まるのが[第二部]だ。社会に出たいと思った元少年Aは、さらなる更生のために歩み出す。

その象徴的な出来事として、更生保護施設に一旦入ったものの、観察官に荷物をまとめるように言われるところがある。施設に入所していた人物に「少年A」だと察知され、他の入所者にまでさとられてしまったことが理由だった。そのため、別の施設を探す間、ウィークリーマンションに泊まるが、結局は「少年A」だとわかりつつ受け入れてくれる施設は、その施設しかなかった。身分を隠さなければ、社会に出られない現実を知ったに違いない。

ところで、彼には病識がないのではないか。つまり、自分は精神を病んでいないと思っているのではないか。「文藝春秋」2015年5月号に掲載された神戸家裁の「決定全文」では鑑定結果についてこう書いてある。

「ロールシャッハテストによると、現在は、他者への共感力に乏しく、他者の存在や価値を認めようとせず、対人関係に不安・緊張が強く、人間関係の維持が困難」

「TAT(絵画統覚検査)所見は、現在は、他者に対する被害感が強く裏腹に強い攻撃性と完全な支配性を持つ(人間関係は、攻撃するかされるか、支配するかされるかの関係である)」

この心理鑑定の結果は医療少年院に入る前のものであるため、社会に出た後でも彼自身にこうした傾向があるかどうかはわからない。その自問自答を元少年Aはこう表現している。自分自身を客観視しようとする試みなのだろう。

なぜ僕は生きているのだろう?
病気になっていないのだろう?
救いようもなく壊れているからなのか?
それともまだ逃げ続けているからなのか?
本当のところ、自分でもわからない。いったいどっちなのか……。(206ページ)

また、人に対する「信頼」を回復していく過程も描かれている。たとえば身元引受人になったYさん夫婦に対する考え方が書かれている。「Yさん」は少年Aを友人や知人に「息子です」と紹介した。「奥さん」は自分がかつてどんな事件を起こしたのか知りつつ、生半可な気持ちで受け入れたのではないとの姿勢を感じ取っているのだ。その「奥さん」の気持ちをちゃんと受け止めることができないことも素直に記している。

――本当は嫌なくせに――

心のなかでそう呟きながら、自分の過去を口実にして、僕は奥さんに対して壁を作っていた。僕は最低だった。卑屈で、醜くて、人の気持ちを想像できない、歪みきった人間だった。(212ページ)

そして、こうした彼なりの試行錯誤の結果も見ることができる。次のような記述にも注目したい。

居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。(281ページ)

かつて彼の居場所は、タンク山、向畑ノ池、入角ノ池といった自然環境だった。そこは「美しい」場所でもあったが、現実逃避の場所でもあった。それが、「自分の中にしかなかった」と思うようになるほど、罪を犯した自分が内省することでしか「更生」できないと感じたのだろう。

「ゲーム」は終わったのか?

ただし、「更生」に向かっていると同時に、「僕は、僕でなくなった」(6ページ)状態が続いていた中で、自己表現をしたい葛藤にかられていく。「元少年A」として彼がこの本を書く理由が、あとがきにもなっている謝罪文「被害者のご家族の皆様へ」にはこうある。

この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべて自業自得であり、それに対して「辛い」「苦しい」などと口にすることは、僕には許されないと思います。でも、僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい、自分の生の軌跡を形にして遺したい。(293ページ)

謝罪とともに自己表現したい気落ちに揺れ動いていたのは感じ取れる。その苦しさもわからないでもない。しかし、元少年Aは3人を殺傷し、A自身の家族を含めると4つの家族の人生を大きく変えてしまった。その意味で、苦しみを抱き続ける責任はあるだろう。出版をするのであれば、土師淳くんや山下彩花ちゃんの遺族たちに、できるだけの誠意を見せられなかったのか。同意を得られないとしても、努力すべきだった。

僕はこの本を書く以外に、もう自分の生を掴みとる手段がありませんでした。(294ページ)

自己顕示欲をむき出しにした部分だ。謝罪文自体はとても誠実に書かれていると感じるが、この動機を記した部分を読むと、まだ更生しきっていないのではないかと思わせる。近所の主婦を殺害した愛知県豊川市の少年、「猛末期頽死(モウマッキタイシ)と名乗り女子高生を殺害した西尾市の少年、訪ねてきた老女を殺害した名古屋大学の少女ら「人を殺してみたかった」という動機を持つ少年少女にとって、「酒鬼薔薇聖斗」はカリスマ的な人物だった。しかし、この本ではむしろ、カリスマのなさを露呈している。

かつて元少年Aは犯行声明の冒頭で「さあ、ゲームの始まりです」と書いた。この出版は「ゲーム」を終わらせるためだったのだろうか。

執筆者紹介

渋井哲也
ノンフィクションライター。若者の生きづらさ、自殺、自傷行為、家出、援助交際、少年犯罪、いじめ、教育問題、ネットコミュニケーション、ネット犯罪などを中心に取材。東日本大震災後は、震災やそれに伴う原発事故・避難生活についても取材を重ねている。著書は『命を救えなかった 釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)、『絆って言うな! 東日本大震災ー復興しつつある現場から見えてきたもの』(皓星社)、『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中』(幻冬舎)、『ネット心中』(NHK出版、生活人新書)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎新書)、『若者たちはなぜ自殺するのか』(長崎出版)ほか、共著『復興なんて、してません――3・11から5度目の春。15人の“いま” 』(共著、第三書館)ほか多数。
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