posted by 仲俣暁生(マガジン航)
新年あけましておめでとうございます。今年最初の「マガジン航」の記事を投稿します。
昨年10月にウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』(Ⅰ、Ⅱ巻)が、紙の本と同時に電子書籍としても発売され、こちらでも多くの読者を獲得したことで、人々の生活のなかで、ようやく電子書籍がある程度の実感をもって受け止められるようになりました。ベストセラーに限れば、「本」の読み方のひとつの選択肢として電子書籍は日本でもこれから徐々に定着していく気がします。
しかし、この年末年始に自分が読んだ本を振り返ってみると、そのほとんどは紙の本でした。忙しい仕事の合間にスマートフォンなどで細切れに読むには、電子書籍はとても便利です。実際、私は『スティーブ・ジョブズ』をそのようにして読みました。けれども、時間的な余裕があるときにじっくり本に向かうには(増え続ける蔵書をどうするか、という別の問題はさておき)、「やはり紙のほうがいいな」という実感を私個人はもっています。
電子書籍をめぐる議論においていちばん大事なのは、読者の「実感」だと私は考えます。「なにがなんでも紙の本は電子書籍に置き換えられなければならない、それは歴史的必然なのだ」という立場から、紙から電子への乗り換えを強要するような極論には――電子書籍の可能性を強く信じるからこそ――私は与したくないのです。
電子書籍よりも「本と人とのリンク」が重要
近い将来にすべての本が紙から電子書籍へと置き変わってしまうということは、ありえないと私は考えます。ただし、人と本との出会い方は、インターネットの普及以降、ずいぶん変わりました。私自身、Amazonをはじめとするネット書店で本を買うようになって十年以上経ちます(思い出してほしいのですが、Amazonの日本上陸は2000年11月1日でした)。ネット書店なしでは自分の読書生活が成り立たないといっていいほど、私はその恩恵にあずかっています。
ただし私の場合、ネット書店(古書店も含む)で買う機会が多いのは、ベストセラー以外の本、つまり「リアル書店」(この言い方もAmazon上陸後十年の間に定着しました)ではなかなか手に入りにくい本です。ある程度古い本は図書館で借りてもいいのですが、自宅の近所によい公共図書館がないこともあり、往復の手間を考えると買ったほうが早いから、という側面もそこにはあります。なにしろネットで買う古書の価格は、大半の電子書籍より安いのです。
となると、ここにはちょっとしたミスマッチがあることになります。いま電子書籍になっている本は――文庫版でさえ絶版になっているような、かなり古い本を除けば――日本中の比較的小さな書店でも手に入るような、「売れ筋」の本が多い印象があります。もちろんそれは、ある程度の売上が確保できないタイトルを電子化するメリットが、いまの時点では少ないからでしょう。
しかし、「どこでも比較的簡単に手に入る本」しか電子書籍になっていないなら、そもそも電子書籍は誰のためにあるのでしょう?
ところで、年末年始に私が読んだ本の多くは、電子書籍やネット書店とは違う意味でインターネットに多くを負っています。Amazonで買った本もあれば、リアル書店で購った本もありますが、いずれもネット上での人とのやりとりから刺激を受けたものばかりでした。
信頼する評者によるネット上の紹介記事をFacebookで知った本や、twitterで著者自身が「つぶやいて」いる言葉に興味をもって手に取った本など、ソーシャルメディアによって生まれた多種多様な「本と人とのリンク」が、すぐれた本の存在を私に教えてくれました。ようするに、その本が「電子書籍化されているかどうか」とは関係なく、人と本との出会いのプロセスのなかに、インターネットが大きく介在する時代になっているのです。
「周辺プレイヤーも含めたエコシステムの構築」へ
というわけで、今年最初の「読み物」コーナーへの登録記事をご紹介します。朝日新聞社が手がける本の総合紹介サイト、「ブック・アサヒ・コム」の「中の人」である林智彦さんにご寄稿いただいた、「電子書籍の「探しにくさ」について」という論考です。
なぜいまの電子書籍は「探しにくい」のか。電子書籍がなかなか普及しない最大の原因はそこにあるとして、電子書籍と紙の本を横断的に紹介するサイトを実際に運営する立場から、電子書籍の抱える多くの課題を具体的に列挙してくれる、読み応えのある文章です。
このなかで、林さんは次のように書いています。
読書に関する各種調査結果で、「本とどのようにして出会うか(本をどのようにして知るか)」という質問に対して、寄せられる答えの上位に必ず入るのが「新聞や雑誌の書評」「友人の推薦」である。言い換えれば玄人と素人とを問わず、レビューが決定的な役割を果たしているコンテンツが本ということになる。
(中略)
ここで指摘したいのは、電子出版の時代に、著者―出版社(編集者)―読者―書店(プラットフォーム)が中心的な役割を果たすことは間違いないとしても、その周辺のプレイヤー(新聞・雑誌・書籍の記事・広告、プロ・アマチュアのレビュワー)が、きちんとしたレコメンデーション情報(レビューはその一つ)を提供しないと、電子出版はきちんとした「産業」にならない、ということである。「プラットフォームの構築」をもっぱら強調する考え方への対抗概念として、私はこうした周辺プレイヤーも含めた出版のあり方を「(電子)出版のエコシステム」と呼んでいる。
電子書籍をめぐる議論が陥りがちな「プラットフォームを握ったものがすべてを握る」的な極論より、林さんのいう「周辺プレイヤーも含めた」「(電子)出版のエコシステム」のほうが書籍出版の実態に即しており、また望ましいかたちだと私は考えます。
そう考えたくなるのは、私自身が、電子と紙の双方にまたがる「出版」の世界における、「周辺プレイヤー」の一人だからかもしれません。しかし、多くのステイクホルダーが不利益を被るなか、特定のプラットフォーマーだけが一人勝ちになるような「電子書籍」に対し、人々が拒否反応――とまでいかなくても、多少なりと不審の念を抱くのは、きわめて当然のことでもあります。
「本は誰のためにあるのか」。kindleをともなったAmazonの「二度目の上陸」も間近と噂されるなか、電子書籍に対しても、根本的なその問いを差し向けるべき時期が来ている気がします。この問いに真正面から答えられたとき(もちろん「理論」や「提言」ではなく「具体的なサービス」として)、私たちの生活のなかに、いつの間にか電子書籍は定着していることでしょう。かつてインターネット自体がそうであったように。
では、今年も「マガジン航」をどうぞよろしくお願いします。
執筆者紹介
- フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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