現在もそう教えているなら、とんでもない話だが、僕が小中学校に通っていた頃には、J.S.バッハのことを「音楽の父」なんて教わっていた。
これは端的にいって嘘である。「音楽の父」とはつまり「西洋音楽の創始者」の謂いだろうが、バッハがそんな存在のわけがないことは、僕のようなアマチュア音楽愛好家でも知っているし、バッハ自身も知っている。
「西洋音楽の父」はピタゴラスである
では本当の「西洋音楽の父」は誰か。パレストリーナでもなければブクステフーデでもない。それはピタゴラスである。
ピタゴラスは一本の紐を張って、びよーんと鳴らした(この伝説には、水を張った甕を叩いた、というヴァリアントもある)。ついでその紐を半分にして鳴らした。するとそれは最初の長さで鳴らしたときより、1オクターブ高かった。すなわち周波数比が2対1だったのである。いやむしろ「周波数比2対1の音程差を1オクターブとした」というべきだろう。
「西洋音楽」はここから始まった。ここから周波数比3対2の音程に基くピタゴラス音階が作られ、他の整数比になる周波数比が発見され、純正律が創り出され、純正律の欠陥を補うべく、平均律が整えられた。
音楽が音であり、音が空気の振動であるからには、音楽が物理的現象として捉えられるべきなのは当然である。
大友氏は「『ドレミファ』と同時に『音符』の読み方、書き方を教えますよね。でも、そうやって音楽を記号化するのは、かなり特殊な事例だと思うんですよね」とも書いている。
音楽を記号化して伝える、つまり「記譜」という技術は世界中にある。しかし中でも西洋音楽で使われる五線譜は、恐らく最も完璧な記号化に成功しえたテクノロジーだろう。リズム、メロディ、ハーモニーと、「音楽の三要素」なるものを整然と記すだけでなく、個々の楽器の特殊な奏法や「情緒的な」ニュアンスに至るまで、そこには書きこむことができる。
音符の読み方、書き方を習得させることは、いい声で歌うだの、間違えずにリコーダーを吹くだのといった中途半端な技術育成などより、よほど教育的だろう。それに教師の主観によるのではなく、採点によって成績を評価できる。
音符が読める、書けるというのは、少なくとも英語の読み書きよりはたやすい。範囲が限られているし、不規則変化もない。例えば、「ヘ音記号の五線に加線せずに記せるソをすべて書きなさい」とか、「図のト音記号譜に書かれているミと同じ音をヘ音記号上譜に書きなさい」といった設問は、同程度の数学問題としては恐らく、小学校上級生レヴェルだろう。
実際、楽譜の読解は、数学的な思考法によって解答を得られるものがとても多い。
「4分の3拍子の楽譜1小節に、すでに八分音符1つと三連符1組がある場合、残余に収まるのは次のうちどれか。①三連符1つ。②八分音符3つ。③四分音符1つと四分休符1つ」
この問いの解答を得るには、まず「4分の3拍子は四分音符3つで1小節である」という基本をおさえ、次に「八分音符は四分音符の半分である」ことと「三連符は1組で四分音符1つに等しい」ことを理解する。すると書かれた音符は「四分音符の半分」と「四分音符1つ」すなわち「四分音符1.5個分」であることになり、従って残余は同じく「四分音符1.5個分」であるから、これと等量である「②八分音符3つ」が正解となる。
規則性や論理的思考にたけた生徒にとって、この程度の設問は歯ごたえがないだろう。中学校までに「楽譜読解」は、音程や和声や移調まで進めると思う。「図の楽譜上にある音符AとBの音程を述べよ」「変ロ長調の下属和音を書け」「ハ長調で書かれた下記の旋律をヘ長調に移調せよ」。
これらの問題が難解に見えるのは、単に学習する機会がなかったからにすぎない。こんにち義務教育に音楽の時間がどれくらいあるか知らないが、週に三時間あるとして、それだけあれば上記の問題程度のものなら、理解できるように必ずなる。時間が足りなければ、唱歌やリコーダーを減らせばいい。
西洋音楽は「感性」によっても「情操」によっても生れない
なぜ僕はこんな、血も涙もない音楽教育を提唱しているか。
学校の音楽がこのようになれば、文科省や教員たちにとって、この教科は生徒の評価を定めやすいものになるだろう。この方向で「音楽」という教科を進展させていけば、そのうち普通高校や大学入試の選択科目くらいにはなるかもしれない。
音楽を理数科的に教えられる生徒はどうなるか。ごく大雑把にいって、現行の音楽の授業を嫌いな生徒は好きになり、好きな生徒は嫌いになる。
規則性や論理性、それに丸暗記が得意な、いわゆる「優等生」にとっては、とたんに魅力的な、勉強のしがいのある教科になるだろう。
現在の音楽の教科を価値の低いもの、無意味なもの、受験勉強のさまたげとなるものと考えている生徒は、これを有益と捉えるようになるだろう。理数科的な思考能力を発揮できる上に、受験科目になるというのだから。
つまり、良い効果を期待できるということだ。
一方、音楽が好きな生徒たちにとってはどうか。それは、たまらなく教条的で堅苦しく、不愉快な教科になるに違いない。
これもまた好影響というべきである。僕はむしろ、こちらの方、つまり「音楽の授業を好きだった生徒が、音楽の授業を嫌いになる」という効果の方に期待をしている。
西洋音楽が物理学的、数学的であることは、僕の誇張ではなく、ただの事実である。西洋音楽は「感性」によっても「情操」によっても生れない。ベートーヴェンは人々が感嘆する音楽の感動的な部分について、そういうのは減七の和音を使えばたやすく実現できるんだ、といったという。この言葉についてアドルノは、「ほかならぬこうした点こそ、『天賦の才』の潜むところである」と書いているが(アドルノ『ベートーヴェン』124頁)、そうであるかどうかを批判的に検証するには、まず「減七の和音」とはどんなものか、それを「使う」とはどういうことなのかを、知っていなければならない。音楽家、作曲家がそうであるだけでなく、音楽愛好家もまた、それを知るべきである。
僕は音楽に「感性」や「情操」はない、あるいは、必要がない、といっているのだろうか。
違う。僕は「学校の音楽の授業」に「感性」「情操」は不要だ、といっている。ほかに教えるべき要素が、音楽には、少なくとも「西洋音楽」には、山のようにある。
だいたい、「感性を豊かにし」「情操を養う」とは、学校が教授するものなのか。学校が教える「感性」「情操」とは、どんなものなのか。小学生が学校で教わった通りに、モーツァルトのトルコ行進曲はいい音楽だねえ、なんて本気で口走るなど、想像しただけで胸糞が悪くなる。人間の感性や情操が、すべて他から与えられた経験や知識によって創り上げられるということを認めた上で、けったくそ悪いのである。
学校は経験や知識を与えるべきである。感性や情操を直接的に強要すべきではない。善悪の弁別を指導するのとは、わけが違う。
僕の考えるように、学校で音楽を理数科的に教えるとして、それで「学校の音楽の授業」ではなく、音楽そのものを嫌いになる生徒が現れても、それでいいのか。
いい。
なぜならそこからしか、音楽への主体的な愛は始まらないからである。
そこから「ほんとうの音楽」が始まる
僕の提唱する「音楽の授業」では、主要三和音が判らなければ音楽の成績は悪くなる。教師は、歌なんか歌っている暇があったら移調の練習問題を百問やれという。平均率における半音の周波数比を暗記しろという。すると、生徒はどうなるか。
嫌になる。音楽を放り出す。やってらんねえよと怒鳴る。ここで生徒の苛立ちは、二種類に別れるだろう。
一方は「音楽なんて関係ねえ」と苛立つ。この苛立ちは、音楽について何も影響を与えない。音楽なんて関係ねえ、だから自分は生涯音楽を聴かない、などと決心する人間を育ててしまう場合もあるだろうが、そんな人間は稀であって、現代社会において音楽なしに常識的な社会生活を送ることは事実上不可能である。
しかしもう一方の苛立ちは、音楽にとって極めて有益だ。それは、「こんなの音楽じゃねえ」という苛立ちである。
学校で教える音楽なんて、ほんとうの音楽じゃねえ。この苛立ちがあれば、では自分にとって「ほんとうの音楽」とは何か、さらには、自分の音楽を探そう、という衝動までは、一歩か二歩である。この衝動を手に入れた生徒、もしくは「もと生徒」は、学校の音楽に背を向け、自分の音楽を探し始めるだろう。
その時音楽が生れる。音楽への愛が。あてがわれたものではない、どこからか自分で探してきた音楽が、個々の人間の中に生れる。
今でも人間にとって音楽はそのようにして生れている。音楽の授業とは無縁の場所で、おのおのが勝手に見つけた音楽を、誰もが楽しんでいる。
娯楽や慰安としての音楽なら、それで充分かもしれない。しかし、「表現としての音楽」には、それではまったく足りない。表現には、既存の価値への反撥が、異議申し立てが、苛立ちが必要だ。それ以上に必要なのは精神の餓えである。
学校教育が生徒を、自己表現の手段に音楽を選ぶ人間に育成するためにできる最大のことは、彼らに対し壁となって立ちはだかることである。彼らに反撥を感じさせ、苛立ちをかき立て、自分の音楽に餓えさせる、「アカデミズムの牙城」となることである。
こんにち新しい音楽が、いや芸術全般が力を失っていることは誰の目にも明らかだ。教育機関の「旧態依然たる権威」であることの放棄、そして「教えられる側の無知」へのへり下りが、芸術の脆弱化と無縁であるとは、僕は思わない。
「学校で教える音楽」が権威を標榜してふんぞり返り、生徒たちから歯向かわれることも軽蔑されることも恐れなくなる時、「学校で教えてくれない音楽」は、今以上に光り輝くだろう。そうなることこそが、本来、「学校で教える音楽」の到達地点であるはずだ。
執筆者紹介
- 小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。
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