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パネルディスカッション「電子図書館の可能性」

7月16日に国立国会図書館関西館にお招きいただき、「電子図書館の可能性」というテーマの講演会に参加してきました。長尾真氏(国立国会図書館長)、大場利康氏(NDL関西館電子図書館課長)、藤川和利氏(奈良先端科学技術大学院大学准教授・電子図書館研究開発室長)がそれぞれプレゼンテーションを行い、最後に私を加えた4名でパネルディスカッションも行われました。

国立国会図書館関西館の正面エントランス

会場は150人もの来場者でほぼ満席。

当日の討議内容については、カレント・アウェアネス・ポータルのサイトで概要が紹介されていますので、そちらをぜひご参照ください。また映像による中継をみていた方によるツイッターのまとめサイトをご覧いただくと、当日の雰囲気を感じることができると思います。

さて、この日に私が提起したいくつかの問題について、長尾国立国会図書館長より、当日はパネルディスカッションで相互討議の時間が十分にとれなかったため、インタビューに答えたいとの申し出をいただきました。そこで、あらためて長尾館長にインタビューし、お考えを伺いました。

講演会での長尾真 国立国会図書館長

長尾館長へのインタビュー

――来年早々にも日本でサービスが開始される、グーグル・エディションが登場すると、「本」や「検索」に対する考え方が変わるのではないでしょうか。いまある本を電子化しただけの電子書籍とは異なり、インターネットで検索して表示された結果をみてみたら、それがたまたま「本」の内容だった、ということもありそうです。

長尾 グーグルは本だけでなく、あらゆるネット上の情報を対象としています。これからは本という概念がくずれてゆき、意味のある情報の塊が検索され読む対象となってゆくでしょう。国立国会図書館でも政府関係のウェブ情報を体系的に集めはじめていますから、図書館の扱う情報はこれからいろいろと変わってゆくことになります。

――国立国会図書館でも、グーグルと同様のサービスを行う考えはありますか。

長尾 グーグル・エディションにはアメリカのほとんどの出版社が電子出版物をのせるようですが、このような状況になれば、すべての人がこれを検索し、そこに本がなければ出版されていないと思ってしまうでしょう。したがって世界中のすべての出版社がグーグル・エディションに参加することになるわけです。こうして結果的に一極集中が起こる可能性があるわけですが、一私企業に情報が集中し、独占されるという現象が起こることは好ましくありません。そこで、日本の出版物については日本が責任をもって集積し、すべての人に公平にサービスする必要があるわけです。

国立国会図書館はその機能を持っており、過去の出版物のディジタル化に力を入れていますし、これから出版されるものについても電子納本をしてもらって、少なくとも「どのような内容の本が出版されているのか」が分かるような検索サービスを行うことが必要と思っています。みなさんの希望があるならば、グーグル・エディションのように、国立国会図書館に納入された電子出版物を出版社の販売に用いることも、十分に考えられることです。ご存知のように、国立国会図書館の場合は十分な透明性をもった活動をしており、中立性、公平性を外部からチェックすることができます。私企業の場合におこる問題を避けるために、どのような形がよいのかを考えると、「公共性」の担い手である国立国会図書館が、その候補だろうと思います。

――電子書籍や電子図書館によって、物理的な冊子としての「書籍」と、そこに収められているコンテンツとしての「著作」とに分かれていく気がします。また、「一冊のなかに複数の著作が収められた書籍」(短編集、アンソロジーなど)や、「複数の書籍に分かれている著作」(上下巻に分かれている著作)といったものも多数存在します。「本」のもつ、「書籍」という単位と、「著作」という単位の違いを、電子図書館ではどのように扱うのでしょうか。

長尾 電子書籍の場合は、モノとしての図書ではないので、一つずつの著作単位で扱うことが手間をかけずにできるし、またそうすることが適切でしょう。国立国会図書館ではすでに雑誌について、各論文ごとの書誌情報を作って検索の対象としています。電子書籍の「構造化」「知識ネットワーク化」がさらに進めば、著作単位ではなく、読者が欲しいと思う部分が取り出せる、いわゆる書物の解体が行われるようになってゆくでしょう。

電子図書館における検索と取り出しの単位は利用者の要求に応じていろいろと変わることになるでしょう。メタデータを付与する単位のとりかたのほか、文書の構造を階層的に表現する記述言語、情報検索の技術などを活用すれば、いろいろな可能性が出てくるでしょう。

――電子書籍や電子図書館については、デジタルコンテンツをアーカイブする、ということにばかり話題が傾きがちですが、書誌データをはじめとするメタデータの不統一や不備が気にかかります。電子書籍(コンテンツ)を集めれば、すぐに「電子図書館」ができるのでしょうか。言い換えるなら、iBooksやKindle、あるいはグーグル・エディションのような商用の電子書籍サービスと電子図書館の違いは何でしょう。

長尾 たんに電子書籍を大量に集めただけでは、電子図書館にはなりません。紙の本でも、本を集めただけでは「本棚」にはなっても、「図書館」にならないのと同じです。目録、保存、所在情報など、だれでもが使えるようにするための工夫をして初めて、「図書館」としての公共性が成立します。

もちろん、紙の本が電子書籍になることによって、いろいろな可能性が生まれてきます。たとえば検索機能など、これまでは「図書館」でなければできなかったことの多くが、個人の「本棚」のレベルでもできるようになるでしょう。著作単位でメタデータがつけてあれば、さきほどのような検索と取り出しもできるようになります。

しかし、電子情報の長期保存や、フォーマットの標準化など、電子書籍を公共的に利用するために調整が必要とされる領域も、技術的、文化的、法的な領域にわたって幅広くあるため、「電子図書館」として必要なプラットフォーム(基盤整備)が公的な部門として、どうしても必要になります。電子書籍の時代においても、「未来の読者に伝える」ための仕組みとして、「電子図書館」が必要なのです。

――図書館という公共的なアーカイブが電子書籍のサービスに乗り出すことに対し、出版社からの反発が強いように思います。こうした反発に対してはどうお答えになりますか。

長尾 誤解されやすいのですが、絶版等により入手ができない資料については「図書館間貸出」という枠組みで、公共図書館や大学図書館に国立国会図書館の資料を1冊に限り貸出するという制度が、すでに昭和26(1952)以来あり、現在でもよく利用されています。これに準じて、紙の本をデジタル化した場合にも、破損しやすい紙の本ではなく、デジタル化した方の資料を(著作権処理をして無料ウェブ公開できる資料でない場合でも)公共図書館には、同時に1部に限り、閲覧可能にするというかたちにしたいと思っています。つまり、市場性のない図書館資料については、図書館サービスの枠組みとしての「図書館間貸出のデジタル版」がありうる、ということです。

――その一方で、今後、新しく魅力的な著作物が、どんどんボーン・デジタルで出版される時代になります。こうした電子書籍を公共図書館ではどう扱うべきでしょう?

長尾 市場性のある電子出版物を公共図書館経由で読者が読む場合の、経済的な権益を整理することが必要になるでしょうね。どんなに読書用端末の価格が低廉になってきても、月数千円の通信費用や、一定の安定した収入が要件となるクレジットカード決済など、電子書籍の商用サービスを享受するのに必要な仕組みを揃えられる人だけにむけて出版物がつくられ、読者が限定されるということでは、日本全体の活力を考えると問題があります。

――たしかに、電子書籍の読書用端末を私有する人だけしか、電子書籍が利用できないのは問題ですね。図書館がもつ、利用者に対するエンパワーメントの機能についても考慮に入れるべきだと思います。実際に、公共図書館が著作権保護期間の切れたコンテンツではなく、市場性のある電子書籍の貸出しサービスをしている例は、すでに他国にはあるのでしょうか?

長尾 諸外国をみると、市場性のある電子書籍のマーケットとしても公共図書館が位置づけられており、ドイツの例、韓国の例などでは、図書館での利用に対して補償金を出す制度などがあります。

――ありがとうございました。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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